ゲリラ豪雨が 薄毛に 与える悲劇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★ お知らせ

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過去のブログ一覧が出てきますので、お読みになりたいものを

捜しやすいと思います。

 

最近 地震 噴火 ゲリラ豪雨と人間の力が 及ばない

 

自然災害が 話題になっています。

 

この中で 最も 身近なものは ゲリラ豪雨だと思います。

 

皆さんは ゲリラ豪雨に 何か思い出が ありますか? 

 

僕には 忘れられない 思い出が 1つあるのです。

 

噴火や地震は 防ぎきれないけれども

 

空を見てさえいれば ゲリラ豪雨は 簡単に

 

防げるだろうと 思っていました。

 

でも それは 大間違いだということを 経験したのです。

 

数年前の 仕事帰りでした。

 

最寄りの駅から 自宅に向かって 歩いていると 

 

にわかに まわりが 暗くなったのです。

 

「ん?」

 

空を見たら どえらく 黒い雲が 低く

 

当たりを 覆っていました。

 

でも 家まで あと15分ほど だったので

 

「 まあ なんとか 家につくまでは もつだろう 」

 

と 思ったのです。

 

ところが それから 数分後でした。

 

ものすごい 勢いで 雨が 降り出したのです。

 

一瞬 視界が くもるほどの 激しさでした。

 

周りの人たちは あわてて 

 

携帯ガサを出して さしています。

 

僕も あわてて リュックの中を

 

さがしてみたのですが 入っていませんでした。

 

雨宿りする店を 捜して 歩くこと数分。

 

近くに 百円ショップが あったので 急いで 走りました。

 

そのわずかな間でも 背中に入った雨で 

 

ぐちょぐょ 音がしています。

 

さらに なんと 雨で息が出来ません。

 

こんな雨 50年以上生きてきたのに 初めてでした。

 

あわてて 百円ショップに 飛び込み ビニールガサを 捜しました。

 

すると 笑い声が 聞こえてきたのです。 

 

見ると 若い女性店員が 肩を揺らしながら 笑っています。

 

店員は 僕の哀れな姿を見て 思わず 吹き出して しまったようでした。

 


















「これ下さい」


僕は 恥ずかしそうに ビニールガサとお金を 


一緒に差し出しました。


店員は 口元を 押さえながら


「ごめんなさい・・・ぷぷ」


と 申し訳なさそうに


ビニールガサを 手渡してくれました。


悪いとは思っても 僕の姿がおかしくて


我慢できなかったのでしょう。

 

「 そうだね、水も滴るいい男じゃないよね 悲惨! 」 


僕が こう言うと ますます 笑い出して


「髪の毛すごいですよ とかしてから 出た方がいいですよ 」 


と 言ってくれました。

 

「 ありがとう 」


僕は 手串で 頭を 数回とかして


「 こんなもん? 大丈夫? 」


と、聞いてみました。


「・・・・は、はい だいじょ・・・ぷぷぷぷ」


なんと 先ほどより 激しい 笑いではありませんか。


あきらかに 大丈夫でないことが 分かりました。

 

店から出ると シャツも ズボンも びしょ濡れで


皮膚に ぴったりくっつき 


気持ち悪いのなんのって たまりません。


急ぎ足で 家につくと 風呂場に走りました。


着ているものを 全部脱いで すっぱだかに なりました。

 

濡れた衣類を 絞って 洗濯機に 放り込むと 


洗面所の鏡を 見てみました。


すると 思いがけないことが 自分に起こったのです。

 

「 ふふふふ ふぁっはは ひさ~ん 」

 

自分の あまりに惨めな姿に 自分で 笑い出してしまったのです。

 

「 これじゃあ あの店員 笑うわな ひっひひ 」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手串をしたせいで 雨で濡れた 少ない髪の毛が 

 

かたまり 地肌が丸見え。

 

まるで コメディに出てくる 落ち武者 のようです。

 

丸坊主であれば 濡れても こうはならないのでしょうが

 

なまじ 少量の 髪の毛があるために

 

世にも哀れな 姿になるのです。

 

薄毛の人間というものは 髪の毛が濡れると 

 

なぜ あんなに 惨めで

 

なおかつ おかしく 見えてしまうのでしょうか。

 

この日 思いました。

 

「 空を見ていれば どのくらいもつか分かると 

 

思っていたけれども 黒い雲は すぐに

 

降ってきちゃうんだな~。

 

見たら すぐ どこかに 入ることにしよう。

 

でないと 今日みたいな 落ち武者だな 」

 

僕と一緒で 薄毛の皆様 この季節は

 

特に 空を よく見て 歩きましょう。

 

そして 携帯ガサは お忘れなく。

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たった2セット されど2セット

最近、2回という数の重さを 痛感しているんです。


若い頃は トレーニングをしても 

 

最低5セット やらないと 気がすまないし 

 

2セットなんて やっていないのと同じなんて

 

思っていたのです。


それが だんだん 歳を取り トレーニングしなくなると

 

この2セットが トレーニングをさぼる

 

言い訳になって きちゃいました。


頭では 日ごと 衰えていく体と

 

だらしなく なっていく体型に


「なんとかしなくちゃな」


と 考えるのですが

 

ちょっと 時間ができても

 

他の 楽なことをする 言い訳として

 

2回という 数字が 思い浮かんでしまうのです。


たとえば 趣味の空手で

 

忘れかけている型の練習しようかな

 

なんて 思っても 

 

「いやいや 時間的に 各型 2回ずつしか

 

できないよな。それじゃ とても 思い出せないな。

 

それだったら 明日 時間をつくって みっちりやろう」

 
な~んて 言い訳して 

 

本やDVD 見ちゃったりするんですね。


当然ながら 翌日に そんな 時間がつくれず 

 

結局 イライラは たまっていきます。


スクワットでも 連続100回は 2セット続けて

 

できますが 続けて3セット目になると

 

とつぜん 途中から辛くなってきます。


この3セット目の辛さが 自分を強くするので

 

そういうトレーニングでないと

 

意味を感じなくなっていました。


トレーニングは 続けてこそ

 

トレーニングで 時々 思い出してやる

 

トレーニングは トレーニングとは 言えない。

 

昔 どこかで そう聞き 感銘を 受けました。


でも僕は このトレーニングという言葉を

 

きつい練習でないと 意味がないと 考えていました。











強くなる他ためには 確かにそうなのですが


健康維持の面からすると この考えに固執しては


いけないんですね。


固執していると どんどん


衰える一方なんですね。


この歳になって ようやく 分かってきました。 

 

  

2セットは 楽


 楽を毎日続けるから この先も楽』

って、ことなんですね。

 

20回×2セットを 続けられる人は


きっと 3ヵ月後 物足りなくなり


30回×2セットに 回数を


増やしているはずです。


同じことが繰り返され おそら 1年後は


少なくとも 50回×2セットが


楽になっているでしょう。

 

『継続は力なり』と言いますが


一番むつかしい「続ける」ということを

 

可能にするためには


ピッタシの数だったわけですね。


58年かけて やっと この事実に


たどりついたしだいです。


2セットだから 楽に続き


効果を得ることができます。


まさしく 2セット されど 2セットです。


2よ 万歳!

 

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胸を張れB型①

血液型占いは 本当に 当たるのか?

 

僕は 血液の授業で 毎年のように こんな実験をしました。 

 

クラスの生徒を 4種類の血液型に分類し 各血液型ごとに

 

別々のアンケート用紙を渡したのです。

 

そして こう伝えました。

 

「この用紙には それぞれの血液型に 特徴的だと言われている項目を

 

20項目ずつ書いてあるんだ。A型に渡した用紙には A型によく見ら

 

れる特徴が 20個書いてあるし B型なら B型に見られる特徴20個だ。

 

どのくらい自分に 該当するか 素直につけてみてよ。

 

どのくらい当たっているか 皆で調査しよう。

 

もし A型の20項目 すべてに丸をつけたら 超A型ってことだよ 」

 

やらせていると 生徒達は

 

「 あるある! 超当たってる。俺 まじにこれ 超A型人間!」

 

 などと 騒ぎながら アンケートに 答えていました。

 

結果を 発表させて まとめてみると 毎年 どの血液型も

 

65~80%という 高い適合性を見せたのです。

 

生徒は「おお~ すげぇ! 血液型占い 超当たっている 」

 

と 興奮していました。

 

しかし 実は A型に渡した アンケート用紙は

 

B型によく見られるという性格項目 O型に渡した アンケート用紙は

 

AB型に良く見られる項目というように 本人達の血液型以外の特色を

 

表したものだったのです。

 

つまり 血液型と性格には 世の中で 言われているような

 

適合性は 認められなかったのです。 

 

生徒達は ちょっと がっかりしていたようでしたが

 

僕は満足していました。

 

なぜなら 僕自身は 血液型占いに 一種のいじめを感じていて

 

「4種類で 判断するなんで 安易すぎるんだよな。

 

B型やAB型が かわいそうだ 」と 思っていたからです。

 

中巻②に書いた気づき

『 現象は違うが 同じことは たくさんある。

 

いじめは いろいろな形に 姿を変えている。

 

現象にとらわれず 現象の中に流れる心を

 

感じることが大切 』

 

が 僕に そう感じさせていたのです。

 

僕は 中学生のころ 理科の授業で

 

「AB型は 一番少ない血液型で クラスによっては

 

一人しかいないこともあります」 

 

と習った時 小学生高学年時に言われて

 

ずっと なぞのままだった 言葉の意味を

 

理解した経験が あったのです。

 

「 え~び え~び 変わり者のえ~び クラスで一人の え~び 」

 

一人の女の子が 他の女の子に からかわれていたのです。

 

僕は 彼女を 海老という名前で クラスに 友達がいない

 

つまり いじめを受けている 女の子なのだろうと思ったのです。

 

僕は 一人になって歩いている 女の子を 追いかけて

 

こう言ったのです。

 

「 えびでいいのにね。気にする必要ないよ。

 

僕 いい名前だと 思うよ 」

 

いじめを 経験してきた僕は 「 頑張って 負けないで 」と 

 

応援するつもりで言ったのです。

 

しかし 彼女の返事は 理解できないものでした。

 

「えびじゃないもん。えびでなんか よくないもん 」

 

僕は 「?・・・・」と 意味が分からず 立ち止まり

 

彼女が歩き去っていくのを 見ていたのです。

 

それが この授業で ようやく 彼女の言った意味を

 

理解できたのでした。

 

海老という 名前ではなく AB型だったのです。

 

だから クラスに一人で それが嫌だったのです。

 

まあ 本当は どうだったのか 分かりませんが・・・。

 

ただ どちらにせよ やっぱり 同じことだと 思いました。

 

いずれにせよ いじめであったことには 変わりないのですから。

 

血液型に関しては 当時 最も少ない AB型が

 

一番 からからいの ターゲットになっていたようです。

 

しかし 今から30年ほど前でしょうか 血液型ブームが来ると

 

おかしな 現象が起きたのです。

 

なぜか B型は悪い血液型のように 言われ始め 

 

ついには それが 事実であるかのように

 

世間に 定着したのです。 

 

「 やっぱり B型かよ マイペースで 上司の言うことを 聞かない 」

 

「 やっぱり B型女子かよ 我がままで 自己中  」

 

「 やっぱり B型かよ 変わっている 」

 

と どこに その根拠があるのか分からないまま まことしやかに

 

世の中へ 浸透して しまったのです。

 

だから 当時 僕は よく 血液型を 誤解されていました。

 

「 BかABでしょ。変わっているから 」

 

と 予想されていたのです。

 

「 残念でした。O型です 」

 

と言うと

 

「 うっそ~ ちゃんと調べたの~ 嫌われると思って

 

うそついてんじゃないの」

 

なんて 言われた記憶があります。

 

僕は 生物の先生を やっていたので たまたま知っているのですが

 

血液型は ABO式血液型だけでは ありません。

 

ABO式血液型の他に Rh式が有名ですが それだけではなく 

 

なんと 300種類も あるといいます。

 

生物の先生であった僕でさえ

 

他に MN式 ルイス式 kell式 P式 HLA 

 

くらいしか 思い浮かびません。

 

あと290ちょっとについては まったく 知りません。

 

-胸を張れB型②へ続く-

 

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胸を張れB型②





















それでは ここで ABO式血液型において 各血液型の血液が


どう異なっているのか 説明しておきます。


その方が なぜ 血液型占いで B型を非難することが 


根拠なき非難か よく分かっていただけると 思うからです。

 

ABO式血液型の説明 (簡略編)


ABO式血液型を 決定する 血液型物質には 2種類あって 


それぞれ A型物質 B型物質 と呼んでいます。


赤血球(血液中に存在する 血球の1つで 酸素を運ぶ働きをする)


表面に 存在しています。

 

これをもとに ごく簡単に 各血液型の違いを


説明すると 次のようになります。


A型物質をAという名札 B型物質をBという名札と考えて下さい。

 

 赤血球表面に Aという名札だけ つけていれば A型


赤血球表面に Bという名札だけ つけていれば B型


赤血球表面に AとB 両方の名札を つけていれば AB型


赤血球表面に 両方の名札を つけていなければ O型


という訳です。 上の絵で 確認して下さい。

ABO式血液型 (知識編)


もう少し 詳しく 説明すると


A型物質は α-N-アセチルガラクトサミン


B型物質は α-ガラクトース


という 糖類です。

 

糖類とは・・・

炭水化物(C:炭素 O:酸素 H:水素 からなる物質 )の仲間です。


最も簡単な つくりのものを 単糖類といい


グルコース ガラクトース フルクトース などはこれです。


単糖類が 2分子結合して できている糖類を 2糖類といい


ショ糖 麦芽糖 乳糖などがあります。


2分子以上の単糖が 結合してできた糖類を 多糖類といい 


デンプン グリコーゲン セルロースなどがあります。


糖鎖とは・・・

N-アセチルグルコサミン N-アセチルガラクトサミン


グルコース ガラクトースなど 8種類以上の糖が


鎖状に連なったものです。


タンパク質や脂質と結合して 存在しています。


細胞表面の コーティングなどをする役目があります。


女性なら 誰でも 知っている


ヒアルロン酸も この仲間です。


長い鎖の中に 水分をため込み 乾燥から皮膚を守って


ハリのある肌にするわけです。

 

さて 人間(Human)は 誰でも 赤血球表面に


ある共通した構造を持っています。


これは 糖脂質や糖タンパク質の糖が 鎖状に連なった構造になっています。


人間(Human)すべてに 共通な構造なので


HumanのHをとって H型物質と言います。

 

具体的にいうと 糖鎖の末端部分に見られる 


N-アセチルグルコサミン + ガラクトース + フコース


といった つながりです。

 

このH型物質を基本に 各血液型を 説明すると


次のようになります。

 

① 赤血球表面の糖鎖が すべて H型物質の場合は O型。


② H型物質の他に H型物質末端に α-N-アセチルガラクトサミンが


  くっついたものが 存在していれば A型


③ H型物質の他に H型物質末端に α-ガラクトースが くっついたものが

 

  存在していれば B型


④ H型物質 α-N-アセチルガラクトサミンがくっついたもの 


  α-ガラクトースがくっついたもの 3種類が存在していれば


  AB型となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読者の皆さんは H型物質と呼ばれる鎖があって 

 

すべての人の赤血球表面に 90個 くっついていると

 

想像して下さい。

 

なぜ90個かというと 説明しやすいからです。

 

H鎖90個は その末端を 赤血球表面に 突き出しています。

 

次の①~④を読みながら 上の絵を 見て下さい。

 

① そのうち 45個に α-N-アセチルガラクトサミンが

 

くっついていればA型です。

 

末端に何もなし:α-N-アセチルガラクトサミン

 

= 45:45= 1:1 → A型

 

② また45個に α-ガラクトースがくっつけば

 

B型です。

 

末端に何もなし : α-ガラクトース

 

= 45:45 = 1:1  → B型

 

③ 30個にα-N-アセチルガラクトサミン

 

 もう30個に α-ガラクトース 残りに

 

 何もつかなければ AB型です。

 

 末端に何もなし : α-N-アセチルガラクトサミン : α-ガラクトース 

= 30:30:30 = 1:1:1  → AB型

 

④ 90個の末端に 何もくっついていなければ O型 です。

 

 末端に何もなしのみ → O型

 

-胸を張れB型③へ続く-

 

 

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胸を張れB型③

ABO式血液型 (豆知識編①)

 

人間は細胞内に 46本の染色体を持っていますが 観察すると

 

23種類の染色体から 出来ていることが 分かります。

 

人間は この23種類の 染色体の中に 自分の情報を

 

すべて しまいこんでいるわけです。

 

この23種類の染色体を さらに よく見ると

 

男女共通の22種類と 性別を決定する染色体 からできています。

 

そして 性別を決定する染色体には

 

X染色体とY染色体があることも 分かります。

 

男女共通の22種類を常染色体

 

性別を決定する染色体を性染色体といいます。

 

人間は これらの23種類をそれぞれを 2本ずつ 持っています。

 

ただし、性染色体の組み合わせは 

 

男はX染色体とY染色体を 一本ずつ

 

女は2本とも X染色体 となります。

 

常染色体22種類×2  + 性染色体2本

 

= 44         + 2 ( 男 XY 女 XX )

 

= 46 本

 

ということです。

 

赤ちゃんに伝えるときは お父さん お母さんは

 

自分の持っている23種類の染色体を 1本ずつ伝えます。

 

46本そのまま 伝えたら 赤ちゃんの 染色体数は

 

92本になってしまうからです。

 

そのために 精巣や卵巣の中で 減数分裂と呼ばれる

 

細胞分裂を行って 23種類を1本ずつにして

 

精子と卵に入れています。

 

こうすることで 精子と卵が めでたく受精した場合

 

  精子中23本 + 卵中23本

 

= 受精卵中46本 となるわけです。

 

H型物質をつくるための遺伝子と

 

A型物質 B型物質に関する遺伝子は 

 

常染色体上に 乗っています。

 

具体的に言うと

 

H型物質をつくるための遺伝子は

 

22種類のうち19番目の染色体上

 

A型物質 B型物質に関する遺伝子(ABO糖転移酵素)は

 

9番目の染色体にある ことが 分かっています。

 

9番目の染色体上に乗っている 遺伝子によって

 

次のように 分類されるわけです。

 

A型物質をつくる遺伝子が乗っている→A型

 

B型物質をつくる遺伝子が乗っている→B型

 

血液型物質をつくる遺伝子が不活性→O型

 

親の一方から伝えられた 9番目の染色体に

 

A型物質(B型物質)をつくる遺伝子

 

他方から伝えられた 9番目の染色体

 

不活性型遺伝子ならば 

 

子供は A型(B型)になります。

 

これは 遺伝子A 遺伝子Bは 遺伝子Oに対して

 

優性( AとOが一緒に伝えられたならば

 

Aが読まれるということ。Bも同様 )だからです。

 

では AB型は どのようにして できるか?

 

普通 9番目の 染色体上1本の上に

 

A型物質 B型物質 両方の 遺伝子が 

 

同時に 乗ることは ありません。

 

両親の一方から伝えられた 9番目の染色体に

 

A型物質をつくる遺伝子 

 

他方から伝えられた 9番目の染色体に

 

B型物質をつくる遺伝子が 乗っていると

 

子供は AB型になるわけです。

 

このようにしてできた AB型を

 

トランスAB型 といいます。

 

ところが まれにですが

 

一本の染色体に A型物質 B型物質

 

両方の遺伝子が乗ることがあります。

 

たとえば お父さんの9番目に ABが乗ったとします。

 

お母さんがBを伝えたとすると

 

子供は ABO式血液型では 

 

考えられない血液型を持って 生まれてくるのです。

 

AB型 B型 両方持っているのですから。

 

このようにして 誕生したAB型は

 

シスAB型と呼ばれています。

 

 

ABO式血液型 (豆知識編②)

 

なお 先ほどは 人間誰もが H型物質を持っていると

 

書きましたが 正確には ボンベイ型といって

 

通常のO型同様に A物質 B物質を 持たず 

 

なおかつ この9番目の遺伝子を 発現しない人が 

 

ごくまれにいるのです。

 

A物質 B物質がないので

 

一見 O型にみえますが

 

H型物質も 持っていないので O型ではありません。

 

この血液は ABO式血液型では 分類できないのです。

 

各血液型が 同じ 血液型から 輸血しないと

 

凝集(血液が固まってしまう)が起こって

 

命にかかわるように 

 

ボンベイ型は ボンベイ型の血液でないと 輸血できません。

 

だから O型と間違って 輸血したら 大変なことになります。

 

 

この血液型は たいへん珍しく

 

100万人に一人しか いないと言われています。

 

世界約70億人の中に 7000人しかしないことになります。

 

現在の日本 約1億2700万人中なら

 

127人しか 存在していないことになります。

 

日本が 島国で この血液が 外から入ってきにくいことを

 

考えると 50人もいないと言われています。

 

この人達は 大ケガをして 大量の輸血が必要となった場合 

 

血液を確保することが 難しいかもしれません。

 

ABO式血液型 (豆知識編③)

 

詳しいことは 分かりませんが 

 

分子発生学上 血液型はO型が最初ではなく

 

A型から 始まったそうです。

 

A型→O型→B型→AB型 の順で

 

発生したことが 分かっています。

 

ABO式血液型(豆知識編④)

 

(1) 各血液型の存在比率は 地域 国 人種で 異なっていますが

 

  世界中で 最も多いのが O型です。

 

(2) 日本は A型 : O型 : B型 : AB型

 

  =4:3:2:1です。

 

 ブラジルやアルゼンチンなど 中南米では O型が多く

 

 50%近い比率を 占めています。

 

 この地域の 原住民になると ほぼ100%が O型だそうです。

 

 B型は 中央アジアに多く インドでは 一番多い血液型で

 

 40%が B型だそうです。

ABO式血液型(豆知識編⑤)

 

動物 植物 と ABO式血液型

 

植物・・・8割がO型。

 

  カエデは 血液型によって 色が異なる。

 

  O型が赤 AB型が 黄色に 色づく。

 

動物

(1)   A型が多い動物(9割 残りはO型) 

 

   ブタ ネコ 魚 

 

(2)   A型かO型・・・・チンパンジー

 

(3)     B型 ・・・ゴリラ ウシ カメ クジラ

 

(4)     AB型が多い・・・カエル 

 

 

以上で 各血液型の構造説明を 終わりにします。

 

何かの時に お役立て 下さい。

 

 

-胸を張れB型④へ続く-

 

以上で 各血液型の構造説明を 終わりにします。

 

何かの時に お役立て 下さい。

 

 

-胸を張れB型④へ続く-

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胸を張れB型④

本題に戻りたいと思います。

 

ここで 最も大切なことを お伝えします。

 

この 血液型物質は 身体のある部分以外であれば

 

どこにでも 存在しているのです。

 

胃や十二指腸では 赤血球中より

 

多量に存在しているらしいです。

 

もちろん 心臓 腎臓 肝臓 肺 消化管の中にも

 

存在しています。

 

それだけではなく 唾液や 体液中にも 存在しています。

 

だから サスペンスドラマなんかで 現場に残された体液から

 

犯人の血液型は ~型だと判明しましたなどと 言っているわけです。

 

では 血液型物質が 存在していない 唯一の部分とは どこか?

 

それは 脳なのです。

 

人間の性格は 脳が決定しています。

 

そこに 血液型物質がないのですから 

 

血液型が 性格を左右するという根拠は まずないことになります。

 

もちろん 脳に送られた血液中には 存在しています。

 

しかし 脳に送られた血液の 血液型の差が

 

脳の働きに影響を与え 世の中に広まっている

 

各血液型の性格差を 生み出しているとは 考えにくいと思います。

 

 ただ 反対に考えると まだ 因果関係は

 

認められていませんが 血液型と体質には

 

何らかの 発見があるのではないかと 僕は 期待を寄せています。

 

いずれにしても 自分が 何型かで 

 

一喜一憂するなんて バカげています。

 

どんな血液型でも 人間性に 優劣の差など ないのです。

 

それぞれ 自分の血液型を 認めてあげましょう。

 

そして 同様に 他の血液型も 認めてあげましょう。

 

ある人達が 他人の言うことを聞かず 自己中心的なB型人間を

 

「 あいつは B型だから 皆に迷惑をかけても 平気なんだ。

 

 B型には 注意した方がいい 」

 

と 批判していたとしても それは たまたま 

 

その人が B型であるだけなのです。

 

落ち着いて 身の回りを見れば 

 

誰よりも 周りに気を配っているB型だって

 

たくさんいるはずです。

 

ただ そういう人は 世間に流布されている

 

悪いイメージと かけ離れているから

 

話題にならないだけなのです。

 

中巻②の気づき

 

『 (その人の環境やその人)全体を見なければ

 

その人の 本当の姿は 見えてこない 』ということです。

 

それに 冷静な人から見たら

 

まったく逆に 見えているかもしれません。

 

しっかりした意見を持ったB型を

 

保身のために 周りが 批判しているだけかもしれないからです。

 

こんな場合は 自己中で我がままは 批判している方であって

 

批判されているB型は 本当の自分を

 

きちんと守りぬける人に 見えるわけです。  

 

でも 悪口を言われたら やはり 面白くないものです。

 

そんな時は こう思って みて下さい。

 

下巻②の気づき

 

『悪意の言葉をかけられたら 

 

「それでいいよ。僕は ちっとも 困らないよね 」と 

 

自分に 語りかけるといい。

 

すると「それでいい。よく言った 」と 心に余裕が生まれる 』

 

です。

 

心に余裕が生まれれば

 

「 そんな偏った基準で 相手を批判していると

 

 いつか 10倍返し喰らって 泣いちゃいますよ。ふふふ 」

 

と ますます 平然としていられるようになります。

 

世の中全体が そういうものだからと 自分を卑下する必要

 

隠す必要など まったくないのです。

 

僕(私)はB型ですと 堂々と言っちゃえば いいのです。

 

下巻②の気づき

 

『僕の 最大のライバルは 僕にレッテルを張る 僕自身 』

 

なのです。

 

だって そのB型の血液で 生きてこられたのだし

 

これからも 生きていくのですから。

 

感謝こそすれ 文句言うなんて

 

自分で 自分に つばをかけているようなものです。

 

これまで 役立ってくれた 肉体すべてを 罵倒しています。

 

これを放っておくと 自分の体なのに 反乱を起こすようになります。

 

無意識ですが これは 本当に起こります。

 

上巻の気づき

 

『 肉体が何ともなくても 心の弱さが 体に出る 』

 

が 僕に証明してくれました。

 

ですから B型の皆さん

 

「 僕(私)は B型です。すばらしい血液型です 」

 

と 自分を認めてあげ 胸を張りましょう。

 

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ウサイン・ボルトとうずまきボルト1

テレビを見ていたら NARUTO THE MOVIE ボルト

 

という アニメの劇場版宣伝が 目に入りました。

 

NARUTO と言えば 若者に大人気で 昨年11月に

 

最終回を迎えたことが 話題となった 忍者漫画です。

 

僕らの年代において 忍者漫画と言えば 

 

横山光輝の 伊賀の影丸 仮面の忍者赤影

 

白土三平の 少年忍者風のフジ丸 サスケ  カムイ外伝 忍者武芸帳などが

 

思い浮かびます。個人的には 影丸とカムイが 好きです。

 

ナルトについては こんな 感想を 持っていました。

 

生徒が持ってきていた 少年ジャンプを 時々読んで ナルトは それまでの

 

孤独や非情さを 背景に展開される忍者漫画とは

 

まったく違った感じを 受けました。

 

忍者版 ハリーポッターのように 僕は感じたのです。

 

忍者学校があって 個性豊かな仲間が多く登場し 友情を育んでいきます。

 

尾獣を 体内に封印された 人柱力(じんちゅうりき) チャクラ 写輪眼など

 

これまでの 忍者漫画にはないものです。

 

また 使う術も 忍術というより 超能力や魔法のように感じました。

 

ナルトの活躍した世界を 忍者の世界と認めるかどうかは

 

いろいろあるでしょうが 空想の世界なのだから 

 

僕は これはこれで 面白いと思っています。

 

これまでの忍者世界とは かけ離れた まったく新しい

 

忍者の世界を作り出した点で 作者の 岸本斉史

 

たいしたものだと 思います。 

 

ちなみに 岸本斉史は 僕同様 双子で 弟は聖史といい

 

兄弟そろって 漫画家だそうです。

 

生徒から聞いて ナルトに親しみを持ちました。

 

僕は 最初の頃のナルトと 途中の所々しか 知らないのですが

 

どうやら 最終回で ナルトとヒナタ サスケとサクラが

 

結婚したことを 人づてに知りました。

 

こういう展開も 従来の忍者漫画には ありえないものです。

 

ハッピーエンド好きの 僕には 知って うれしい エンディングでした。

 

ボルトは ナルトとヒナタの間にできた子供で 絵で見る限り

 

ヒナタより ナルト似のようです。

 

ということで 今までは ボルトと聞けば

 

ねじの仲間 電圧の単位(V) ウサイン・ボルトしか

 

思い浮かびませんでしたが 何年後は

 

ナルトの息子 ボルトも 思い浮かぶように

 

なっているかもしれません。

 

ただ そうなっていたとしても 僕の中で ボルトナンバー1は

 

ナルトの息子ではなく ウサイン・ボルトだろうと 思います。

 

2008年の北京オリンピックで 100mを 9秒58で

 

走り抜けた姿は 衝撃的でした。

 

「 これはすごいことになった。 彼は 今までの 金メダリストと

 

は異質だ。新世代への パイオニアだ 」

 

と うなってしまったのです。

 

何が 衝撃的だったかというと 彼は 今までの概念を 打ち破って

 

新しい時代への扉を開いたと 感じたのです。

 

これまで100mの世界記録を0.1秒縮めるのに

 

10年近くかかっていたのに たった一年で

 

自分の記録を 9秒72 から 9秒58へと

 

一気に 縮めてしまったからです。

 

一流アスリートの世界でも 0.1秒短縮するのに

 

10年かかるという意識が あった中で

 

彼の記録の伸ばし方は アスリートの意識に

 

大きな影響を与えたと思います。

 

今後 ボルトの次世代になると

 

記録の伸びが 大きく

 

さらに それに要する時間も

 

短縮される 予感がします。

 

-続く-

 

 

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ウサイン・ボルトとうずまきボルト2

1964年 僕が 小学2年生の時 東京オリンピックが 開催されました。

 

このオリンピックで 100mを制したのは アメリカの「黒い弾丸」こと

 

ボブ・ヘイズでした。

 

ちょっと上に飛び跳ねるようなフォームで

 

当時の記録で 10秒00(電動10秒06)という記録を 打ち立てたのです。

 

しかも 準決勝では追い風参考ながら 9秒90を出していて 決勝は

 

固唾を呑んで 見ていました。

 

ヘイズは 第1コースでした。

 

当時は 一番 速いから 第1コースにされているのだと

 

勝手に 理解していましたが そうではないと

 

中学になってから 知りました。

 

スタート少しして トップに立った ヘイズは そのまま

 

他の選手を寄せ付けず テープを切ったのです。

 

当時は 弟と よく100mごっこをしました。

 

当時 弟が やや飛び跳ねるように 走っていたのは

 

ヘイズの影響 だったのかもしれません。

 

ヘイズの後 電動時計で 10秒の壁を 破るまでには 4年かかっています。

 

1968年 メキシコオリンピックで ジム・ハインズが

 

ついに 9秒95を 出したのです。

 

すると 9秒9台で走る選手が 多く出てきました。

 

しかし それでも 9秒8台に突入するまでに それから

 

23年も かかっています。

 

23年後の1991年に カールルイスが 9秒86を出しました。

 

すると また 9秒8台で走る選手が 他にも 出始めたものの

 

1999年に モーリス・グリーンが 9秒9を出すまでに

 

8年かかっています。

 

そして 8年後 ボルトが 2007年に 9秒72を出して

 

ついに9秒6台に突入かと 注目を 浴びたわけです。

 

それなのに そのわずか1年後 2008年に 9秒6台どころか

 

9秒60の壁を あっさり 破ってしまったのです。

 

1964年に ヘイズが出した 10秒06から

 

ボルトが9秒72を出すまでに 43年かかっています。

 

0.34秒縮めるために 世界中の一流アスリートが

 

43年かかっているのです。

 

それなのに それから0.11秒 縮めるのに

 

たった1年しか かかっていないのです。

 

僕が うなった理由を 分かって 頂けたでしょうか。

 

-続く-

 

 

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ウサイン・ボルトとうずまきボルト3

人間は 誰かが なかなか 破れなかった記録を 更新したり

 

常識を覆す 新しいことを 成し遂げたりすると 

 

「 自分にもできるかも 」 と思うようになります。

 

つまり 今まで 記録を破れなかった 一番の理由は

 

「 この記録は この時代に 破る者は 出てこないだろう 」

 

と 思う気持ちが 心の片隅にあったからなのです。

 

自分と 同じくらいの力を持つ アスリート達が

 

日々 厳しいトレーニングを 積んでいるのに

 

なかなか破れないでいると 各アスリートは

 

自分の力に 少しずつ 限界を感じてくるのだと 思います。

 

「自分達より 一歩抜きん出た能力を持つ選手が 出現しないと

 

破ることが できないのではないか」

 

この思いが リミッターとして働き 持っている力を

 

最大限に引き出すことが できないでいたのです。

 

しかし そういう中にも リミッターを

 

自力で外すものが出てきます。

 

肉体的パフォーマンスは同じでも

 

それを引き出す心が 少しだけ 違うのです。

 

そのわずかな差で 新記録が誕生するわけです。

 

新記録は 一流アスリートが 持っている このリミッターを

 

はずす力を持っています。

 

だから 新記録が樹立されると 樹立者と自分を

 

同レベルと認識していた選手達の心が こう叫ぶのです。

 

「あいつにできたんだ。俺にできないわけがない。

 

できる。俺は まだまだ 伸びる 」

 

その結果 同じような 記録を出せる選手が いきなり 増え始めます。

 

しかし この新世代にも 新たなリミッターがかかり

 

記録の伸びを 押さえ込むわけです。

 

そして 記録が伸びるほど 次のリミッターは

 

大きなものになっていきます。

 

ですから 次のリミッター外しを 自力でできる 選手の登場に

 

約10年の歳月を 必要としていたわけです。

 

ところが ボルトは この リミッターを

 

一人で 10年分 先に進めることに 成功したのです。

 

この成功は 次に誰かが ボルトと同記録を出した時 

 

ボルトが そうであったように 自分で その記録を 

 

短期間で大幅に縮める可能性が 出てきたと

 

僕は 感じています。

 

その時出る記録は 9秒3台という 夢のような記録です。

 

そんなの 無理だよと 思われる方も おられるでしょう。

 

でも 僕は 信じています。

 

僕が死ぬまでに 9秒3台という記録を

 

眼にすることが できるだろうと。

 

-続く-

 

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ウサイン・ボルトとうずまきボルト4

現代 体操の世界で 月面宙返り(ムーンサルト)という技に対して 

 

ものすごい技という 認識は薄いと 思います。

 

世界中に この技をこなす選手が たくさんいます。

 

しかし 僕らの世代が 1972年(昭和47年)に 初めて この技を 見た時は 

 

「 こんな技 他に誰ができるようになるのだろう 」

 

と 思ったものです。

 

ミュンヘンオリンピックで 塚原光男が 鉄棒のフィニッュを

 

この技で決めて見せたのです。

 

興奮しました。人間業ではないと 思いました。

 

でも 今は この技をさらに改良した 難度の高い技ですら

 

いろいろな選手が こなしています。

 

だからといって 僕は 塚原より すごいとは 思っていません。

 

僕個人は 塚原光男が 一番すごいと 感じています。

 

皆が今 ムーンサルトを 軽々こなしたり それ以上の難度の技を

 

こなしたり できるのは 塚原光男が 初にこなしたからです。

 

その成功が 多くの体操選手から リミッターを

 

外してくれたからなのです。

 

だから

 

『 何であっても 最初に それを やり遂げた人に 最も価値がある 』

 

と 僕は 感じています。

 

ハリウッド映画で アジア人が 主役をはることなど 難しかった時代

 

それまでの アクションとは 比べ物にならない 迫力と技で

 

ハリウッドデビューした ブルース・リーも コロンブスの卵でした

 

その後 彼と 同じこと または 一見すると それ以上のアクションを

 

見せる俳優が たくさん出てきました。

 

現代 アクション映画で 目を見張るような アクションを

 

楽しむことができるのは 彼が 多くの アクションスターの

 

リミッターを 外してくれたからなのです。

 

 (ただ 今だ 彼を 超えるアクションスターは

 

 出てきていないと 僕は 感じています )

 

NARUTO THE MOVIE ボルト で

 

ナルトの息子は こう言っています。

 

「 そんな時代 俺が変えてやるよ 」

 

テレビから 聞こえてきた この言葉には

 

今までの常識を 打ち破ってやるという 意気込みを感じます。

 

父(ナルト)が これまでの 忍び世界にあった 常識を 変えたように

 

彼も 新世界の コロンブスの卵に なるのかもしれません。

 

我々は 今の方が 難度の高いことを こなせるから

 

過去の人より 優れていると 思い上がらないことが

 

大切だと 思います。

 

コロンブスの卵を 忘れないということは

 

先人達の努力と勇気を 敬うことであり 

 

しいては 自分達が 大きくなった時

 

次の世代から 大切にされることに つながります。

 

これは 人間が進歩を止めないためには

 

重要な 心の持ち方だと思います。

 

ボルトも 前の時代の コロンブスの卵 ナルトを 尊敬し

 

新たな コロンブスの卵に なって欲しいと 思います。

 

そんな映画に なっていればいいなと 期待しています。

 

-終わり-

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カラーパウダー爆発事故と中学理科1

粉塵爆発というと

 

僕は「冒険野郎マクガイバー」「刑事マードックの捜査ファイル」

 

といった 海外ドラマ思い出します。

 

これらのドラマの主人公は 抜きん出た 科学知識を利用して

 

ピンチを切り抜けます。

 

そのうち1つが 身近な材料を使って 粉塵爆発を起こし

 

相手の気を引くというものでした。

 

このように 粉塵爆発は ミステリーや サスペンスの世界で

 

よく使われてきたものです。

 

また 炭鉱で起こる 炭塵爆発の 恐ろしさは 昔から 知られていたものでした。

 

しかし 今回 台湾 八仙水上楽園で起こった カラーパウダー 爆発火災事件

 

身近な所に潜む 危険を改めて 認識させられることになりました。

 

粉塵爆発は 製粉工場 食品工場などでは 細心の注意が 払われていることです。

 

今回の火種が 観客のタバコであったとしても 観客じたいは カラーパウダーが

 

噴射されることなど 知らないうちに 噴射されたのかもしれません。

 

また こういう場所では「危険ですので タバコは ご遠慮下さい」 と 

 

注意を促しても やめない人達がずいます。

 

そういった意味で 人が集まるような場所では

 

使用を 中止した方がいいものだと 思います

 

  

さて 今回は カラーパウダーでなくとも 身近な所に 危険が

 

潜んでいることについて 一緒に考えて行きたいと思います。

 

それでは 1つ 中学理科の 復習です。 考えてみて下さい?

 

密度が大きい物質ほど 粉末にした場合

 

 ( ① 漂いやすい        漂いにくい  ) 

 

答えは?

 

 

答えは ② です。

 

密度が大きいとは 簡単に言うと 同じ大きさでも 重たいということです。

 

ですから 密度の大きい 鉄や亜鉛は 粉末状にしても

 

すぐ落下して 漂いにくいのです。

 

 

同じ物質でも 小さいと すぐに燃えて なくなります。

 

そして 小さな粉にして 空気中に 散布し 火をつけると

 

一瞬にして 火が広がります。

 

どうしてか? 

 

それは 助燃性のある酸素が 粉と粉の間に

 

たくさんあるからです。

 

同じ物質からできた物体であっても 塊だと 物質と物質の間に

 

酸素がありません。

 

物体表面近くの酸素は 表面を 燃やすために

 

酸素が使われてしまいます。

 

だから 内部は 表面に比べて 燃えにくい状態になります。

 

-続く-

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カラーパウダ-爆発事故と中学理科2

こんな イメージをしてみると 分かりやすいかもしれません。

 

固まりに 火をつけることは 一箇所で 大きなものに

 

火をつけることだと考えて下さい。

 

この場合 内部まで燃えるのに 時間がかかるし 隣に

 

燃え移るものがなければ 燃え広がりません。

 

そして 粉末にして 火をつけることを 同時に

 

たくさんの場所で 小さなものに 火をつけることだと

 

想像して下さい。

 

粉末にして 散布した結果 空中に 10万粒の

 

細かい粉塵が 漂っていたとします。

 

ここに 火を近づけると 1箇所ではなく

 

たとえば 1000箇所で 同時に 火の手があがるのです。

 

さらに まわりに空気(酸素)があるから

 

まだ火がついていない仲間にも 一瞬にして 飛び火します。

 

つまり 爆発的に 火が広がることになります。

 

密度が小さく 小さな粒になる物質ほど

 

空中に 漂っていやすくなります。

 

100㎛以下になると 空中に漂い

 

すぐには 落ちてきません。

 

 

これを 一般には 粉末にすると 物質の表面積が

 

大きくなるから 燃えやすくなると 表現しているわけです。

 

その物質が 燃えるのを助ける 気と触れ合う

 

積が 大きなるから 危険だということです。

 

下の表で どの物質が 粉塵爆発しやすいか 比べてみて下さい。

 

炭素(ダイヤモンド)は無色ですが ここでは 主成分の70%が炭素である石炭を

 

炭素と考えて下さい。

 

ショ糖(スクロース)とは いわゆる 砂糖のことです。

 

小麦の成分の80%は デンプンなので ここでは 大雑把に

 

デンプン≑小麦と考えて下さい。

 

◎ 超危険 ○ 危険 △ やや危険 × 粉塵爆発しにくい

 

物質

密度 (g/cm)

粒の大きさ(μm)

灰白

7.9

×

200

亜鉛

7.1

×

10

 炭素(石炭)

3.5

50

アルミニウム

銀白

2.7

10100

硫黄

2.1

100300

ショ糖 (砂糖)

無色

1.6

2050

デンプン(小麦)

1.5

50100

 

密度と粒の大きさ 両方を 考え合わせて 漂いやすさを 判断すると

 

漂いやすい順位は こうなります。

 

1位 ショ糖 デンプン  (◎が2)

2位 アルミニウム   (◎と○が 1つずつ)

3位 硫黄       (○2つ)

 

 

これらを 粉末にした場合 近くに火種があると 危険であることが 分かります。

 

-続く-

 

 

 

 

さて 漂いやすさは分かりましたが 同じ漂いやすさでも 火がつきやすい方が

 

危ないですね。 

 

そこで 次の質問です。

 

次の中で 粉塵にした時  最も 火がつきやすいものは どれ?

 

           鉄   ② 亜鉛  ③ 石炭  ④ アルミニウム

 

⑤ 硫黄   ⑥ ショ糖

 

 

答えは ⑤ 硫黄です。 下表を ご覧下さい。

 

◎ 超危険 ○ 危険 △ やや危険 × 粉塵爆発しにくい

  物質の種類

融 点 ()

浮遊粉塵

発火点

()

危険度

1535

×

316

亜鉛

420

680

炭素(石炭)

3550

×

610

アルミニウム

660

645

硫黄

113

190

ショ糖 (砂糖)

185

410

デンプン(小麦粉)

256~258

470

 

 

物質には それぞれ 融点というものがあります。

 

融点とは 固体が溶けて 液体になる時の 温度です。

 

すべてがそうではないですが 基本的に 溶け出すと広がって

 

空気と触れ合う部分が 大きくなるから 燃えすくなるのです。

 

だから 基本的に 融点が 低い物質ほど 燃えやすいことになります。

 

硫黄は 沸点も 浮遊粉塵発火温点 ともに 一番 低いから

 

一番 火がつきやすいと 言えます。

 

表から お分かりのように

 

鉄の融点は 1535℃ で 燃えにくいです。

 

しかし 粉塵にすると 発火点温度は 316℃と

 

激に 低くなっています。

 

固体の時は 燃えにくいが 粉状にすると

 

燃えやすくなるというわけです。

 

理由は 空気と触れる 表面積が大きくなるからです。

 

要するに 鉄は 粉塵にすると

 

危険な物質になるということです。

 

また ここでも デンプン ショ糖 硫黄 アルミニウムの 粉塵は

 

危険であることが 分かります。

 

粉塵は 乾燥した 環境であるほど 着火しやすいので

 

湿度も 考えに入れておく 必要があります。

 

 

さて 火がついたら 燃え広がっていく 勢いが強いほど 危ないですね。

 

では 最後の質問です。

 

次の中で 火がついたら 最も 燃え広がりやすいのは どれ?

 

           鉄   ② 亜鉛  ③ 石炭  ④ アルミニウム

 

⑤ 硫黄   ⑥ ショ糖

 

 

 

答えは ④ アルミニウム です。 

 

燃え広がりやすさを左右するのが その物質が燃えた時に

 

発生する熱量です。これを燃焼熱といいます。

 

燃焼熱が 大きいと まわりの 温度が上がり

 

まだ燃えていない まわりの粉塵が 融点に

 

達しやすくなります。

 

そして 融点に達すれば 燃えします。

 

下表は 燃焼熱を 比較したものです。 

 

火がついた場合 アルミニウムは 燃焼熱が 大きいので

 

燃え広がりやすく 危険ですね。

 

石炭は 融点が高いで 火はつきにくいですが

 

一度 火がついてしまえば 燃え広がりやすい

 

ということになります。

 

硫黄は 着火しやすかったですが 燃焼熱が小さいので

 

燃え広がりにくいことが 分かります。

 

◎ 超危険 ○ 危険 △ やや危険 × 粉塵爆発しにくい

  物質の種類

燃焼熱

  (kcaℓ/g)

危険度

4.8

亜鉛

1.3

×

炭素(石炭)

7.8

アルミニウム

14.8

硫黄

2.2

×

ショ糖 (砂糖)

3.9

デンプン(小麦)

3.9

 

 

また 石炭のように さまざまな成分(炭素 酸素 水素 窒素 硫黄 )

 

含んでいる場合には それらの成とも 化合して 燃えたり

 

有毒ガスを発生したりして 被害は 大きくなります。

 

水素は燃焼するし 一酸化炭素や二酸化硫黄は 有毒です。

 

これが炭塵爆発の 被害が大きい 理由となります。

 

  

今までのことを まとめてみると 次のようになります。

 

◎ 超危険 ○ 危険 △ やや危険 × 粉塵爆発しにくい

物質

密度

粒の大きさ

融点

発火点

燃焼熱

×

×

亜鉛

×

×

石炭

×

アルミニウム

硫黄

×

砂糖

小麦粉

 

なんと身近な 砂糖や小麦粉は とても 危険だということが よく分かります。

 

それなのに どうして これまで 家庭で 大きな事故が 起きていないか? 

 

当然ながら 粉塵にして 火のある場所に ばら撒いていないからです。

 

もし 小さな子供が ケーキ作りをしている お母さんの手伝いをして

 

シュガーパウダーを ばら撒き そこに 火があれば 引火して

 

大ヤケドということにも なりかねないわけです。

 

 本当に 小さな不注意で 大事故が 起きてしまうんだな~」

 

と 考えさせられました。 

 

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新幹線のぞみ焼身自殺1

新幹線の中で 71歳 男性 焼身自殺 巻き添えで 52歳の女性 死亡。

 

こういう事件が 繰り返されるたびに 僕らは こう思い 怒りを 感じます。

 

「 死ぬなら せめて 他人に 迷惑がかからないように 死ね。

 

なんで 周りを巻き込む。それも まったく 知らない人達を! 」

 

このような 自殺の仕方をする人達には 共通した 怒りがあります。

 

自分を 認めなかった 社会への 大きな怒りです。

 

「 この世の中は 自分を必要としていない。 自分のことを 見下している

 

奴らばかりだ。 努力をしても 何も いいことが起こらない。

 

俺の努力を 世間は 認めようとしない。 世の中 間違っている。

 

こんな世の中 生きていても 仕方がない 」

 

この怒りが ある臨界点を 超えると 急激に自分の世界が 狭くなり

 

自分のことだけしか 考えなくなってきます。 

 

「 ああ 死んでやる。だが ただでは 死なんぞ。 俺が生きていた証を

 

残して死んでやる。俺を無視し続けてきた 世の中にとって

 

忘れられない 嫌な 記憶にしてやる 」

 

異常な 考え方です。憎しみと怒りに満ちた 邪悪な思いです。

 

でも 僕は 同じようなことを 何度も 何度も 考えていました。

 

50年前 いじめで 心のバランスを失い 周りへの怒りを 心の中に

 

膨らませていた時です。

 

中巻② 下巻① は このような思いにとらわれていた 心の葛藤を

 

書いたものです。

 

「 僕は悪くない。 悪いのは 僕を認めない あいつら 」

 

「 よし 死んでやる。 僕をいじめた奴らが誰か 分かるようにして

 

死んでやる。 あいつらのせいで 死んだんだと 世の中に

 

教えてやるんだ。そうすれば あいつらは 一生 人殺しって

 

言われて 苦しむんだ ざまぁみろ 」

 

暗く 陰湿な 復讐心でした。

 

自分のことしか 考えられなくなっているので こんな暗い方法でさえ

 

正しい打開策だと 錯覚できてしまっていました。

 

だから 自殺した男にとっては ガソリンをかけて死ぬことが

 

大きなメッセージを残せる 良い方法だと 思えていたのだと 思います。

 

極端に狭い世界しか 意識できなくなっていますから 自分の行動で

 

周りに どんな 被害が起るかなど 関心がなくなってしまっているのです。

 

さて 僕が 自分の中に生じた この邪悪な怒りの炎を

 

消火できるようになったのは

 

中巻②と下巻で 紹介する 次の気づきのおかげでした。

 

『 自分のことすら 分からない。だったら 人の心は

 

もっと分からなくて 当然。 自分の心すら うまく 

 

コントロールできない。ましてや 人の心を

 

コントロールしようと 悩むなんて 無駄なこと 』

 

僕は これに 気がつくまで グズグス 1年間も

 

悩み続けていたことになります。

 

-続く-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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新幹線のぞみ焼身自殺2

「 ただ 顔にヤケドがあるだけ そして 普通にしているだけ。

 

それの どこがいけない。 どうして 僕が 当たり前で

 

いることを 認めようとしないんだ 何をしたというんだ。

 

どうしてだ! なぜ なぜなんだ! 

 

いくら考えても 分からない。 やっぱり 悪いのは あいつらだ。

 

お前たちなんか 消えて なくなれ! 死んじまえ! 」

 

この 怒りと憎しみが 日ごと 幼い心に 膨れ上がり

 

苦しくて 仕方がありませんでした。

 

「 もう ダメだ 限界だ。 いくら やめろと 

叫んでも やめはしないんだ 」

 

「 いや まだ頑張れる こんなことで 負けるな 」

 

「 でも もう 疲れたよ。 死んで 楽になりたい 」

 

「 何言ってんだ。 死んだからって 楽にならないって

 

分かっているじゃないか。 諦めないって 自分に

 

約束したじゃないか。 しっかりしろ 」

 

「でも やっぱり 辛い。 だって 終わりが 見えないんだもん。

 

それに もしかしたら 本当は 死ぬと 楽になれるのかもしれないぞ。

 

そうだ 楽になるには やっぱり 僕が死ぬか あいつらが 消えて

 

なくなるしかないのでは 」

 

悩みながら このように コロコロ変わる自分に対して

 

ある日 次のように 感じたのです。

 

「 どうして 自分の心なのに こんなに コロコロ 変わっちゃうんだ。

 

なんで こんなに 弱虫なんだ。ちくしょう しっかりしろ

 

ケンのバカ! おまえは 自分のことなのに どうして

 

どうにもできないんだ!・・・・・ ハッ! 」

 

『 自分のことすら 分からない。 だったら 他人の心なんて

 

もっと分からなくて 当然。 自分の心すら うま

 

コントロールできない。ましてや 人の心を

 

コントロールしようと 悩むなんて 無駄なこと 』

 

気がつけば 本当に 当然なことなのです。

 

中巻① (見えてきた 悩んでも ムダな思い )

 

に書きましたが 心に 変革を起こす 気づきとは

 

あまりに 当然で 聞けば

 

「 何それ そんなこと 当たり前でしょ 」

 

ということなのです。 

 

でも この当たり前は 頭の中で 分かっているだけで

 

実際には 役に立ちません。この当たり前を 頭では

 

なく 心が実感するから 全身が理解し 怒りを

 

消していくことが できるのです。これが 気づきです。

 

これを 実感できると 閉じこもっていた意識が 開放され 対象とされる世界が 広がります。

 

そして 不満をぶつけても それで状況が 変わるものではないこと。

 

変わらないからといって 怒りをぶつけることは いっそう

 

自分の中の怒りを 大きくしていき なおかつ 周りに

 

迷惑をかけることだと 考えられるようになってくるのです。

 

この意識は 我慢することとは 違います。諦めに近いですが

 

これとも 少し違います。

 

この意識を 認識できるようになると 怒りが 再び生じても

 

心が 次のように 叫ぶようになります。

 

「僕は 前に進みたい。でも 今まで繰り返してきた

 

考え方では 前には進まない。怒りと悲しみで 

 

心が疲れていくだけ。とにかく こういう考え方を

 

していても 時間の無駄でしかない。疲れるだけ 」

 

すると 心に1つの 言葉が 浮かび上がって来ました。

 

「だったら どうする? どうしたら 前に進む? 」

 

「 どうして 」から「 どうしたら 」に 気持ちが

 

切り換わった 瞬間でした。

 

-続く-

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新幹線のぞみ焼身自殺3

大切なことは 元気になりたいのなら 「どうして」という考え方では

 

だめなんだと 気がつくことです。

 

過去の 自分や相手が

 

なぜ あんなことを言ったのか?

 

どうして あんな行動をとったのか?

 

こんなことばかを 考えていると 不満しか 出てこなくなります。

 

重要なのは 不満だと 感じている状況に どうした

 

うまく対応して 生きていけるかということなのです。

 

この男が 僕と 同じことに 気がついていれば 怒りを捨てた心に

 

こう問いかけることが できたはずです。

 

もらえるお金が少ないと 文句を言えば それで 変わるものなのか?

 

同じ環境なのに なぜ 幸せなそう人が いるのか?

 

死んでやると 口走ってしまったが 本当に 自分がしたいことなのか?

 

そして 「 死んでやる 」と 世間に怒った 自分に対して

 

次のように 思うことも できたと思います。

 

『 死にたいは 生きたい の裏返し この悩みがなければ

 

本当は 生きていたい。 本当の思いを 感じると 』(下巻②)

 

当然なのです。 この男 死んでやるというけれど お金があれば

 

死んでやるとは 考えっこないのですから。

 

生きていたい この意識こそ 命あるもの すべての核 なのです。

 

男の行動は 本心から 目をそむけた 結果なのです。

 

本心を素直にみつめ 「ふざけるな 俺に死ねというのか!」

 

という怒りから「どうしたらいいだろう」と 悩むことが

 

怖かったのです。

 

行き詰って 怒りに変えてしまった 「どうしたら」から 怒りを取り除き

 

前向きに悩むより 嫌だ 嫌だと 言いながらも 怒りの世界に

 

とどまる方が 楽に思えているからなのです。

 

不幸だと嘆く世界で 最終手段をうつことの方が

 

楽になれるのだと 思い込もうとしているのです。

 

楽になりたいがために 本当は楽になれない 道を選択しています。

 

つまりは 前に進むために 悩むことから 逃げたのです。

 

人間は 愚痴っている人ほど その世界に 長くいます。

 

「 そんなに 批判ばかりしているのなら もっと 居心地の良い場所へ

 

行ったらどうかな? 」

 

と 感じますが その人だけは そこに い続けるのです。

 

実は この人にとって このパターンの中にいる方が 口とは裏腹に

 

居心地が良いのだと 思います。

 

-続く-

 

 

自殺をした男性は 年金が少ないと 世の中に 不満を漏らしていました。

 

お金がないと 困っていた彼が どうして 新幹線内で 他人に

 

お金をあげようとしたのか?

 

お金がないだけで どうして 焼身自殺したのか? 

 

その行動の真意を 必要以上に 詮索しても 意味がありません。

 

他に起こった 巻き添え事件と同様に 要するに 自分に起こった

 

苦しい状況を 反社会的な 怒りとして 

 

放出したものに 過ぎないのです。

 

今後 僕を含め 年金で暮していく 国民の中には 彼と同じ状況に

 

追い込まれる人が 増えていくことと 思います。

 

さらに 少子化に 歯止めがかからない このままでは

 

ますます 事態は悪化するのみです。

 

今の30代が 年金暮らしを 始める頃には 年金制度が

 

破綻している危険性大です。

 

そうなると 彼と同様に 年金の仕組みや現状に

 

大きな不満・怒りを 持つ人達が 今以上出てくると思います。

 

その時 不満や怒りを持った 人間だけになってしまったら

 

日本は 暴動ばかりが 繰り返される 国になってしまいます。

 

それぞれが 怒りを捨て どうしたらよいのかへと

 

意識を変えることが 求められます。

 

その意識でつながり 助け合っていくことが

 

日本を支える 原動力となるはずです。

 

ですから この気づきは とても 重要なものだと 僕は感じています。

 

この男の行動は 極端で 異常な人間に 見えます。

 

しかし 残念ながら 彼と同様のことを していながら

 

彼を 批判している人たちも すでに多くいると思います。

 

執拗なクレイマー 気に入らない相手への 嫌がらせ電話

 

インターネットへの 悪意ある書き込み。

 

これらの行動の 根底に流れているものは 男と同じだからです。

 

自分の不満や怒りを 電波にのせて 拡散させ

 

同じような 怒りを持った人間の 同調を求めているだけです。

 

世の中に 害をなす 悪意や怒りを 広げている

 

反社会的な 行為と言えます。

 

苦境の中にいる自分が 不平不満を 撒き散らすことは 自分も他人も

 

どんどん 不幸にしていくことだと づいて欲しい と思います。

 

インターネットを 閲覧していると感情的な けなし合いをしている

 

文章を たまに 見かけます。

 

 自分達の意見に 理解か得られないと 互いに 逆切れし ているのです。

 

「 なんで 分からないんだ 俺のどこが 悪い 」

 

「 どうせ おまえ達 アホどもには 俺の気持ちなんか 分からない 」

 

こういう やり取りを見て よい気持ちが する人は いないと思います。

 

ただ もし こういう人に どうしても 答えなければいけないと するならば 

 

「 その通り 分かりません 」

 

が 答えだと 思います。

 

-続く-

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新幹線のぞみ焼身自殺4

たとえをあげると 僕は いじめにあってきたので いじめにあった人の気持ちは

 

あったことのない人よりは 分かります。

 

しかし いじめといっても 千差万別です。

 

いじめにあっている人 それぞれの気持ちが 分かるかと

 

言われれば 「分かりません」なのです。

 

これは 相手に 関心がないと 言っているのでは ありません。

 

毎日 その相手のことを考え 何とか 相手の心を 知ろうとした結果

 

悟ったことなのです。

 

分からないからこそ 知りたくなります。けれども 結局は

 

やっぱり 分からないのです。

 

僕は 双子で 弟のことを 他の誰よりも 分かっているつもりです。

 

弟の奥さんより ずっと 付き合いは長いし コウちゃんが いなかったら

 

どうなっていただろうと いじめの2年間 何百回 考えたか 分かりません。

 

頼りになるコウちゃんなら どう考えるだろうとか コウちゃんになって

 

思いをめぐらせることなど 当たり前でした。

 

でも 正直言って そんな コウちゃんのことですら

 

考えていることは 分からないのです。

 

もちろん すべてでは ありません。誰よりも 理解している所は多いのです。

 

だけど コウちゃんが 次に何を考え 何を決定するかなんて

 

分からないのです。

 

さらに 自分のことですら 自分が 数秒後に

 

何を考えているかも 分からないのです。

 

そして 考えたかとかと思うと

 

また勝手に 違った思いが 生み出されてくるのです。

 

当然なことですが この当然が 理解できていなかったから

 

いじめてくる相手の心に 文句ばかり言っていました。

 

でも これが 分かったら

 

他人が 反対の考えを 持っていても

 

それは 悪いことではないことに 気がついてきました。

 

それは 相手にとっても 同じことなのです。

 

自分の考えを 尊重して欲しいように 

 

相手も そうして欲しいのです。

 

明らかに 反社会的な 考え方でなければ

 

認めることが 健全です。

 

そういった意識の中で 意見を戦わせることができる環境は

 

正しい選択をするためには 必要なことです。

 

最低限の権利を 認め合うことをしないから ケンカになるのです。

 

読者の中には

 

「 なぜ 7歳が 気づけて 71歳が 気づけなかった? 」

 

と 疑問に 思った方も いると思います。

 

僕は 逆に 歳をとっていたことと 都会生活が長かったことが

 

原因だと 感じています。

 

心の中に 雑音が 多すぎ 潜在意識が 正しい思いを 叫んでいても

 

かき消されてしまっているのです。

 

僕は 7~8歳の 2年間で いろいろなことに 気づきました。

 

しかし その後 これほどの 気づきを連続して 実感していません。

 

それは 当時のように 毎日 悩まなくなったからです。

 

-続く-

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新幹線のぞみ焼身自殺5

中巻① 見えてきた 悩んでもムダな思いの項に 書きましたが

 

当時の僕は 毎日 同じような時間帯に 考えることを 繰り返していました。

 

何百回と繰り返していた ある日から 同じことを

 

考えているうちに 自然と 心が整理されてきて

 

ピンと答えが ひらめくように なったのです。

 

そういう時は 澄み切った状態の中にいる自分を 感じていました。

 

考え疲れて ふと 前を見ると 山と田んぼしか ありません。

 

そして ゴロンと 寝転ぶと トノサマバッタが ぴょんぴょんと 跳ねています。

 

すると ただ 漠然とながめていた 景色 虫たちの動きから 言葉にはならない

 

ある気配を 感じるのです。

 

目には見えないが 1つの きちんとした 流れがあると

 

はっきり 感じられるのです。

 

自然の摂理とでも 言ったらいいのか

 

今まで 自分と周りを 分離していた意識が つながって

 

 ああ 1つなんだ。僕は この世界の仲間 存在していていいんだ。

 

おまえは この世にとって ジャマ者 なんて 言われているけど

 

僕もいていいんだ。 皆 仲間 つながっているんだなぁ~ 

 

という感覚です。この感覚については 何度も 他の本で書いています。

 

こういう時 キーンキーン とか シーンシーン とかいう音が

 

頭の中で 鳴り響き続けることも ありました。

 

その音を聞いていると とても 心がリラックスしてきて

 

全身から力が抜け 透明になっていく感覚すら ありました。

 

おそらく これは 僕だけの 特別な感覚ではないと 思います。

 

自然の中で 育った人なら 子供時代 ここまで はっきりしたものでなくても

 

誰もが感じたものだと 思います。

 

することもなく ゆったりとした 時間の中で

 

海に沈んでいく 真っ赤な夕日を眺めたり

 

鳥や虫の声を聞いたり

 

寝そべっている時 体をやさしくなでていく風を感じたり

 

月や夜空の星を眺めたり

 

そういう中で 少なからず 感じる感覚です。

 

自分のことばかり考えて 悩んでいる自分の意識を

 

その世界から 切り離してくれました。

 

その瞬間が はっきりと 知覚できました。意識が スーっと 広がっていき

 

呼吸が とても 楽になるからです。

 

すると 自分で 答えが 近づいていると 分かるのです。

 

そして「 来た これだ!」と 感知されるものでした。

 

だから いじめの期間 自然と触れる 生活の中にいたことは

 

とてもラッキーだったと 思っています。

 

いじめで どうにも ならなかったら 環境を変えて こういう田舎に引越し

 

自然と触れ合うことは 心の傷を 癒すのに 効果があると 思います。

 

そして この摂理を感知する感覚は 子供の頃の方が

 

まちがいなく 鋭いものです。

 

だから 都会の子供は なるべく 夏休みなどを利用して

 

田舎の自然に触れること。

 

できれば その中で ボーッと する経験を

 

させた方がいいと 思います。 

 

-続く-

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新幹線のぞみ焼身自殺6

僕は 著書で書いてきたように

 

「 自殺なんかするな ちっとも 楽にならないよ 」

 

と 声を大にして 言いたい人間です。

 

今回のブログでは 冒頭

 

「 死ぬなら せめて 他人に迷惑が かからないように 死ね 」

 

と 書いてきました。

 

しかし 人に 迷惑をかけない 自殺なんか ありえません。

 

樹海の中で 首をつり 100年後に 見つかったとしても

 

その間 その人を 捜して 心痛めた家族が必ず いたわけです。

 

見つけることが出来ず 失意のうちに

 

その家族は 寿命を迎えたわけです。

 

「 自分が いなくなっても 家族は 何も思わない。

 

この世の 誰一人も 悲しまない。 だから 俺が 死んだとしても

 

誰にも 迷惑はかからない 」

 

これは 本人が勝手に 思い込んでいるだけで 気がついていないだけなのです。

 

また 新幹線の安全性について 「 指摘されていた テロへの 脆弱さ」と

 

書いてあるのを見ました。

 

しかし 警護が どんなに 厳しくなっても このような行動を

 

防ぎきれるものではありません。

 

どんな場所であっても そこに 別の目的を持った人間が 何食わぬ顔で

 

入ってきたなら まず防ぎようがないのです。

 

新幹線の中であろうが 山の手線の中であろうが バスの中 船の中

 

学校の中 どこでも 同じです。

 

こういう人が 周りと同じ姿を演じてしまうと 

 

まず 侵入を防ぐことは 難しいと思います。

 

侵入してしまえば 普通と違った行動を とり始めるので 気がつきますが

 

今回のように 手遅れになってし まうことが 多くなると 思います。

 

だから 警護を強化することも 大切ですが 何よりも 心のバランスを

 

失っている本人達が バランスを取り戻すことが 重要です。

 

そのための 手助けの 1つに なれればよいなと 思って

 

始めたのが このブログです。

 

このブログで 使用するのは 言葉の力です。

 

中巻②の 言葉は 幸せを呼ぶ呪文で 書きましたが

 

気づきの言葉には それだけの力があります。

 

当然なことなのだけれども 普段 忘れ去っていたことに

 

はっと することで 自分を変えることが できるのです。

 

気づきの言葉が すべての人に 通じるものでないとしても

 

どれか1つでも ありますようにと 願っています。

 

60年近く 生きてきて

 

「 僕が やりたいことは 何だろう」 から

 

「世の中の 役に立てることは 何だろう」に

 

変わってきた自分が 始めた行動です。

 

読んで下さったことに 感謝します。

 

ありがとうございました。

 

また 次のブログが 出来たら 読んで下さることを

 

期待しています。

 

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お母さんが悪いわけ? 1

★お知らせ

以前お読みに頂いた方へ

長かったので7回に分けました。

終了後にKさんから頂いたコメントを

最後の回にもってきたかったのですが

やり方が分かりませんでした。

コメントはコピー、切り取りできないみたいで・・・

ごめんなさい。

 

  

先日 新潟へ帰る母を 東京駅で 見送りました。

 

母は84歳 毎月1回 上京してきます。

 

去っていく 新幹線を 見送るたび 

 

育ててくれたことに 感謝の念がこみ上げてきます。

 

元気で 長生きして 欲しいと 願います。 

 

母を見送り 自宅へ向かうため 丸の内線に乗ると

 

目の前に 2組の親子が 並んで座っていました。

 

母親どうしは 友達らしく

 

楽しそうに 話し合っていました。

 

歳は 30代半ば~40歳ちょっとくらいで

 

二人とも かなり オシャレをしています。

 

子供は二人とも 男の子で 小学2,3年生くらいでした。

 

 僕は 子供達が 気になりました。

 

一人は 黙々と ゲームをやっています。

 

お母さんどうしの 会話など まったく 眼中にない様子です。

 

ところが もう一人の男の子は やや落ち着きがなく

 

さかんに お母さん達を 見ています。

 

すると この子が お母さんに向かって 話しかけたのです。

 

「 ねぇ お母さん さっき ××星人いたよ 」

 

僕は 「 うん? 面白いこと言うな 」と 耳をそばだてました。

 

しかし お母さんは 彼を 無視して 相手と 話しを 続けたのです。

 

「 ねぇ ホントだよ。 ××星人 ××星人 」

 

彼は ちょっと しつこく 繰り返しました。

 

すると お母さんは ちょっと まゆを ひそめ 彼に こう 言いました。

 

「 ねえ お母さん達 今 話しているよね、分かるよね。じゃましないの 」

 

お母さんは こう言っただけで 息子の話には

 

いっさい 耳を 貸そうとしませんでした。

 

「 どうしたの? 」

 

相手の 母親が 心配して 聞いています。

 

「 ううん 何でもない。 最近 この子 ウルトラマンに はまっちゃって

 

訳のわかんないことばっかり 言ってくるの。

 

いちいち 相手にしてられないのよね 」 

 

「 あっ そう~ ウルトラマンね。うちのも けっこう好きだよ。

 

◎◎ちゃん どうしたの? 」

 

「 うん さっき ××星人が のってた 」

 

「 あっ そう・・・・・・・ 」

 

友達のお母さんは それ以上の 返答に困って 黙ってしまいました。

 

「ね バカみたいでしょ。しつこいから いいかげんにしなさいって

 

言ってるのに 繰り返すのよ。 いいから 無視して ちょうだい 」

 

母親は 少し 申し訳なさそうに 答えると 

 

やや強い口調で 息子を 叱りました。

 

「ちょっと あんた いいかげんにしなさいよ。見なさい 

 

◆◆君のお母さんだって 困っちゃったじゃない。

 

だから お母さん いつも いいかげんにしなさいって

 

言ってるの。 ウソつくんじゃないの 」

 

「・・・・・」

 

子供は 黙ってしまいました。

 

「 で 何の話してたんだっけ ・ ・・あっそう ★★さんの話 」

 

母親は 黙った 息子を確認すると 話の続きを 始めました。

 

母親どうしは 共通の知り合い ★ ★さんについて

 

たわいのない話を 続けたのです。

 

「ふふんふふふふん~ ふふん~ 」

 

突然 黙ってしまった子供が 鼻歌を 歌い出したのです。

 

スペシウム光線のポーズを とりながら 小さく リズムを とっています。 

 

聞いたことがない メロディーでしたが どうやら そのしぐさから

 

最近の ウルトラマンの曲らしいことが 分かりました。

 

「 ◎◎ やめなさい! 他の人の迷惑でしょ。ほら ◆◆ちゃんを 見てごらん。

 

おとなしく しているじゃないの 」

 

「だって ゲームないもん」

 

彼は 少し むくれて 答えました。

 

「 何 ◎◎君 ゲーム 持ってないの? 」

 

相手の お母さんが 少し 驚いた声で 彼に 聞きました。

 

「 うん 」

 

彼は 小さく うなずきました。

 

-続く-

 

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お母さんが悪いわけ? 2

「 ほら ◎◎君 ゲーム 持ってないんだって。 ほら みなさい

 

持ってない子もいるのよ。あんた そうやって ゲーム ばっかり

 

やってないの? 」

 

今度は もう一人の 母親が ゲームに 熱中している 我が子に

 

注意をしました。

 

「 ううん そんなことないよ。家も 買ってくれって うるさいから ちゃんと

 

買ってやってあるの。今日 たまたま 持って来てないだけよ。

 

てっきり 持って来てると 思ったのに 」

 

「 あらそう~ やっぱり 持ってるんだ。うちは ず~と やってる。

 

まぁ こういう時は 面倒でなくて いいんだけどね。

 

ただ やめさせて 勉強させるのが 大変 」

 

母親二人は また 子供達 そっちのけで 話し始めました。

 

僕は 子供のうち 一人が 手持ちぶたさにしているのだから

 

どうして もう一歩 進んで 座席を替えて

 

子供どうしを 並べ 二人で 話したらとか 言わないのか

 

ちょっと 不思議でした。

 

「 そうなのよね~ うちも勉強しないから 塾行かせてんのに

 

ちっとも やんないの 」

 

「 そう うちも 行かせてんのよ。 今 学校だけじゃ ダメでしょ。

 

一応 やれることだけは やってあげようと思って

 

やってんだけどさ。子供って なかなかね。

 

まあ 私達も そうだったから しかたないけどね 」

 

「 でもさ こっちの 苦労考えると 自分の子供ながら

 

もうちょっと まじめに 勉強してもらいたいって

 

思っちゃうのよね。だって 後で困るのは 本人でしょ」

 

「 そうよね お金のこと考えると ちゃんとやりなさいって

 

言いたくなっちゃうわよね。でも 確かに もうちょっと

 

遊ばせてあげたいとは 思ったりもするんだけどね。

 

でも そんな時は 心を鬼したりしてね 」

 

「 分かる 分かる 親になって やっと分かるよね。口うるさかった親の気持ち。

 

まあ、どこの親もそうだよね 」

 

母親たちは 話題を 子供達の 教育についてかえ グチっぽく 話始めたのです。

 

「 それにさ ある程度 大人になって 子供とケンカした時

 

あとで 文句言われるのも 嫌だしね。あたしなんか高校時代

 

もうちょっと 小学 中学 いいとこ 入れておいてくれれば

 

高校で勉強 頑張れた気がすんだよね。

 

だって 中学までの 基礎がないから 高校の勉強 ついていけなくてさ。

 

結局 行きたかった 大学じゃないとこしか 行けなかったし 」

 

「 あら どこ? 」

 

「 A大学 あなたは? 」

 

「 B大学 」

 

「 うわっ 頭いいんだ 私も狙ってたんだけど 諦めた 」

 

「 そうでもないって たまたま 入れただけ 」

 

母親たちは その後も 教育について グチっぽい話を 続けていました。

 

しばらく ゲームを持ってこなかった 彼も おとなしくしていて

 

列車は 淡路町に着きました。

 

すると 一組の親子が 降りていきました。

 

残ったのは ゲーム機を 忘れた方の 親子でした。

 

車内から 友達親子に 手を振ると 母親は 息子を たしなめたのです。

 

「 もうダメな子ね。なんで ちゃんと 挨拶できなかったの?

 

◆◆ちゃんは ちゃんと できたしゃない。いつになったら 出来るの? 」

 

どうやら 息子どうしは 今日が 初対面だったことが 分かりました。

 

「 毎回 お母さん 恥かいてんだから。何も言わないけど 向こうの親は

 

挨拶すらできない 教育してるのかって 思ってるんだよ。

 

毎回 お母さん あんたのおかげで 嫌な思い

 

させられているんだからね。挨拶くらい できなさいよ。

 

何度 言わせるの。 男のくせに 自分の名前を言う 勇気もないの?

 

そんな子供に 育てた 覚えないよ。あんただけだよ。

 

お姉ちゃんも お兄ちゃんも 皆 挨拶できたよ。

 

それとも 何か できない 理由でも あるの? 」

 

「 ・・・ 」

 

彼は 悲しそうな目をして 下を向いてしまいました。

 

-続く- 

 

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お母さんが悪いわけ? 3

お母さんも 少し 気まずく思ったのか スマホを出して ゲームをし始めました。

 

しかし 少しすると 子供が お母さんに ウルトラマンの話を し始めたのです。

 

「 ねぇ 今度 新しい ウルトラマン 始まるんだよ 」

 

お母さんは イラッとした顔を 向けると そっけない 返事をしました。

 

「 それが何? どのウルトラマンも 結局は 同じでしょ。

 

最後は 何とか光線で やっつけて 終わり 」

 

「 ちがうもん 」

 

彼は 不満そうに 答えました。

 

「 くだらない話しない! あんなの つくり話でしょ。

 

そうやって 新しいウルトラマンつくって 子供を

 

ひきつけるのが テレビなの 」

 

突き放すような 言い方をすると お母さんは ゲームを 再開しました。 

 

「 そんなこと言いながら お母さんだって 僕くらいの時 見たんでしょ」

 

「 ・・・・・・・ 」

 

お母さんは 返事もせず ゲームを 続けています。

 

僕は 自分の意にそぐわない話には 耳を貸さない 母親の態度に 呆れました。

 

「 家に帰っても こうなのかな? そうだとしたら

 

ちっとも 楽しくないよな 」

 

こう思いながら 彼を見ると 彼は お母さんの顔を じっと見ていました。

 

それなのに お母さんは 無視して ゲームを 続けていました。

 

すると 1 2分も しないうちに 息子は また 鼻歌を 歌い出したのです。

 

「 ねぇ うるさい! バカだって 思われるよ。お母さんに 恥かかせないの。

 

ああ もう 分かった ウルトラマンなしだからね 」

 

「 なんで・・ 」

 

鼻歌をやめ 息子は すぐに 聞き返しました。

 

「 だから ウルトラマンなしだって 言ってるでしょ 」

 

「 だから なんで・・ 」

 

「 それよりあんた 塾の宿題 終わってるんでしょうね 」

 

今度は やや脅すような口調で 母は話題を 変換して ごまかしました。

 

しかし 息子は ウルトラマンについて 再び 聞いたのです。

 

「 どうして ウルトラマンだめなの? 一週間で 一番の楽しみなのに 」

 

「 あんた お母さんの言ったこと 聞いてたの?

 

塾の宿題は どうしたって聞いたんでしょ。

 

終わってるんでしょうね 」

 

お母さんは またもや 強引に 話題を ウルトラマンから そらしました。

 

「 ううん あと少し 残ってる。帰ったら やろうと思ってた 」

 

「 うそつきなさい。本当は やろうなんて 思ってなかったんでしょ。

 

怒られるから 言っただけでしょ 」

 

お母さんは 彼の言葉を 信じず 彼を 問いただしました。

 

「 ほんとだもん やろうと 思ってたもん 」

 

僕は 彼が ウソを言っていないと 感じました。僕にも 経験があるからです。

 

このような時 ウソだと 怒って ごまかそうとすることが 多いからです。

 

たとえば こんな場合です。

 

「 こらっ 部屋きたないよ 掃除しなさい 」

 

と 母に 叱られた時です。

 

本当に 掃除しようと 思っている時は

 

「 うん ごめん 汚いね。そろそろ 叱られそうだから 片付けなきゃと

 

思っていたんだ。これからやるよ 」

 

と 素直に 聞き入れることができます。 

 

しかし そうでない場合は

 

「 今 やろうと 思っていたんだってば うるさいんだから~ 」

 

なんて 答えてしまいます。

 

読者の中には 思い当たる方も 多くいらっしゃると 思います。

 

-続く-

 

 

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お母さんが悪いわけ? 4

息子の返事を信じない 母親は 次のように 言いました。

 

 

 「 お母さん 嫌だからね 手伝うの! 自分で やんなさいよ。

 

 

 帰って 半分以上残ってたら ずっと ウルトラマンなしだからね 」

 

 

僕は イライラした お母さんの返事の仕方に 嫌な感じを 受けました。

 

 

 「 終わってるって。だから ウルトラマン 見ていいでしょ 」

 

 

彼は よほど ウルトラマンが 楽しみらしく 気持ちが ウルトラマンから

 

 

 離れていません。

 

 

 「 できてるんでしょうね。 間違ってたら やっぱりだめだよ。

 

 

 そういうのは 終わってるって 言わないんだからね 」

 

 

「 何[だよ ちゃんとやったよ それで 間違ってたら しかたないじゃん。

 

 

 何で 塾の宿題なんて あるんだよ 」

 

 

息子の方も イラついてきて 語気が 荒くなってきました。

 

 

 すると お母さんも 言い返して きました。

 

 

 「 聞いてたでしょ。 お母さんが ◆◆ちゃんのお母さんより いい大学

 

 

 入れたのは ちゃんと 勉強したからだよ。うらやましがってたでしょ。

 

 

 ああやって 後から 後悔しないように ちゃんと 塾 行かせてあげて

 

 

 んだから 頑張ってよ! 分かった? ねぇ 返事は? 」

 

 

 お母さんは 息子に 口ゲンカで 優位に立とうと

 

 

 屈服を意味する返事を 要求しました。

 

 

 「 誰も 行きたいなんて 言ってないじゃん。 無理やりじゃん! 」

 

 

 ムッとした顔を向けて 息子が 反論しました。

 

 

 その目には 我慢に我慢を 重ねてきたという 憎しみが

 

 

 こもっているように 感じられました。

 

 

 僕は 自分が 彼と同じ頃 こんな目で 見た相手は

 

 

 いじめをしてきた 相手でした。

 

 

 「 なんて 悲しいことだ。親を こんな目で

 

 

見なきゃいけないなんて。辛いな 」

 

 

 彼の心中を 察すると 思わず こう思いました。

 

 

 彼の返事に対して 答えた 母の言葉は 最低なものでした。

 

 

 「 当たり前でしょ。だいたいね あんたが ちゃんとできていれば

 

 

 行かせたりしないのよ。あのね お母さんは 一年生で

 

 

 九九言えたんだよ。習う前に 言えたよ。あんた 学校で習ったのに

 

 

 言えてないじゃん。だから 塾 通わせてんでしょ。九九言えないと

 

 

 これから先 何もできないんだよ。皆にバカにされるよ。

 

 

 あんた それでいいの? 」

 

 

 「・・・・・・言えないの 俺だけじゃないもん 」

 

 

 彼は やや小声で ポツリと 答えました。

 

 

 「 あんたと数人でしょ。 ほとんどの人が言えること

 

 

 何で言えないの?   やる気の問題よ。

 

 

 塾まで 行かせてあげてるんでしょ。

 

 

 それなのに どうして まだ 覚えられないの!」

 

 

 「 おなか 痛い  」

 

 

 彼は 突然 会話とは まったく 関係のないことを 訴えました。

 

 

 分の悪くなった 彼にとって 必死の抵抗策なのだと

 

 

 ピーンと 来ました。

 

 

 「 また そうやって ウソをつく。家について

 

 

 胃薬飲めば 治っちゃうわよ   そんなもの。

 

 

 何回 同じウソをつくの 」

 

 

 「 うそじゃないもん ほんとに 痛いんだもん 」

 

 

 「 うそでしょ 絶対に! あんた 都合が悪くなると

 

 

 いつも おなか痛いって

 

 

 話そらそうとするでしょ。違う? ウソつき! 」

 

 

 「 ウソつきじゃないもん 」

 

 

彼は やや 大きな声で 言い返しました。

 

 

 すると お母さんも 声を 大きくして 言い返したのです。

 

 

 「 さっきだって 宇宙人がいたとか いるわけないでしょ。

 

 

 ウソばっかり つくんじゃないの! 」

 

 

 激しくなった 言い合いに 周りの目や耳が 注がれました。

 

 

 ちょっと 周りの空気が 変わったことに ]

 

 

母親は 気がついたようでした。

 

 

 すると 母親は 今までと 別人のように 

 

 

 物静かな口調で 話始めたのです。

 

 

「 お母さん 間違ったこと言ってないよ。 どっちが 正しい?

 

 

 それは 分かるよね。親にウソつくことは 泥棒の始まりなの。

 

 

 だから 昔から 親にウソつくことは きちんと 反省させてるの。

 

 

 いい 怒ってるんじゃないんだよ。お母さん あんたの将来を

 

 

 考えて 言っているんだよ 」

 

 

 ウソです。 口調は 穏やかですが 怒っています。

 

 

そして 自分の言葉に 酔いしれていると 僕は感じました。

 

 

 母親は 明らかに 周りを 意識しています。

 

 

私は これだけ すばらしい 教育を 子供にしていると 

 

 

 見せつけているのです。

 

 

 「・・・・・なんで ウルトラマン なしなの 」

 

 

 「 まだ そんなこと 言ってるの たかがテレビでしょ。

 

 

 お母さん いろいろしてあげてるよね。この間だって、

 

 

 ディズニーランド 連れて行って あげたよね。

 

 

 映画も 連れて行ってあげたよね。

 

 

 お母さん あんたのために いろいろして あげてんでしょ。

 

 

 それなのに どうして 言うこと 聞けないの!

 

 

 お父さんに 言いつけるよ。お父さんも 怒るよ。

 

 

 もう 何もしてやんないって 」

 

 

 息子は 押し黙っています。目を閉じて 聞いています。

 

 

 明らかに 彼は 爆発しそうな 感情を抑えていると 分かりました。

 

 

 ところが 自分の言葉で 子供の中に 憎しみが生れていることを

 

 

 母親は 気がついていない様子でした。

 

 

 怒りというより、憎しみです。

 

 

 もうたくさんだという 怒りを通り越したものです。

 

 

 この母親の 言葉は 嘘っぱちです。

 

 

 子供には 穏やかな口調で 正しいこと と言っていますが 

 

 

 子供は見抜いています。

 

 

 正しいこと = おまえには 腹が立っている。いいかげんにしろ

 

 

 という メッセージだと。

 

 

 「 うるせぇんだよ! 」

 

 

 ついに 息子が 切れました。

 

 

 近くに立っていた 乗客は 僕も含めて 彼に目が向きました。

 

 

 目に涙を浮かべていました。

 

 

 お母さんのことが大好きなのです。

 

 

 そのお母さんが あまりに分かってくれないことに 苦しんでいるのです。

 

 

 大好きなお母さんが 他の子をほめ 自分にダメだしを繰り返すことに

 

 

 自己否定感 できる子への嫉妬がごちゃ混ぜにになり 心を乱しています。

 

 

心を落ち着かせ楽になりたいのです。

 

 

そこへ  繰り返される ダメ出し。

 

 

嫌気がさし 憎しみが湧いてきているのです。

 

 

 から悲しいのです。

 

 

大好きなのに どうして僕を 分かってくれないの!

 

 

 大好きなのに、こんな気持ちでお母さんをにらんでいる自分が

 

 

 嫌で悲しいのです。そういう涙なのです。

 

 

 すると お母さんまで 涙ぐんで 答えたのです。

 

 

 「 ねぇ お母さんが 悪いわけ? お母さん 頑張ってるよね。

 

 

 分かるよね。・・・だったら どうして あんたも 

 

 

 頑張ろうって気に なってくれないの? 」

 

 

「 ・・・・ 」

 

 

 彼は 何も 答えませんでした。

 

 

 というより 答えられない と 僕は 思いました。

 

 

 母親も それを知っていて 言っているのだと 思います。

 

 

息子は 貝が殻を閉じたように 静かになってしまいました。

 

 

 すると やや 勝ち誇ったように 母の言葉は 続いたのです。

 

 

 「 分かったわね。 さっきみたいに 相手の気持ち

 

 

 汲み取れない人間になっちゃだめ。

 

 

 あんたのために 頑張ってるんだよ。

 

 

 そういう気持ち 分かってあげないと かわいそうでしょ。

 

 

 そういう やさしさがない人間は 嫌われるよ。

 

 

 分かった? 少しずつ 大人になっていこうね! 」

 

 

 母親は 微笑むと 一人うなずき 静かになった 息子を見ました。

 

 

 息子は 相変わらず 黙ったままでした。

 

 

 やがて 後楽園に着きました。 

 

 

 「 降りるわよ 」

 

 

 親子は 手をつなぐと 静かに 降りて行きました。

 

 

 僕も 後ろから ついて降りましたが 階段を降りると 

 

 

 僕とは 反対方向に 歩いて 行ってしまいました。

 

 

 少し 見ていましたが まだ お互い 言葉を交わした様子は

 

 

 見られませんでした。

 

 

 

-続く- 

 

 

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お母さんが悪いわけ? 5

このお母さんは とても 真面目で 一生懸命なのだと思います。

 

頑張って いっぱい いっぱいなのだろうと 感じました。

 

自分の おなかを 痛めた子供であるから かわいくないわけが ありません。

 

でも 根本的に 子供が 好きなタイプでは ないのだろうと 感じました。

 

子育てと 学校教育で 最も 必要なこと 

 

というか 

 

子供と 上手くいく親(先生)と そうでない親(先生)の 

 

一番の違いは

 

「 子供が 好きか そうでないか 」です。

 

口では 好きだと いくらでも 言えます。

 

しかし 子供は 理屈ではなく 

 

その親(先生)が 自分達を

 

根本的に 好きなのかどうかを 見抜いてしまうのです。

 

子供を好きな 親(先生)は 子供が 自分達の思い通りに

 

行動しない時 まず 子供達の 話を聞いて あげられます。

 

親(先生)の中には そういった 親(先生)を

 

子供に 迎合しているだけと 批判する人もいます。

 

だいたい そういう人は 子供に 嫌われています。

 

しかし 子供だって バカでは ありません。

 

おだててばかりいる 親(先生)も

 

子供は 見抜いて 信用しません。

 

彼らの言う 子供に 迎合しているだけの大人は

 

結局 子供と 上手く やっていけないのです。

 

また こういう 批判ばかりする 親(先生)は 

 

自分達を やたら 正当化します。

 

「 正しいことを これだけ 言っているのに 分かってくれない。

 

それは 聞く方に 素直さが 欠けているからだ 」

 

と 理解しない 子供達を 責めます。

 

こういう人達は その時 現象として起っている 善悪だけで

 

子供を 判断します。

 

そして 子供に ことの善悪 道理を 話します。

 

その善悪・道理は そこだけ 聞いていれば 正しいのです。

 

でも それだけでは 子供は 成長しません。

 

子供を 正確に 見ていないからです。

 

僕は 前回のブログで 過去の 行動について あれこれと

 

考えるのは 時間のムダだと 気づいたと書きました。

 

それは もう いくら 悩んでも

 

過ぎ去ってしまったことで

 

どうしようもないことだからです。

 

学ぶことがあれば そこだけ 注意し

 

次に生かせば よいのであって 

 

悩む必要はないのです。

 

しかし 今 起っている現象については

 

その背景を 注意深く見る 必要があります。

 

中巻②で 紹介する 気づきの1つ

 

『 その人の 本当の姿は 全体を 見なければ 見えてこない 』

 

が また ここでも 生きてきます。

 

この子が なぜ 

 

「 宇宙人がいた 」

 

「 おなかが痛い 」

 

と ウソをつくのか?

 

突然 鼻歌を 歌うのか? 

 

それは 自分の話を聞いて 欲しいからです。

 

ウルトラマンの話を いろいろして

 

ウルトラマンや 怪獣について

 

知っていることを 自慢したいからです。

 

一緒に 楽しんで 欲しいからです。

 

だから 叱られようと 

 

何度も 挑戦しているのです。

 

しかし このままだと そのうち 彼は

 

それすら しなくなってしまいます。

 

そうなってしまったら  

 

彼の信頼を 取り戻すことは

 

とても 困難になってしまうと 感じます。

 

だいたいが 子供は 親が思っている以上に

 

親に恩義を 感じているのです。

 

親がいないと どれだけ 困るかを 知っています。

 

親に 期待をかけられ 

 

それに こたえられないことが起ると

 

子供の心には 「 自分が悪い 」という

 

罪悪感が 生れてきます。

 

たとえ 親が そう思っていなくても 

 

親を 好きであるがゆえ

 

期待に こたえられなかった自分が

 

許せないのです。

 

お母さんの言葉は

 

この罪悪感を より大きなものにしていき

 

子供から 自信を奪います。

 

元気と素直さがない子供に なっていきます。

 

-続く-

 

 

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お母さんが悪いわけ? 6

彼に 今 必要なのは 話を 聞いてあげることなのです。

 

ただ それだけなのです。

 

そうすれば 彼は 落ち着くようになり

 

いろいろなことに やる気が 出てくると思います。

 

まだ 7 8歳 なのです。

 

お母さんに 触れていたいのです。

 

そして 確かめたいのです。

 

自分が 大切だと 思われていることを!

 

もっと 自分に 関心を 持ってもらいたいのです

 

だから ウソをつき 鼻歌を 歌っているのです。

 

このお母さんの 励ましは 励ましではなく

 

心の虐待です。

 

お母さんが 1年生で これだけできた などと言えば 

 

子供は できない自分を ますます責め

 

卑屈になっていきます。

 

ダメな子ね!

 

毎回 あんたのせいで 嫌な思いをしている。

 

お姉ちゃん お兄ちゃんは できたのに できないのは あんただけだよ。

 

これでは 自分は そういう人間なのだと

 

彼は 思い込んでしまいます。

 

彼の 心の中には きちんと 挨拶したい

 

できるように なりたいという気持ちが

 

必ず あるはずです。

 

それだけでなく 今まで ダメだと言われた分を

 

取り戻そうと ただの 自己紹介以上のものを

 

自分に課しているのだと 思います。

 

もちろん 無意識ですが。

 

この見栄や注目されたいという

 

意識が働きすぎると

 

かっこよく 自己紹介するには

 

どうしたらいいのか

 

と 余計な プレッシャーが 生まれ

 

ますます 言葉が 出なくなってしまうのです。

 

だから 「 普通でいいんだよ 」と

 

お母さんが 少し手伝ってあげるとか

 

工夫をしてあげれば

 

言えるようになっていくと 思います。

  

たとえば この親子が 山本 洋子 山本 勇太だとします。

 

「 ◆◆君 こんにちは 自己紹介させて 頂きます 」

 

と にこやかに笑い 息子にも 微笑みかけるのです。

 

こうやって 挨拶を始める前に 息子と一体感を 持ちます。

 

「 まず お母さんからね。 山本 洋子って 言います。

 

じゃ 次 勇太の番よ 」

 

と 助走を つけてあげるとか

 

「 ねぇ 勇太 お母さんの 自己紹介 手伝ってくれる。じゃ 行くよ。

 

◆◆君 私とこの子の 苗字は 山本っていいます。そして 私の名前は

 

何だっけ? お母さんの名前 勇太 教えて あげてくれる? 」

 

とか するのです。

 

子供は お母さんを 助けたいですから

 

だいたい 手伝ってくれます。

 

ここまで できれば 自分の名前も 言えるようになります。

 

いろいろ その子にあった方法が あるはずです。

 

「 どうして できないのよ 」と 

 

恥ずかしがっている 気持ちを 否定するのでなく

 

受け入れて あげれば

 

その子に どんな 助け舟を出せば

 

自信をつけられるか 分かってくるのです。

 

この彼は 

 

「 九九ができなくても そのままで おまえは 誰よりも 大切な子 」

 

という心に 触れたいのです。

 

それを認めてあげないで

 

習ったのに どうして言えないと 現在を 否定し

 

このままでは これから 皆にバカにされると 

 

未来も 否定することは

 

子供の心を 大きく 傷つけます。

 

このお母さんも そうですが

 

しつけと称して 子供(生徒)を

 

教育(指導)し 

 

言うことを きかないと 恫喝する 親(先生)は

 

怒っているのではなく 叱っているのだと

 

平気で 言います。

 

それこそ 明らかに分かる ウソです。

 

-続く-

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お母さんが悪いわけ? 7

中巻②に 紹介する話で

 

『 相手に どうして分かってくれないと

 

文句をいる限り 相手の気持ちを

 

理解しようとしも 理解できない 』

 

という 気づきがありますが 教員となった僕を

 

何度も 手助けしてくれたものでした。 

 

お母さん あなたは とても 頑張り屋さんですね。

 

見ていて よく分かりました。

 

そして 彼が お母さんを 大好きだということも よく分かりました。

 

今度は ウルトラマンを 一緒に 見てあげましょう。

 

時間があったら ウルトラマンのDVDを 一緒に借りに 行きましょう。

 

そして ウルトラマンゴッコをして

 

ぎゅっと 彼を 抱きしめて あげましょう。

 

きっと それだけで 彼は 元気に なります。

 

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子育てに秘奥義があるとしたら1

前回のブログ「お母さんが悪いわけ?」に書いた 

 

親子の会話を 聞いている時 

 

他にも いくつか 思ったことがあったので

 

書いて おこうと 思います。

 

お母さんは 最後 子供に

 

自分の頑張りを 訴え

 

「それなのに どうして? 」

 

と 責めたて

 

子供を 黙らせました。

 

子育てが 上手くいっていない

 

自分を 認めたくないので

 

周りに 必死に アピールして 

 

一人 納得していました。

 

お母さんは 子供を 上手く 

 

コントロール できないことに

 

イライラしていました。

 

子供を コントロールできないと

 

子育ては 上手くできないと

 

勘違いしていました。

 

子供を コントロールできないと

 

母親失格のように

 

思い込んでいるようでした。

 

子供に こんなことを 言っていました。

 

「挨拶すらできない 教育しかできない親と

 

思われているんだ。そのおかげで 恥をかいている 」

 

でも 本当に 周りの人間は

 

そう思っているのでしょうか?

 

中には いるかもしれません。

 

でも ほとんどの人は

 

子供が もじもじして

 

挨拶が 上手く できないとしても

 

「 恥ずかしがり屋なんだな 」

 

くらいしか 思いません。

 

「 この親は いったい どんな 教育をしているんだ。 ダメ親だな! 」

 

まで 思う人は まれでしょう。

 

しかし 真面目で 一生懸命過ぎる

 

このお母さんは 

 

  子育てが上手くできない人

 

= 世間からは ダメな大人と 見られている

 

と 思い込んでいるのです。

 

 

母が 80歳を 過ぎた頃の 年末でした。

 

冬休みに入り 僕は 新潟に 帰省中でした。

 

テレビを 見ていた 母が こう言ったのです。

 

「 年末なのに こういう事件を 見ると うちは たまたま

 

子育てが 上手くいって 良かったなって つくづく思うよ。

 

子育てが 上手くできたからといって

 

優れた人間というわけじゃないと 

 

お母ちゃんは 思ってる。

 

だって 親と子 両方 そろわないと 上手くいかないだろ。

 

やっぱり 育てにくい子供って いるだろう。

 

お母ちゃん おまえ達で

 

本当に良かったって 思ってる。 ありがとな 」

 

1年間で起った事件を 見ながら 僕に こう感謝してくれたのです。

 

僕は 「じ~ん」と きました。

 

「 何 言ってんだよ お母ちゃんだからだよ。

 

 お母ちゃんは 子育ての天才だったよ 」

 

僕が言うと 母は うれしそうな顔を していました。

 

僕は そこで 子育てについて 何か 考えていたのか

 

母に 聞いてみたのです。

 

すると 母は こう 答えました。

 

「 な~にも 考えてなかった。

 

今から 考えると 世間のことなんか

 

まったく知らなかったし

 

友達もいなかった。

 

当時 流行の どこかへ 連れて行くでもなかった。

 

何しろ お母ちゃん まったく そういうこと

 

知らない人間だったし 

 

どうやって 調べればいいのかも 分からなかった。

 

子育てが 上手くいっていると

 

周りと比べるなんて 余裕 まったく なかったよ。

 

ただ 言うことなんか まったく きかない おまえ達が

 

毎日 元気にしているのを 見るのが 喜びだった。

 

ホント やっちゃいけないってことしか しないんだから。

 

だけど それが 楽しかった。

 

おまえ達がしてくる 馬鹿げた話を 聞くのが 楽しかった。

 

そして 住んでいた寄宿舎なんか ボロボロで 隙間風ばかりだろ。

 

とにかく どうしたら おまえ達が 気持ちよ

 

家で過ごせるだろうかしか 考えてなかった。

 

それだけだよ。でも とにかく 幸せだったよ。

 

勉強だとか しつけをしようとか 思ってもなかった。

 

だいたいが お母ちゃんが 世間の 作法を

 

知らないんだから。

 

お母ちゃんが 少しずつ しっかり してきたのは

 

お父ちゃんが 死んじゃってからだよ 」

 

子供の僕が 言うのは 何ですが 

 

母は 確かに 子育てが 上手かったと 

 

感心しています。

 

でも 母は 立派な 子育てを しようなんて

 

考えて いなかったようです。

 

僕は その日 あるいたずらをしました。

 

この時 母が言った 言葉で 

 

小さい頃の ある思い出が

 

蘇ったからです。

 

-続く-

 

 

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子育てに秘奥義があるとしたら2

夜 二人で お酒を飲んでいるうち 

 

母が うつらうつら してきました。

 

母は よくテレビを見ながら 眠ってしまうのです。

 

僕は 急いで いたずらを実行して 母を起こしました。

 

「 お母ちゃん こんな所で寝ちゃうと 風邪引いちゃうよ。

 

もう 寝なよ。 疲れたろう。

 

あとは 洗っておくから ベッドに 入んな 」

 

「 そうか ありがと。 お母ちゃん 先に寝るよ。お休み 」

 

母は 厚めの靴下を 履くと 急いで ベッドに もぐりこみました。

 

「 何? どうしたの 健ちゃん あったかい!」

 

母は 驚きの声を 上げました。

 

「 ふふふふ ひっかかりおったな。 忍法 人間湯たんぽの術 」

 

僕は 母が うたた寝をしている隙に 母のベッドに もぐりこみ

 

激しく 動いて 摩擦熱を起こし 熱を ため込んだのです。

 

母は うれしそうに 

 

「 ありがと ありがと 幸せ 幸せ  」

 

と 満足げに しています。

 

僕は 母が 子育てについて 話した言葉

 

「 住んでいた寄宿舎なんか ボロボロで 隙間風ばかりだろ。

 

とにかく どうしたら おまえ達が 気持ちよく

 

家で過ごせるだろうかしか 考えてなかった。それだけだよ 」 

 

で 次のような出来事を 思い出したのでした。

 

50年ほど前 僕の家族は

 

K病院の寄宿舎で 暮していました。

 

冬になると 雪が 家中の隙間から 吹き込んで

 

とても 寒い家でした。

 

そんな ある日 母に 僕が 言ったのです。

 

「 お母ちゃん 夜 布団に 入ると すごく 冷たいんだ。

 

夏に あの布団なら いいのにね 」

 

すると 母は こう 返事をしたのです。

 

「 そうだね。 そうなれれば いいね。

 

でも お母ちゃんは 冬でも 冷たい布団に

 

入るのが 好きなんだ 」

 

思いもよらぬ 答えでした。

 

「 なんでぇ~。 冷たいじゃん。 寒いよ 」

 

「 うん でも お母ちゃん 昔から 寝る時 最初 体がほてっちゃうから

 

冷えていた方が はやく 眠れるんだ 」

 

「 へぇ~ 夏は大変だけど 冬 便利だね 」

 

こんな 会話をしたのです。

 

その日の夜 いつもより 早い時間に 二人は 寝床に 呼ばれたのです。

 

姉は まだ 父と テレビを 見ていました。

 

「 何で今日は こんなに 早いんだろう? 」

 

そう思いながら 布団に入った 僕たちは 二人そろって 声を上げたのです。

 

今から 考えると 寝床の用意は 自分達に させていたのに

 

その日は 母が 用意してくれたので

 

何かあるなと 考えることも できたのですが 

 

突然 呼ばれた 僕らは 何も考えず 布団に 飛びこんだのです。

 

「 あったかい! お母ちゃん 布団 あったかいよ どうしたの? 」

 

「 ふふふ お母ちゃん あっためて おいたんだよ 」

 

「 どうやって すごく あったかいよ。でも 何も入ってないよ 」

 

僕らは 目をパチクリさせて 母に 聞きました。

 

母は うれしそうに 答えました。

 

「 人間湯たんぽの術だよ 」

 

「 どうやんの? 」

 

僕らは 興味津々で 聞き返しました。

 

「 布団の中で こうやって 体を めちゃくちゃ 動かすんだよ 」

 

母は 布団の中から 見上げる 二人に向かって 

 

激しく ツイストして 見せたのです。 

 

「 こうか 」

 

僕ら 二人は 真似をして 激しく

 

布団と 自分達の体を

 

こすり合わせました。

 

「 ほらほら そのへんで やめなさい。今度は 汗かいて 冷えちゃうよ 」

 

「 あっ そっか 」

 

僕ら 二人は 動きを止めて 布団に発生した熱を 味わいました。

 

「 ほんとだぁ~ めちゃくちゃ あったかい。 お母ちゃん ありがとう 」

 

この日以来 僕は とても 布団が 冷たい場合

 

必ず こうするようになりました。

 

そのたび あの日 2人分 あたためるために 

 

布団の中で 必死に 動き回っている母が 想像され

 

思わず 微笑んでしまうのです。

 

「 お母ちゃん ありがとうね 」

 

毎回 心の中で 感謝します。

 

この日 この出来事を 思い出した僕は 

 

そのお礼を してあげたく なったのでした。

 

母の 満足する顔を見て あの日の 自分達を 見ているようでした。

 

 ちなみに 母は まだ 冷たい布団が 好きのようです。

 

このように 

 

子育ての天才が 考えていたことは

 

ただ1つだったのです。

 

「 どうすれば 子供達が 気持ちよく 過ごせるか 」

 

たった これだけだったのです。

 

-続く-

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子育てに秘奥義があるとしたら4

母の言葉を もう一度 書いてみます。

 

「 ただ 言うことなんか まったく きかない おまえ達が

 

毎日 元気にしているのを 見るのが 喜びだった。

 

ホント やっちゃいけないってことしか しないんだから。

 

だけど それが 楽しかった。

 

おまえ達が してくる 馬鹿げた話を

 

聞くのが 楽しかった 」 

 

これは 僕が 中巻①で書いた 気づき

 

『 自分のことすら 分からない。だったら 人の心は

 

もっと分からなくて 当然。

 

自分の心すら うまく コントロールできない。

 

ましてや 人の心を コントロールしようと

 

悩むなんて 無駄なこと 』

 

( 中巻① )

 

『 僕の神様は 人間を支配しない神様。

 

結局は おまえ自身だよと 励ましてくれる神様。

 

そして 一緒になって

 

周りに 感謝してくれる神様。

 

ありがたい 』( 中巻① )

 

を 理解していたから 言うことを きかない 僕らに

 

イライラしなかったのだと思います。

 

そして 支配(コントロール)しようとも

 

しなかったのです。

 

さらに 言うことを きかなくても それが 楽しかった というのですから

 

『 人間 上手く行かないと 面白くない。

 

でも 本当は 上手く行かないからこそ 面白くなる 』

 

( 中巻② )

 

をも 理解していたと 思われます。

 

だから 心に余裕を持って コントロールのきかない

 

双子の行動を 楽しむことも できたのだと

 

感心してしまいます。 

 

そして

 

「 どうしたら おまえ達が 気持ちよく 家で過ごせるだろうかしか

 

考えてなかった。それだけだよ。でも とにかく 幸せだったよ 」

 

とも 言いました。

 

僕は 母の 「どうしたら」という言葉に 胸を打たれました。

 

「どうして」 ではなく 「どうしたら」 だからです。

 

中巻①を 読んで頂ければ 

 

「どうして」という言葉が

 

どういう時に 心に浮かぶものか よく分かると思います。

 

情けないほど 愚痴っている僕を 的確に表した 言葉なのです。

 

「どうして」は 心に 葛藤が 渦巻いている時に 発する言葉なのです。

 

そして 有楽町線のお母さんが 息子を 問い詰めるように 使った言葉です。

 

「どうしたら」は 葛藤というマイナスの場から 一歩進んだ 

 

前向きなエネルギーを持つ心が 発する言葉です。 

 

最後に 「 どうしたら おまえ達が 気持ちよく 家で過ごせるだろうかしか

 

考えてなかった。それだけだよ。でも とにかく 幸せだったよ 」

 

という言葉ですが この母の言葉は 言い方を変えると

 

僕の次の気づきと同じだと 感じています。

 

『 幸せは 求める心では 見つからないのだ。

 

幸せは 相手に 幸せをあげたいと思うと

 

見つかるものだ 』( 中巻① )

 

結局 母は「 どうすれば 子供達が 気持ちよく 過ごせるか 」

 

だけを考え 一生懸命生きていたら 幸せだった と言ったのです。

 

他人を 心地よい気持ちにさせたい = 相手に 幸せをあげたい

 

です。 その結果 幸せを見つけていた ということです。 

 

-続く-

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子育てに秘奥義があるとしたら3

「 夏は 蚊帳を つりながらも 扇風機を タイマーにして

 

なるべく 涼しくする 」

 

「 冬は 人間湯たんぽの術を 使う 」

 

「 必ず 夕食は 家族で食べ あったかい ご飯を食べさせる 」

 

「 暑くなると 薄手 寒くなると 厚手の 肌触りの良い服を

 

自分でつくり 着せる 」

 

「 大人にしたら 馬鹿げた 遊びを 一緒にやって 戯れる 」

 

「 ごみ捨てや掃除を 皆で 楽しくやる 」

 

「 お宝 お宝と 言って 抱きしめる 」

 

など 母が やってくれていたことは 

 

会話では ありませんでした。

 

言葉の数からすると 今で言う お友達家族に 比べれば

 

とても 少ないのでは ないかと思います。

 

いつでも べったり

 

何でも かんでも

 

包み隠さず 話すという 

 

関係では ありませんでした。

 

僕らの いろいろなものに対する 好き嫌いにしても 

 

「どうして 知ってるの 」

 

と 聞くと 

 

「 そんなもの 見てれば 分かったわね 」

 

という感じでした。

 

一つ屋根の下であっても 

 

それぞれの パーソナルスペースは

 

きちんと 確保されていたからこそ

 

自由な 空間だと 感じることが

 

できていたのだと 思います。

 

 「 大人にしたら 馬鹿げた遊びを 一緒にやって 戯れる 」

 

も 中途半端なものでは ありませんでした。

 

たとえば ゴリラのマネをして 家中 歩き回ったりしました。

 

舌を鼻下に 入れて つくる ゴリラ顔は 人間離れしており

 

動きも すさまじいものでした。 

 

子供達は 腹がよじれるほど 笑いました。 

 

「 お父ちゃんにも やってみせて 」と言うと

 

「 だめだ お父ちゃんには 見せられない 」

 

と 真っ赤になりながら 答えました。

 

言い終わると また ゴリラに変身し 胸を叩き 絶叫しました。

 

それからも しばらく 皆で ゴリラのマネをして

 

はしゃぎ 回っていました。

 

普通であれば あれほど 長くは

 

やっていられなかったと 思います。

 

そして 本人いわく 

 

世間が どう思っているかなど 

 

まったく 考えて いなかったのです。

 

でも 丸の内線の お母さん同様 一生懸命でした。

 

ただ あのお母さんのように 

 

イライラしてはいませんでした。

 

いつも 明るく 

 

とにかく 子育てが 楽しいのだと 

 

子供達に よく 分かりました。

 

何しろ 僕らが 楽しいのですから。

 

おまえ達が いるから

 

お母ちゃん 幸せで たまらない

 

という オーラが ほとばしっていました。 

 

-続く-

 

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子育てに秘奥義があるとしたら5

だから 一生懸命 頑張りながら

 

子育てが上手く いかないと 悩んでいる

 

お母さん達に 伝えたいと思います。

 

他人の子育てと 比べないで いいのです。

 

何の問題もなく 

 

子育てが 進む人の方が 少ないのです。

 

子育てが 上手く いかないと

 

自分を 責めないで下さい。

 

育てやすい子もいれば

 

育てにくい子もいるのは 確かなのだから

 

子供を コントロール しようとするほど

 

コントロール できないし

 

コントロール できなくて 当然なのです。

 

それを 無理にするから

 

子供は 心を 閉ざしてしまうのです。

 

失敗を しないようにと

 

口やかましく 立派なことを 言う親より

 

失敗しても 見守ってくれている親に

 

子供は 心を開き 信頼を 寄せていきます。 

 

親に 心の余裕が なければ 

 

子育ては 上手くいかないのです。

 

子育てマニュアルを いくら 読んでも

 

子育てや 教育は テクニックでは ありません。

 

何といっても 心に 葛藤を抱えている親は

 

まず その葛藤を なくすことが 先決です。

 

「どうして」という 言葉を 使うのを

 

やめましょう。

 

どうして 親の言うことを きかないのだと悩みます。

 

そして 

 

「どうしたら 子育てが上手くいくか 」

 

マニュアルを調べて それらしき方法を

 

見つけたとしましょう。

 

こういう対応をすれば

 

子供は 親の言うことをきく

 

なんて 方法論があり

 

なるほど と 納得もしたとします。

 

ところが その通りしても

 

心に葛藤が 渦巻いていれば

 

それは 形だけの 「どうしたら」でしか ありません。

 

子供が 見ているのは その行動の 原点です。

 

その「どうしたら」は「どうして」が

 

仮面をつけたに 過ぎないことを

 

簡単に 見破ってしまいます。

 

親の葛藤に潜む

 

言うことをきかない子供への 

 

敵意が 感じられてしまえば

 

いかなる「どうして」に対しても

 

子供は 心を開きません。

 

だから 結果を 急がず 

 

素直に 子育てが 上手くいっていない

 

自分を認めましょう。

 

上手くいっていなことが 分かっているのに

 

認めては いないのです。

 

そこに 気がついて 冷静になってみましょう。

 

そして 子育ては 上手く いかなくても

 

当然なこと。自分だけではない。

 

人に 見栄を張る 必要も ないこと。

 

これを 理解しましょう。

 

子育てが上手くできない親 = ダメな親

 

この自分で 貼り付けた レッテルを

 

はがして 楽になりましょう。

 

『僕の 最大のライバルは 僕にレッテルを張る 僕自身 』

 

(中巻②)なのです。

 

心の葛藤を 取り除いて あなた自身の

 

心に 余裕を持つことが 解決策だと 思います。

 

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七夕に願うこと

若者が イスに座り 本を読んでいた。

 

すると 部屋のドアが 開き

 

初老の男が 声をかけてきた。

 

男は 白い服を 着ていた。

 

「おい いいものやるぞ 」

 

若者は イスから 振り向き 

 

「 いいもの? 何? 」

 

興味ありげに 聞いてみた。

 

白服の男は 若者に 歩み寄ってきた。

 

「これからは 男もオシャレに 気を使う時代だ。

 

これ 使いなさい 」

 

そう言うと

 

白服の男は ポケットから

 

短い 筒状のものを取り出した。

 

「 これ何だい? 」

 

「 これか? これは 唇の乾燥を防ぐ

 

リップクリームというものだ。

 

こういう風に スティックタイプになっていると

 

携帯に便利だろ。ポケットか 何かに入れて

 

いつも 持っていなさい 」

 

そういうと スティックを 若者に手渡した。

 

「 ふ~ん これって 唇に塗るの? 」

 

「 あ~ そうだ。 ただ 塗る時は

 

縦に塗りなさい? 」

 

男は 使用上の注意をした。

 

「 縦? どういう意味? 」

 

「 ああ 唇には 縦に溝が入っているから

 

それに沿って 塗りなさい。 大切なことだ 」

 

男は ポケットから もう1つ 

 

スティックを 取り出した。

 

「 やって見せるから 見ておきなさい 」

 

言いながら 男は キャップを外した。

 

中から 白い 円筒状の塊が 出てきた。

 

男は 口を 軽く 開くと

 

上唇に対して

 

スティックを 上から 下に向けて

 

ゆっくりと 動かした。

 

丁寧に 二度 三度

 

唇を 往復させた。

 

口を 軽く閉じると

 

パパパと 数回 開閉させた。

 

次に 下唇に 対して

 

同様のことをした。

 

「 なるほどね。 ありがとう。 なるべく 使ってみるよ 」

 

「 そうしなさい クセをつけると いいぞ。 これはいい。

 

うん なくなったら 言いなさい。 また あげるから 」

 

男は うれしそうに 頷くと 部屋から出て行った。

 

若者は 机に 振り向きなおし 

 

スティックを 机の上に立てた。

 

そして 読んでいた本の続きを 読み始めた。

 

しばらくすると 若者は 読むのを やめた。

 

ふと 思い立ち スティックを持って

 

鏡の前に立った。

 

唇を アヒルのようにして 見てみた。

 

「 なるほどね。 確かに 縦に 細い線が入っている。

 

今まで 気にしてみたことがなかった 」

 

若者は 白服の男が 言った言葉を

 

思い出したのだった。

 

若者は キャップを 取り外すと

 

さっき 男が 見本を 見せてくれたように

 

ていねいに 

 

上唇 下唇の 順で

 

二度 三度と

 

唇を 往復して 塗った。

 

そして 口を これまた

 

さきほどの 男同様に

 

パパパと 何度か 開閉させてみた。

 

「 味がしないな。どんな成分が 入っているんだろう。

 

唇から 水分が 蒸発するのを防ぐ 何かだろうな 」

 

キャップをして 筒を見て見ると

 

筒の横に 商品名らしき カタカナが書いてあった。

 

読んでも 意味が分からない 名前だった。

 

若者は イスに 座りなおすと

 

再び 本を読み始めた。

 

しかし しばらくすると 本を閉じた。

 

かすかにだが 唇に 粘着感を 感じたからだ。

 

若者は 口を開閉してみた。

 

パッパッパッ

 

少し ベタつく感じはしたが 

 

たいして いつもと 変わりがないように 感じた。

 

若者は 鏡の前に行き 唇の状態を 確認してみた。

 

見た目も 変わらない。

 

「 何か変だな。まあ 慣れれば どうってことないのか 」

 

若者は 何ともないことを 確認すると

 

再び 机に座り 本読みを 再開した。

 

すると やはり 唇に かすかな ベタつきを 感じた。

 

そこで 今度は 指で唇を 触ってみた。

 

「 ん? ベタベタするぞ。これだけ べたつくんなら 

 

ノリとして 使えるんじゃないか? 」

 

さっそく 男は 自分の ひらめきを 試してみることにした。

 

要らない紙を取り出し 折り目をつけた。

 

スティックの キャップを取り 折った部分に

 

クリームを 塗ってみた。

 

思った通りだった。

 

折り目で 折ってみると

 

紙は 見事なほど ピッタリ くっついたのだ。

 

「おお~ すごい へたなノリより よっぽど くっつくぞ。

 

俺は 唇にではなく こうやって使おう。男が来たら

 

こういう使い方も できると 教えてやろう。驚くぞ 」

 

若者は この発見に 喜びを感じていた。

 

ガラッ

 

突然 部屋のドアが 開いた。

 

「 おい クリーム 使ったか? 」

 

「 ああ 使ったよ。ちょっと ベタつき感があるね。

 

でも そのベタつきで ノリとしても

 

使えそうだよ 俺やってみたんだ 」

 

「 そのノリだ。それノリだった!

 

薬屋が 置いて行った ノリだった 」

 

「 !・・・ノリ・・・えっ・・・ 」

 

「 すまん すまん 聞き違いだった。

 

それは 本物の ノリだった 」

 

男は やや すまなそうな顔をして 言った。

 

「 え~! どぉ~りで ベタつくわけだ。 

 

ノリとして 使えるどこか ノリそのものか! 」

 

若者は 唖然として 答えた。

 

「 ふふふ そうか おまえも 使ってみたのか。

 

すでに 遅かったか。ワハハハ 使ったか こりゃ 愉快 愉快 」

 

突然 男は 肩を揺らし 笑い始めた。

 

「 そうだよ あれだけ よさそうに 塗ったくって 

 

見せれば 使って みたくなるよ 」

 

答えながら 若者は 唇を 指でこすり 確認した。

 

「うわっ ノリだって 分かったら 

 

すごく ベタつく感じだよ。 だまされたよ 」

 

「 いやいや すまない だますつもりじゃなかった。

 

でも そうか 使っちゃったか ワハハハ ワハハハ

 

愉快だ こりゃ 愉快な 一日だ 」

 

また 肩を震わせると 男は 部屋を 出て行った。

 

若者は 男を追うように イスから立ち上がり 

 

洗面所へ 向かった。

 

洗面所に行くと 白服の男が

 

懸命に 唇を洗っていた。

 

若者は 男に向かって言った。

 

「先生~ 必死ですな~。まぁ~ よくも

 

あれだけ ウンチクならべて 手本見せてくれたよ。

 

ていねいに 塗ってたから 相当 ベタついてんじゃないの? 」

 

「 ワハハハ ワハハハ おまえ 笑わすな 愉快 愉快 」

 

男は そういうと ついでに 顔も洗った。

 

30数年前 父と僕との間に起った 実話である。

 

通称 リップクリーム詐称事件。

 

「 ねぇ お父ちゃんは いつ ノリだって 分かったの? 」

 

「 俺か? 俺もてっきり リップクリームだと 思ってたから

 

ふふふ 患者に 得意げに 塗って 見せてやったんだ

 

・・・ふははは 」

 

父は 笑い始めて なかなか 先が言えない。

 

「 え~っ また 塗ったの! さすがに

 

ベタついたでしょ? ふははは 」

 

僕も 笑いながら 問い直したのです。

 

「 ふふふ 俺もな ベタつくなとは 思ったんだ。

 

でも 初めてだろ。こういうものかと 思って

 

慣れれば 気にならなく なるのだろうと 思ってな。

 

だって 女性は 皆 使っているんだろう。

 

そう思って 患者に 講釈たれて

 

塗って見せたんだ。 ふははは

 

そしたらな アッハハハ 」

 

「ふふふふ そしたら・・・ 」

 

笑いが 止まらない 父に 僕も 笑いが止まりません。

 

「 先生 それ・・・ ふははは

 

うちの子供が 使っている・・・・くくく

 

スティックノリって奴に 似てますねって 言うんだな

 

ふあっははは 」

 

父は もう楽しくて 仕方がないという 感じです。

 

「 ふふふふ それで分かったのか。 患者さん 笑ったろ。

 

バカ医者だと 思ったんじゃないの? 」

 

「 バカ そんときゃ まだ 俺も 分からんかったんだ。

 

患者も そういうだけで それ以上 追及しなかった。

 

ノリって言えば うちは 液体の奴しか 使ってないだろ。

 

ほ~ そういうものが あるんだ くらいにしか 思わんかった 」

 

「 よかったねぇ~ そん時 俺みたいに 

 

何かに塗って ノリだって 分かっちゃったら

 

笑い者になるとこだったね はははは 」

 

「 ああ ほんとだ 危なかった 」

 

父は 不幸中の幸いとばかり 頷きました。

 

「 それで いつ 分かったの? 」

 

「 ああ 患者の薬 確認しに 事務に行ったんだ。

 

そしたら 同じ奴が たくさん おいてあったんだ。

 

それで これ どうしたんだって 聞いたんだ?

 

そしたら これ ノリですから

 

お使い下さいって

 

薬屋がおいて言ったって言うんだな  ワハハハ 」

 

「それでか? さすが 親子だね。 ベタついても

 

初めてだから こういうもんだと 思っちゃうよね。

 

でも 何で リップクリームだなんて 思っちゃったの? 」

 

僕は 不思議に 思って 父に 聞いてみました。

 

「ああ 俺が悪いんだ。薬屋が 患者が途切れた所

 

見計らって 薬の宣伝していったんだ。

 

その時 これの説明も していったんだな。

 

俺は 薬の説明を 聞き終わったら

 

カルテを 書き始めたから

 

その説明を よく聞いてなかったんだ 」

 

「 そうなんだ でも よく聞き間違ったよね 」

 

「 ああ 薬屋に見せられた時 

 

これは 口紅みたいだなって 俺が言ったんだ。

 

そしたら 薬屋が 先生 女の人が使っている 

 

リップクリームって 答えたんだ。

 

だが そのあとをよく 聞いてなかったんだ。

 

リップクリームは 縦に 塗るとかまでは

 

聞いていたんだけどな そこまで聞いたら

 

分かった気になって

 

カルテに 集中しちゃったんだな 」

 

「まったく 思い込みも はなはだしいね 」

 

僕は 呆れたように 言いました、

 

「まったくだ。 薬屋は リップクリームに

 

似てますが そうじゃないんです ノリなんですって

 

言っていたんだろうな。

 

患者に 薬の説明をしている時

 

時々 聞いていない奴がいて

 

人の話は きちんと聞け

 

飲み方間違うと

 

大変なことになるんだからなんて

 

叱っていたのに このざまだ。

 

医者の 不養生みたいなもんだな。

 

情けない 」

 

父は 笑いながら 反省していました。

 

「でも ノリって デンプンでしょ。

 

毒じゃなくて よかったよ。

 

これ 毒だったら 二人とも 死んでいたかもよ 」

 

そう言いながら 僕は 父に 笑いかけました。  

 

「 そうだな ワハハハ ワハハハ 」

 

「 良かったね 間違ったけど 楽しい 思い出ができて 」


「 まったくだ 今日は 七夕だから たんざくに

 

本物のリップスティック お願いしますって

 

書いておこう 愉快 愉快」 

 

父は  白衣から スティックノリを 出すと

 

一人で また 大喜びしていました。

 

その後 父は 本物の リップスティックを

 

僕にくれることは ありませんでした。

 

父のことだから たんざくに

 

「 本物の スティックノリ 」

 

と 書いたのかも しれません。

 

おしゃれ    というが~

(ささのは   さらさら~)

 

 ノートに  ぬれば

( のきばに  ゆれる   )

 

 あ~れ?ど~して くっつく 

( お~ほ しさま  きらきら  )

 

 ノリ ノリ ノリだ~

( きん ぎん すなご~  )

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ケンカできない子よりできる子に1

今週 10日に 卒業生と 飲みます。

 

こんな僕でも 人生変えてくれた先生と言って

 

慕ってくれる生徒もいるから 幸せです。

 

僕自身にも 中巻②に 登場するS先生という

 

人生を変えてくれたと 思える先生がいますが

 

到底及ばぬ先生です。

 

しかし 一生 付き合っていける かけがえのない

 

生徒だと 思って 感謝しています。

 

今週飲む生徒より 数年前の卒業生だったと

 

思いますが 十数年前 誘われて 飲んでいる時

 

こんなことを 言われたことがあります。

 

「 しかし 健ちゃんは 変わった先生だったよねぇ~ 」

 

「 そうかよ 」

 

「 あれ また 先生 まさか ご自分が 

 

普通の先生だなんて 思ってないでしょうね 」

 

「 いやいや いたって どこにでもいる 教師でしょ 」

 

「 うわうわうわ  そんなこと 思ってるの 先生だけですって。

 

生徒どころか 先生達だって 先生が 普通ではないと

 

思っていたと 思いますよ 」

 

失礼なことを 平気で言う 生徒達です。

 

そこで 僕は 答えてやったのです。

 

「 おこがましくも 諸先輩の先生方を さしおいて

 

言うのもなんだが 俺ほど 品行方正 実直無害

 

四角四面の先生はいなかったはずだ (笑) 」

 

「 ほんと おこがましいですよ 健ちゃん

 

非道お下劣 不真面目有害 融通無碍 通り過ぎて 自由奔放 」

 

「 お~ おまえ達も お利口なったんだねぇ~ってか 

 

言い過ぎだろうが 謝りなさい (笑) 」

 

僕は ビールを 飲みながら

 

一喝してやりました。

 

生徒は 笑いながら 続けました。

 

「 いや~ 最初は この先生 ヤバイって 思ったもん。

 

授業中 歌うわ 踊るわ 机に乗るわ 普通の先生と

 

違うこと言うわって この人 ほんとは 子供かって 」

 

「 何だそりゃ おまえ達 俺を バカにしてんな~ (笑) 」

 

「 当然ですよ。 クラスの全員 こんな バカ先生 初めて

 

見たって 思ったと思いますよ。よく こんな 子供みたい

 

なままで 生きてこれたなって 不思議でしたよ 」

 

周りの 生徒達も 皆 頷いています。

 

「 そうか おまえ達 雁首そろえて 

 

うれしそうに 笑うんじゃない 」

 

「 だから 当時は 健ちゃんは 絶対 ヤケドの

 

電気ショックで 普通の思考回路が ショートしたから 

 

悩むことなく 生きてきたんだって 話してたんですよ」

 

「 な~るほどな よく 当時から 俺が ロボットだって

 

見破ってたな おまえ達。ほんとに 地球外 飛ばしてやろうか! 」

 

僕が 手を握りしめて 脅すポーズをとると

 

生徒は こんな話を し始めたのです。

 

-続く-

 

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ケンカできない子よりできる子に2

「 先生 覚えてますか? 俺達 高ニの時 クラスで

 

ケンカが 起きた時のこと ?」

 

「 いいや ぜん・・ぜん・・・記憶にない 」

 

「 そうですか? あの時 もう この先生

 

他の先生と まるで 違うって 驚きましたよ 」

 

僕は まったく忘れてしまっているので 

 

首を傾げて 彼の 話を聞くことにしました。

 

「 確か 四時間目が 先生の授業で 先生 模造紙とか

 

はるために 早めに 来たんですよ 」

 

「 よく 四時間目なんてことも 覚えてんな~ 」

 

「 そりゃ そうですよ。俺にとっちゃ 大事件でしたから 」

 

「 ふ~ん それで 」

 

僕は 生徒の 記憶力の良さに感心しながらも まったく

 

まだ 思い出せませんでした。

 

「 先生が 教室入って 来たときには ケンカ 始まっていて

 

皆 遠巻きに見ていたんです。そしたら 先生 入ってきて

 

どうしたと 思います? 」

 

「 いや 覚えてない。 おまえ 他の先生と 間違ってない?」

 

僕は 今だ 思い出せず  生徒の 覚え違いじゃないかと

 

聞き返したのです。

 

「 AとBがケンカしていて Aがモップ持って

 

Bに殴りかかっていたんです。そしたら 先生 ババッって

 

走って 机の上から ジャンプして Aのモップを

 

飛び蹴りで 蹴り飛ばしたんですよ 」

 

「  あっ! 」

 

僕は「 確か そんなことが あった 」

 

と 思い出してきました。

 

「 その後が また すごいんですよ。ふつ~ 止めるでしょ。

 

生徒が ケンカ してたら 」

 

「あっ そうなの~ でも きっと 俺も止めたよねぇ~。

 

 記憶にないけど 」

 

「 うわっ 出たよ あれだけことしておいて

 

忘れちゃってるって どういうことですか 先生  !

 

モップ蹴り飛ばして 二人が 素手になったら

 

ハイ   Go !   続けろよって 言ったんですよ 」

 

生徒は やや 興奮気味に 当時を振り返ったのです。

 

それでも 僕は 「 ああ 言ったかもな~ 」 と

 

ぐらいしか 思い出しませんでした。

 

そこで

 

「 まっさかぁ~ ウッソでしょう~。俺 信じらんない。

 

きっと それ コウちゃんだ 」

 

と とぼけて みせました。

 

 

-続く-

 

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ケンカできない子よりできる子に3

「 いやいや できのいい コウちゃんは

 

そんなこと しませんて。健ちゃんだからですよ。

 

本当ですって そう 言ったんです。

 

ふつ~は 先生が 割って 入って

 

ストップさせるでしょ。

 

そして お互いの 言い分聞いて

 

ジャッジ 下すでしょ 」

 

「 おお~ きっと 俺も そうしたに違いないって。

 

だろう~ 」

 

僕は なんとなく 自分がやったことを

 

思い出してきましたが

 

また とぼけて 聞いてみました。

 

「 先生 チャイムなっても 黙って 見続けて 二人が 

 

ヘロヘロになったら やっと 止めたって言うか

 

口 開いたんですよ 」

 

「 ふ~ん 何て 言ったの? 」

 

「 ドロ~って 二人とも 授業で 息整えな。

 

そしたら また 続き見せてくれ。 お~い

 

委員長 号令頼む 始めんぞって 」

 

僕の 思い出した通りの 展開でした。

 

「 それで? 」

 

「 不思議と 号令で 普通に 授業始まって でも 

 

二人とも 最初のころ ハアハア 言っていましたよ 」

 

「 あっ そう それは 良かったね。それで おしまい? 」

 

「 まさか そこからが また 健ちゃんの真骨頂 

 

普通と全然違う。ぶったげましたよ。

 

普通 何が原因だとか 聞くでしょ?

 

いっさい 聞かない。

 

それどころか 何て 言ったと 思います? 」

 

「 いやいやいや~ 二十年近く前のことだろう。

 

まったく 覚えてない。そんなにやりたかったら

 

二人そろって 俺が相手してやるから

 

後で かかって来いとでも 言ったか? 」

 

「 まったぁ~ そんなこと言ったら

 

向かっていく わけないじゃないですか。

 

ボコられちゃうから。

 

それに そう言ったとしたら 

 

それって ケンカを ある意味 止める ための言葉でしょ。

 

そんな 普通の まあ それでも普通じゃないけど

 

そんなこと 言いませんでしたよ 」

 

生徒は しらばっくれちゃってという顔を

 

向けてきました。

 

-続く-

 

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ケンカできない子よりできる子に4

僕は この時 AとBが誰であったかは

 

忘れてしまいましたが

 

授業で 何を言ったかは 思い出したのです。

 

「 二人とも 実力は 互角だな。今日 負けた方は たまたまだ。

 

次の時 やれば 勝てるぞ。いいねぇ~ ケンカはいいことだよ。

 

後で ちゃんと 続きやれよ。 二人とも 仲良くなるぞ。

 

はい マブダチ誕生~ じゃ 続きは 必ず やれよ。

 

その時は 呼びに来い。 決着 見たいから。

 

よし てことで 授業 始めんぞ~って 」

 

「 まぁ はっきり 何て言ったかは 覚えていないけど

 

そんなこと 言ったなぁ~ ってことは 思い出したよ 」

 

僕は 初めて 思い出したという 返事をしました。

 

「 本当に それっきりでしたよね。授業終わってから

 

そっと 二人を呼ぶわけでもないし

 

担任に報告してもない。

 

昼休み 担任から 呼び出しがあるわけでもないし

 

担任が 来たわけでもなかったから。

 

あっ 担任にも 報告してないんだって

 

驚きましたよ」

 

「 いや しようかな~って 思ってたんだよ (笑) 」

 

「 うっそですよ。 だって 担任は 来なかったけど 

 

先生は また来たじゃないですか。

 

それも また 訳が分かんないことして 去って行った。

 

それも 覚えてますか?」

 

「 まあね 」

 

僕は 苦笑いして 答えました。

 

「 昼食べ終わった頃 いきなり入って来て

 

二人を確認したら お~い すぐ 始めて 腹叩くと

 

食べたもん 吐き出して もったいないから

 

続きは こなれてからに しろよって。

 

そして 二人に向かって やる時は

 

呼びに来いよ。 じゃあなって 

 

手を振って 出て行っちゃった。

 

俺 この人 頭おかしいって

 

思いましたよ 」

 

僕も 教室内にいた 何人かの生徒が

 

彼らを 心配そうに横目で見たあと

 

僕を見て 首をかしげたのを 思い出していました。

 

「 首 傾げてる奴も いたよな 」

 

「 そうですよ。 後で 問題になったら 

 

どうする つもりだったんですか?

 

二人が ほんとに ケンカして 大ケガでもしたら

 

担任にも 親にも 責任追及されて 首だったかも

 

しれませんよ。 考えなかったんですか? 」

 

「 ん~ 一応 頭には よぎったんだけどね。

 

でも 俺は 仲直りするって 見ていて 思ったんだよ 」

 

「 先生 それって 勘でしょ。よぎったら 普通 

 

先生が 担任のクラスじゃないんだし 担任に 任せようって

 

担任に 報告しに 行くでしょ。ふつう 」

 

「 ん~ だけど 何でかな~。せっかく 仲直り できるのに

 

それしちゃうと ダメになっちゃうって 思ったから

 

行かないで おまえたちんとこ 行っちゃったんだよな~ 」

 

僕は 当時の 自分の心境を 思い出しながら

 

答えました。

 

-続く-

 

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ケンカできない子よりできる子に5

「 先生出て行った後 俺達 もっと 驚きましたよ。

 

あいつら あっという間に 仲直りしちゃったんだから。

 

お互い 軽く 悪かったなって 言い合って 頷き合って

 

笑ってた 」

 

「 おお~ そりゃ良かったね。

 

あれから もう一度 殴り合ってから

 

仲良くなったんかと 思ってたら

 

そんな すぐ 仲直りしちゃったんだ 」

 

実は その日 放課後 教室を 見に行き

 

生徒に それとなく 聞いて 安心はして

 

いたのです。

 

「 帰りには もう 普通に 話してましたよ。

 

仲直りしてたみたいです。 先生の マブダチって

 

のが 何か良かったみたいで あいつ ふざけんなよ

 

とか 言いながら 茶化しあってましたよ 」

 

と 聞いて 「 やっぱり 友達になりたかったんだな 」

 

と 思ったのでした。  

 

さらに 次の授業時間に 行ったら

 

二人とも 茶化しあいながら

 

授業を聞いていたので

 

「 よしよし 予定通り 」と思っていたのです。

 

しかし この話を聞くまでは

 

もう一度くらい ケンカしたのかと

 

思っていました。

 

「 どうして 仲直りするって 分かったんですか? 

 

俺達 首傾げたんだけど すぐ すげぇ~って

 

あれがベストだったって 

 

ちょっと 尊敬しちゃったんですよ 」

 

「 おまえらも 大変だねぇ~ バカにしたり

 

尊敬したりで。 んで どっちが多いの? 」

 

「 そんなの バカにしてる方に 決まってんじゃないですか (笑) 」

 

「 やっぱり おまえら 地球外へ 飛ばしてやる (笑) 」

 

すると まだ 不思議に 思っているのか こんなことを

 

聞いてきました。

 

「 でも 先生 どうして 止めなかったんですか? 先生なら

 

簡単に 止めれたでしょ 」

 

「 うん それがな 確か それまでの 授業中でも

 

AはBを 茶化してたんだと思うよ。

 

それも ちょっと 気にかかっているって感じで

 

陰湿なものじゃなかった。

 

そして BのAの茶化しに 対する受け答え見てたら 

 

BもAに 敵意を持っていないって 感じてたんだ。

 

Aはどっちかっていうと

 

クラスで 元気なタイプだったし

 

Bは一見 ちょっと とっつきにくいけど

 

ユニークな奴だったような気が すんだよな。

 

まあ はっきりは 覚えてないんだけど 

 

俺は AとBの 授業中のやり取り聞いていて

 

本当は お互い

 

友達になりたいんじゃないかなって

 

感じてたんだな。

 

そしたら あの日 ケンカしてた 」

 

僕は 当時の おぼろげな 印象を思い出しながら 

 

止めなかった 理由を 話始めました。

 

 

-続く-

 

 

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ケンカできない子よりできる子に6

「 でも よく それだけで 止めなかったですね 」

 

「 ああ 片方が武器持っていたから やるんなら

 

素手で やりなって モップふっ飛ばしたんだ。 

 

それに パッと見て 分かったんだな

 

Aが Bの予想外の強さに 驚いているって 」

 

「 おお~ すげぇ 」

 

「 だろう~ 俺は けっこう ケンカしてきたから 

 

そういうの すぐ ピーンて きちゃうんだ。

 

それで 二人の実力みて これは大丈夫 すぐ二人

 

へばるって 思って見てた。 案の定 ヘロヘロに

 

なったから やめちゃったろ。もう あの時 二人とも

 

やめたくなっちゃってたんだよ。

 

俺がドローって 言った瞬間

 

二人とも 助かったって 顔してた。

 

だから あの時点で

 

もう この二人は 仲良くなれると 分かった。

 

だから 実力は互角 今日やられても

 

次は勝てるって言ったんだ。

 

それが 分かれば 次にやると

 

互いに同じように 傷つくから 

 

やらなくなるんだな。

 

一方が圧倒的に強いと

 

強い方が また ケンカを売るよ 」

 

「 さっすがですねぇ~。 誰も そんなこと 

 

思ってなかったですよ。この先生 ますます 

 

ケンカに 油注いで しかも 喜んで

 

何考えているんだろうって?

 

異常な 先生だって感じた奴 たくさん

 

いたと思いますよ 」

 

生徒は 当時を振り返りながら 

 

生徒達の思いを 代弁してくれたのです。

 

「 いやいや 心配かけちゃってたんだねぇ~。ごめんな~。

 

ただ ケンカといじめは違うんだよな。

 

俺には それが よく分かってたんだ。

 

ケンカは やっぱり 本人どうしで

 

解決するのが 一番なんだ。

 

だからこそ 仲良くなれる 」

 

「 そうですよね。それは 分かる気がします。

 

実際 あいつら 高三なっても 仲良かったですから 」

 

 「 そっか。そりゃ ケンカしてよかったな。

 

ケンカすれば 少しの青タンや すり傷 たんこぶ 当たり前だよ。

 

こんなもん ほっとけば 治っていくし

 

本人どうしが 仲直りしていく時 

 

相手の力を 認め合ったり

 

反省したりする 材料になる。

 

そこへ それだけ見て

 

親や先生が どちらが 善いとか 悪いとか

 

治療費出せとか 判断を 下すと

 

今度は なかなか直らない

 

心のしこりを つくっちゃうんだな 」

 

「 てことは やたらすぐに 親や先生が 手を出すなって

 

ことですか? 」

 

「 まあ どっちに転ぶか 確実な答えは 分からない。

 

すぐには 答えが出ない時もあるだろう。

 

でも 子供達が持っている 心を衝突から調和へ 変換していく

 

作用を 信じて待つことが 

 

一番 必要だと思ってんだよ。

 

だって 世の中 少し気に入らない奴とか 

 

ちょっかいを 出してくる奴

 

たくさん これから 出会うわけだよ。

 

そこに いちいち 親や上司が 出て行ってたら

 

どうなるよ。そいつは いつまでたっても

 

そういう奴らとの接し方を 身につけられない。

 

もろい人間になっちまうだろ。

 

結果が出てからなら 何とでも 批判できるさ。

 

上が そう判断して 首にされるんなら 俺は

 

それでいいって 思ってたよ 」

 

「 やっぱり 健ちゃんですね。 俺達が大好きな

 

変態教師 健ちゃん 」

 

「 ば~ろ 本当に 謙譲の美徳を知らない奴らだ。

 

おい ビール 頼んでくれ 」

 

こんな 感じで 飲んだのです。

 

 -続く-

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ケンカできない子よりできる子に7

僕は 自分の本 (上巻 中巻① 発売中 )にも

 

書いているように いじめとは

 

別に たくさんの ケンカもしてきました。

 

そして ケンカを通じて 仲良しになったことも

 

たくさん経験していたのです。

 

そんな 僕は クラスの中で 友達どうしが

 

ケンカをして 仲直りするのに

 

時間がかかった 例を いくつか  目撃していました。

 

だいたい 仲直りに時間が かかったのは

 

女の子が 担任に すぐに 報告に行き 

 

担任が 出てきた時でした。

 

一人ずつ 言い分を聞いて 先生が 裁判官のように

 

裁きを言い渡すのです。

 

先生に それぞれが 聞かれた場合は

 

頭に来ているのもあるし

 

叱られるのも 嫌ですから

 

それぞれが 自分の方が

 

正しいと 主張するのです。

 

ある意味当然です。

 

裁きの答えは いつも ケンカ両成敗でした。

 

これだと お互い 先生に 言いつけた分

 

引っ込みがつかなくなり

 

さらに 不満を ぶつけ合うようになりました。

 

先生は こう言って 俺の方が正しいと 言っていたとか

 

ますます 訳の分からない 言い合いに なっていました。

 

ここに 親が出てくると もっと ひどくなると

 

分かったのは 別の学年の 二人が ケンカで

 

ひどい 罵り合いをしているのを 目撃した時でした。

 

子供の世界のうわさ話で 二人の親が出てきて

 

互いを非難し合っていると 聞いたからでした。

 

この頃の 経験が 僕に あのような 行動を

 

取らせていたのだと思います。

 

僕のやり方は 確かに マニュアル通りではなく

 

リスクもあります。

 

しかし 先ほども書いたように

 

子供どうしには 子供どうしで

 

問題を解決する能力があります。

 

僕が勝手に 名づければ

 

衝突調和修正作用です。

 

この力で 問題を解決するのが一番

 

良いし 後腐れを残さないのです。

 

そして この力をつけさせることも

 

大切な教育です。

 

だから ケンカを

 

すべて 悪いことと 決めつけ

 

急いで 権力( 親 先生 )が 裁きを下すことは

 

危険だとも言えます。

 

余計な マイナス要素が 加わり

 

子供の問題解決能力に 負担をかけます。

 

子供どうしの不満を 大きくし

 

陰湿ないじめに 発展していくことにも なりかねません。

 

いじめに発展してしまったなら

 

なるべく早く

 

ストップさせなくては いけません。

 

こじれて 悪質で ひどいいじめに なってしまったならば

 

先生や親の圧力すら 何の効力を

 

果たさなくなって しまいます。

 

反対に

 

いじめを刺激し よりひどいものに

 

していく要素にしか ならないのです。

 

極真カラテの創始者である

 

大山倍達総裁は 「 男はケンカしろ 」

 

と よくおっしゃって おられました、

 

僕は 自分の経験上

 

総裁のおっしゃられていた意味が 

 

「 ケンカをして 自分の心と戦い

 

自他ともに許し 理解しあうことで

 

仲良くなり 人間として成長せよ 」

 

と 理解し とても 共感できるものでした。

 

ケンカは 確かにない方が 良いですが

 

世の中 衝突はつきものです。

 

衝突することで 自己主張する力がつき

 

不要な衝突と 衝突すべき衝突の区別も

 

ついていきます。

 

ケンカが 良くないというのであれば

 

もっと 良くないのは

 

ケンカすらできない子供を

 

育てることです。

 

いじめの 格好のターゲットに なりやすい 子供をつくり

 

いじめに加担する側にも なりやすい 子供をつくることに

 

つながります。

 

これは やられたら やり返して来い

 

という 教育をしろ といっているのでは ありません。

 

下巻②に書いたように

 

これでは ますます いじめを受けている 子供を

 

追いつめてしまうことになるからです。

 

おこがましくも 言わせて 頂くならば

 

ケンカしなさい そして 許しあって

 

仲良くなって 下さい。 

 

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B山カラテ部同窓会1

僕が 先日飲んだのは 彼らが17歳の頃

学校の屋上で カラテを教えていた 

生徒達。

 

昨日は 金曜日ということもあり 三人しか

集まれませんでしたが このグループには

あと三人( Y君のコメントにより修正。ありがとう )います。

 

F井 Oちあい ON田 OK田 


Y下 ZNとく 



この彼Oちあい君は (土) (日) が 忙しく なかなか 会えなかったのですが 

逆に 金曜日なので 時間がとれ 10年ぶりくらいに 会えました。

とても うれしかったです。

 

すごく 人当たりが良く にくめないキャラは 健在でした。

恐れ多くも 僕の前で タバコを吸おうと 許可を 求めましたが

他のY君 Z君 そして 僕に けちょんけちょんに言われ 禁煙していました。

よ~し oっちあい 今日から 禁煙だぁ~。

しかし 俺に タバコの箱 握りつぶされること 計算に入れて もう1箱用意していた所なんか さすがだの~。今度 俺と二人で Zのお母さんに説教されに行こう。

これは我が 教え子の中でも 真面目さ ベスト3に入る Z君。

 

幼稚園から ずっと 一緒という O君との腐れ縁。見ていて 微笑ましい。

当時の 写真を持って来てくれて ありがとう。

とても なつかしかったです。

 

もう黒帯は 目の前だ。

週3 練習行っているなんて 頭下がるよ。

 

彼は いつも 皆と 連絡を取ってくれるY君。

いつも ありがとう。

 

「 先生 うちの息子もカラテやり始めました 」

 

そう言いながら 写真を見せてくれる姿には

父親としての 幸せを 感じました。

 

君のような パパを持って 息子も うれしいと 思うよ。

時間があったら 僕も 喜んで カラテ 教えてあげるからね。

 

 

いつの間にか 彼らも42歳

良き 父となり そして 格闘技を続けています。

「 皆 大人になったんだなぁ~ 」

と しみじみ 感じました。

また いつか 皆 そろって カラテの練習でもして 銭湯に行き その後 飲めたならなと 考えています。 

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中2 列車飛び込み自殺

悔しい また 中2が 自殺しました。

 

列車に飛び込んで しまいました。

 

テレビで 事件を知り 「ア~」というため息が出ました。

 

目頭が 熱くなりました。彼の心中を思うと 本当に残念です。

 

13歳 そう・・・ 楽になれると思うよね。

 

先のこと考えると 先が見えないもんね。

 

いつまで 続くんだろうと 絶望感しかないよね。

 

大人に 相談して 欲しかったって 言うけれど

 

それが できないんだよね。

 

ノートに SOSを出している。

 

どうして 親が気づかない?

 

それが 気づかないんだよね。

 

だって 気づかれないように するんだもんね。

 

君は中1の時 親に相談している。

 

その時 担任と学校が 当てにならないと

 

知ったに違いない。

 

親に これ以上 迷惑を かけたくないとも

 

思っただろう。

 

家族だからこそ 上手く 隠せちゃうんだよね。

 

それこそ 愛情があれば

 

子供の異変 すべてを

 

キャッチできるなんていう

 

評論家が いたならば 分かっていない。

 

僕が 自殺をしていて あなたの子供であったならば

 

ある日突然 息子の死を 知らされていたと 思います。 

 

列車に 飛び込んで 自殺という アナウンサーの声を聞き


僕は あの日を 思い出しました。

 

列車にひかれようと 線路で 列車を待った 何日かの日々を。

 

だから 列車が来るまでの 彼の思いを 考えると

 

胸が痛みます。列車が見えた瞬間 血の気が さーっと 引き


何も考えれない あの数秒間。

 

いじめにあっていた頃 僕は 何度も 飛び込みに行きました。

 

中巻① 窮鼠 ネコを噛む の項で書いたように

 

「 おまえなんか 列車にひかれて 死んじまえ!

 

いいか 今日 死ね! 」

 

などの 言葉は 毎日のように 浴びせかけられていました。

 

苦しくて 生きているのが 辛いと思った時 

 

突如として この言葉は 頭の中に 現れました。

 

そして BGMのように 頭に鳴り響き 続けるのです。

 

僕の足は BGMから 催眠術をかけられたように

 

海岸近くを走っている 線路へと向かいました。

 

線路に到着すると 列車を待ちました。

 

単線のレールに 足をのせ 立って 待ちました。

 

しかし 迫ってくる列車の 迫力と警笛音に

 

思わず 飛び退きました。

 

列車が 見えるから ダメなのだと 次は 寝て 列車を待ちました。

 

ところが 列車が近づくにつれ レールが激しく 振動し

 

けたたましい 警告音が 体を揺さぶりました。 


立っている時以上に 怖くなり 我慢が出来ず 逃げ出しました。

 

「ここにいちゃ いけない 」

 

はっと 我に返り 一目散に 逃げ出しました。

 

時が現代で 場所が 東京にある駅であれば

 

逃げ出すことも なかったと思います。

 

ただ ホームに 落ちれば 良いのですから。

 

そう思うと 田舎の単線で 本当に 運が良かったと思います。

 

列車を待つ時間が長く しかも 真正面から

 

列車を待っているので 迫ってくる恐怖が

 

半端なものでは なかったのです。

 

こういう時の 自殺願望は 衝動的なものでした。

 

その日の朝 いじめになんか 負けないと

 

思って 元気に出かけていました。

 

しかし いじめによって 

 

一時的に 大きく バランス崩した心は

 

死を選ぶという 極端な行動を 僕に取らせていたのです。

 

今回 自殺してしまった彼は ノートに 死に場所は

 

決めてあると 書いてありました。

 

こういうことを 残すということは

 

実は 死にたくない。 ただ 僕は 今 死にたいくらい

 

苦しいんだ。分かって 欲しいということです。

 

誰よりも 分かって欲しいのは 

 

もちろん いじめてくる 相手でした。

 

そして 苦しみに耐えて 頑張っている僕を

 

誰かに 認めてもらいたいという 気持ちもありました。

 

でも いじめにあっている 子供の心というものは

 

複雑で 弾力性のないものです。

 

分かって欲しいけれども その気持ちを 知った大人の

 

とる行動が 自分の 希望と違っている場合

 

その行動を 受け止める 余力が 残っていないのです。

 

いじめにあっている頃のある日

 

僕は いつも通り 隠れ家に行くと

 

地面に あるものを発見し 驚きました。

 

土の地面に

 

「 死にたい 死にたい 死にたい でも 死にたくない 」

 

と ほって 書いてあったのです。

 

何度も なぞったために 太く 深く 掘り込まれていました。

 

石で 無意識に 何度も 書いて 消し忘れていたのです。

 

僕は これを見て 絶対 ノートには こういったものを

 

書かないと 決意しました。

 

矛盾しているようですが

 

こんなものが 親に見つかったりして 大騒ぎになってしまったら

 

すぐに 死のうと 思ったのです。

 

おそらく 子供の自殺願望を 知れば 

 

親子関係が 上手くいっていない

 

親であっても 態度は 急変すると 思います。

 

緊急事態に 

 

「 言うことを きかないで 困ってはいるけれども

 

とにかく 生きていて 欲しい。それ以上は 望まない 」

 

という 心境になると思います。

 

ただ いじめに悩む僕の心には 壊れそうだけれども 

 

頑張ってきたというプライドが ありました。

 

「 頑張って来たね 」

 

と やさしく 言いながらも

 

大人本位の気持ちで 究明を急ぎ

 

原因を 問い詰められたり

 

過剰に いたわったりされたら

 

自殺スイッチを 本当に 押してしまうのです。

 

本当の頑張りを 認めてくれていないからです。

 

「 苦しくって 仕方がない 誰かに 分かってもらいたい。

 

だけど こんな理解の仕方をされたら 我慢ならない。

 

今まで 頑張って来た自分が あまりに あわれで ちっぽけだ。

 

それで 終わってしまう。そうなったら もう いい 本当にもういい 」

 

こういう気持ちでした。

 

彼のSOSを知った時

 

「 このままにしておいて 何かあったら 世間に何を言われるか

 

分からない。至急 手を打つべきだ 」

 

このような 気持ちで対応したならば

 

その時は 止めることができたとしても 

 

彼の自殺行動は 繰り返されると思います。

 

事件後 学校側が行う 結果報告の仕方の 裏返しは

 

いじめを 発見した時 行う 自分の保身ばかり気にして

 

本人の気持ちを 考えない対応です。

 

「 僕(私)は 頑張って来た 」

 

いじめられた子に 接するとき

 

本当に この心を 大切に 扱って

 

あげなくては いけないと思います。

 

そうでないと いじめが 終わったとしても

 

本人の心は 自分を許していこうと しないのです。

 

このような 大人の「よく頑張ったね 辛かったね 」は

 

言葉自体には 問題はありませんが

 

社交辞令のようなもので 心がこもっていません。

 

大人の目的は 世間に説明するための 情報収集です。

 

自分達が いじめられた子供の 心の傷を 広げていることに

 

気がつかないのです。どこまでも 身勝手なのです。 

 

《 いじめられた子供の自尊心を 守って 癒していく 》

 

この接し方は 大人だから 親だから できるものでは ありません。

 

できるのは 本当に その子を 理解し 支える心を 持った人間です。

 

その子の ありのままの姿を 愛してくれる相手なのです。

 

そうでなければ 癒すことができない 傷なのです。

 

僕は 小学2年生で 自殺をしないと 誓ったものの

 

3年生で 本当に つぶれそうになってしまいました。

 

その時 僕の頑張りを 理解して 手を差し伸べてくれた相手こそ

 

コウちゃんだったのです。大人では ありませんでした。

 

これは 楽になりたいなら 生きていけの 続編

 

子供の気づき(このページ右上端 クリック )に

 

今後 書いていきます。

 

実は 今 この時を思い出して

 

僕は 泣きながら パソコンを 打っています。

 

それほど うれしかったのです。

 

 今回 担任の対応に対して 事務的と 書いてあり

 

僕自身も そう感じます。

 

自殺の文字がある以上

 

この時点で どのくらい本気なのかは 分かりませんが

 

両親に知らせ 対策を 取るべきだったことは

 

間違いないと思います。

 

そして くれぐれも 過剰な対応を取らず 

 

彼の気持ちが 落ち着くようにしていきましょう

 

と 連絡しあっていれば  未然に防ぐことが

 

できたかもしれません。

 

問題となっている記述をしながらも すぐに 彼の所へ行き

 

彼の気持ちを 和らげる対応を取れていれば

 

この記述は そういう彼の心を くんでの記述とも

 

取ることができるわけです。

 

ここに やたら どうしたの? 何があったの? 誰に何をされたの?

 

など しつこく書き込まれると いじめられている本人は とても

 

苦痛に 感じることも あるのです。

 

こういう記述が あれば あるほど いじめられている子供への

 

対応を きちんとしているとは 言えないのです。

 

残った記録としては 「ああ 一生懸命 対応していたのだな 」

 

と 周りを 納得させるものになるでしょうが。

 

これは いじめられている本人に よって さまざまだと思います。

 

ただ 実際に 自殺してしまった以上 この記述は

 

批判の対象になっても しかたがないものになってしまいました。

 

しかし 先生には 感謝しているという記述もあり

 

他の全ページをよく読み 日常での二人のやり取りを

 

よく調べないと 分からないことです。

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いじめの芽をつんで減らしていけ1

本(下巻①)にも書きましたが いじめられている子供は 

 

基本的に 親や教師に いじめを 知られたくありません。

 

自分のプライドもありますが それぞれに 理由があります。

 

しかし 教師が いじめの事実を 知ってしまったならば

 

何かの手を 打たなくては いけません。

 

最近起った 中2 飛び込み自殺のように 

 

明らかに 死を考えていると 分かる言葉があれば

 

真剣に 取り組まなくては 手遅れになってしまいます。

 

今回は それを 怠ったため 最悪な結果を 迎えてしまいました。

 

ただ 先生や家族が 知らない方が よい場合もあるのです。

 

それについては いつか 書こうと思っています。

 

いじめによる自殺事件が 発覚すると 世の中に起る現象は 決まっています。

 

お決まりの担任 学校への批判 そして 学校によるアンケート調査と報告会。

 

報道される 報告とは 決まって次のようなものです。

 

いじめの存在は 確認できませんでした。

 

または いじめはあったようですが 自殺との因果関係は はっきりしていません。

 

今後 このようなことのないよう徹底した 指導をしていく所存であります。

 

ご迷惑 ご心配を おかけして まことに申し訳ございませんでした。

 

僕だけではなく ほとんどの人は 繰り返される

 

同じような 答弁に うんざりしていると思います。

 

世間や保護者からは いじめを 明らかにし

 

いじめを行った生徒達に しっかりした 指導ができていれば

 

被害者を 守れたはずだ。

 

我が子を 守るためにも 徹底した調査をし

 

もっと 厳格な指導をすべき と 学校批判が始まります。

 

中には 被害者の親に対しても 親のくせに 子供のSOSに

 

どうして気づかなかったのだ と批判する人も出てきます。

 

学校側からしてみれば いじめをする子供に育てて

 

入学させたのは あなたたち。

 

このような子供がいなければ 問題は起きていない。

 

それを 学校のせいにされても どうしようもない。

 

指導しても いじめは 目の届かない場所で 行われている。

 

また 指導しても 退学させない限り やめない生徒もいる。

 

結局 いじめの原因は 家庭にある。

 

そう 思いながらも あまり それを 世間に言うと

 

バッシングを もらいそうなので

 

高校は 中学の指導が悪い 中学は いや 小学校の指導が悪い

 

小学校は いや 幼稚園での 指導が悪いと 責任のなすりつけあいが

 

始まります。

 

そして 最下層の 幼稚園の先生は やっぱり 家庭での しつけが

 

なっていない 過保護で甘やかしすぎと 嘆きます。

 

結局は めぐりめぐって 同じ場所に戻ってくるだけです。

 

そして 少し収束したかと 思っていると

 

また 同様の事件が起るのです。

 

保護者側からすれば いつになったら いじめはなくなるのだ!

 

いつになったら 平和で 安全な 学校社会が

 

日本に 構築されるのだ?

 

いじめ撲滅に 学校が 真剣に取り組めば

 

いじめは なくなるはずだ。

 

こんな 疑問と意見を持ち いじめの現状に

 

腹を立てているのなら

 

一生 満足する答えには 出会えないと思います。

 

どちらも 悪いのです。

 

-続く-

  

 

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いじめの芽をつんで減らしていけ2

いじめの芽は 家庭で生み出されます。

 

そして 雑務などで多忙を極め

 

生徒と向き合う余裕がなくっている学校は

 

その芽を 成長させてしまう場と 化しています。

  

ですから 日本国民すべてが 真剣に取り組まない限り

 

今のままの子育て 教育体制が続く限り

 

いじめは 本当の意味で 減っていかないのです。

 

多くの子供達が 抱えている 葛藤を考えると 

 

現状で 減っていくとは 考えにくいと 僕は感じています。

 

調査の結果 減ったように 見えたとしても

 

いじめとは やはり 影で行われるものです。

 

それだけ 狡猾陰湿になり 水面下で

 

行われるようになったことを 意味しているのだと 感じます。

 

学校によっては いじめを減らすために

 

先生からではなく 子供達に話合いの場を持たせたり 

 

いじめパトロール隊を作ったりして

 

それなりの効果を得ているもあるようです。

 

しかし 撲滅はしません。

 

パトロール隊も 正義の味方=パトロール隊

 

悪者= いじめっ子 という 集団意識につながって

 

僕個人は 好きではありません。

 

子供達を 信じていないというのではなく 

 

こういう世界では チクリ合い 変な正義感からの連絡網が 

 

必ず 発生します。ですから 行き過ぎないように

 

きちんと 見守ってあげていなくては いけないということです。

 

 そうでないと いじめの芽を つぶしているようでいて

 

中学 高校で 始まる 陰湿な芽を 育ててしまいます。 

 

いじめは 僕が生れる前から ずっとあり まずなくなりません。

 

1つの いじめがなくなっても 新しい いじめが 必ず 発生します。

 

僕は 長年 子供達を 見てきて 気がついたことが ありました。

 

心に 怒りを抱えている生徒が 年々 増えてきているということでした。

 

授業中や放課後 彼らと 話しているうちに 家族に対する

 

怒りを 持っている生徒が 増えていると 分かったのです。

 

たとえば こんな 会話はよくありました。

 

何年も前の会話ですが 年々 このような会話が増えていったのです。

 

A「 先生 俺 学校では けっこう いい生徒でしょ。

 

でも 家に帰ってからは 別人なんですよ。信じられます? 」

 

反対に

 

B「 俺 学校では 扱いにくい生徒でしょ。

 

けっこう いろんな先生に 目をつけられてるって

 

分かるんです。でも 家に帰ってからは すごくいい子

 

やってるんです 」

 

僕「 ふ~ん 二人とも なんで 学校と家じゃ 

 

そんなに 違うんだよ? 何か目的でもあんの? 」

 

彼らの答えは 違っているようでいて 同じものでした。

 

-続く-

  

 

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いじめの芽をつんで減らしていけ3

A「 帰ると 親がうるさいんですよ。

 

ちょっと テレビ見てれば あと30分したら

 

勉強しに行きなさいとか 飯食べていても 部活

 

もっと少なくして 塾行けとか そういうことばっかり。

 

まあ 俺の成績が 中くらいだからってことが

 

理由だって 分かってるけどさ。

 

でもさ 先生 そりゃ もの足りないだろうけど

 

俺だって 頑張ってるつもりだよ。

 

だけど とにかく もっと 頑張れって。

 

俺が 頑張ってるって言うと そんな成績で

 

どこがってさ。そんな時は 何もかも

 

やめたくなりますよ。

 

とにかく 俺が帰ってから 寝ることまで 

 

いちいち 指示出すんです。

 

だから うざくって いつも 家じゃ

 

むかついた態度とってる。

 

すると さらに 何か言ってくるんです。

 

だから 学校の方が 気が楽ですよ。

 

それに 学校で何かあれば ますます

 

うるさくなるでしょ。そういう気持ちもあるから

 

いい子にしてる 」

 

僕「 どっちの親も 同じように うるさいのか? 」

 

A「 オヤジは 遅いから 主に母ちゃんだけど

 

オヤジが 口開くと もっと偉そうに言うから

 

ほとんど 口きいてないすよ 」

 

僕「 いつごろから そんなに うるさくなったんだ?

 

おまえ 何かしでかしちゃって それからって ことないか? 」

 

A「 いや ないです。 ちっちゃいころから 何でも

 

あんたのためだからって。いちおう こっちも 期待に

 

こたえなくちっゃて 頑張ってきてはいるんですが

 

限界があるじゃないですか? 」

 

僕「 限界? 能力的なものか? 」

 

A「 も あるけど 何ていっても 本当は 

 

俺が やりたくないものを もっと頑張れとか

 

お母さんは こうする方がいいと思うから

 

そうしてとか もうどこまで やればいいってんだって

 

むかつくんです 」

 

僕「 やりたくないって 言えないのか? まあ 子供からしたら

 

言いにくいわな。 おまえら いい子だな~ 」

 

B「 そこまで分かってるなら 先読みして 俺みたいに

 

してればいいのに。俺も 昔は そうだったんだけど

 

今は 親の話 適当に聞き流して 先読みして 動いてるから

 

さほど 居心地 悪くないよ 」

 

A「 そうかよ 俺には 無理そうだな~。 俺なら 爆発すんな 」

 

僕「 おまえ達 大変なんだねぇ~。どうやって ストレス解消してんだよ 」

 

A「 やっぱ ゲーム と 部活かな? 」

 

B「 ただ 部活も 顧問が あれこれ 何でも 自分で決めて 

 

やらせられると むかつく。結局 家と同じじゃね。

 

息がつまりそうですよ 」

 

僕「 じゃ 結局 ゲームか? 」

 

A「 あと 日曜の 爆睡 と コミックかな  」

 

B「 そう それ!  好きなだけ眠れるし 親も疲れてるし

 

 ちょうどいい 」

 

-続く-

 

  

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いじめの芽をつんで減らしていけ4

A「 俺 いま ブリーチ(BLEACH)に はまってんだけど

 

おもしろくねぇ? 」

 

B「 俺も 読んでる ゲームも やってる  」

 

僕「 何だ? どんな 漫画? 」

 

A「 ゲツガテンショウですよ! 先生 」

 

B「 俺は センネンヒョウロウの方がいい 」

 

僕「 わ、分からん。 センネンヒョウロウって 戦国武将の話か? 」

 

A「 全然違う。死神代行の話ですよ 」

 

僕「 ますます分からん 今 持ってるか? 」

 

A「 持ってます。 先生 貸してやりますよ。 読んで下さい 」

 

僕「 あっ 没収~(笑) おう 悪いな 明日返す。読んでみる。

 

それにしても おまえ達 すでに 企業戦士みたいだな。

 

月曜日 つらいだろ? 」

 

A「 つらいすよ。でも 他にも 妙に 学校で

 

イライラする日もあります。なくね? 」

 

B「 確かにあるな。親とケンカした 次の日とかね 」

 

A「 俺さ ◎◎っていますよね。そういう日 あいつ見てると

 

何か むかつくんですよ 」

 

僕「 ◎◎って どこどこの席に 座ってる奴だろ 」

 

A「 そうそう あいつ! あの弱っちそうな奴。

 

何かとろくて 見てると イライラするんですよ 」

 

B「 分かる 俺も 機嫌悪い日は あいつ見ると

 

何でか むかつく。だから 見ないようにしてる。

 

見てると いじめたくなるから 見ないようにしてる 」

 

A「 あいつ 俺らが こう思うんだから いつか

 

誰かに いじめられんじゃねぇ? 」

 

僕「 おいおい そんなこと あいつに対して

 

思ってんのかよ。なんで むかつくんだと 思う? 」

 

A「 とにかく とろいんですよ。体育でも ろくに

 

ドリブルもできないし 」

 

僕「 えっ そんなこと? 俺も あんまり ドリブル

 

うまくないぜ。バスケットボールなんて あんまし 触ったことないしな。

 

そんなことで むかつかれても困るぜ。いい迷惑だ。やめろ 」

 

B「 まあ そうすね。でも 先生達に ノートきちんと

 

出せとか やることやってないで 叱られてるの見ると

 

何でか 超むかつくんですよ。ちゃんと やれって 」

 

A「 休み時間も いるかいないか 影うすいよな。

 

俺 あいつが 誰かと しゃべってるの 見たことない。

 

オタクっぽくね 」

 

僕「 そんなことで いじめたり すんなよ。

 

あいつ 面白いぞ。しゃべらせると どんどんしゃべるよ 」

 

B「 そうですか 先生 話したことあんの? 」

 

僕「 あるよ。あいつも ゲーム好きで PS相当

 

やってるらしいぞ。俺は ゲーム やったことないから

 

分からなかったけど 話し始めたら 止まらなかったぞ。

 

PSでバンカイして 遊んでるとか 散れ 何とか桜とか

 

5分くらいは いろんな 名前スラスラ言って すげぇ

 

記憶力だ。生物に これだけ 興味 持たせられればなって

 

思ったよ 」

 

-続く-

 

 

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いじめの芽をつんで減らしていけ5

A「 先生 それだよ それが ブリーチ! 」

 

僕「 はぁ? 何が? 」

 

A「 バンカイ チレ センボンザクラカゲヨシですって 」

 

僕「 ???・・・」

 

B「 そうか あいつ PSでブリーチ やってんのか。

 

今 俺も PSでブリーチやってて 行き詰ってんですよ。

 

あいつなら 何か知ってそうですね 」

 

僕「 PSで ブリーチで 行き詰ってる? 何で

 

行き詰るんだよ? 」

 

B「 うわっ! めんどくさ。 対戦するんですよ。

 

今度 見せてやりますか?」

 

僕「 いい 持ってこなくていい。あれか?

 

ドラゴンボールの 戦わせる奴みたいなもんか? 」

 

B「 そうそう それのブリーチバージョンみたいなもんです。

 

いろんな 必殺技あるんですよ 」

 

僕「 ふ~ん。センボンザクラって 強そうじゃないじゃん。

 

結構 すごい 必殺技なのか? 」

 

A「 まあまあですよ。なぁ 明日 一緒に あいつに

 

 話しかけてみようぜ 」

 

B「 いいよ 面白そうだな 」

 

僕「 そうしな きっと 面白い奴だって 分かるから。

 

おまえらが 友達になれば いじめられるなんてこと

 

なくなるし。俺も そうして欲しいしな。

 

( その後 三人は とても 仲良しになったようでした )

 

なあ そのセンボンザクラって 今借りた 本に載ってる? 」

 

僕は 借りたコミックを出して 聞いてみました。

 

AとBは コミックを めくって

 

A B「これ これですよ 散れ 千本桜 景厳

 

かっこいいすよね。この技 」

 

僕「 これかぁ~ どういう技なんだよ。バンカイって

 

こう書くのか だいたいが 卍解(バンカイ)て 何だよ?」

 

こうして 生徒から ブリーチについて いろいろ 知識を得た 僕でした。

 

A「 家の親もさ こうやって 話聞いてくれれば

 

いいのにさ。そうすりゃ 楽しいと思うけど。

 

こういう話は どうでもいいみたいなんだよね。

 

成績に関係する話でないと 耳貸さないんですよ。

 

小さい頃から ずっと そんな感じだったけど

 

小6くらいから 特に うるさくなってきた。

 

中学入試があるでしょ 」

 

B「 家も それに近いよ。俺は さっき言ったみたいに

 

なるべく話合わせて 聞き流してるけど ほとんど 

 

自分の希望ばっかりだよ。そのくせ こっちの話は

 

聞いてない。自分の希望と関係ない話は あっちも

 

スルーしてんだなって 分かるもん。

 

だから 家の母ちゃんなんか 俺が話したことのうち 

 

半分近くは 聞いていないんだと思うよ。

 

そのくせ 自分の言うこと こっちが 聞いてないと

 

ヒステリー起こすんだよね。

 

そういう時は さすがに

 

嫌になるよ。もういいかげんにしてくれって 」

 

-続く-

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いじめの芽をつんで減らしていけ6

僕「 そっか 家が くつろげる場所じゃないんだな。

 

ゲームで 心のバランスをとってるなんて 聞いていて

 

俺 辛くなるね。そんなに 母ちゃんうるさいのか? 」

 

A「 まあね。マジにウザい。だけど いい母ちゃん

 

なんですよ。それは 分かってはいるんです。

 

毎日 きちんと 弁当もつくってくれるし 感謝してるんです 」

 

B「 そっ それはある。でもさ 何かあった時 

 

今まで誰のおかげで ここまで来れたのって ずるくねぇ~。

 

お母さんだって 仕事があるの 前の日 遅くても きちんと

 

お弁当作ってきたよね。どうしてだと 思う? とかさ 」

 

A「 あるある 水戸黄門の印籠みたいに 出すんだよな。

 

あんなこと 言われたら 子供 反論できっこないじゃないですか。

 

お父さんだって おまえに 頑張れって きつく言うのは

 

おまえのためを 思うからこそだよ。

 

この競争社会で 生き残って 欲しい親心なんだよ。

 

家族だから 言ってくれるのよ。

 

隣の家の人だったら 言ってくれないよ。

 

そして お父さんも私も おまえのためだから

 

頑張ってるの。でも家族って 皆が頑張らなくちゃ 

 

家族でいられないのって 言うんだよな。

 

息苦しくなっちゃうよな。何か 俺が ものすごく

 

悪いことしてるみたいじゃん 」

 

B「 そうだよな こっちからしたら 勝手につくっておいて 

 

最後は それかよって むかつくけど そこは ぐっと おさえてる 」

 

僕「 偉いねぇ~。おまえらの方が 大人だな。きっと おまえ達の

 

親もそう言われて 育ったんだろうな 」

 

A「 先生も 言われたこと あるの? 」

 

B「 ああ 普通の家庭よりは 少ないだろうけどあるよ。確かに

 

 むかつくよな 」

 

このあとの 話はまたの回に書くこととして

 

僕が ここで言いたいのは 彼らの怒りの正体が何で

 

どうして◎◎に イラつきを 感じたかということです。

 

彼らの心の中で 怒りを 生み出しているのは

 

「 認められていない 」と感じている 無意識です。

 

いじめとは 要するに 心に葛藤を持つ 人間が 

 

自分より弱い人間を 見つけ出し 

 

理由なく 一方的に 攻撃することです。

 

目的は 自分のアイデンティティー(自己の存在証明)

 

を得ることです。

 

-続く-

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いじめの芽をつんで減らしていけ7

いじめをする子供の 欲しがっている

 

アイデンティティー(自己の存在証明)を

 

簡単に表現すると こう自己満足したいのです。

 

「 やっぱり 僕(私)って すごいんだ 」

 

( この自尊心は ある意味間違っているのですが

 

その 間違いに 僕が気づいたのは 僕が 3年生でした。

 

下巻①に書きましたが また いつか 書こうと思います  )

 

でも この潜在意識は 誰の心にも

 

存在しているものだと 思います。

 

この潜在意識は 本来であれば 親が子供の話に 耳を傾け

 

同調し 認め ほめてあげることで 満足するものです。

 

しかし 丸の内線で見た母親や A Bの親は これをしません。

 

それどころか 自分の期待にこたえないと 子供に ダメ出しをしています。

 

その結果 子供の中に 

 

「 僕(私)って ダメな存在。弱い存在? 嫌だ こんな気持ち! 」

 

という 負の潜在意識が 生れるのです。

 

丸の内線で見た母親や A Bの親に似た親が 多くなって来た現代

 

この潜在意識が 飢えた状態で 学校に入学してくる

 

生徒が多くなってきたのです。

 

この飢えた潜在意識は「 強い自分の認識欲求 」とも

 

言い換えることができると思います。

 

この意識が 弱い人間を 発見する嗅覚は 狡猾で 鋭いものです。

 

無差別通り魔が 錯乱状態と いいながらも

 

必ず 自分が勝てそうな人間を 襲っていくが如く

 

正確に 弱い奴に 狙いをつけるのです。

 

だから とても 狡猾なのです。

 

気の弱そうな奴はいないか? 普通と 違っている奴はいないか?

 

と 触覚を伸ばします。 

 

それらしき 相手を 見つけ 自分達が 攻撃してもよいという理由を

 

少しでも 見つけると ここぞと 攻撃を開始するのです。

 

さらに たちの悪い奴らだと

 

一度 撃退されても 仲間を集めて 再攻撃していくのです。

 

この仲間を集めて 集団でいじめるという点が

 

僕らの時代のいじめと 少し違ってきた所だと 感じています。

 

A Bが ◎◎に イラつきを感じたのは

 

◎◎の姿に うまくやれないで ダメ出しを

 

もらっている 自分自身を 見ていたからなのです。

 

◎◎のとろさは 克服したい自分自身なのです。

 

昔は 正義感の強い子供が いじめを止めに 入りましたが 

 

今は こういう子供が いじめの 対象にもなっています。

 

正論を主張する 強い相手も 徒党を組めば 倒せることを

 

狡猾な 心は 感じ取っているのです。

 

正論を 主張する生徒以外は  自己中心的な親に

 

言い返せないできた自分と 同類であると

 

直感で分かっているのです。

 

-続く-

 

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いじめの芽をつんで減らしていけ8

周りが 正論を言う子に  同調するためには

 

ハードルがあることを 身を持って知っているのです。

 

ハードルを越す前に こちらから つながっていけば

 

彼らは 楽な自分達側につくという 計算高さを持っています。

 

たとえば 三人で いじめをしている所に

 

正論を ぶつけて 批判するものがいれば

 

三人は 面白くありません。

 

このままでは せっかく 得られそうな

 

「 自分達は強い 」を 得られなくなってしまいます。

 

彼らにとって この相手は 自分を押さえつけてきた

 

仮想の親でもあるのです。

 

親に対しては 恩義もあり 逆らうことに

 

ためらいを 感じます。

 

そして 勝てる見込みは ほとんど ありません。

 

しかし 赤の他人なら 思い切って それができるのです。

 

彼らは手を組みます。

 

そして 一人では何もできないくせに

 

正しいことを言った強い人間を 懲らしめることで

 

「 より強い人間  」を感じ 満足するのです。

 

しかし もともとは 弱い人間です。

 

環境が変われば 自分を気に入らない 人間が出てきて

 

自分より自己主張が 強い場合は 簡単に立場が逆転します。

 

ターゲットになり 泣き叫びます。

 

この 泣き叫びは 本来ならば 学びの場になります。 

 

いじめは 人の心を傷つける行為だから してはならないと 気がつき

 

やらないと 誓うことで 心が成長していくはずです。

 

でも そういう 反省を 彼らはしません。

 

自分に対するいじめが 終われば

 

また いくらでも いじめる側に 回れるのです。

 

小さい子供は どんな時に反省するでしょうか?

 

殴って 鼻血を出させてしまった。

 

親「 ケガをさせて いけない子。人を傷つけることは 

 

どんな理由があっても よくないこと。謝って来なさい。

 

お母さんも行くから。おまえのせいで 謝らなきゃならない

 

お母さんの身にも なってちょうだい。まったく しょうがない子ね 」

 

子「・・・・・・」

 

→ 反省しません。

 

親「 相手は鼻血出るくらいだから 手痛かったろ。 手は 大丈夫かい? 」

 

子「 えっ? ( 自分が ケガを心配されるくらい相手に

 

 痛いことをしたと 気がつきます ) 」

 

親「 どうして なぐっちゃったの? 理由があるんだろう。

 

聞いてあげるよ。気持ちが楽になるよ。話してごらん 」

 

子「 あのね・・・・だからね ・・・僕 悔しくって・・・ 」

 

親「 そう・・・・そう・・・悔しくて 我慢できなかったんだね。

 

・・・でも 殴られた子も 痛かったね。おまえも 血出たら 痛いだろ・・ 」

 

→ 反省します。

 

子「 うん 痛い。 △△ちゃんに 悪いことした 」

 

親「 きっと 謝れば その子と また 仲良く遊べるよ。

 

謝りに行こうか。なんなら お母さんも一緒に行ってあげるよ 」

 

子「 うん 大丈夫。一人で 謝れる 」

 

-続く-

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いじめの芽をつんで減らしていけ9

コミックを数冊 万引きした

 

親「 万引きは 父さんもしたことがある。

 

実は 万引きを やったことがある人は多いんだ。

 

だから たいしたことないけど 泥棒の始まりだぞ。

 

でも 皆 反省して やらなくなっている。

 

おまえも 反省して もうやるな。

 

皆 そうやって 大人になっていくんだ 」

 

→ 反省しません。そして 万引きは 本当に悪いことだと

 

 教えていません。( 信じがたいですが こういう親 結構います )

 

親「 お父さんも 昔やっちゃったことがある。

 

それ 換金するのか? それは いい金儲け 方法だな。

 

これから もっと 盗みに行こうぜ。

 

お父さんの 大きな バッグに入れよう。50冊ぐらいは 入るぞ。

 

大もうけだ。ただ捕まったら お母さん 一人ぼっちになっちゃうな。

 

そうだ! お母さんも 誘っちゃおうか?

 

そしたら 100冊くらい 盗めるから 大金持ちだ。

 

すぐに 換金して 焼肉でも 食べにいこう。

 

でもそのあと ずっと 牢屋の中だし 

 

出てきても 泥棒家族って 言われちゃうな。

 

でも 見つかんないか? 

 

そうだ! 盗んだら 逃げちゃえばいいんだ。

 

皆でリュック背負って ついでに 家で一番でかい

 

旅行カバンもって行こう。 盗んだら海外に逃げちゃえばいい

 

よし 一緒に 物置から 出してこようか 」

 

→ 反省します。

 

子「 だめだよ そんなことしたら 皆 見つかって

 

逮捕されちゃうよ。お父さんも お母さんも 捕まっちゃうよ。

 

僕 もうやらないから お父さんも お母さんも やらないで 」

 

親「 どうして コミック 盗んじゃったんだ。 

 

お小遣いが 足りなかったからか? 」 

 

子供「ううん ◎◎ちゃんが 持っていて 僕に自慢したから

 

悔しくて 」

 

親「 そうか 欲しくて 盗ったんじゃなかったんだね。

 

でも 本屋さん とても 困るね。それに やっとお小遣い

 

ためて このコミック買いに来たのに なかったら

 

その人 ガックリだね 」

 

子供「 うん 悪いことした。返しにいく。ついて来てくれる? 」

 

親「 偉いなぁ~。勇気あるよ。間違ったら 反省して 謝ることは

 

大人でも なかなかできないことなんだよ。

 

お父さんうれしいな。いつでも 味方だよ。一緒に行こう。

 

そんなことできる おまえは お父さん お母さんの 誇りだ 」

 

このように 子供が 反省するのは 

 

親が きちんと 子供の行動の 理由を 聞いてあげているからです。

 

親が 自分中心の 叱り方をし 子供が どうして そうしたかを

 

聞いてあげて いなければ 子供の反省センサーは 作動しないのです。

 

話しを聞いてあげないで 育った子供は

 

いじめる側から いじめにあう側に 回ってしまったとしても

 

自分の辛さだけにしか 気持ちが いきません。

 

いじめられている 自分のふがいなさだけしか 心に残りません。

 

自分の置かれている立場を 他人に置き換えて

 

他人の気持ちを 汲み取ることが できないのです。

 

だから 再び いじめる側になった時

 

そのふがいないなかった 自分への憎しみも

 

付け加えて いじめを 行うのです。

 

ですから A Bの心の中には いじめの芽が

 

すでに あるわけです。

 

これは A B の家庭で つくられたものです。

 

小さな子供達は 自分の話をもっと 聞いてもらい

 

親と 楽しく 触れ合いたいと 思っています。

 

子供達の話は 大人にとって どうでもよいことも 多いと思います。

 

自分達だって そうだったことを 思い出しましょう。

 

「 鼻くそ 食べちゃった  」

 

「 鼻くそで 切手 はっちゃった 」

 

とか 馬鹿げたこと 言っていたはずです。

 

子供達の目線でよく聞き その上で 正すべきことは

 

正していくのでなければ 子供は 親の言葉に対して

 

心を開きません。

 

たとえ 正しいことであっても 親の身勝手な言葉と

 

とらえて 反省しないのです。

 

自分の気持ちを 汲み取ってくれ 自分の話を聞いてから

 

ことの善悪を 教えられるのではなく

 

その時の 親のエゴに振り回されてきた

 

子供の心には 自制心がうまく働かないのです。 

 

各家庭で 親の希望を 押しつけず

 

子供の話を 聞いて あげること。

 

自分が勝手に抱いている 子供へのイメージと

 

違った話をしてきても 聞き流さないこと。

 

子供の目線になって 楽しんで聞いてあげる事。 

 

子供の遊びを 一緒にして触れ合うこと。

 

失敗を させてあげること。

 

その時 やさしく 励ましてあげること。

 

これらをして 

 

健全なアイデンティティー(自己の存在証明)

 

をもった子供を 育てていくことが

 

いじめの少ない 社会をつくっていくのに

 

最も効果があり 近道だと 僕は感じています。

 

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デスノート1

皆さんは 怒りで 自分が 燃えている時の臭いを 嗅いだことがありますか?

 

人間は 憎しみと怒りに 我を忘れた時 きな臭い毒気を放つのです。

 

憎しみと怒りが放つ まさに悪臭です。

 

僕は中巻① 神様って何? に書いたように 怒り心頭に達した時

 

病院の裏山に行き 怒りを爆発させていました。

 

今思うと この行動は とても良かったのだと 思います。

 

怒りをため込みすぎると 人間の心は 魔界で暮らすようになるからです。

 

しかし 病院の裏山に行き 怒りをぶちまけていたにもかかわらず

 

僕は数度 この悪臭を放ち 魔界へ 足を踏み入れていたのです。

 

いじめが始まった当初 同級生を信じていました。 このクラスには

 

僕を嫌っている相手は いないのだと 信じていました。

 

しかし 残念なことに 同級生達への 猜疑心は 生まれてしまい

 

猜疑心に 苦しむことになりました。

 

猜疑心が生れた理由は いつの間にか 書き込まれている ノートへの

 

落書きでした。

 

全ページに 殴り書きされた 生きていることを 否定する 数々の言葉は

 

僕の心を 大きく傷つけました。

 

文字自体から 悪意が プンプン 臭っていました。

 

「 早く死ね! 」「 ミミズは くさすぎる 」

 

「 はきけのする顔 」「 生きている価値なし 」

 

殴り書きされた言葉は 映像として焼き付けられてしまい 目を閉じても

 

現れ 顔をゆがめました。

 

この嫌がらせは だんだんエスカレートしていき 殴り書きの他に 

 

つぶれたミミズ バッタ 雨ガエル ハチ クモなどが 挟み込まれるように

 

なっていきました。

 

「 今日 おまえの 友達が死にました なぜでしょう? 」

 

「 言うことを きかない お前の代わりに お仕置き しておきました 」

 

僕の心は 言葉にならない 悲しみ 罪悪感 憎悪で はち切れそうでした。 

 

後に やはり 犯人は 同級生ではなかったと分かり 猜疑心は

 

晴れて行きました。それでも しばらくの間 今度は 同級生が

 

書くのではないかという 恐怖に苦しめられたのでした。

 

-続く-

 

 

 

 

 

 

 

 

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デスノート2

さて 時々 生徒が 生徒を 殺害する事件が発生します。

 

人は 加害者を異常と言い 僕も 加害者は 異常な心理状態にいたと

 

感じます。ただ 普通の人とは 違い 少し複雑な思いも しています。

 

異常ではあるが さほど その心理状態に 驚いていない自分がいるのです。

 

なぜなら 新幹線焼身自殺のブログで 書いたように

 

僕の心は 彼らと同じ 魔界にいたことがあるからです。

 

僕は ある時期 いじめを行ってくる相手に 強い殺意を抱きました。

 

この時 僕は 自分の体から きな臭い悪臭が していることに

 

気がついたのです。

 

僕の心が 魔界に入るきっかけは 次のようなものでした。

 

ある日 落書きされた ノートに また ミミズやバッタなどが

 

はさまれていました。

 

学校の帰り道 彼らを 弔ってやるために 少し遠回りをしました。

 

K町には 学校前のお寺の他に いくつか お寺がありました。

 

僕は 殺された ミミズ達を 少しでもきちんと 弔ってあげようと

 

お寺の境内端に埋めてやっていたのです。

 

学校前のお寺では 発見されやすいので いつも 少し遠回りですが

 

人気のない お寺の 境内に埋めてやっていたのでした。

 

ところが そんな僕を いつからか 彼らは尾行していたのです。

 

下駄箱で 彼らがいないか 気をつけて 下校していたつもりだったのですが

 

僕の行動は 彼らに 知られてしまっていたのでした。 

 

ノートから ミミズ バッタ クモを取り出し 土を掘っていました。

 

穴を掘ることに 一生懸命になり 背後から 近づいてくる 彼らに

 

気がつけなかったのです。

 

突然 襲われ 組み伏せられた僕は 埋葬しようとしていた ミミズ達を

 

無理やり 食べさせられたのです。

 

-続く-

 

 

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デスノート3

いじめと 簡単に言いますが 彼らのやってくることは もうすでに 

 

からかいの域を 超えていました。

 

犯罪以外の 何ものでも ありませんでした。

 

僕は それまで 彼らに対して「 死ね 死んでしまえ!」と

 

毎日のように 思っていました。

 

しかし この事件で 僕の心は 怒りの臨界点を越し 魔界に

 

入ってしまったのです。

 

「 殺してやる。思い知るがいい。こっちから 殺してやる 」

 

彼らを 思い浮かべると きな臭い悪臭が 体から漂いました。

 

この魔界から 僕を救ってくれたのは 虫たちの声であり 

 

これから 紹介する 「 死ね 殺すノート 」でした。

 

このノートは 今風に言えば「 デスノート 」です。

 

僕は 隠れ家で 落書きされたノートを 細かく破りながら

 

「 おまえ達が こんな殴り書きをするのなら 俺だってやってやる。

 

呪い殺してやるんだ 」

 

こう思ったのです。

 

僕は 厚めのノート一冊と 濃い鉛筆を 買い込みました。

 

そして 病院の裏山で 殺意を込めて 彼らへの 怒りの言葉を

 

書き込んだのです。

 

名前の分からない相手も 多かったのですが 

 

「 俺に これこれをした おまえは 死ぬ 」

 

「 殺す おまえは もうすぐ死ぬ ざまぁみろ 」 

 

「 死ね このヤロウ 殺す 殺す 」

 

などと どんどん 書き込みました。

 

彼らを思い浮かべ 憎しみで 心が燃え上がった時 一気に 殴り書いて

 

いきました。

 

このノートと鉛筆を ビニールに入れ 保管場所を作り 裏山に隠しました。

 

次の日から このノートへの 書き込みは続き 一冊目のノートは 

 

あっという間に 終わりました。

 

僕は 新しいノートを買い 「 死ね 殺すノート 」と名づけた

 

このノートへの 書き込みを 続けたのです。

-続く-

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デスノート4

 

二冊目も 数日で 書き終わりました。

 

また 新しいノートを買い 裏山に行く時 僕の心は 躍っていました。

 

ノートの中で 彼らを殺すことが 楽しくて しかたがなかったのです。

 

僕は 同じ相手を 何度も 何度も 殺しました。

 

ある時は 彼らが 無残にも 殺した 虫達に 食べさせ 殺しました。

 

ある時は 焼き殺し またある時は 殴り殺しました。

 

刺し殺したり おぼれ殺したり 毒蛇に噛ませたり 思いつく あらゆる

 

殺し方で 殺したのです。時々 スケッチまで 書き込みました。

 

正常な 精神状態の時は こういう負の妄想をすると 

 

疲れてしまったのですが この時は 元気が出てきたのです。

 

この時の僕は 魔界にいて 負のエネルギーを出すほど 喜びを

 

感じていたのです。

 

このノートは どんどん たまっていきました。

 

しかし 何冊かたまっていくうちに 僕の心に 変化が起きてきたのです。

 

最初の頃は 文字を書き込んだり 書き終えたノートを開き 書き込んだ

 

文字を見たりすると 喜びを感じていました。

 

文字の中に 自分の憎悪が こもっているのを 感じました。文字の恐ろしさを

 

感じながらも その力で 奴らは 死ぬんだと 僕はうれしかったのです。

 

僕は これまで 体を動かし わめき散らすことで 怒りを発散してきました。

 

だが それでも 吐き出しきれていない 強い怒りが あったことを

 

このノートは 教えてくれました。

 

吐き出そうとしても 心の中に ぴったりとくっついて 出て行かなかったのです。

 

その強い怒りが 憎悪の文字に乗り移り ノートへと 存在場所を

 

変えていったのです。逆に言うと このノートのおかげで 残っていた怒りも

 

吐き出すことができたわけです。

 

ところが 数冊目になった時 このノートの文字を見るのが 嫌になって

 

きたのです。

 

ついには 最初に 書き込んだノートを開いたとき ノートから放たれる 

 

悪気 魔臭気に 嫌悪し ノートを 投げ捨てるまでになりました。

 

五冊目になった時 ついに 僕の手は止まりました。

 

怒りが湧いてこなくなったのです。

 

そして たまったノートを見た時 悲しみだけが 感じられました。

 

「 この悲しみだな この悲しみが 僕なんだな  」と 分かりました。

 

ノートを重ねて持つと とても 重く感じられました。

 

「 重い! これは 憎しみの 重さなんだな。辛かったな こんなに怒りを

 

作り出し 怒りに 包まれていたなんて 息苦しいわけだ。頑張って来たよな 」

 

と 自分に言いました。

 

僕は 家に帰ると 小さいスコップとマッチを持ち出し 再び 病院の裏山へ

 

行きました。裏山に着くと いつもより 奥に入り 土を掘りました。

 

結構深く 50センチほどは 掘ったと思います。

 

最初のノートに マッチで火をつけました。

 

ノートは勢いよく 燃え出しました。

 

オレンジ色の炎の中で 黒く燃えた部分の所々に

 

赤い炎が浮かび あがりました。

 

黒と赤は まるで 生き物のように動いて

 

うねりながら 広がっていきました。

 

 

その動きは マグマが うごめいている様子に 似ていました。

 

-続く-

 

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デスノート5

書き込んだ文字が うめき声を上げて 黒いススへと 変わっていく

 

感じがしました。

 

僕はじっと その様子を 見ていたのです。

 

怒りの断末魔を 見ている気がしました。

 

半分ほど燃やすと その火で 次のノートに 火をつけました。

 

僕は 火がついた二冊のノートを 穴に投げ込みました。

 

二冊は メラメラと 大きな炎を上げて 燃えていました。

 

その火で 三冊目に火をつけ 二冊の上に 落としました。

 

炎はますます 大きくなり 燃えて 黒くなった紙が

 

ひらひらと 舞い上がっていきました。

 

僕の心は それを見て 軽くなっていきました。

 

怨念のこもった文字が燃えて 消えていくことで

 

彼らに対する 憎悪がなくなっていく 感じがしたのです。

 

五冊すべてが 燃えるまで 生き物のように燃え広がる 赤と黒

 

そして 舞い上がっていくススを 交互に眺めていました。

 

すべてが 燃え尽きると 穴には 真っ黒い 燃えカスだけが 残りました。

 

「 消えてなくなった。さようなら 」 

 

僕は 燃えカスに こう言うと 燃えカスに 土をかぶせ 穴を埋めたのです。

 

不思議なことに 僕の心は 魔界から 普通の世界に 戻っていました。

 

僕は上巻 名前の項で 心の中身の出し入れは 簡単にはできないと書きました。

 

しかし この時 この方法なら 心の中にたまった 悪い思いを

 

吐き出させることができると 思いました。

 

このデスノートをつくり 燃やす方法は ため込んだ怒りを

 

吐き出させる方法としては 良い方法でした。

 

気持ちが悪い 呪い術のような 方法でしたが 効果がありました。

 

始めたきっかけは 最悪でしたが 終わってみれば 結果オーライと

 

なりました。

 

もし 僕のように 心が魔界に入り込むようでしたら 是非

 

試してみて下さい。

 

人に見られることもないし 迷惑もかけず 心がすっきりする

 

方法です。手加減してはいけません。思いっきり書くのです。

 

これがポイントです。

 

こんなことを 書く 自分は 本当の自分ではない 

 

こんな怒りは 抑えなくてはいけないと 思ってはいけません。

 

そうした思いが より強く 心の内側に 怒りを へばりつけさせて

 

いたのです。思いっきり 怒りを吐き出さない限り きれいなエネルギー

 

は心に 増えていかないのです。

 

魔界に入り込まないで このノートを 作っていたならば

 

僕の心は これほどまでに スッキリはしなかったと 思います。

 

 僕は 3年生の時 自分を悩ます 憎しみを 消す方法として

 

この「 死ね 殺すノート 」=「 デスノート 」と

 

もう1つの方法を 活用しました。

 

もう1つの方法は 下巻に書いてありますので 手直しが終わり

 

出版されたら お読み下さい。

 

僕は 人を憎んだことや 殺そうと思ったことを 

 

ある時期は 自分のトップシークレットとしていました。

 

しかし しだいに それは 心の中の 秘密領域から

 

どうでもよい領域に 追い出されていたようです。

 

昔 九九が出来ないことを 隠していた人間が 暗算チャンピンになれば

 

「 ああ 僕は 昔 九九すらできなかったよ 」と 平然と 言えるように

 

なります。過去に悩んで 隠していた問題でも 今 クリアできてしまうと

 

過去の辛さは 消えてしまうのです。

 

ですから 今を大切に生きることは 過去の呪縛を 取り除くことにもなり

 

新しい心の秘密をため込む スペースを生み出します。

 

ここに新しい秘密を持てば ますます魅力的な人間になれるということです。

 

-続く-

 

 

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デスノート6

誰の心の中にも 知られたくない秘密の 一つや二つ あるものと

 

よく言います。

 

これだと 秘密=悪いこと みたいな表現ですが 人によってさまざま

 

なのです。たとえば 毎日 100円ずつ ユネスコに寄付していることを

 

秘密にしている人が いるかもしれません。善い事ですね。

 

人にとって 他人に 知られたくないことは それぞれ違うのです。

 

言いたくないことであれば ずっと言わなければよいし 多くの人にとっては

 

言えない事でも 本人にとって どうってことないことで 言ってもよいと

 

思えたなら 言えばよいのです。

 

秘密の中には 息苦しい過去の悩みもあります。その悩みを言えるようになるのは

 

現在 その悩みと 直結している事柄を 解決できているから 自然と言えるので

 

す。過去に守りきれなかった自分を 守れているから 過去の自分も 息苦しい

 

世界から 解放できるのです。 そうでないのなら わざわざ 秘密を話す必要は

 

ありません。また 守りきれなかった自分を増やし 過去の苦しみも 大きくして

 

しまいます。

 

 よく 有名人が 過去について 告白すると 「 衝撃 勇気ある告白を聞け! 」

 

みたいな 見出しが 大げさに 掲げられますが 別段 勇気でもなんでもないのだ

 

と思います。もし 本当は それを 秘密にしておきたいのに 「 皆さんの力に

 

なりたくて 勇気を振り絞って 告白致します 」と 言うのならば

 

僕は 何となく うそ臭さを 感じてしまいます。

 

もっと 自分大切にしたらと思います。本当に その秘密について 悩んできたのか

 

なと感じます。そんな秘密の告白に 他人を勇気付ける力など ないのですから。 

 

  秘密があることは 暗いことでもなければ 悪いことでもありません。

 

むしろ 魅力的なことだと僕は 思います。

 

僕(私)の 秘密教えるから 君の秘密教えて なんて人 たまにいますが

 

殴ってやりましょう (笑)。

 

そんな言葉につられて 言いたくない秘密を 言ってしまうなんて 魅力を1つ

 

自ら 失くしてしまうことになります。 

 

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気づいて! いじめは終わる1

大学時代 心理学を 勉強している友達が こう言っていました。

 

「 自殺を意識することは 健全な証拠。 しかし 理由がなんであれ

 

自殺を考え続けている人間は すでに 死んでいる 」

 

自殺というと 深刻な状況に 追い込まれた人間が

 

考えることと 思われがちですが

 

思春期では 何かの拍子に 自殺を意識することが

 

誰にでもあり すぐ忘れてしまうのだそうです。

 

瞬間的な 死の意識は 健全な 精神作用だが

 

健全な精神状態では 瞬間的に 消去されると 教えてくれました。

 

言われてみて そうかもしれないなと思いました。

 

生命力あふれる人間にとって 自殺という 死の意識は 

 

対極であり 辛くて 意識し続けることは できないのだと

 

言っていました。

 

「 だから 自殺を 意識し続ける状況にいることは

 

相当辛い。自分で自分をだまさないと 辛くていられない。

 

また それを完全に信じてしまうと 本当に死んでしまうので

 

だまされるまいと より辛くなる。錯乱状態に陥るんだな 」

 

この言葉を 聞いた時 とても 納得がいきました。

 

生と死は裏返しであり 人間は心に苦しみが続くと

 

裏が自分の気持ちなんだと 勘違いすることで

 

楽になろうとするのです。

 

つまり 自分をだますことで 楽になろうとするのです。

 

信じられないことでしょうが ひどいいじめを受け

 

耐えていると 生きたいのか 死にたいのか

 

どっちが 本当の気持ちなのか 分からなくなって

 

しまうのです。これは 僕がとても 悩んだことでした。

 

これが いやで いやで早く 楽になりたい

 

とにかく 楽になりたいと願っていました。

 

友達は この状態を 死んでいると 表現していたわけです。

 

-続く-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校行かないから ダメ人間だとか

 

人生の 落伍者だなんてこと まったく ないんだよ。

 

それに 生きていれば 分かるけど

 

2,3年なんて すぐ 取り戻せる 』

 

『 あと 3日で 死んじゃうとするよ。

 

そんな ウンコのある所 行きたいかい?

 

行きたくもないし 行く必要もないよね。

 

今 大切なものを守り抜くことが これからの君を

 

強くしてくれる。今 大切なもの! それこそ 君の命だよ 

 

『 それに 君は もう十分に 頑張っている。

 

そんなウンコヤロウ達のために 命すり減らすなんて

 

もったいないよ。人生には 楽しみが いっぱいあるんだ。

 

絵が大好きなら 1年間 日本中 色々な場所に行き

 

絵を描けばいい。お父さん お母さんと 話して 

 

計画を立ててみればいい。1年間で 何をしたいか

 

来週の週末は ここに行こうとかね。

 

いじめは この先 ずっと続くと 考えると

 

耐えるのが とても 辛くなるんだ。

 

でも 希望を持つと 耐える力が湧いてくる。

 

いじめは 確実に 終わる。希望があるのに

 

ないと思っていたんだよ。

 

さぁ 今日から 学校休んで 何しようか!

 

計画立てようよ 

 

『 宇宙に 君は君だけ。お父さん お母さん

 

 お兄ちゃん お姉ちゃん 弟 妹 みんな

 

君が必要なんだ。君じゃなきゃ ダメなんだ。

 

君の家族を つくれるのは 君だけ。

 

君がいなくなったら 誰も君の代わりはできない。

 

君って それだけ すばらしい存在なんだ。

 

君を待っている人がいる。忘れないで 

 

『 見て欲しい この元気で へんな おっさんを。

 

君と同じように 死ぬことばかり 考えていたおっさんを。

 

ノートに罵声を 書きなぐられ 物を隠され 捨てられ

 

殴られ 蹴られ ウンコ塗られ ションベンやツバを

 

浴びせられた。虫や土を食わされ 金品を要求された。

 

苦しかった。死にたいと 幾度も思った。

 

でも 今は こうして 楽しく生きている。

 

とても 楽だよ。なぜかな? そう 今 生きているからだよ。

 

僕は 強くなんかなかった。

 

そんな僕でも 励ましてくれる気づきがあった。

 

強くなかったけど この気づきを指針に懸命に

 

生きてきた。人間の心は弱い 

 

けれども 指針を持つと 強くなれる。

 

僕らは 生きたいから 生れてきたんだよ。

 

そう 辛さに だまされちゃいけない。

 

死にたいなんて ウソだって 分かっているはず。

 

自分を だますことを 許しちゃいけない。

 

僕たちは 生きたいんだ。これが すべての生命の叫び。

 

すべての命の願い。これと反対をやって 楽になれるわけがない。

 

楽になりたいなら 生きていけ 

 

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気づいて!いじめは終わる2

中巻②下巻①は この状態の僕が

 

どんな 日常的なこと 会話の中から 答えを 見つけ出し 

 

生きる気力を 蘇らせていったかを 書いてあります。

 

『 死にたいは 生きたいの 裏返し。本当は生きていきたい。

 

本当の心を 満足させない限り 楽にはなれない 』

 

僕は これに気がつくことで 最後の最後に 

 

本当は 生きたいのだから 死んではいけないと

 

思えるようになっていったのです。

 

生きたいに 決まっている。こんな 当然のことすら

 

人間は 分かったつもりになって 生きているのです。

 

悩んでいなければ こんな言葉を 読んでも

 

「 何言ってんだか ばかばかしい。当たり前のことを もったいぶって 」

 

と感じてしまうと 思います。

 

でも 死んだ状態で生きている人間が 目を覚ますためには

 

この気づきが必要なのです。

 

僕は 強くなんか ありませんでした。

 

ただ だだ 運が良かったのです。

 

家族 特にコウちゃん 先生 友達 まわりの大人

 

そして 僕にいつも 語りかけてくれた自然

 

辛さを 克服するためのすべてが 用意されていたと 感じています。

 

心底 運が良かった そう思っています。

 

その 運が良かった 僕が いじめを克服するのに 役立った

 

気づきを 今 自殺を考えている君に伝えたい。

 

-続く-

 

 

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気づいて!いじめは終わる3

『 君へのいじめは 終わる。100%終わる。

 

止めるなと言っても 終わっちゃうんだ。

 

僕の場合は いじめは 2年で終ったよ。

 

突然始まったように 突然 終わっちゃったよ。

 

いじめが 終わるってことは 間違いない。

 

保障するよ。いつ 終わるかって?

 

それは 僕も分からない。

 

それじゃあ 意味がないって?

 

終わらないのと一緒だって?

 

でもね 実は そう考えてしまうことじたい 

 

終わらないことを願ってしまっているんだ。

 

誰も分からないことを 悩むと いっそう 辛くなるよ。

 

分かっていることに 目を向けよう。

 

偉そうに 言っているけれども 僕も なかなか気がつかなかった。

 

すごいことだよ。今まで 絶望していた未来が 変わるんだ。

 

いじめは 終わる。つまり 希望は 間違いなく 

 

君の未来に あるってことだよ。

 

いじめは 長い人生の1% 99%は明るい! 』

 

『 それでも1%が 辛すぎるなら そんな所

 

行かなくていいんだよ。

 

僕の場合は 理由があって 転校や登校拒否は

 

しなかったけれども そんな くそダメヤロウは

 

ウンコだと思えばいい。

 

ウンコを 避けて歩くのは当たり前だろう。

 

お父さん お母さんが 行けといっても

 

君が行きたくないのであれば 行かなければいい。

 

もし いじめにあって 衝動的に 死にたいと

 

感じるようであれば そんな刺激を 与える場所に

 

行っては 行けないよ。

 

君子は危うきに 近寄らずって言うだろ。

 

むやみに逃げ回る臆病とは 違うよ。

 

自分を大切にするってことだよ。

 

そんなことで ついかっとなって 自殺しちゃうなんて 

 

バカらしいよね。 でも 行けば その刺激が待っている。

 

だったら わざわざ行くのは 愚かな 選択だよ。

 

学校行くことが 大切なんじゃないんだよ

 

君が 生き生き 生きていることが 大切なんだ。

 

地球には 楽しい所たくさん あるんだ。

 

そんな学校より 自然が たくさんある場所に

 

行くといいよ。自然の中でボーッとしていると

 

いろいろなことが 分かってくるから 楽しみにしてね。

 

-続く-

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気づいていじめは終わる4

『 君へのいじめは 終わる。100%終わる。

 

止めるなと言っても 終わっちゃうんだ。

 

僕の場合は いじめは 2年で終ったよ。

 

突然始まったように 突然 終わっちゃったよ。

 

いじめが 終わるってことは 間違いない。

 

保障するよ。いつ 終わるかって?

 

それは 僕も分からない。

 

それじゃあ 意味がないって?

 

終わらないのと一緒だって?

 

でもね 実は そう考えてしまうことじたい 

 

終わらないことを願ってしまっているんだ。

 

誰も分からないことを 悩むと いっそう 辛くなるよ。

 

分かっていることに 目を向けよう。

 

偉そうに 言っているけれども 僕も なかなか気がつかなかった。

 

すごいことだよ。今まで 絶望していた未来が 変わるんだ。

 

いじめは 終わる。つまり 希望は 間違いなく 

 

君の未来に あるってことだよ。

 

いじめは 長い人生の1% 99%は明るい! 』

 

『 それでも1%が 辛すぎるなら そんな所

 

行かなくていいんだよ。

 

僕の場合は 理由があって 転校や登校拒否は

 

しなかったけれども そんな くそダメヤロウは

 

ウンコだと思えばいい。

 

ウンコを 避けて歩くのは当たり前だろう。

 

お父さん お母さんが 行けといっても

 

君が行きたくないのであれば 行かなければいい。

 

もし いじめにあって 衝動的に 死にたいと

 

感じるようであれば そんな刺激を 与える場所に

 

行っては 行けないよ。

 

君子は危うきに 近寄らずって言うだろ。

 

むやみに逃げ回る臆病とは 違うよ。

 

自分を大切にするってことだよ。

 

そんなことで ついかっとなって 自殺しちゃうなんて 

 

バカらしいよね。 でも 行けば その刺激が待っている。

 

だったら わざわざ行くのは 愚かな 選択だよ。

 

学校行くことが 大切なんじゃないんだよ

 

君が 生き生き 生きていることが 大切なんだ。

 

地球には 楽しい所たくさん あるんだ。

 

そんな学校より 自然が たくさんある場所に

 

行くといいよ。自然の中でボーッとしていると

 

いろいろなことが 分かってくるから 楽しみにしてね。

 

-続く-

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いじめの芽を発見した日1 

7月12日のブログ 「 いじめの芽をつんで いじめをなくそう  」で

 

いじめの芽は家庭にあると 書きました。

 

僕が こう確信したのは 大人になってからでは ありませんでした。

 

いじめにあっている最中のことでした。

 

その本質に気づいた時

 

「 えっ まさか これが いじめの 根っこなのか 」

 

驚きと 人の心の弱さを感じました。

 

当時の僕は 「 おまえは ミミズの仲間なんだから 普通にしていては

 

いけない 」 

 

という いじめの理由が どうしても理解できず 「 どうして? 」と

 

悩み続けていました。

 

あまりに 理不尽というか バカげた理由なので もっと きちんとした

 

理由がないと 自分で 納得ができなかったのです。

 

しかし 『 自分のことさえ分からないのだから 他人の考えが分からなくて

 

当たり前 』という 気づきで この悩みから 解放されることになりました。

 

彼らの心のはんちゅうであるのに それをどうにか 知ろうとしている自分

 

あわよくば 彼ら心を変えようとしている自分が ムダなことをしていると

 

理解できたのです。

 

「 まあいい とにかく 気に入らないから いじめていることは

 

確かなんだ。それだけ 分かっていればいい 」

 

こう考えられるようになって 少ししてからのことでした。

 

あることから 一人のいじめっ子の 家庭事情を知ることになり

 

いじめの本質が 見えてきたのです。

 

詳しいことは 下巻①をお読み下さい。( まだ 手直し中ですので

 

出版したら お知らせ致します ) 

 

彼の両親は 夫婦仲が悪く それぞれの親が 彼に 辛く当たっていることを

 

知ったのです。

 

それが原因で 彼の心が とても荒廃していることを 理解しました。

 

「 かわいそうだな? まさか そのうっぷんを 僕で晴らしている?

 

誰でもいいから うっぷんを晴らしたかったってこと。僕は たまたま

 

そのうっぷん晴らしに 選ばれたってこと? それとも 僕に特別な

 

理由がある? 」

 

そこで 彼が 次にいじめを行ってきた時に 僕は 彼に

 

聞いてみたのです。

 

-続く- 

 

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いじめの芽を発見した日2

「 おまえ まさか 父ちゃん母ちゃん仲悪くて 面白くないから

 

俺に 八つ当たり してるんじゃないだろうな? 」

 

すると 彼は これまでの 余裕をもった表情から 一変して

 

鬼のような形相で 迫ってきたのです。

 

彼は 地面に落ちていた 棒切れを拾うと 容赦ない 勢いで

 

殴りかかってきました。

 

僕は ただならぬ 彼の怒りに 身の危険を感じ 必死に

 

彼の攻撃をかわしました。

 

まるで 僕が彼をいじめ 彼が それに対して 必死に抵抗しているように

 

感じました。

 

彼は いじめを受け始めた当初の僕のように 「 ウ~ ア~ ア~ 」と

 

わめき散らしています。感情が高ぶって 言葉になっていないのです。

 

いじめをしてくる相手に 「 どうして 自分を分かってくれない  」と

 

泣き叫んでいた 僕の姿が重なりました。

 

驚きでした。いじめてくる相手が 僕に何を 分かってくれというのだと

 

理解に 苦しみました。

 

しかし 涙を流し始めた 彼を見た時 自分の気持ちが 彼の気持ちを

 

汲み取ることに 切り替わったのです。

 

僕は この時 はっきり 分かったのです。

 

「 こいつは やっぱり 僕をいじめることで 自分を慰めているんだ 」

 

今まで 自分ばかり 分かってもらおうと 「 どうして? 」を

 

自問自答していた時は 相手の気持ちが まったく分かりませんでした。

 

ところが 気持ちを 相手に 切り替えてみると わずかながら

 

相手の気持ちが 分かってきたのです。

 

長い間 悩み続けては 怒りを生み出してきた

 

「 あいつらの 理屈が分からない。 僕をいじめる 理由が分からない! 」

 

に 対する答えが 見えてきたのです。

 

『 相手に どうして どうしてと 思っている限り 相手の気持ちなど

 

理解できない 』

 

は この時 発見された 気づきでした。

 

-続く-

 

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いじめの芽を発見した日3

今まで見えなかった いじめの構造が この時見えたのです。

 

『 いじめてくる奴って 結局は 八つ当たり 』

 

まだ 彼らの中にある「 認められていない自分 」が 

 

うっぷんを生み出していることは 分かりませんでしたが 

 

「 このうっぷんを どこかで 晴らしたい 」

 

という無意識が いじめの根底に流れていることは 分かったのです。

 

僕は 彼が 哀れに 思えてきました。

 

だからといって 彼の行動は 許せませんでした。

 

心の葛藤は分かりましたが それ以上 彼の気持ちは

 

理解できませんでした。

 

というよりも だから どうして 自分の葛藤のはけ口として

 

他人を利用しようとするのか?

 

ますます 僕には 分からなくなってしまったのです。

 

ただ 少し前の 僕であれば

 

「 ふざけんな おまえだって 苦しいんだろ!

 

だったら 何で 俺の苦しさを 分かろうとしない! 」

 

と 怒りが こみ上げてきて 彼に突進していたと思いますが

 

次の気づきのおかげで それはしなかったのです。

 

何度も 登場している

 

『 結局 人間は 分かりあえない。自分のことすら 分からないのだから

 

他人のことなど 分からなくて当然。そして 相手が 僕の気持ちを

 

理解できないのも 当然。だって 僕じゃないんだから 』

 

です。

 

「 いじめって 結局は 心の弱い人間のすることなんだな。強い奴は 

 

八つ当たりなんかしない。いじめの正体 見たりって感じだ。 

 

頭には来るけど 前みたいに 怖くなくなった気がする 」

 

僕の心に 少し余裕みたいなものが 生れたのでした。

 

僕は 彼に もう一つ 聞いてみました。

 

「 なんで 俺なんだ。なんで 俺を うっぷん晴らしに 選んだんだよ? 」

 

彼の 答えは 少し 悲しいものでした。

 

彼は 僕のことになったとたん じょう舌になったのです。

 

「 おまえ 普通じゃないからだよ。 醜い顔の奴 いじめても 誰も

 

悪いとは思わないんだよ。ちょうどいいはけ口なんだよ。おまえは

 

そういう役目のために 生まれてきたんだ。 気づいて ないのかよ 」

 

「・・・・・・・・・」

 

返す言葉が ありませんでした。

 

「 やっぱり 分かんない。 どういう考え方なのか さっぱり 理解できない。

 

でも いいや 分からなくていい。 僕は そんなために 生まれてきたん

 

じゃない。 腹を立てる必要もない 」

 

僕は 走って 彼から 逃げ去ったのです。

 -続く- 

 

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いじめの芽を発見した日4

さて いじめを 乗り越えるための 気づきが 他のどんな所で 役に立つか?

 

今日は その一例をお話したいと 思います。役立ちまくるのです。

 

たとえば 人生いろいろな場所で 理解に苦しむ 

 

言い方をされることがあります。

 

サラリーマン時代  こんなことがありました。

 

自分が 仕事をしている所に

 

「 これ 急がないから ちょっと 目を通して おいてくれる~。

 

できたら 最後の計算値 あっているか 確認頼むよ 」

 

「 あっ はい この仕事 区切りがついたら 見てみます 」

 

頼んだ方は

 

「 よろしく 自分の仕事 終わってからでいいから 」

 

とだけ言い  書類を置いて 去っていきました。

 

すると 30分もしないうちに いきなり 戻ってきて 

 

僕を 怒鳴り散らしたのです。

 

「 まだ 目を通してないの? 仕事の優先順位考えなよ。

 

君のやっている仕事とこれ どっちが たくさんの人間 関係していると

 

思ってんだよ。そんなことだから いつまでたっても

 

一人前になれないんだよ 」

 

カチンときますよね~。

 

でも そんな時 僕は すぐに 気持ちを 切り替えることが できました。

 

その時 役立った 気づきこそ 

 

『 相手に どうして どうしてと 思っている限り 相手の気持ちなど 理解できない 』

 

『 結局 人間は 分かりあえない。自分のことすら 分からないのだから

 

他人のことなど 分からなくて当然。そして 相手が 僕の気持ちを

 

理解できないのも 当然。だって 僕じゃないんだから 』

 

でした。

 

気づきのすばらしい点は 頭だけで 分かっているのではないので 

 

その考え方が必要な場面で 力を発揮してくれることです。

 

これらの 気づきは 僕の心に 次のような 思いを発生させました。

 

「 何か 面白くないことがあったわけですね。 それは分かりました 」

 

「 そのイライラをどうしていいか あなた自身 分からないから 

 

こんなこと 言ってるんですよね 」

 

「 どうして そんなことを言うんだ さっきと 態度が180度

 

ちがうじゃないか? どうしてだ! そんな言い方をする

 

理由を言ってみろ 」

 

と 僕が 追求することは 本人すら 分かってないのだから 

 

時間とエネルギーのムダ。

 

そして 次のような 応答を取らせたのです。

 

「 あと1時間ほどで この仕事が終わります。 この仕事は 僕にとって

 

最優先の仕事なものですから やらせて頂きます。◎◎さんも それでよいと

 

先ほどおっしゃられていましたよね。 どうしても すぐ必要であれば

 

申し訳ございませんが どなたか 手のすいている他の方に

 

相談なさって下さい 」

 

相手は 「 分かった 」と言い 書類を持って 出て行きました。

 

僕に対して 何も謝りもしなかったし 僕にも それを望む気持ちは

 

ありませんでした。僕は 自分に満足し 仕事を 続けることができました。

 

これは 人間関係なんて無意味。 お互い 自分のことしか 考えていないと

 

分かれば 腹を立てることもないじゃないかといっているのでは ありません。

 

人間は 助け合っていかなければ 生きていけない生き物です。

 

助け合うためには 相手の気持ちを 理解する努力が必要です。

 

でも いくら 理解を深めたからといって 相手を 完全に分かることなど

 

ないのです。理解できると勘違いしているから 不満が生じるのです。

 

この気づきを何回か 繰り返していると 逆に 自分の期待通りにならない

 

相手に対しても 心穏やかで いられるように なってきます。

 

「 理解しようと 努力しても 結局は 一部分しか理解できないもの。

 

自分のこと 考えてみなよ。何年 付き合ってきたんだい?

 

生れてきてから ずっとだろ。 なのに 理解できていないだろ。

 

思い通りになってないだろ。だから 相手が自分を 理解しないと

 

腹を立てるのはよそうよ 」

 

という ことです。

 

これが 分かっていないと 

 

「 僕(私)は 互いを 理解しあえば 上手くやっていけると 確信して

 

います。なのに あなたは 僕(私)を どうして ここまでしか 理解して

 

くれないの? もっと 理解して欲しい! 」

 

と 不満と怒りが生じ 自分を 悩ませていくことになります。

 

相手に 何も期待するなと 言っても なかなか 難しいですが

 

これが 理解できていると 相手が 期待にそぐわなくても

 

「 ここまで 期待に こたえてくれて ありがとう 」

 

と 少しずつ 思えるようになってきます。

 

つまり 怒りを 消していけるように なってくるのです。

 

ただし 頭だけで 分かっている人は 次のように 言ってしまいがちなので

 

注意して下さい。

 

「 まあ 期待した 俺(私)が バカだったよ。 ごめん 俺が 勝手過ぎた 」

 

これは 禁句です。

 

この言葉は 結局は 自分を 理解してくれない 相手が悪いのだと

 

言っていることになるし かえって 相手を傷つけてしまいます。

 

頭で 分かっているだけで 自分が 分かってもらいたいだけ

 

仕返しをしたい 身勝手人間が言う言葉です。 

 

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招致ロゴ カムバァ~ク!!

東京オリンピックのロゴマークが 盗作ではないかと 問題になっています。

 

僕は 例の花が集まったマークを 東京オリンピックのロゴマークだと

 

勘違いしていたようです。

 

だから ロゴマークが 発表されましたと ニュースで流れた時

 

「はて? あの花の集まったマーク あれは 何だったんだ。 あれは招致だけの

 

ロゴだったのか? あれ 好きだったのにな~ 」

 

と 思いました。

 

さらに 発表されたロゴマークを見た時 選んだ方々には 悪いのですが

 

僕個人は あの花の集まった招致ロゴマークの方が オリンピックらしく

 

美しいと 感じました。

 

発表されたロゴマークは 重厚さはあるのですが

 

オリンピックの華やかさや 周りと仲良くしようという和というものが

 

不足しているように 見えたのです。

 

「 招致ロゴのままで 良かったのにな~。無理やり TOKYOのTと

 

日本の国旗の赤丸を入れ おめでたいことだから 金色を

 

入れたデザインって 感じだよな~。 他のもう少し お堅い催しの

 

ロゴに使った方がいいのでは 」

 

デザインなど ど素人の 僕は 勝手に 残念がっていたのです。

 

そうしたら この騒ぎ。

   

佐野研二郎氏は 盗作など していないと思いますが 訴えているベルギー

 

リエージュ劇場のロゴマークを見たら ビックリ仰天!

 

「うむむむ~。 似ている こりゃ 何か言われても しかたないくらい

 

 似過ぎている 」

 

見比べると 素人目にも ロゴマークの デザインが 似過ぎています。

 

僕は 恥ずかしながら 小さい時から ほとんど 本を読まないし

 

自分の体験を書いているだけなので 文体や表現内容は

 

どなたかに 似ているということは ないと思います。

 

ですが 読書家になると 文体 表現内容は 自分が読んだ多くの

 

本のどれかに 似てしまうことが たまにあると言います。

 

だから 一流デザイナーの佐野研二郎氏なら リエージュ劇場

 

ロゴマークでなくても どこかで 似たようなデザインを

 

見ているのかもしれません。

 

それにTと赤丸を使ったデザインとなれば デザインは限られてくるので

 

同じような 発想をしても ちっとも おかしくありません。

 

中国のパクリとは まったく違うものですが 結果だけ見ると

 

パクリだと言われても 反論できません。悔しいです。 

 

「 偶然の一致だとしても 後味が悪いな~。IOCは 問題ないとしているし 

 

リエージュ劇場ロゴマークも 商標登録していないみたいだから 裁判になっても

 

大丈夫なんだろうけど 残念だよな~。せっかくの 東京オリンピックの公式

 

エンブレムなんだし いろいろ言われるくらいなら 招致ロゴに

 

戻しちゃえばいいのに。 佐野研二郎氏 お許し下さい。

 

招致ロゴ カムバァ~ク!! 」

 

なんて 僕の願いは 叶わないですね。 

 

関係ないですが 「I“ll be back 」と言った

 

シュワチャンの 映画を観たくなってきちゃいました。

 

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父子家庭なのに 子供がいじめで殺された

いじめられている子には SOSを 親や担任に発する子

 

と 発しない子がいます。 それぞれ事情があります。

 

僕は後者でした。今回 飛込み自殺をした 中2生徒は 前者のようです。

 

7月11日のブログ(中2列車飛込み自殺)で 担任と彼の関係をすべて読んでみないと

 

本当の所は分からないと 書きました。

 

しかし その後 ニュースで 流された数ページのやり取りを見て

 

唖然としてしまいました。

 

やり取りを見ると 担任は 女性のようですが ・・・

 

いじめには いろいいろあり 被害者の担任を批判するのは 簡単です。

 

過去 いじめで自殺をした生徒の ニュースが流れ 担任が非難されるたび

 

その通りだと思う反面 僕を含めて 他の先生が

 

被害者の担任であれば 本当に その生徒を救えたのか?

 

おそらく 自分なら こうしていただろう。

 

でも 自殺した生徒と 実際会ったことがないので

 

どれほど コミュニケーションをとれたか 正直 分からない。

 

こういう立場の生徒がいたなら どうすればいいだろうと 考えました。

 

しかし 今回は 違います。正直言って この担任の所に行って

 

殴って 怒鳴りつけてやりたい。 

 

「 おまえ 人間か? 先生以前に 目の前に 助けてくれと 泣き叫んでいる子供

 

がいたら 何とか助けたいと 思わないのか? ましてや おまえ 先生だろう?

 

何で先生になろうと思ったんだ? 昔 いじめっ子 か いじめられっ子で 

 

心をそのままにして大人になったな。 おまえ いじめている奴より

 

ひどいぞ。この子は 生きる希望を求めて 必死に SOSを発しているのに

 

おまえは この子の希望を奪った。いじめは いじめている奴が

 

一番悪いけど おまえも その仲間だ。 ほんと おまえみたいな奴が

 

今後先生続けたら 今後 何人も 救える命が 救えなくなる。

 

おまえ 本当に 最低だぞ!」

 

久しぶりに テレビに向かって 吠えました。

 

SOSに 気がつかないわけがない・・・いったい なぜ?・・・理解できないし

 

これこそ いじめてくる奴らが 理解できなかったように いじめる奴と同類

 

なのだから 理解できなくて当然。

 

そう思うと 怒りは おさまってきましたが 少なくても この人は

 

先生になるべきではなかった。そう思います。

 

彼が父子家庭だと知り 胸が痛いです。

 

1年前 いじめがあった時 父に話し 学校へ相談に行ったといいます。

 

この時 父は とても 心配したのでしょう。

 

それなのに 止まらないいじめ。

 

父と子 二人きり。だからこそ 父には 隠したのです。

 

大好きな父だけには これ以上 心配をかけたくなかったのです。

 

だから 家では 担任との 連絡帳を見られないようにしていたとも

 

考えられます。僕なら家に 持って帰らなかったと思います。

 

彼は家では ニコニコしていたそうです。彼の気持ちには 僕が

 

いじめを 家庭に持ち込まなかった気持ちと 共通したものが

 

流れています。

 

僕は 大好きな母に やけどのことで これ以上 辛い気持ちになって

 

欲しくなかった。ただ それだけでした。

 

その気持ちだけで いじめに耐えていました。

 

それでも 何度も つぶれかかりました。

 

しかし 僕には コウちゃん(双子の弟)という 最強の支えがありました。

 

でも 彼には 誰もいない。だから 最後の望みとして 

 

担任にSOSを発したのです。それなのに・・・・

 

残された父親は たった一人で 寝起きし 食事をしています。

 

おそらく 何をしても しばらくの間は 勝手に涙が 


あふれ出て止まらないでしょう。

 

 できるなら 担任と加害者は 父親と一つ屋根の下で過ごし その姿を


しっかり 目に焼き付けるべきです。

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学校の誠意とは

先日 中2飛込み自殺について 学校側の調査報告が ありました。

 

「 いじめはあったと 学校側が報告 」

 

ニュースが このように 伝えた時 

 

僕は「ほ~ 珍しい 」と 思いました、

 

学校側が行うアンケート 被害者 保護者への説明は

 

やらなくてはならないものだし ムダだとは思いません。

 

しかし これまでは アンケートをとっても それを

 

ムダにしてきているように 感じていました。

 

学校側の多くは アンケートの結果 いじめの痕跡が何件か

 

認められました。 しかしながら 今回の自殺との関係は

 

分からなかったと 発表します。 発表の仕方は 調査し

 

ても これだけしか いじめは 確認できませんでした。

 

我が校は 基本的に とても いじめの少ない学校なのです。

 

これを主に 訴えようとします。


もう この態度が 間違っているのです。


被害者に対する誠意より 学校のイメージ 自分達の責任の


低減に 重きを置いているのが 見え見えです。

 

いじめは その性質上 人目のつかない場所で行われています。

 

アンケートの結果など 氷山の一角です。その何倍~何十倍も

 

実際には起きているはずです。そんなこと うすうす分かっている


はずなのに 学校側は正直に 答えません。

 

被害者や世間も 分かっていますから

 

「 またかよ どうして 学校は 正直に答えないのだ 」

 

と 怒りを感じながら 聞いているのです。

 

いじめによって 自殺者が出た場合 加害者 見て見ぬふりをし

 

先生に報告しなかった仲間 適切な対応ができなかった先生など 

 

周りの皆が 被害者を死に追いやってしまったのです。

 

ですから アンケートを取ったとしても いじめに加担した者が

 

多ければ 当然 正直な答えは 得られないし

 

見て見ぬふりをした友達も 後味の悪さ 面倒は嫌だと

 

いう気持ちから すべてを 正直に答えるわけではありません。 

 

また 中には アンケートに対して でたらめを答える者すらいます。

 

そこに 学校側の 体面を保とうという主観が入れば アンケートは

 

たいした意味を持ちません。 

 

そのため これまでの報告の多くは 先ほど書いたようなものばかりでした。

 

今回は どんな 報告だろうと 興味を持って見ていると

 

自殺といじめとの関係は認めたものの 報告内容は ひどいものでした。

 

いじめと認められるものと そうでないものの 判断基準や

 

いじめの回数が あまりにお粗末で 父親が 納得できない

 

と言うのも 当然だと思いました。

 

学校側の 判断基準を 先生達の世界で表すと こういうことになります。

 

階段で Aという先生が 同僚の先生達に からかわれた。

 

ズボン(スカート)を 下げにきたので 「やめろ(やめて)」と叫んで抵抗した。

 

幸いベルトをしっかりしていたため 下げられなかった。

 

当人は 上司には 報告しなかった。 数人の先生達は これを目撃

 

していたが 何もせず 上司にも報告しなかった。

 

A先生は たびだび 同じ先生達から 嫌がらせを受けているのを

 

目撃されていた。 

 

当人は 直属の上司に 嫌がらせ受けていることを伝え 

 

もう生きていたくない 学校に来たくないとも 漏らしていた。

 

直属の上司は 一応 相談には乗っていたが 聞き流すだけであった。

 

親身になって 嫌がらせを やめさせる行動を 起こそうとはしなかった。

 

すると 数日後 A先生は 飛び込み自殺をしてしまった。

 

後日 職員会議で A先生は ズボン(スカート)を

 

下げられそうになったことがあったが

 

自殺の原因の 一つではないだろうかと 議題に上った。

 

しかし 当事者達は

 

「 いじめでは ありませんよ。 遊びでやったことです。

 

何か 訴えがあったのですか? 」

 

と答えた。

 

上司も 次のように 応答して 終わった。

 

「 訴えはないですね。つまり 当人も 遊び半分だと 

 

感じていたのでしょうね。 だから 上に訴えなかったわけですよね。

 

つまり 問題なしですね。いじめには当たりませんね。

 

自殺の原因にはなりません 」

 

こういうバカげた話になるわけです。


ズボン(スカート)を下げるということは 遊びでしょうか? 


まさしく セクハラです。

 

たとえ 遊びであっても やって良いものでしょうか?

 

自分が 襲われたとしたならば やって欲しいことでしょうか? 

 

本人は「やめろ(やめて) 」と叫んでも いたのです。

 

あなたが A先生なら こんな 学校に 勤めていたいと思う

 

でしょうか? 

 

本人がいないことをいいことに 自分達の保身にとって

 

都合のいい 解釈をしているわけです。

 

この判断を 誰もが納得できるものと考えているから

 

あのような 報告をすることができるわけです。 

 

自分達の常識が 世間から かけ離れていることに

 

気がついていないのです。

 

こんな基準では 生徒が いくら いじめを報告しても 学校側は

 

いじめと判断しない場合が 多く出てきます。

 

いじめっ子にとっては いじめ天国です。

 

お父さんに 報告書を手渡す前に 読み直しているはずです。

 

これでよいと思えたことが 不思議でなりません。

 

何もしていない一人の人間を 死に追いやったのです。

 

納得のいく説明など あるわけがありません。

 

だからこそ きちんと 被害者の立場に立って 加害者が誰で

 

何が行われたのかだけ 正直に正確に 報告すべきだったと思います。


それが 被害者に示せる せめてもの誠意です。そして それを


被害者の家族は 望んでいたはずです。

 

10回にも満たない嫌がらせで 人間 死のうなんて 考えません。

 

いじめは 毎日繰り返されるのです。たまになら 我慢できるのに

 

毎日続くからこそ 生きる希望が なくなっていくのです。

 

いじめの中で 死を考えた僕も そして 彼も それほど

 

弱くありません。

 

とにかく 陰から しつこく 行ってくるのが いじめです。

 

何があったのかを 正確に知りたいと 願っていたのに

 

お父さんの気持ちを 逆なでするような内容です。

 

お父さんにしてみれば

 

「 お宅のお子さんは たった数回の この程度のいじめで

 

 自殺してしまいました 」

 

と 言われているようなものです。

 

「 自殺した息子が 弱かったと言いたいのか? 」

 

と 感じてしまうのではないでしょうか。

 

学校側の保身が見え隠れする この報告によって

 

「 学校が きちんと 報告してくれさえいれば 学校になど

 

 行かせなかったのに 」

 

と 学校への不信を 口にしていた 父親の 学校に対する

 

不信感 怒りは ますます大きくなったと思います。

 

アンケートによって 多くのいじめが 発覚したならば

 

保護者や世間からの 風当たりが強いものとなると思います。

 

「 これほどのいじめがあるのに 何を見ていたんだ 」

 

と批判する人達は たくさん出てくるでしょう。

 

先生は それを 受け入れなくてはいけません。なぜなら 

 

今の先生は 忙しすぎます。そのうち いくつかは


忙しさの中で 見落としていたものかも しれないからです。

 

しかし 先生だけを 批判しても 何も 改善されはしないのです。


ただ 批判ばかりする人達も いじめが分かっていないと

 

僕は思います。僕は こう聞いてみたいです。

 

「 批判ばかりするあなたが 現場にいたなら そのうちのいくつを

 

 発見できますか? 」

 

「 ほとんど 発見できる 」と言うならば いじめの現場を

 

ほとんど 理解していないと言えます。

 

先生に すぐ知れる場所で 頻繁に行ういじめは まだ軽い

 

いじめです。 陰湿ないじめを行う人間は ずる賢いのです。 

 

休み時間や放課後 先生や他の生徒に 見つからない場所で

 

行われるのが ほとんどなのです。


今回の彼にしても 皆が知らない所で もっと多くのいじめを 

 

毎日のように受けていたと思います。


ですから いじめを 把握するためには 他の生徒達の


協力が必要不可欠となります。

 

しかし それをすれば 自分が 次のターゲットになると

 

知っているので 多くの生徒は 見て見ぬふりを してしまいます。

 

だから なかなか 発見できないのです。

  

先生は 発覚したいじめを 隠ぺいするより むしろ 生徒達が

 

それだけ 声をあげてくれたことを 受け止めて 彼らに

 

「 今度からは アンケートでなくても 知らせて欲しい。

 

直接でなくてもいい 手紙とか メールとか どんな方法でも

 

よいから 教えて欲しい 」

 

と 呼びかけていくことの方が 大切です。 

 


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加害者の顔をさらせばいいのか?

いじめで 自殺者が出た場合 以前書いたように 加害者

 

いじめを 見て見ぬりをし 先生に報告しなかった仲間 

 

担任や先生など 被害者を取り巻く周り皆が 死に追い

 

やったのです。

 

しかし 誰よりも 責任を 負わなくては いけないのは

 

いじめた 加害者達です。今回は 担任も 同罪だと感じます。

 

では 加害者を 明らかにし 退学させ  担任も退職させれば 

 

責任を とったことになるのか?

 

そうしたことで 加害者が 本当に反省するか?

 

経験上 はなはだ 疑問です。

 

いじめをすることじたい 心のバランスを 失っています。

 

このような心は まともな 反省など できないのです。

 

信じられないことですが いじめた側は いじめを やめたら

 

やめたで 平然としているのです。

 

「 いつでも また 始められるぜ 」という上から目線で 

 

何食わぬ顔して 生活できるのです。 

 

僕は いじめを受けていた2年間の後半 こういう彼らの態度に

 

ものすごい怒りと憎しみを 覚えました。

 

本にも書きましたが いじめが発覚した場合 加害者達の言い訳は

 

だいたい 決まっています。

 

「 まさか 死ぬとは 思わなかった。ちょっと 

 

むしゃくしゃしていたので 遊び半分にやってしまいました。

 

何をしたかは よく覚えていませんが 反省しています。

 

でも もし死ぬと分かっていれば やってません 本当です 」 

 

だいたいが このような感じのことを 言うのです。

 

ある意味 本当でしょう。 ある意味とは 相手の命を

 

考えていないという点です。

 

そのくせ 問題が起これば

 

「 私は命の重さを知っています。だから 命を絶つと

 

分かっていたならやりません 」

 

と 都合良くすりかえて 言い訳するのです。

 

同じような 言い訳として 殺意の否定があります。

 

相手を刺し殺した犯人は よく こう言います。 

 

「 刺したことは認めます。しかし 殺意はなかった 」

 

僕はウソだと思います。

 

ナイフを手にした時点で 殺意はあるのです。

 

自分の欲望が 満たされれば 相手の命なんか どうなっても

 

構わないのです。そんな自分を ごまかすために 相手の命については

 

考えなくなるのです。

 

それを 殺しておいてから 相手の命がどうなるかについては

 

考えて刺していなかった自分を 主張して 身を守ろうと

 

しているのです。 

 

その下には わざと 相手の命を 考えようとしなかった

 

身勝手な自分がいるのです。

 

そして 今度は 刑を軽くするためには それを利用して

 

いるわけです。あまりに 詭弁です。命を 何だと 思っているのか !

 

自分達が 被害者の場合 こんな言い訳が 通用すると

 

思っているのでしょうか? 

 

「 甘ったれるな !  死ぬと分かっていたなら 誰だって

 

やらない。そんなこと 当たり前だろうが。だったら

 

死ななければ 何をやっても 構わないというのか?

 

死を選んだ 被害者が悪いというのか?

 

そのおかげで 遊びのつもりだった 自分達が 被害を

 

こうむっているとでも 言いたいのか?

 

あれが遊びか? れっきとした犯罪だ !  」

 

被害者側は こう叫ぶに 違いありません。

 

しかし 加害者の心は どこまでも 身勝手なのです。

 

被害者側の こういう声に対しては

 

「うざい~。心の弱い おまえが悪いんだよ。 だから

 

死んだんだよ 」

 

と 耳を貸しません。

 

中には こっちの人生が狂わされたと 逆切れする場合すらあります。

 

そのくせ 自分達が 同じような目にあうと

 

「ものには 限度というものがあるんだ。おまえ 頭おかしいだろう」

 

と 訴えるのです。

 

下巻①で登場する 僕に土を食わせ さらに 生きたミミズを

 

食わせようとした奴らは これでした。

 

では 今回 どうすれば お父さんの気持ちが 晴れるのでしょうか?

 

加害者達と担任を 世間に公表し

 

「 この生徒達と担任が 私の子供を 死に追いやりました。

 

こいつらは 殺人者です。世間の皆さん こいつらに 責任を

 

負わせて下さい。一生 つまはじき者にして下さい。一生 

 

この殺人者め と さげすんで下さい 」

 

と 訴えることでしょうか?

 

こういう気持ちは 親であれば 必ず起ると思います。

 

僕の中にも これに近い気持ちが ないといえば ウソになります。

 

僕は デスノート(7月14日のブログ)の中で 相手を殺す時 

 

ただでは 殺しませんでした。

 

簡単に殺すなんて したくなかったのです。

 

苦しませなくては 気がすまなかったのです。

 

顔が醜いと僕を 罵倒し 数人がかりで 押さえつけた

 

僕の顔を 踏んだり ツバをはきかけたりした奴らの顔には

 

僕に浴びせた罵声を 焼印してやりました。

 

おまえも こういう風に 弱って死んでいけと 目の前で

 

バッタの足を もいだ奴は 足をちょん切りました。

 

ノートにひどい言葉を 落書きした奴らは 二度とできないように

 

両手の指を切断してやりました。ウンコを顔に塗った奴らは

 

深い便所に落として 人々の糞にまみれさせて 殺しました。

 

画鋲を飲ませたり 仕込んだりした奴は 画鋲を敷き詰めた穴に

 

落としました。 こうしない限り こいつらは 

 

自分でやったことが 分からないと 感じていたからです。

 

そして 実際に そうだったと思います。

 

今回 中2の生徒を いじめた生徒も 自分達のやっていることで

 

相手が どういう気持ちになるかを 分かっていません。

 

正直 たいしたことではないと 思っているのだと思います。

 

このような 生徒は いくら 口で注意しても 反省はしないし

 

できないのです。

 

結局 父親が受けた報告では 加害者を 社会的に罰することは

 

できません。 せいぜい学校側が 加害者を 退学にするくらい

 

のものです。

 

いじめは まちがいなく 犯罪です。 僕はいじめを受けている時

 

犯罪という言葉は 思い浮かびませんでしたが 人間のすること

 

ではないと感じていました。被害者の父親が 加害者達を 

 

刑事告訴したのは 当然だと思います。

 

だから 毎日 ニュースで 加害者の素顔を放映し

 

「 この生徒達は こんなことをして 一人の人間を

 

死に追いやった 殺人者です。 それなのに 平然としています。

 

社会的制裁を お願いします 」

 

このような 呼びかけが 現実になされれば 加害者も 

 

罪の重さが 分かってくると思います。

 

しつこいいじめを行える人間の心は これくらいのことをしないと

 

分からないくらい 相手の痛みに対して 愚鈍になっているという

 

ことです。

 

ひどい少年犯罪が起こるたび 僕は こう思ってしまいます。

 

「 何歳なんか関係ない 悪いことをしたら こうなるんだと

 

きちんと 分からせないといけない。 悲しいことだが 

 

それくらいしないと 少年法で 守られていることを利用する奴

 

らすら 出てくる世の中になってしまった。でもな・・・・」

 

そう でもな・・・なのです。

 

こうなると 彼らに対する バッシングは とどまることが

 

なくなります。

 

「 こんな奴らは 殺していい 」

 

という 行き過ぎた感情が 拡大します。

 

世間の そういった気持ちが 彼らに伝わることも

 

 ある意味 必要だと感じます。

 

しかし ここで 止まらないのが 現代の情報社会です。

 

火のない所にも 煙を立てることが横行し それが あたかも

 

真実のように 信じられてしまう危うさを 持っています。

 

事実とは 異なる報道も 十分に予想されます。そうなると

 

さらなる批判の増大は 目に見えています。

 

そうなった場合 批判に 耐え切れず 加害者が 自殺してしまう

 

ことも 起こりえます。

 

今度は 誰が 責任を 取ればよいのでしょうか? 

 

「 責任から逃げるために 自殺なんかしやがって どこまでも

 

 卑怯な奴! 」

 

とも 思えます。僕も 思うと 思います。

 

確かに 彼らみたいな身勝手人間は 厳しい 社会的制裁がなくては

 

反省しないと思います。でも 彼らが 自殺してしまった場合

 

たとえ 責任逃れで自殺したとしても 殺したのは

 

彼らを必要以上に バッシングした我々です。

 

そして 我々の誰にも 彼らを殺していい権限などないのです。

 

「 いや 殺す気などなかった 」

 

と言えば 彼らと 同じ 詭弁をついていることになります。

 

デスノートという題名のブログを 覚えて おいてでしょうか? 

 

僕は 五冊目のデスノートで 手が止まってしまったと

 

書きました。

 

僕の手を 止めさせた理由の一つは これでした。

 

最初は 怒りにまかせて 書き殴っていましたが

 

怒りを包み隠さず 叩きつけているうちに 奴らと同じことを

 

していると感じ 僕が本当にやりたいことは

 

これではないと 思えたのです。

 

ですから 息子の自殺に対する責任を取らせようと

 

担任や加害者の顔や情報が 毎日 流されたとしても 

 

被害者の父親は いずれ 流すことを やめて欲しいと

 

思うようになると思います。

 

加害者が バッシングに耐え切れずに 自殺すれば 

 

「 息子の仇をとった 」という思いや 加害者の親に対しては

 

「 あなたたちも 私の苦しみを 思い知るがいい 」という思いが 

 

浮かぶかもしれません。

 

しかし その後 息子の命を 守りきれなかった無念さ 

 

加害者の命を奪った 罪深さに いっそう 苦しむこととなります。

 

このように 現実問題 ちょうど良い社会的制裁など 不可能なのです。

 

だからこそ いっそう 残された家族は 苦しむことになっていきます。

 

この猛暑の中 お父さんが 悲しみ 憎しみ 怒りで

 

体を壊さないことを 祈っています。

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チョウチョの思い出1

お知らせ

過去ブログに

(7/12 ) いじめの芽を摘んで,減らしていけ

(7/12) 気づいて! いじめは終わる

(7/14) デスノート

(8/1) いじめの芽を発見した日

が、加わりました。

お読みになっていない方は、どうぞ お読み下さい。

 

うれしかったこと!

 

(8/2)加害者の顔をさらせばいいのか? のブログに 20年前の教え子だという

 

生徒から、コメントを頂き、とてもうれしかったです。

 

Kさんですか? ありがとう。どなたか分かりませんが、お会いしたいですね。

 

コウクリニックの院長こそ、僕の弟、コウちゃんです。

 

僕よりずっとしっかりしていて、いつも僕を 助けてくれる存在です。

 

身内を誉めてなんですが、患者さん、一人一人、丁寧に対応する良いお医者

 

さんです。何かあったら、是非 診察を受けに行って下さい。

 

僕は元気にしています。僕に会いたかったら このブログを 覗いて

 

下さいね。なるべく 多く 更新しますから。そして、本当に いつか

 

再会して 昔話に 花を咲かせましょう。

 

では 今日は チヨウチョにまつわる話をしたいと 思います。

 

 

動物や人を殺してみたかったという理由で、若者が、犬やネコを

 

惨殺したり、殺人を犯したりする事件が 時々 起きています。

 

犯行を行った若者の 精神状態は 普通の若者とは違っているものの

 

命を軽んじている事件は こういった特別な若者ばかりではありません。

 

大人も、交際のもつれなど あまりに 身勝手な理由で 人間の命を

 

奪っています。

 

こんな事件を見聞きしていると 社会全体に 命の尊さに対する

 

希薄さが 蔓延している感じがします。

 

ただ、この傾向は10年前くらいから、感じられていて、当時、

 

友達と飲みながら そんなを 話していました。

 

すると 彼は やはりゲームの影響もあると思うと 答えていました。

 

僕はゲームをやらないので 分からないのですが 子供達が 遊んでいる

 

ゲームの中には かなりリアルな 戦闘ゲームもあり 大人も 夢中に

 

なるほどらしいのです。ただ 彼はやっていて この世界に長時間いれば

 

命の重さに対する感覚は 薄らいでいくのもうなずけると 感じたといいます。

 

子供達だって 頭では 現実世界において 命を奪ってしまうと 生き返ら

 

ないと分かっています。

 

しかし 戦闘ゲームなどで 命を奪うこと = 得点 = 自己評価の向上 

 

失敗→ 即 リセット→ 再開 の感覚が 無意識に 刷り込まれていくことは

 

本人が意識していないことなので とても 怖いことだと 話していました。

 

僕は 生物部の中にも ゲームオタクがいたので聞いてみると

 

「先生 そんなの 人それぞれですよ。バーチャルの世界と 俺は 区別

 

ちゃんと ついてますから 」と答えていました。

 

僕は ゲームを 否定しませんが せめて 夏休みなどは 

 

ゲームなしの生活が どれほど楽しいか 感じさせて あげたらいいと

 

思います。できたら、自然の中で、何日か過ごせれば、とても

 

よい経験になります。

 

自然の中に存在する さまざまな命に 目を向け、命を大切にしていく

 

気持ちを強くしていくからです。

 

生きているものは 互いに 生きていることを 尊重しあうことが

 

大切です。僕は 自分の体験から しつこいいじめを行う人間には

 

この意識が極端に欠けているように 思えます。

 

あまりに 無造作に命を 扱ったからです。何しろ 僕をいじめるために

 

昆虫をつぶしたり 手足を 喜んで むしるのですから。

 

僕たちは 命の大切さを いつ どのようにして 学んできたので

 

しょうか?

 

小さい子供の中には 無造作に チョウチョの羽をむしりとったり

 

アリを 踏みつけたりする子がいます。

 

まだ 命の何かを考えられない子には 確かにそういう子もいます。

 

というより 僕らは 皆 最初 分からず このようなことを

 

してきたのだと思います。

 

かわいい赤ちゃんが、このようなことをすると、親は心配しますが

 

赤ちゃんは、何をしているか分からないのです。

 

だから きちんと命の大切さを 教えていけば 問題はありませんし 

 

皆 そうやって 学んできたのです。

 

ただ 幼稚園になっても このようなことを 頻繁に繰り返すのであれば

 

その子は まだ 親から 命のなんたるかを よく教わっていないことに

 

なります。

 

こういう子を 強く叱れば 当然 泣きます。泣いて 謝ります。

 

「 そうだよね 死ぬと思っていたらできないよね。だから

 

もうこういうことは やめましょうね 」

 

親が このような 叱り方だけで 終わったとしたならば この子に

 

命の尊さは 伝わらないと思います。この子は 親に嫌われないように

 

謝っているのであって 奪ってしまった命に対して 謝っているのでは

 

ないからです。

 

上巻 名前の項で書いた通り 「 三つ子の魂 百まで 」「鉄は 熱いうち

 

打て 」は正しいのです。

 

人間として、最も大切なこと、すべての命を大切に扱う心は 一番初めに 

 

きちんと 教えておくべきことなのです。

 

ディズニーランドも 子供の頃が 初めての場合と 大人になってからが

 

初めての場合では 印象がだいぶ違ったものになります。

 

僕は 小学生低学年の時 初めて 東京に家族旅行し 後楽園に

 

連れて行って もらいました。その時 弟と入ったお化け屋敷の楽しさが

 

今でも忘れられません。本当に楽しかった。大人であったならば

 

あんなに楽しくなかったと思います。

 

このように 子供の感受性は 大人とは 比較になりません。

 

この時期に最も大切なことを しっかり 教えておくことは

 

とても大切なことなのです。

 

-続く-

 

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チョウチョの思い出2

僕には チョウチョ取りで 一つ 忘れられない 思い出があります。

 

小学生の頃 友達Aとチョウチョを捕まえて 遊んでいました。

 

友達Aは 捕まえて 虫かごに入れる時 チョウチョの羽を そうっと持って

 

いました。

 

そして 僕が捕まえても

 

「 ケン そうっと そうっと 持てよ 」

 

と 注意するのです。

 

しばらく チョウチョ取りを楽しんで 虫かごから 放して あげる時

 

Aは その理由を 話してくれました。

 

「 俺さ 昔 チョウチョの羽 むしっちゃったことあるんだ。そしたら

 

すごく 母ちゃんに 叱られたんだ。 チョウチョに謝りなさいって 」

 

「 そうなんだ 」

 

元気に飛んでいく チョウチョを見ながら Aは 話を続けたのです。

 

「 母ちゃん こう言ったんだ。 おまえ このチョウチョにも 

 

帰る家があるんだよ。このチョウチョ もう 家に帰れないんだよ。

 

飛べないから カマキリ達に捕まって 食べられちゃうんだよ。

 

おまえ 今日 山に遊びに行って 足もがれたら 帰ってこられないだろう。

 

それでいいか? 悲しくないか? おまえは 今 そういうことをしたんだ。

 

そう思って チョウチョを 見なさいって 」

 

彼は 思い出したように うなずきながら 僕の顔を見てきました。

 

僕は 自分の母も 僕が同じことをしたら きっと そう言っただろうなと

 

思いながら Aに聞いてみました。

 

「 そのチョウチョ どうしたの? 」

 

「 もう飛べなかった。放しても すぐ落ちてきちゃうんだ。だから 俺が

 

死ぬまで 虫かごの中で 飼うって言った。母ちゃんも そうしなさいって。

 

でも すぐ死んじゃったんだ。 俺 その時 初めて どんだけ 悪いこと

 

したか分かったんだ。 涙 出できた。 何度も チョウチョに謝った 」

 

僕は Aのやさしさに 感動しました。

 

「 そうだね。お母さんの言う通りだね。それで あんなに やさしく

 

羽を持っていたんだね。 俺も 今度から もっともっとやさしく

 

つかむようにするよ 」

 

僕は 理由が 分かって 飛んでいく チョウチョを 感慨深く

 

見ていました。

 

「 どこに 帰るんだろうね。 今日 捕まったけど 逃げてきたって

 

家族に 冒険話するんだろうね 」

 

僕が Aに言うと

 

「 うん (人間も虫も) 皆 同じなんだもんな 」

 

Aは 嬉しそうに 答えました。

 

僕たち二人は 空の虫カゴを ぶら下げながら 満足して 家路に

 

ついたのでした。

 

のちに NHK みんなの歌で 「 手のひらを太陽に 」

 

を 聞いた時 この時の光景を まざまざと思い出しました。

 

「 手のひらを太陽に すかしてみれば

 

まっかに流れる 僕の血潮

 

ミミズだって オケラ(モグラみたいで かわいかったなぁ~)だって

 

アメンボ(水の上をスイスイ、不思議だなぁ~と眺めていた)だって

 

みんな みんな 生きているんだ 友達なんだ  」

 

Aは 飛んでいくチョウチョを 見ながら きっと 羽をむしってしまった

 

チョウチョを 思い出し 謝っていたのだと思います。

 

僕には Aの気持ちが 少し分かる気がしました。中巻② 白いヘビの項で

 

書いたように ヘビの命を奪ってしまい 反省したことがあったからです。

 

僕らは それぞれ 自分の責任で死んでしまった 小さな命を思い出し

 

生きて飛んでいく チョウチョの姿を見て 生きている意味を感じていま

 

した。

 

人間は 大小 こういう経験を通して 命の重さを 感じ取っていくもの

 

ではないかと思います。

 

命の大切さは 自然と接し いろいろな生命と触れることが 一番です。

 

命の尊さを 勉強しようとか そんな気持ちなど ありません。

 

自然の中で遊び さまざまな生き物の 生きる姿、死ぬ姿を 目にすることで

 

心が感じ取っていくものです。 

 

こういった学びは 学校や室内にこもった環境では なかなか得られない

 

ものです。

 

そして こういった学びこそ 世の中を 正しく 生きていくために 

 

必要であり 役立ってくれるものでした。

 

下巻①:人間が一番バカだの項に登場するおじいさんと 話していて 人間は

 

 

すぐに この気持ち(生きているものは 互いに 生きていることを

 

尊重しあうことが 大切 )を 忘れてしまうのだなと 思いました。

 

 

おじさんは 僕に 次のことを 教えてくれました。

 

『 他の生き物だって 人間と同じ。 幸せになりたいと思っている。

それを人間は 人間だけの基準で いいもの 悪者を決めている。 』

 

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日本の一番長い日1

感謝! また 昔の教え子Kさんから いくつか コメントを頂きました。

 

本当にありがとうございます。誰だろう? Kさんのコメントにもありましたが

 

当にふざけたことばかりしている僕だったのですが なぜか たくさんの生徒か

 

相談を持ちかけられました。それも ここでは 書けないようなことばかりでし

 

た。不思議なことです。だから なかなか特定できません。会う時まで 楽しみに

 

しておきます。

 

子育て頑張っているんですね。立派なお母さんにならなくていいんですよ。失敗だ

 

らけでも また この人の子供になりたいと思うお母さん。笑顔が素敵で 笑顔を

 

絶やさないお母さんなら 子供は 安心して 育っていくと思います。

 

 

8月中旬 母と「日本の一番長い日」という映画を観に行きました。前日 テレビ

 

で同題の映画をやっているのを 母が見ていました。この時 初めて 上映中の映

 

画は リバイバル版であることを知ったのです。母が見ていたものは 1967年に岡

 

八監督が映画化ものでした。

 

きっと 母は 上映中の映画も見たいと言い出すに違いないと 映画館の上映時間

 

をチェックしていると 案の定でした。

 

映画を観終わって 母に尋ねてみると 旧作では役所広司が演じた 阿南陸軍大臣

 

三船敏郎 山崎 努演じた 鈴木貫太郎首相は 笠 智衆(りゅう ちしゅう) 

 

松崎桃李が演じた 戦争続行を望む若い将校は 黒沢年男が演じていたそうです。

 

旧作における天皇は シルエットや体の一部でしか出てこず 誰であるかは分から

なかったというので 調べてみると 松本幸四郎が演じていることが 分かりまし

た。

当時は 天皇を画面上 堂々と演じることなど タブーだったのでしょう。そう

いった意味で しぶガキ隊のモックン(本木雅弘)演じる天皇が そのまま出てく

ことが 旧作との一番の違いと言えると思います。個人的にはモックン演じる昭和

皇は なかなか良かったと思います。ちょっと イケメン過ぎますが。

母に「どっちの映画が良かった?」

 

と聞いてみると

 

「 内容からしたら どちらとも言えない。ただ 前作の方が迫力と重みがあっ

 

た。 あと 言葉が聞き取りやすかった 」

 

と 答えました。

 

確かに 若い将校達の言葉の中には 早口で聞き取りにくい部分があり 気にかか

 

りました。ただ 戦争を続行させたい 玉音放送の録音を中止させたいという意味

 

の発言だと分かっていたので 映画自体には 影響なく観ることができました。

 

映画そのものは 戦争と今ある平和について 考えさせるものであり 日本人なら

 

観ておくべき作品だと感じました。テレビで 旧作が放送された場合は 今度は見

 

てみようと思っています。

 

-続く- 

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日本の一番長い日2

母は 続けてこう言いました。

 

「 でも 両方見ることができて良かった。どちらにしても とにかく 戦争はい

 

ないよ。本当に何もなくなってしまう。あと一年 戦争が長引いていたならば

 

父ちゃんも おそらくいなかった。つまり おまえたちも いなかった 」

 

僕は 今更ながら 70年前(1945年 昭和20)の8月15日 終戦を迎えていなかっ

 

たならば 自分はいなかったかもしれないという事実に驚かされました。

 

侵略するための戦争 自国を守るための戦争 どちらにしろ 戦争になれば 多く

 

の人の命が失われ 失われた命それぞれには その命を悲しむ家族・友人がいま

 

す。これは 相手国も同じことです。会いまみえる若い兵士どうしは お互いに 

 

憎しみはありません。しかし 出会ってしまえば 殺らなければ 殺られるという

 

異常な世界が戦争です。毎日 毎日 明日は死ぬかもしれないと 思って過ごすの

 

ですから 本当に心休まることはなかったでしょう。

 

母は続けました。

 

「 8月15日 14歳だった お母ちゃんは 玉音放送を 聞いた時 一語一語の

 

味は よく分からなかったよ。ただ ああ 日本は負けたんだと思い 家に帰っ

 

よ 」

 

結核で寝たきりの兄は 日本の敗戦を信じず「 神国 日本がアメリカになんか負

 

るわけがない 」と大変な剣幕で怒ったそうです。

 

しかし 戦地に行っていた二人の兄が帰ってくると 敗戦を信じるしかなかったよ

 

うです。帰ってきた兄の一人は 人間魚雷として 特攻が決まっており 少し長引

 

けば 帰らぬ人になっていたといいます。本当に良かったです。

 

二人の兄が 帰ってきたことで 安心したのでしょう。

 

「 正乃(母の名前) これで 兄ちゃん死ねるね 」

 

と言い それから間もなく亡くなったのです。

 

再び 当時の話をし始めた母は この兄を思い出し 言いました。

 

「 自分が死んだら お母ちゃん 一人きりになってしまうと 必死に 病気と

 

闘っていたんだね。 優しい人だったよ 」

 

母の言葉で 小学生の頃 終戦の話をしてくれた時を はっきりと 思い出しまし

 

た。この結核を患っていた兄は 毎日のように 洗面器いっぱいの血を吐き 妹で

 

ある母が 面倒をみていたそうです。

 

当時 母はこの兄について こう言っていたのです。

 

「 真ん中の兄ちゃんは お母ちゃんを一人にしちゃいけないと 一口60回かんで

 

食べてたんだ。必死になって かんでいた 」

 

この話を聞いた時 「 このお兄ちゃんは 結核をアメリカだと思って 戦ってい

 

るに違いない。僕のお母ちゃんを守るために 戦争に行っていると同じくらい 厳

 

しい戦いを毎日してるんだ 」と 目頭が熱くなりました。

 

母の昔話が一段落すると 僕の口から 自然と 次のような言葉が出ました。

 

「 とにかく 天皇が終戦を決断したことは良かったね。戦争を続行していたら 

 

今 どうなっていただろうね。 新潟にも 原爆落とされて ここらへん 悲惨

 

だったろうね 」

 

「 ああ ほんとだ。ただ 敗戦が分かっていたのなら もう少し早く 終わらせ

 

べきだった。最後の数か月で どれだけ 特攻なんかで 無駄な死に方をした若

 

がいたことか。 春にやめていれば ものすごくたくさんの命が 救われたはず

 

だ 」 

 

母の言葉に 僕は 映画の中で描かれている天皇の苦悩が 観る人によって いろ

 

いろに 感じられるものであることを知りました。

 

僕は 母の言葉で 「戦争を早期終結すべき」という近衛文麿(このえふみまろ)

 

(終戦の年の2月14)を思い出したのです。この上奏を認めず 天皇と軍部は

 

戦争を続けたようです。

 

近衛文麿と言えば 日独伊三国同盟を結び 太平洋戦争を開始するお膳立てをして

 

勝手に退陣した首相として有名な人物です。この後を受け継いだ東条内閣は 戦争

 

に突入するしかなかったとも言われています。

 

ただし この上奏の趣旨は これ以上の犠牲者を出さないためというよりも 日本

 

の共産化を防ぎたいというものだったようです。

 

「 日本の敗戦は免れない。そして このまま長引けば ソ連軍が介入して来る。

 

ソ連に占領されてしまえば 日本は共産化されてしまう。そうならないためには 

 

資本主義のアメリカに早く降伏し 戦争の終結をすべき 」という感じのものだっ

 

のでしょう。

 

この上奏がなされた時点で 天皇と軍部の誰が本当に 国民のためを思って 終戦

 

を考えていたかは分かりません。

 

昭和天皇が 実は飾り物でなく 軍の決定にも自らの意思を きちんと伝えていた

 

という説もあり そうであったならば 近衛文麿の上奏時点では 天皇も戦争終結

 

を 先延ばしにしようと考えていたことになります。

 

天皇が この時点で 近衛の上奏する理由はともかく 敗戦は避けられない事実と捉え

 

これ以上の犠牲者を出したくないと これを受け入れていれば 広島と長崎への原爆は

 

なかったことになるのです。

 

だから 終戦後 天皇がマッカーサーとの会見で述べられた言葉に対する解釈も 人そ

 

れぞれなのだと思います。

 

天皇は「戦争責任は 日本国民にではなく すべて自分にある」と述べられたと言いま

 

す。これを「あなただけの責任ではありません。あなたを飾り物にして 戦争を推し進

 

めた軍部に大きな責任があります。それなのに ありがたい 国民を守るお言葉です」

 

と解する人もいれば「当たり前です。あなたの責任で始められた戦争ですから」と 考

 

える人もいるということです。

 

戦後生まれの僕には 当然ながら 天皇が その当時 戦争をどのように 考えて

 

いたか 本当のことは分かりません。

 

しかし 紛れもなく 1945(昭和20) 8月15日の時点では終戦を考えていたこ

 

とは 確かです。

 

終戦後 天皇の責任について いろいろな意見があります。アメリカが占領した日

 

本を 上手くコントロールするために 天皇の責任を不問にし 天皇制を残したと

 

いう意見にも 一理あると思います。

 

ただ その後 昭和天皇は  戦争によって失われた命への贖罪を感じながら 立

 

派に 生きられたと感じています。大切なのは 天皇家が 戦後 どう生きてきた

 

かだと思うのです。

 

「 天皇が神格されていたあの時代 遅かったとはいえ 戦争を終わらす決断をし

 

た天皇は立派だった。今の天皇も立派だ。そして 美智子妃殿下なんか ほんと

 

立派だ。二人はどこに出しても 恥ずかしくない。本当に仲が良いし 平和を

 

願っている 

 

しみじみ言う 母の言葉に 戦後の天皇家が歩んでこられた道が正しく これか

 

らも 日本の象徴である 天皇家が そうであって欲しいと 僕は 思いました。 

  

日本で一番長い日 それは現人神であった天皇が人になった日とも言えます。国民

 

に植え付けた 現人神という洗脳を利用して 神が治める国は絶対に負けないという

 

拠のない意識を 軍人や国民に刷り込んだ政府の責任は 大きいと思います。

 

昭和天皇の責任の是非には、さまざまな思いがあるでしょう。天皇家に生まれた一

 

人の人間が 当時 何を考え 生きていたかは 分かりません。そこばかり 根掘

 

り葉掘りしていても 答えは水掛け論になるばかりだと思います。 

 

それよりも 戦争を知らない我々は 戦後の天皇家が どう生きてきたかを素直な

 

で見ることが 重要ではないだろうかと 思うのです。

 

今の天皇と皇后を見ると お二人は 力を合わせて 間違いなく 世界の平和を

 

祈って生きておられると 感じずにはいられません。

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ネット世界からいじめをなくそう

8月2日のブログで 危惧したことが 佐野研二郎氏に起きているようです。

 

佐野氏が 作品について批判されても 仕方がないと思います。

 

あれだけ 疑惑の作品が出てくるのは 尋常ではありません。

 

本人の中で 作品制作のタブーを守る意識が 麻痺していたか 故意でない限り

 

あれだけ 次々に 他のデザインと そっくりなものは 出でこないでしょう。

 

本人が どれだけ オリンピックエンブレムは 盗作していない

 

オリジナルだと言っても むなしく 聞こえてきます。

 

スタッフのせいにしたのもいけなかったと思います。

 

たとえ そうだったとしても 自分の名前で出しているのですから

 

責任は同氏にあります。スタッフ 本人 どちらが盗作したとしても

 

今後 内部告発など出てきて さらに泥沼化しないことを祈ります。

 

「どうして こういう作り方をする人が いくつも賞を受賞できるのだろう?

 

デザイン界って 皆 こうなの? 」

 

という 素朴な疑問が こみ上げてくるのは 僕だけでしょうか?

 

そういう意味で きちんとした過程を経て デザインを作成している人達

 

および デザイン界全体に 与えた痛手は小さくないと感じます。 

 

今後 佐野氏のデザインに対する目は より厳しく 冷たいものになるでしょうし 

 

デザインの依頼も少なくなってくるのではと思います。

 

あれだけ ネット テレビ ラジオ 雑誌と すべてのメディアで

 

叩かれれば ビジネスの世界で 一番大切な 信用・信頼というものを

 

失ってしまったといえます。

 

ただ もし仮に 本当に盗作していて これだけの 問題に発展したとしても

 

彼はすでに 十分社会的制裁を受けたと思います。

 

後は 本人の反省を待って 見守っていればいいことです。

 

だから これ以上 関係のない事で非難するのは いじめでしかないのです。

 

ネットの大きな利点は 多種多様な情報を共有することで 一人では見つけることが

 

難しい情報を 手に入れることが 簡単になったことです。

 

ただ 情報は結局 人間が作るものです。

 

本来ならあってはいけないことなのですが 

 

世の中には 平気でうその情報を流す人もいます。

 

以前 調べ物をしていた時

 

「 え~! どうして こんなウソが まことしやかに 書かれてるの 」

 

と 驚いたことがあります。

 

たまたま 知っていたことなので 信じませんでしたが

 

知らない内容であったならば 信じていたところでした。

 

それからは なるべく気をつけるようにはしています。

 

簡単に手に入る情報というのは 

 

それだけ 気をつけなくてはいけないということです。

 

欲しいのは 人間に役立つ情報で ゴミはいりません。

 

ゴミが多くなればなるほど 情報量が多いという特性が仇となります。

 

情報の中から 正しい情報を選び出すのに 時間がかかってしまいます。

 

悪い情報は 最も たちの悪いゴミ情報です。


悪い心に火をつけ 個人や団体を 中傷・誹謗することにつながります。

 

そして これが 次なる 心ない人に共鳴し 拡散していくのです。

 

ですから 悪意ある情報は ネット世界という体における がん細胞と言えます。

 

家族の写真の公開 電話番号やアカウントの公開など

 

すれば これを利用して さらなる嫌がらせが 始まります。

 

人を傷つける情報がいくらあっても 人は幸せにはなりません。

 

これらの情報を流した人は 本当に卑怯で 恥ずべき人間です。

 

事件が起きた時 ネット社会での 批判の仕方に その国の

 

心の豊かさが現れると 僕は感じています。

 

そういった意味で すでに日本は 卑怯がまるで正論のように

 

まかり通っている節があります。

 

顔が見えないからと 何でもやる卑怯さを 子供に教えないと

 

今後日本は ものすごく卑怯な国になる気がします。

 

ネット社会でこそ、恥を知る国になりたいものです。

 

また 正しい情報であっても それを活かすかどうかは

 

アクセスした本人次第です。

 

本にも書きましたが せっかくの情報を 悪行に使う事件を見ると

 

僕は鉄人28号の歌詞を思い出します。二番の歌詞がとても意味深いのです。

 

このような歌詞です。

 

あるときは 正義の味方

 

あるときは 悪魔の手先

 

いいも悪いもリモコンしだい

 

鉄人 鉄人 どこへゆく

 

ビューンと 飛んでく鉄人28

 

毎日のように 歌っていた歌詞だったのですが

 

鉄人が悪用される内容の回が放送された日 

 

子供心に「歌詞が言っている意味は こういうことだったんだ。

 

力は正しく使ってこそ 人間の役に立つんだな~」と考えさせられたのです。

 

ネットの正しい情報は まさしく鉄人28号です。

 

ネット情報を 人間の役立つ世界に 飛ばしましょう。


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情報に頼りすぎるとダメになる

長時間調べものをしていて 行き詰った時 こんなこと 思ったことないですか?

 

「 この先の情報はないか? 誰か考えてないかな~ 」

 

僕は 何回か この思いに駆られた時 一つのことに 気がついたのです。

 

「 あれ? 自分で考えるのが 面倒くさくなってる 」

 

この先は 自分で 考えていくべきなのに 答えは 別の情報の中にあるに違いない。

 

それを探せばいいと思っている自分がいたのです。

 

僕のような鈍才は 知識を持っている人を見ると

 

「 頭いいな~ 勉強家だな~。たいしたものだ 」

 

と 感心してしまいます。

 

だから 情報を多く持つと 自分が偉くなったように 錯覚してしまうのです。

 

しかし 情報をたくさん持っていることと 

 

これを活かして 生活を豊かにしているかは 別問題です。

 

知識人でも バカなことをする人がいます。

 

これは せっかく持っている知識を 活かしていないことになります。

 

宝の持ち腐れってことです。

 

必要は発明の母という言葉がありますが 情報が少ないということは

 

自分で考えることの母なのかもしれません。

 

僕のような人間は ついつい情報に頼り過ぎる結果

 

調べることで疲れてしまい その先を考えることをしなくなります。

 

これでは 知識は少し増えるものの ますます愚鈍になってしまいます。

 

少ない情報から 答えを導き出す力こそ 未来を開拓していく力です。

 

大学受験の時 東大に進学した友達の 頭の良さに 驚いたことがあります。

 

物理の苦手な僕は その事項に関係する公式を 参考書から抜き出し

 

いろいろ覚えはしているものの 実際に問題を解くと

 

どれを利用してよいのやら チンプンカンプンでした。

 

しかし 彼はスラスラ解いてしまいます。

 

どの公式を使ったのか知りたくて 公式を抜き出したものを見せると

 

彼は怪訝な顔をして 反対に聞いてきたのです。

 

「 ケンちゃん これ何? 俺 この中で知っているのは 2つだけだよ。

 

こんなに覚えなくちゃいけないの? 」

 

そう言って 少し公式を眺めていた彼は 驚くべきことを言ったのです。

 

「 ああ そういうことか。でも 他の(公式)って 俺の覚えている奴

 

分かっていれば その時 導き出せばいいだけじゃん。だから この2つだけで

 

いいってことだよ 」

 

僕は衝撃を受けました。

 

「 これが頭のいい人なんだな~。最低限の所から 問題に応じて

 

必要な公式を 導き出しちゃうんだ。すげぇ! 」

 

もしかしたら ネットの持つ 多種多様で膨大な情報世界は

 

僕と同じような人間かを どんどんバカにしているのかもしれません。

 

もし 僕と同じ思いを持った方がいたなら お互い気をつけたいものですね。  


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手打ち焔で食べたい~

僕はラーメンが大好きです。醤油 味噌 とんこつ どれも好きですが

 

僕が一番好きなのは さっぱり醤油系と辛い系です。

 

そのラーメン屋さんの腕が 最も分かるのは

 

基本となる 醤油ラーメンだと思います。

 

母が作ってくれる醤油ラーメンは 母の味として別格なのですが

 

純粋に ラーメンの味として 僕の中で ナンバーワン ラーメンは 

 

白河ラーメンです。

 

僕が美味しい白河ラーメンに出会ったのは 6年ほど前でしょうか 

 

火風鼎という白山のラーメン店に弟と入った時でした。

 

この店は 現在 那須塩原市で 手打ち「焔(ほむら) 」

 

営業している店主が 東京白山で営業している時の店でした。

 

店の名前は火風鼎と言いました。

 

一口食べた時

 

「う うまい~(絶叫~) 」

 

と うなりました。

 

店を出ても 弟と二人で 「ここうまいな」と 口をそろえたのです。

 

まず 麺が素晴らしい。こしがあり スープを程よく吸い

 

噛んだ時の跳ね返してくる触感が快感でした。これが第一の幸福感。

 

そのあと 鶏ガラベースのスープの味が口の中に広がりました。

 

濃さも 脂も 絶妙で 奥深く「お~ スープもいい 」

 

これが第二の幸福感。

 

さらに 手打ち独特の縮れ具合が 喉越しに 脳へ心地よい

 

振動を伝えました。これ、第三の幸福感。

 

「こ、これは!今まで食べてきたラーメンとまるで違う。

 

今までで 一番うまい」と 感じたのです。

 

一口目で これほど 僕を虜にしたラーメンは ありませんでした。

 

それからというもの 味の虜になった僕は 連日通い詰め 

 

いろいろなメニューを食べました。

 

塩 味噌 ワンタン チャーシュー どれも美味しく やはり

 

醤油がうまい店は どれもうまいと一人で 満足していたのです。

 

だいたい ラーメンは種類を変えて 二杯食べていました。

 

料理好きの母を 参考になればと連れて行ったことがありました。

 

母はラーメンについては なかなかうるさく めったに

 

美味しいとは言いません。

 

その母が「おまえが美味しいというのが分かる」と言って

 

誉めたのです。うれしかったです。

 

火風鼎の立地場所は 通りが途切れる場所で 良くない場所でした。

 

だから オープン当時 客は少なかったはずです。

 

しかし ラーメンの味はウソをつきませんでした。 

 

彼のラーメンの虜になった 大勢の客が 連日列を作るようになりました。

 

僕は列を見るたび うれしくなり 思わず 差し入れを買いに

 

行ったこともありました。

 

彼が那須塩原に行ってしまった後 ペナント募集になっていた

 

火風鼎の跡地の前で ある家族が「ここ 美味しかったのにねぇ~

 

どこ行っちゃったんだろう」と言っていました。

 

僕も「やっぱりな~、残念なのは 俺だけじゃないよな~」と改めて

 

その味の確かさを実感したのでした。

 

ただし僕が虜になったのは ラーメンの味だけではありませでした。

 

店主 誉(たか)君の人柄でした。

 

30歳も下の彼の ラーメンにかける生き方が

 

まぶしくて ついつい足が向いてしまったのです。

 

高級店からすれば たかがラーメンかもしれませんが 

 

されどラーメンなのです。

 

彼と会っている時には あえて言いませんでしたが

 

彼のラーメンを食べて 初めて

 

「一杯のラーメンが 人を幸福にするんだ」と 感じたのです。

 

これは 僕には衝撃だったのです。感動しました。

 

どうして そんなことが この若い青年にできるのだろうと

 

興味を持ったのです。

 

その答えは ラーメンに対する愛情と探求心でした。

 

とても 研究熱心で いつもラーメンのことを考えていました。

 

彼が試行錯誤したラーメンの味比べをして ラーメンについて語らったのも

 

楽しい思い出です。

 

僕は 彼のラーメン求道の手伝いをできることが楽しかったのです。

 

応援することで 彼から元気をもらっていたのです。

 

ここでは 書きませんが 彼には大きな目標があるのです。

 

僕はその目標が 達成されることを 切に祈っています。

 

彼は親子二代に渡る ラーメン職人です。ラーメン界の親子鷹です。

 

お父さんは 福島で 有名な火風鼎を 営んでいます。

 

お父さんのラーメンも素晴らしく

 

彼は父のラーメンに追いつこうと努力し あの味になり

 

さらに今はもっと 進化していると思います。

 

そう思うと よだれが出てきます。

 

彼のすごい点は 王道を踏み外さず 新しい味を作り出すところです。

 

時代的に 「えっ?これ、ラーメン」という まったく 

 

新しい創作ラーメンも現れ 話題になったりもしています。

 

も 彼は創作の中でも 最もシンプルな麺、スープへの微妙な進化を

 

大切にしているのです。

 

時代の流行りに流されない 本物のラーメンを追及しているのです。

 

 お父さんには 二、三度誘って頂き 軽く飲んだのですが 

 

とても 気さくな方で 息子のことばかり話していました。

 

家族とても仲が良さそうで ますます気に入りました。 

 

そうそう 従業員に 三人姉妹がいて これがまたかわいかった。

 

僕はミーアキャット姉妹と呼んでいました。

 

注文を取ると ヒョイと背伸びをして カウンター越しにいる

 

(たか)君に 注文する姿が ミーアキャットみたいだったのです。

 

その仕草がとてもかわいくて 心が和みました。

 

きっと この三姉妹目当てで 訪れる客もいたはずです。 

 

あ~ 思い出せば出すほど また食べたくなってきました。

 

しかし 東京からは遠く 簡単には食べに行けないのが残念です。

 

ですから インターネットで検索して 投稿された写真を見て

 

我慢しています。

 

投稿写真で 麺を量っている誉(たか)君を見ると 泣けてきます。

 

「頑張ってるんだな~」

 

 

パチパチ!と手を叩いてます。

 

白山時代にはなかった新しいメニューもあり 彼の研究熱心さが

 

相変わらずなのを うれしく感じています。

 

チャーシュー麺の写真なんか見ると たまりません。

 

自家製の燻製チャーシューがいいんです。

 

よく チャーシュー自体は 柔らかく美味しいのですが

 

ラーメンぶち壊しっていう チャーシューラーメンがあります。

 

ここのチャーシューは ちゃんと麺とスープのジャマをせず 

 

それでいて 歯ごたえ 味といい 絶品です。


那須塩原に行く方は 是非食べに行って下さい。

 

手打ち焔です。そして その美味しさを広めて下さい。

 

(たか)君へ

 

白山時代は 教え子でもないのに 僕をケン先生と呼んでくれ

 

いろいろな サービスをしてくれ 本当にありがとう。

 

お世話になりました。本当に誉(たか)君のラーメンが食べたいです。

 

必ず 食べにいきますから 待っていて下さい。


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日本にサンダーバートを

(たか君へ)

返事 ありがとうございます。うれしかったです。


相変わらず 繁盛している様子 うれしい限りです。


4時起きで 頑張ってるけど 夢のためにはへっちゃらって 


とても たか君らしいですね。応援しています。


くれぐれも 体に気をつけてね。空手喜んで教えます


よ。くにおラーメン大王にも よろしくお伝え下さい。


なっちゃんも 元気にしているんですね。妹二人にもよろしくね。


いつか白河で再会できること 楽しみにしています。

 

(Kさんへ)


Kさんが観た二本のドキュメンタリー映画は見ていませんが 


そうですね 終戦と言えば 沖縄忘れちゃいけないですよね。

 

終戦がもっと早まっていれば アメリカの都合上 


沖縄の上陸占領は 免れなかったとしても 


沖縄県民の25%を失った沖縄決戦という悲劇は 


避けることができたと思います。

 

僕も若い頃 沖縄と言えば 


日本の美しい南国というイメージだけを持っていました。


観光チラシで うりずんの沖縄に行こうみたいな


キャッチフレーズを見て うりずんが 2~5月を


さしていることを知ったのも だいぶ大人になってからの事


だったと思います。沖縄には未だ行ったことがありません。


ちなみに 政治に関与しないと 憲法で定められているはずの


天皇が 沖縄基地に関与したことを 教えてくれたのは


30年前の沖縄の人でした。


時の吉田首相を飛び越えて 米軍を沖縄に残してくれと


マッカーサーに 願い出ていたと教えてくれたのです。


してソ連中国から 守ってくれと伝えたというのです。


この訴えで 沖縄に基地は残ったし 半永久的に


日本であって日本でなくなってしまったと 言っていました。


今はけっこう知っている人がいる事実ですが 驚きでした。


沖縄の人にとって 天皇は特別な存在であることを知りました。


ただ この人は天皇について 恨み つらみの気持ちは


持っていませんでした。


自分が沖縄について何も考えていなかったことを知った日でした。



東京もしばらく雨が続いていました。


台風に伴う大雨の被害を見ると 自然の前では いかに人間が 


無力なのかを思い知らされます。


あっという間に流されていく家々 取り残されて救助を待っている人々

 

その様子は まるで津波が来た時のようです。


世界的な異常気象といいますが 地球が繰り返してきた天候の


サイクルからしたら ほんの小さな変化とも言えます。


何せ地球全体が 氷の塊だった時代すらあったというのですから。


( 22億年前から 少なくとも3回 地球全体は凍結したことが


分かっています )


地球レベルで考えた場合 その中のごく小さな変化に対してさえ


21世紀になっても 人間は まったく太刀打ちができません。

 

被害の状況を 目の当たりにすると これから 被害地の人達は


どうするのだろうと ため息が出てきてしまいます。


地域全体で考えても 排水して 泥やごみをかき集め 


邪魔にならない場所へ運んで 必要なものは乾かして 


そして燃やしたり埋めたりと 大変な作業です。


個人個人の家でも少なくとも これがなされるわけです。


まだ 家が残っている人はいいです、なくなってしまった人は


頭が真っ白になっていると思います。

 

こういう事件が起こるたび 日本に 人形劇 国際救助隊


『サンダーバード』みたいな 救助隊があったらいいのになぁと 


思ってしまいます。


災害の種類に応じた スペシャル救助機が 開発されていて


活躍するのです。


水害なら 一台で 現在の100倍パワ-という超強力排水車 


十人一度に救助できる特別ヘリ。


土砂災害なら 100倍パワ-で小回りのきくショベルカー 


夜の事故なら 地域一帯を 照らし続けることができる


人工光源 こういうもの 開発できないのかなぁ~。

 

50年に一度の大雨のようですが 地球的な変化から考えると 


今後 毎年こういう天気が多くなり 各地に被害をもたらしていくと 


予想されます。怖い事です。


地震も怖いですが 大雨による被害の方が確率的に 


はるかに高いのです。せめて 保水力のない地域における


土地の掘削など 人災ともいえる被害だけは


少なくしたいと願います。


今問題になっている ソーラーパネルの違法な設置など 


便利さのため 自然を破壊していけば 必ずどこかで 


災害が発生します。


水の削り取る力は 人間の想像を絶するものです。