新幹線のぞみ焼身自殺2

「 ただ 顔にヤケドがあるだけ そして 普通にしているだけ。

 

それの どこがいけない。 どうして 僕が 当たり前で

 

いることを 認めようとしないんだ 何をしたというんだ。

 

どうしてだ! なぜ なぜなんだ! 

 

いくら考えても 分からない。 やっぱり 悪いのは あいつらだ。

 

お前たちなんか 消えて なくなれ! 死んじまえ! 」

 

この 怒りと憎しみが 日ごと 幼い心に 膨れ上がり

 

苦しくて 仕方がありませんでした。

 

「 もう ダメだ 限界だ。 いくら やめろと 

叫んでも やめはしないんだ 」

 

「 いや まだ頑張れる こんなことで 負けるな 」

 

「 でも もう 疲れたよ。 死んで 楽になりたい 」

 

「 何言ってんだ。 死んだからって 楽にならないって

 

分かっているじゃないか。 諦めないって 自分に

 

約束したじゃないか。 しっかりしろ 」

 

「でも やっぱり 辛い。 だって 終わりが 見えないんだもん。

 

それに もしかしたら 本当は 死ぬと 楽になれるのかもしれないぞ。

 

そうだ 楽になるには やっぱり 僕が死ぬか あいつらが 消えて

 

なくなるしかないのでは 」

 

悩みながら このように コロコロ変わる自分に対して

 

ある日 次のように 感じたのです。

 

「 どうして 自分の心なのに こんなに コロコロ 変わっちゃうんだ。

 

なんで こんなに 弱虫なんだ。ちくしょう しっかりしろ

 

ケンのバカ! おまえは 自分のことなのに どうして

 

どうにもできないんだ!・・・・・ ハッ! 」

 

『 自分のことすら 分からない。 だったら 他人の心なんて

 

もっと分からなくて 当然。 自分の心すら うま

 

コントロールできない。ましてや 人の心を

 

コントロールしようと 悩むなんて 無駄なこと 』

 

気がつけば 本当に 当然なことなのです。

 

中巻① (見えてきた 悩んでも ムダな思い )

 

に書きましたが 心に 変革を起こす 気づきとは

 

あまりに 当然で 聞けば

 

「 何それ そんなこと 当たり前でしょ 」

 

ということなのです。 

 

でも この当たり前は 頭の中で 分かっているだけで

 

実際には 役に立ちません。この当たり前を 頭では

 

なく 心が実感するから 全身が理解し 怒りを

 

消していくことが できるのです。これが 気づきです。

 

これを 実感できると 閉じこもっていた意識が 開放され 対象とされる世界が 広がります。

 

そして 不満をぶつけても それで状況が 変わるものではないこと。

 

変わらないからといって 怒りをぶつけることは いっそう

 

自分の中の怒りを 大きくしていき なおかつ 周りに

 

迷惑をかけることだと 考えられるようになってくるのです。

 

この意識は 我慢することとは 違います。諦めに近いですが

 

これとも 少し違います。

 

この意識を 認識できるようになると 怒りが 再び生じても

 

心が 次のように 叫ぶようになります。

 

「僕は 前に進みたい。でも 今まで繰り返してきた

 

考え方では 前には進まない。怒りと悲しみで 

 

心が疲れていくだけ。とにかく こういう考え方を

 

していても 時間の無駄でしかない。疲れるだけ 」

 

すると 心に1つの 言葉が 浮かび上がって来ました。

 

「だったら どうする? どうしたら 前に進む? 」

 

「 どうして 」から「 どうしたら 」に 気持ちが

 

切り換わった 瞬間でした。

 

-続く-