「 夏は 蚊帳を つりながらも 扇風機を タイマーにして
なるべく 涼しくする 」
「 冬は 人間湯たんぽの術を 使う 」
「 必ず 夕食は 家族で食べ あったかい ご飯を食べさせる 」
「 暑くなると 薄手 寒くなると 厚手の 肌触りの良い服を
自分でつくり 着せる 」
「 大人にしたら 馬鹿げた 遊びを 一緒にやって 戯れる 」
「 ごみ捨てや掃除を 皆で 楽しくやる 」
「 お宝 お宝と 言って 抱きしめる 」
など 母が やってくれていたことは
会話では ありませんでした。
言葉の数からすると 今で言う お友達家族に 比べれば
とても 少ないのでは ないかと思います。
いつでも べったり
何でも かんでも
包み隠さず 話すという
関係では ありませんでした。
僕らの いろいろなものに対する 好き嫌いにしても
「どうして 知ってるの 」
と 聞くと
「 そんなもの 見てれば 分かったわね 」
という感じでした。
一つ屋根の下であっても
それぞれの パーソナルスペースは
きちんと 確保されていたからこそ
自由な 空間だと 感じることが
できていたのだと 思います。
「 大人にしたら 馬鹿げた遊びを 一緒にやって 戯れる 」
も 中途半端なものでは ありませんでした。
たとえば ゴリラのマネをして 家中 歩き回ったりしました。
舌を鼻下に 入れて つくる ゴリラ顔は 人間離れしており
動きも すさまじいものでした。
子供達は 腹がよじれるほど 笑いました。
「 お父ちゃんにも やってみせて 」と言うと
「 だめだ お父ちゃんには 見せられない 」
と 真っ赤になりながら 答えました。
言い終わると また ゴリラに変身し 胸を叩き 絶叫しました。
それからも しばらく 皆で ゴリラのマネをして
はしゃぎ 回っていました。
普通であれば あれほど 長くは
やっていられなかったと 思います。
そして 本人いわく
世間が どう思っているかなど
まったく 考えて いなかったのです。
でも 丸の内線の お母さん同様 一生懸命でした。
ただ あのお母さんのように
イライラしてはいませんでした。
いつも 明るく
とにかく 子育てが 楽しいのだと
子供達に よく 分かりました。
何しろ 僕らが 楽しいのですから。
おまえ達が いるから
お母ちゃん 幸せで たまらない
という オーラが ほとばしっていました。
-続く-
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