母の言葉を もう一度 書いてみます。
「 ただ 言うことなんか まったく きかない おまえ達が
毎日 元気にしているのを 見るのが 喜びだった。
ホント やっちゃいけないってことしか しないんだから。
だけど それが 楽しかった。
おまえ達が してくる 馬鹿げた話を
聞くのが 楽しかった 」
これは 僕が 中巻①で書いた 気づき
『 自分のことすら 分からない。だったら 人の心は
もっと分からなくて 当然。
自分の心すら うまく コントロールできない。
ましてや 人の心を コントロールしようと
悩むなんて 無駄なこと 』
( 中巻① )
『 僕の神様は 人間を支配しない神様。
結局は おまえ自身だよと 励ましてくれる神様。
そして 一緒になって
周りに 感謝してくれる神様。
ありがたい 』( 中巻① )
を 理解していたから 言うことを きかない 僕らに
イライラしなかったのだと思います。
そして 支配(コントロール)しようとも
しなかったのです。
さらに 言うことを きかなくても それが 楽しかった というのですから
『 人間 上手く行かないと 面白くない。
でも 本当は 上手く行かないからこそ 面白くなる 』
( 中巻② )
をも 理解していたと 思われます。
だから 心に余裕を持って コントロールのきかない
双子の行動を 楽しむことも できたのだと
感心してしまいます。
そして
「 どうしたら おまえ達が 気持ちよく 家で過ごせるだろうかしか
考えてなかった。それだけだよ。でも とにかく 幸せだったよ 」
とも 言いました。
僕は 母の 「どうしたら」という言葉に 胸を打たれました。
「どうして」 ではなく 「どうしたら」 だからです。
中巻①を 読んで頂ければ
「どうして」という言葉が
どういう時に 心に浮かぶものか よく分かると思います。
情けないほど 愚痴っている僕を 的確に表した 言葉なのです。
「どうして」は 心に 葛藤が 渦巻いている時に 発する言葉なのです。
そして 有楽町線のお母さんが 息子を 問い詰めるように 使った言葉です。
「どうしたら」は 葛藤というマイナスの場から 一歩進んだ
前向きなエネルギーを持つ心が 発する言葉です。
最後に 「 どうしたら おまえ達が 気持ちよく 家で過ごせるだろうかしか
考えてなかった。それだけだよ。でも とにかく 幸せだったよ 」
という言葉ですが この母の言葉は 言い方を変えると
僕の次の気づきと同じだと 感じています。
『 幸せは 求める心では 見つからないのだ。
幸せは 相手に 幸せをあげたいと思うと
見つかるものだ 』( 中巻① )
結局 母は「 どうすれば 子供達が 気持ちよく 過ごせるか 」
だけを考え 一生懸命生きていたら 幸せだった と言ったのです。
他人を 心地よい気持ちにさせたい = 相手に 幸せをあげたい
です。 その結果 幸せを見つけていた ということです。
-続く-
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