子育てに秘奥義があるとしたら4

母の言葉を もう一度 書いてみます。

 

「 ただ 言うことなんか まったく きかない おまえ達が

 

毎日 元気にしているのを 見るのが 喜びだった。

 

ホント やっちゃいけないってことしか しないんだから。

 

だけど それが 楽しかった。

 

おまえ達が してくる 馬鹿げた話を

 

聞くのが 楽しかった 」 

 

これは 僕が 中巻①で書いた 気づき

 

『 自分のことすら 分からない。だったら 人の心は

 

もっと分からなくて 当然。

 

自分の心すら うまく コントロールできない。

 

ましてや 人の心を コントロールしようと

 

悩むなんて 無駄なこと 』

 

( 中巻① )

 

『 僕の神様は 人間を支配しない神様。

 

結局は おまえ自身だよと 励ましてくれる神様。

 

そして 一緒になって

 

周りに 感謝してくれる神様。

 

ありがたい 』( 中巻① )

 

を 理解していたから 言うことを きかない 僕らに

 

イライラしなかったのだと思います。

 

そして 支配(コントロール)しようとも

 

しなかったのです。

 

さらに 言うことを きかなくても それが 楽しかった というのですから

 

『 人間 上手く行かないと 面白くない。

 

でも 本当は 上手く行かないからこそ 面白くなる 』

 

( 中巻② )

 

をも 理解していたと 思われます。

 

だから 心に余裕を持って コントロールのきかない

 

双子の行動を 楽しむことも できたのだと

 

感心してしまいます。 

 

そして

 

「 どうしたら おまえ達が 気持ちよく 家で過ごせるだろうかしか

 

考えてなかった。それだけだよ。でも とにかく 幸せだったよ 」

 

とも 言いました。

 

僕は 母の 「どうしたら」という言葉に 胸を打たれました。

 

「どうして」 ではなく 「どうしたら」 だからです。

 

中巻①を 読んで頂ければ 

 

「どうして」という言葉が

 

どういう時に 心に浮かぶものか よく分かると思います。

 

情けないほど 愚痴っている僕を 的確に表した 言葉なのです。

 

「どうして」は 心に 葛藤が 渦巻いている時に 発する言葉なのです。

 

そして 有楽町線のお母さんが 息子を 問い詰めるように 使った言葉です。

 

「どうしたら」は 葛藤というマイナスの場から 一歩進んだ 

 

前向きなエネルギーを持つ心が 発する言葉です。 

 

最後に 「 どうしたら おまえ達が 気持ちよく 家で過ごせるだろうかしか

 

考えてなかった。それだけだよ。でも とにかく 幸せだったよ 」

 

という言葉ですが この母の言葉は 言い方を変えると

 

僕の次の気づきと同じだと 感じています。

 

『 幸せは 求める心では 見つからないのだ。

 

幸せは 相手に 幸せをあげたいと思うと

 

見つかるものだ 』( 中巻① )

 

結局 母は「 どうすれば 子供達が 気持ちよく 過ごせるか 」

 

だけを考え 一生懸命生きていたら 幸せだった と言ったのです。

 

他人を 心地よい気持ちにさせたい = 相手に 幸せをあげたい

 

です。 その結果 幸せを見つけていた ということです。 

 

-続く-