七夕に願うこと

若者が イスに座り 本を読んでいた。

 

すると 部屋のドアが 開き

 

初老の男が 声をかけてきた。

 

男は 白い服を 着ていた。

 

「おい いいものやるぞ 」

 

若者は イスから 振り向き 

 

「 いいもの? 何? 」

 

興味ありげに 聞いてみた。

 

白服の男は 若者に 歩み寄ってきた。

 

「これからは 男もオシャレに 気を使う時代だ。

 

これ 使いなさい 」

 

そう言うと

 

白服の男は ポケットから

 

短い 筒状のものを取り出した。

 

「 これ何だい? 」

 

「 これか? これは 唇の乾燥を防ぐ

 

リップクリームというものだ。

 

こういう風に スティックタイプになっていると

 

携帯に便利だろ。ポケットか 何かに入れて

 

いつも 持っていなさい 」

 

そういうと スティックを 若者に手渡した。

 

「 ふ~ん これって 唇に塗るの? 」

 

「 あ~ そうだ。 ただ 塗る時は

 

縦に塗りなさい? 」

 

男は 使用上の注意をした。

 

「 縦? どういう意味? 」

 

「 ああ 唇には 縦に溝が入っているから

 

それに沿って 塗りなさい。 大切なことだ 」

 

男は ポケットから もう1つ 

 

スティックを 取り出した。

 

「 やって見せるから 見ておきなさい 」

 

言いながら 男は キャップを外した。

 

中から 白い 円筒状の塊が 出てきた。

 

男は 口を 軽く 開くと

 

上唇に対して

 

スティックを 上から 下に向けて

 

ゆっくりと 動かした。

 

丁寧に 二度 三度

 

唇を 往復させた。

 

口を 軽く閉じると

 

パパパと 数回 開閉させた。

 

次に 下唇に 対して

 

同様のことをした。

 

「 なるほどね。 ありがとう。 なるべく 使ってみるよ 」

 

「 そうしなさい クセをつけると いいぞ。 これはいい。

 

うん なくなったら 言いなさい。 また あげるから 」

 

男は うれしそうに 頷くと 部屋から出て行った。

 

若者は 机に 振り向きなおし 

 

スティックを 机の上に立てた。

 

そして 読んでいた本の続きを 読み始めた。

 

しばらくすると 若者は 読むのを やめた。

 

ふと 思い立ち スティックを持って

 

鏡の前に立った。

 

唇を アヒルのようにして 見てみた。

 

「 なるほどね。 確かに 縦に 細い線が入っている。

 

今まで 気にしてみたことがなかった 」

 

若者は 白服の男が 言った言葉を

 

思い出したのだった。

 

若者は キャップを 取り外すと

 

さっき 男が 見本を 見せてくれたように

 

ていねいに 

 

上唇 下唇の 順で

 

二度 三度と

 

唇を 往復して 塗った。

 

そして 口を これまた

 

さきほどの 男同様に

 

パパパと 何度か 開閉させてみた。

 

「 味がしないな。どんな成分が 入っているんだろう。

 

唇から 水分が 蒸発するのを防ぐ 何かだろうな 」

 

キャップをして 筒を見て見ると

 

筒の横に 商品名らしき カタカナが書いてあった。

 

読んでも 意味が分からない 名前だった。

 

若者は イスに 座りなおすと

 

再び 本を読み始めた。

 

しかし しばらくすると 本を閉じた。

 

かすかにだが 唇に 粘着感を 感じたからだ。

 

若者は 口を開閉してみた。

 

パッパッパッ

 

少し ベタつく感じはしたが 

 

たいして いつもと 変わりがないように 感じた。

 

若者は 鏡の前に行き 唇の状態を 確認してみた。

 

見た目も 変わらない。

 

「 何か変だな。まあ 慣れれば どうってことないのか 」

 

若者は 何ともないことを 確認すると

 

再び 机に座り 本読みを 再開した。

 

すると やはり 唇に かすかな ベタつきを 感じた。

 

そこで 今度は 指で唇を 触ってみた。

 

「 ん? ベタベタするぞ。これだけ べたつくんなら 

 

ノリとして 使えるんじゃないか? 」

 

さっそく 男は 自分の ひらめきを 試してみることにした。

 

要らない紙を取り出し 折り目をつけた。

 

スティックの キャップを取り 折った部分に

 

クリームを 塗ってみた。

 

思った通りだった。

 

折り目で 折ってみると

 

紙は 見事なほど ピッタリ くっついたのだ。

 

「おお~ すごい へたなノリより よっぽど くっつくぞ。

 

俺は 唇にではなく こうやって使おう。男が来たら

 

こういう使い方も できると 教えてやろう。驚くぞ 」

 

若者は この発見に 喜びを感じていた。

 

ガラッ

 

突然 部屋のドアが 開いた。

 

「 おい クリーム 使ったか? 」

 

「 ああ 使ったよ。ちょっと ベタつき感があるね。

 

でも そのベタつきで ノリとしても

 

使えそうだよ 俺やってみたんだ 」

 

「 そのノリだ。それノリだった!

 

薬屋が 置いて行った ノリだった 」

 

「 !・・・ノリ・・・えっ・・・ 」

 

「 すまん すまん 聞き違いだった。

 

それは 本物の ノリだった 」

 

男は やや すまなそうな顔をして 言った。

 

「 え~! どぉ~りで ベタつくわけだ。 

 

ノリとして 使えるどこか ノリそのものか! 」

 

若者は 唖然として 答えた。

 

「 ふふふ そうか おまえも 使ってみたのか。

 

すでに 遅かったか。ワハハハ 使ったか こりゃ 愉快 愉快 」

 

突然 男は 肩を揺らし 笑い始めた。

 

「 そうだよ あれだけ よさそうに 塗ったくって 

 

見せれば 使って みたくなるよ 」

 

答えながら 若者は 唇を 指でこすり 確認した。

 

「うわっ ノリだって 分かったら 

 

すごく ベタつく感じだよ。 だまされたよ 」

 

「 いやいや すまない だますつもりじゃなかった。

 

でも そうか 使っちゃったか ワハハハ ワハハハ

 

愉快だ こりゃ 愉快な 一日だ 」

 

また 肩を震わせると 男は 部屋を 出て行った。

 

若者は 男を追うように イスから立ち上がり 

 

洗面所へ 向かった。

 

洗面所に行くと 白服の男が

 

懸命に 唇を洗っていた。

 

若者は 男に向かって言った。

 

「先生~ 必死ですな~。まぁ~ よくも

 

あれだけ ウンチクならべて 手本見せてくれたよ。

 

ていねいに 塗ってたから 相当 ベタついてんじゃないの? 」

 

「 ワハハハ ワハハハ おまえ 笑わすな 愉快 愉快 」

 

男は そういうと ついでに 顔も洗った。

 

30数年前 父と僕との間に起った 実話である。

 

通称 リップクリーム詐称事件。

 

「 ねぇ お父ちゃんは いつ ノリだって 分かったの? 」

 

「 俺か? 俺もてっきり リップクリームだと 思ってたから

 

ふふふ 患者に 得意げに 塗って 見せてやったんだ

 

・・・ふははは 」

 

父は 笑い始めて なかなか 先が言えない。

 

「 え~っ また 塗ったの! さすがに

 

ベタついたでしょ? ふははは 」

 

僕も 笑いながら 問い直したのです。

 

「 ふふふ 俺もな ベタつくなとは 思ったんだ。

 

でも 初めてだろ。こういうものかと 思って

 

慣れれば 気にならなく なるのだろうと 思ってな。

 

だって 女性は 皆 使っているんだろう。

 

そう思って 患者に 講釈たれて

 

塗って見せたんだ。 ふははは

 

そしたらな アッハハハ 」

 

「ふふふふ そしたら・・・ 」

 

笑いが 止まらない 父に 僕も 笑いが止まりません。

 

「 先生 それ・・・ ふははは

 

うちの子供が 使っている・・・・くくく

 

スティックノリって奴に 似てますねって 言うんだな

 

ふあっははは 」

 

父は もう楽しくて 仕方がないという 感じです。

 

「 ふふふふ それで分かったのか。 患者さん 笑ったろ。

 

バカ医者だと 思ったんじゃないの? 」

 

「 バカ そんときゃ まだ 俺も 分からんかったんだ。

 

患者も そういうだけで それ以上 追及しなかった。

 

ノリって言えば うちは 液体の奴しか 使ってないだろ。

 

ほ~ そういうものが あるんだ くらいにしか 思わんかった 」

 

「 よかったねぇ~ そん時 俺みたいに 

 

何かに塗って ノリだって 分かっちゃったら

 

笑い者になるとこだったね はははは 」

 

「 ああ ほんとだ 危なかった 」

 

父は 不幸中の幸いとばかり 頷きました。

 

「 それで いつ 分かったの? 」

 

「 ああ 患者の薬 確認しに 事務に行ったんだ。

 

そしたら 同じ奴が たくさん おいてあったんだ。

 

それで これ どうしたんだって 聞いたんだ?

 

そしたら これ ノリですから

 

お使い下さいって

 

薬屋がおいて言ったって言うんだな  ワハハハ 」

 

「それでか? さすが 親子だね。 ベタついても

 

初めてだから こういうもんだと 思っちゃうよね。

 

でも 何で リップクリームだなんて 思っちゃったの? 」

 

僕は 不思議に 思って 父に 聞いてみました。

 

「ああ 俺が悪いんだ。薬屋が 患者が途切れた所

 

見計らって 薬の宣伝していったんだ。

 

その時 これの説明も していったんだな。

 

俺は 薬の説明を 聞き終わったら

 

カルテを 書き始めたから

 

その説明を よく聞いてなかったんだ 」

 

「 そうなんだ でも よく聞き間違ったよね 」

 

「 ああ 薬屋に見せられた時 

 

これは 口紅みたいだなって 俺が言ったんだ。

 

そしたら 薬屋が 先生 女の人が使っている 

 

リップクリームって 答えたんだ。

 

だが そのあとをよく 聞いてなかったんだ。

 

リップクリームは 縦に 塗るとかまでは

 

聞いていたんだけどな そこまで聞いたら

 

分かった気になって

 

カルテに 集中しちゃったんだな 」

 

「まったく 思い込みも はなはだしいね 」

 

僕は 呆れたように 言いました、

 

「まったくだ。 薬屋は リップクリームに

 

似てますが そうじゃないんです ノリなんですって

 

言っていたんだろうな。

 

患者に 薬の説明をしている時

 

時々 聞いていない奴がいて

 

人の話は きちんと聞け

 

飲み方間違うと

 

大変なことになるんだからなんて

 

叱っていたのに このざまだ。

 

医者の 不養生みたいなもんだな。

 

情けない 」

 

父は 笑いながら 反省していました。

 

「でも ノリって デンプンでしょ。

 

毒じゃなくて よかったよ。

 

これ 毒だったら 二人とも 死んでいたかもよ 」

 

そう言いながら 僕は 父に 笑いかけました。  

 

「 そうだな ワハハハ ワハハハ 」

 

「 良かったね 間違ったけど 楽しい 思い出ができて 」


「 まったくだ 今日は 七夕だから たんざくに

 

本物のリップスティック お願いしますって

 

書いておこう 愉快 愉快」 

 

父は  白衣から スティックノリを 出すと

 

一人で また 大喜びしていました。

 

その後 父は 本物の リップスティックを

 

僕にくれることは ありませんでした。

 

父のことだから たんざくに

 

「 本物の スティックノリ 」

 

と 書いたのかも しれません。

 

おしゃれ    というが~

(ささのは   さらさら~)

 

 ノートに  ぬれば

( のきばに  ゆれる   )

 

 あ~れ?ど~して くっつく 

( お~ほ しさま  きらきら  )

 

 ノリ ノリ ノリだ~

( きん ぎん すなご~  )