中2 列車飛び込み自殺

悔しい また 中2が 自殺しました。

 

列車に飛び込んで しまいました。

 

テレビで 事件を知り 「ア~」というため息が出ました。

 

目頭が 熱くなりました。彼の心中を思うと 本当に残念です。

 

13歳 そう・・・ 楽になれると思うよね。

 

先のこと考えると 先が見えないもんね。

 

いつまで 続くんだろうと 絶望感しかないよね。

 

大人に 相談して 欲しかったって 言うけれど

 

それが できないんだよね。

 

ノートに SOSを出している。

 

どうして 親が気づかない?

 

それが 気づかないんだよね。

 

だって 気づかれないように するんだもんね。

 

君は中1の時 親に相談している。

 

その時 担任と学校が 当てにならないと

 

知ったに違いない。

 

親に これ以上 迷惑を かけたくないとも

 

思っただろう。

 

家族だからこそ 上手く 隠せちゃうんだよね。

 

それこそ 愛情があれば

 

子供の異変 すべてを

 

キャッチできるなんていう

 

評論家が いたならば 分かっていない。

 

僕が 自殺をしていて あなたの子供であったならば

 

ある日突然 息子の死を 知らされていたと 思います。 

 

列車に 飛び込んで 自殺という アナウンサーの声を聞き


僕は あの日を 思い出しました。

 

列車にひかれようと 線路で 列車を待った 何日かの日々を。

 

だから 列車が来るまでの 彼の思いを 考えると

 

胸が痛みます。列車が見えた瞬間 血の気が さーっと 引き


何も考えれない あの数秒間。

 

いじめにあっていた頃 僕は 何度も 飛び込みに行きました。

 

中巻① 窮鼠 ネコを噛む の項で書いたように

 

「 おまえなんか 列車にひかれて 死んじまえ!

 

いいか 今日 死ね! 」

 

などの 言葉は 毎日のように 浴びせかけられていました。

 

苦しくて 生きているのが 辛いと思った時 

 

突如として この言葉は 頭の中に 現れました。

 

そして BGMのように 頭に鳴り響き 続けるのです。

 

僕の足は BGMから 催眠術をかけられたように

 

海岸近くを走っている 線路へと向かいました。

 

線路に到着すると 列車を待ちました。

 

単線のレールに 足をのせ 立って 待ちました。

 

しかし 迫ってくる列車の 迫力と警笛音に

 

思わず 飛び退きました。

 

列車が 見えるから ダメなのだと 次は 寝て 列車を待ちました。

 

ところが 列車が近づくにつれ レールが激しく 振動し

 

けたたましい 警告音が 体を揺さぶりました。 


立っている時以上に 怖くなり 我慢が出来ず 逃げ出しました。

 

「ここにいちゃ いけない 」

 

はっと 我に返り 一目散に 逃げ出しました。

 

時が現代で 場所が 東京にある駅であれば

 

逃げ出すことも なかったと思います。

 

ただ ホームに 落ちれば 良いのですから。

 

そう思うと 田舎の単線で 本当に 運が良かったと思います。

 

列車を待つ時間が長く しかも 真正面から

 

列車を待っているので 迫ってくる恐怖が

 

半端なものでは なかったのです。

 

こういう時の 自殺願望は 衝動的なものでした。

 

その日の朝 いじめになんか 負けないと

 

思って 元気に出かけていました。

 

しかし いじめによって 

 

一時的に 大きく バランス崩した心は

 

死を選ぶという 極端な行動を 僕に取らせていたのです。

 

今回 自殺してしまった彼は ノートに 死に場所は

 

決めてあると 書いてありました。

 

こういうことを 残すということは

 

実は 死にたくない。 ただ 僕は 今 死にたいくらい

 

苦しいんだ。分かって 欲しいということです。

 

誰よりも 分かって欲しいのは 

 

もちろん いじめてくる 相手でした。

 

そして 苦しみに耐えて 頑張っている僕を

 

誰かに 認めてもらいたいという 気持ちもありました。

 

でも いじめにあっている 子供の心というものは

 

複雑で 弾力性のないものです。

 

分かって欲しいけれども その気持ちを 知った大人の

 

とる行動が 自分の 希望と違っている場合

 

その行動を 受け止める 余力が 残っていないのです。

 

いじめにあっている頃のある日

 

僕は いつも通り 隠れ家に行くと

 

地面に あるものを発見し 驚きました。

 

土の地面に

 

「 死にたい 死にたい 死にたい でも 死にたくない 」

 

と ほって 書いてあったのです。

 

何度も なぞったために 太く 深く 掘り込まれていました。

 

石で 無意識に 何度も 書いて 消し忘れていたのです。

 

僕は これを見て 絶対 ノートには こういったものを

 

書かないと 決意しました。

 

矛盾しているようですが

 

こんなものが 親に見つかったりして 大騒ぎになってしまったら

 

すぐに 死のうと 思ったのです。

 

おそらく 子供の自殺願望を 知れば 

 

親子関係が 上手くいっていない

 

親であっても 態度は 急変すると 思います。

 

緊急事態に 

 

「 言うことを きかないで 困ってはいるけれども

 

とにかく 生きていて 欲しい。それ以上は 望まない 」

 

という 心境になると思います。

 

ただ いじめに悩む僕の心には 壊れそうだけれども 

 

頑張ってきたというプライドが ありました。

 

「 頑張って来たね 」

 

と やさしく 言いながらも

 

大人本位の気持ちで 究明を急ぎ

 

原因を 問い詰められたり

 

過剰に いたわったりされたら

 

自殺スイッチを 本当に 押してしまうのです。

 

本当の頑張りを 認めてくれていないからです。

 

「 苦しくって 仕方がない 誰かに 分かってもらいたい。

 

だけど こんな理解の仕方をされたら 我慢ならない。

 

今まで 頑張って来た自分が あまりに あわれで ちっぽけだ。

 

それで 終わってしまう。そうなったら もう いい 本当にもういい 」

 

こういう気持ちでした。

 

彼のSOSを知った時

 

「 このままにしておいて 何かあったら 世間に何を言われるか

 

分からない。至急 手を打つべきだ 」

 

このような 気持ちで対応したならば

 

その時は 止めることができたとしても 

 

彼の自殺行動は 繰り返されると思います。

 

事件後 学校側が行う 結果報告の仕方の 裏返しは

 

いじめを 発見した時 行う 自分の保身ばかり気にして

 

本人の気持ちを 考えない対応です。

 

「 僕(私)は 頑張って来た 」

 

いじめられた子に 接するとき

 

本当に この心を 大切に 扱って

 

あげなくては いけないと思います。

 

そうでないと いじめが 終わったとしても

 

本人の心は 自分を許していこうと しないのです。

 

このような 大人の「よく頑張ったね 辛かったね 」は

 

言葉自体には 問題はありませんが

 

社交辞令のようなもので 心がこもっていません。

 

大人の目的は 世間に説明するための 情報収集です。

 

自分達が いじめられた子供の 心の傷を 広げていることに

 

気がつかないのです。どこまでも 身勝手なのです。 

 

《 いじめられた子供の自尊心を 守って 癒していく 》

 

この接し方は 大人だから 親だから できるものでは ありません。

 

できるのは 本当に その子を 理解し 支える心を 持った人間です。

 

その子の ありのままの姿を 愛してくれる相手なのです。

 

そうでなければ 癒すことができない 傷なのです。

 

僕は 小学2年生で 自殺をしないと 誓ったものの

 

3年生で 本当に つぶれそうになってしまいました。

 

その時 僕の頑張りを 理解して 手を差し伸べてくれた相手こそ

 

コウちゃんだったのです。大人では ありませんでした。

 

これは 楽になりたいなら 生きていけの 続編

 

子供の気づき(このページ右上端 クリック )に

 

今後 書いていきます。

 

実は 今 この時を思い出して

 

僕は 泣きながら パソコンを 打っています。

 

それほど うれしかったのです。

 

 今回 担任の対応に対して 事務的と 書いてあり

 

僕自身も そう感じます。

 

自殺の文字がある以上

 

この時点で どのくらい本気なのかは 分かりませんが

 

両親に知らせ 対策を 取るべきだったことは

 

間違いないと思います。

 

そして くれぐれも 過剰な対応を取らず 

 

彼の気持ちが 落ち着くようにしていきましょう

 

と 連絡しあっていれば  未然に防ぐことが

 

できたかもしれません。

 

問題となっている記述をしながらも すぐに 彼の所へ行き

 

彼の気持ちを 和らげる対応を取れていれば

 

この記述は そういう彼の心を くんでの記述とも

 

取ることができるわけです。

 

ここに やたら どうしたの? 何があったの? 誰に何をされたの?

 

など しつこく書き込まれると いじめられている本人は とても

 

苦痛に 感じることも あるのです。

 

こういう記述が あれば あるほど いじめられている子供への

 

対応を きちんとしているとは 言えないのです。

 

残った記録としては 「ああ 一生懸命 対応していたのだな 」

 

と 周りを 納得させるものになるでしょうが。

 

これは いじめられている本人に よって さまざまだと思います。

 

ただ 実際に 自殺してしまった以上 この記述は

 

批判の対象になっても しかたがないものになってしまいました。

 

しかし 先生には 感謝しているという記述もあり

 

他の全ページをよく読み 日常での二人のやり取りを

 

よく調べないと 分からないことです。