いじめをする子供の 欲しがっている
アイデンティティー(自己の存在証明)を
簡単に表現すると こう自己満足したいのです。
「 やっぱり 僕(私)って すごいんだ 」
( この自尊心は ある意味間違っているのですが
その 間違いに 僕が気づいたのは 僕が 3年生でした。
下巻①に書きましたが また いつか 書こうと思います )
でも この潜在意識は 誰の心にも
存在しているものだと 思います。
この潜在意識は 本来であれば 親が子供の話に 耳を傾け
同調し 認め ほめてあげることで 満足するものです。
しかし 丸の内線で見た母親や A Bの親は これをしません。
それどころか 自分の期待にこたえないと 子供に ダメ出しをしています。
その結果 子供の中に
「 僕(私)って ダメな存在。弱い存在? 嫌だ こんな気持ち! 」
という 負の潜在意識が 生れるのです。
丸の内線で見た母親や A Bの親に似た親が 多くなって来た現代
この潜在意識が 飢えた状態で 学校に入学してくる
生徒が多くなってきたのです。
この飢えた潜在意識は「 強い自分の認識欲求 」とも
言い換えることができると思います。
この意識が 弱い人間を 発見する嗅覚は 狡猾で 鋭いものです。
無差別通り魔が 錯乱状態と いいながらも
必ず 自分が勝てそうな人間を 襲っていくが如く
正確に 弱い奴に 狙いをつけるのです。
だから とても 狡猾なのです。
気の弱そうな奴はいないか? 普通と 違っている奴はいないか?
と 触覚を伸ばします。
それらしき 相手を 見つけ 自分達が 攻撃してもよいという理由を
少しでも 見つけると ここぞと 攻撃を開始するのです。
さらに たちの悪い奴らだと
一度 撃退されても 仲間を集めて 再攻撃していくのです。
この仲間を集めて 集団でいじめるという点が
僕らの時代のいじめと 少し違ってきた所だと 感じています。
A Bが ◎◎に イラつきを感じたのは
◎◎の姿に うまくやれないで ダメ出しを
もらっている 自分自身を 見ていたからなのです。
◎◎のとろさは 克服したい自分自身なのです。
昔は 正義感の強い子供が いじめを止めに 入りましたが
今は こういう子供が いじめの 対象にもなっています。
正論を主張する 強い相手も 徒党を組めば 倒せることを
狡猾な 心は 感じ取っているのです。
正論を 主張する生徒以外は 自己中心的な親に
言い返せないできた自分と 同類であると
直感で分かっているのです。
-続く-
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