いじめの芽をつんで減らしていけ7

いじめをする子供の 欲しがっている

 

アイデンティティー(自己の存在証明)を

 

簡単に表現すると こう自己満足したいのです。

 

「 やっぱり 僕(私)って すごいんだ 」

 

( この自尊心は ある意味間違っているのですが

 

その 間違いに 僕が気づいたのは 僕が 3年生でした。

 

下巻①に書きましたが また いつか 書こうと思います  )

 

でも この潜在意識は 誰の心にも

 

存在しているものだと 思います。

 

この潜在意識は 本来であれば 親が子供の話に 耳を傾け

 

同調し 認め ほめてあげることで 満足するものです。

 

しかし 丸の内線で見た母親や A Bの親は これをしません。

 

それどころか 自分の期待にこたえないと 子供に ダメ出しをしています。

 

その結果 子供の中に 

 

「 僕(私)って ダメな存在。弱い存在? 嫌だ こんな気持ち! 」

 

という 負の潜在意識が 生れるのです。

 

丸の内線で見た母親や A Bの親に似た親が 多くなって来た現代

 

この潜在意識が 飢えた状態で 学校に入学してくる

 

生徒が多くなってきたのです。

 

この飢えた潜在意識は「 強い自分の認識欲求 」とも

 

言い換えることができると思います。

 

この意識が 弱い人間を 発見する嗅覚は 狡猾で 鋭いものです。

 

無差別通り魔が 錯乱状態と いいながらも

 

必ず 自分が勝てそうな人間を 襲っていくが如く

 

正確に 弱い奴に 狙いをつけるのです。

 

だから とても 狡猾なのです。

 

気の弱そうな奴はいないか? 普通と 違っている奴はいないか?

 

と 触覚を伸ばします。 

 

それらしき 相手を 見つけ 自分達が 攻撃してもよいという理由を

 

少しでも 見つけると ここぞと 攻撃を開始するのです。

 

さらに たちの悪い奴らだと

 

一度 撃退されても 仲間を集めて 再攻撃していくのです。

 

この仲間を集めて 集団でいじめるという点が

 

僕らの時代のいじめと 少し違ってきた所だと 感じています。

 

A Bが ◎◎に イラつきを感じたのは

 

◎◎の姿に うまくやれないで ダメ出しを

 

もらっている 自分自身を 見ていたからなのです。

 

◎◎のとろさは 克服したい自分自身なのです。

 

昔は 正義感の強い子供が いじめを止めに 入りましたが 

 

今は こういう子供が いじめの 対象にもなっています。

 

正論を主張する 強い相手も 徒党を組めば 倒せることを

 

狡猾な 心は 感じ取っているのです。

 

正論を 主張する生徒以外は  自己中心的な親に

 

言い返せないできた自分と 同類であると

 

直感で分かっているのです。

 

-続く-