コミックを数冊 万引きした
親「 万引きは 父さんもしたことがある。
実は 万引きを やったことがある人は多いんだ。
だから たいしたことないけど 泥棒の始まりだぞ。
でも 皆 反省して やらなくなっている。
おまえも 反省して もうやるな。
皆 そうやって 大人になっていくんだ 」
→ 反省しません。そして 万引きは 本当に悪いことだと
教えていません。( 信じがたいですが こういう親 結構います )
親「 お父さんも 昔やっちゃったことがある。
それ 換金するのか? それは いい金儲け 方法だな。
これから もっと 盗みに行こうぜ。
お父さんの 大きな バッグに入れよう。50冊ぐらいは 入るぞ。
大もうけだ。ただ捕まったら お母さん 一人ぼっちになっちゃうな。
そうだ! お母さんも 誘っちゃおうか?
そしたら 100冊くらい 盗めるから 大金持ちだ。
すぐに 換金して 焼肉でも 食べにいこう。
でもそのあと ずっと 牢屋の中だし
出てきても 泥棒家族って 言われちゃうな。
でも 見つかんないか?
そうだ! 盗んだら 逃げちゃえばいいんだ。
皆でリュック背負って ついでに 家で一番でかい
旅行カバンもって行こう。 盗んだら海外に逃げちゃえばいい
よし 一緒に 物置から 出してこようか 」
→ 反省します。
子「 だめだよ そんなことしたら 皆 見つかって
逮捕されちゃうよ。お父さんも お母さんも 捕まっちゃうよ。
僕 もうやらないから お父さんも お母さんも やらないで 」
親「 どうして コミック 盗んじゃったんだ。
お小遣いが 足りなかったからか? 」
子供「ううん ◎◎ちゃんが 持っていて 僕に自慢したから
悔しくて 」
親「 そうか 欲しくて 盗ったんじゃなかったんだね。
でも 本屋さん とても 困るね。それに やっとお小遣い
ためて このコミック買いに来たのに なかったら
その人 ガックリだね 」
子供「 うん 悪いことした。返しにいく。ついて来てくれる? 」
親「 偉いなぁ~。勇気あるよ。間違ったら 反省して 謝ることは
大人でも なかなかできないことなんだよ。
お父さんうれしいな。いつでも 味方だよ。一緒に行こう。
そんなことできる おまえは お父さん お母さんの 誇りだ 」
このように 子供が 反省するのは
親が きちんと 子供の行動の 理由を 聞いてあげているからです。
親が 自分中心の 叱り方をし 子供が どうして そうしたかを
聞いてあげて いなければ 子供の反省センサーは 作動しないのです。
話しを聞いてあげないで 育った子供は
いじめる側から いじめにあう側に 回ってしまったとしても
自分の辛さだけにしか 気持ちが いきません。
いじめられている 自分のふがいなさだけしか 心に残りません。
自分の置かれている立場を 他人に置き換えて
他人の気持ちを 汲み取ることが できないのです。
だから 再び いじめる側になった時
そのふがいないなかった 自分への憎しみも
付け加えて いじめを 行うのです。
ですから A Bの心の中には いじめの芽が
すでに あるわけです。
これは A B の家庭で つくられたものです。
小さな子供達は 自分の話をもっと 聞いてもらい
親と 楽しく 触れ合いたいと 思っています。
子供達の話は 大人にとって どうでもよいことも 多いと思います。
自分達だって そうだったことを 思い出しましょう。
「 鼻くそ 食べちゃった 」
「 鼻くそで 切手 はっちゃった 」
とか 馬鹿げたこと 言っていたはずです。
子供達の目線でよく聞き その上で 正すべきことは
正していくのでなければ 子供は 親の言葉に対して
心を開きません。
たとえ 正しいことであっても 親の身勝手な言葉と
とらえて 反省しないのです。
自分の気持ちを 汲み取ってくれ 自分の話を聞いてから
ことの善悪を 教えられるのではなく
その時の 親のエゴに振り回されてきた
子供の心には 自制心がうまく働かないのです。
各家庭で 親の希望を 押しつけず
子供の話を 聞いて あげること。
自分が勝手に抱いている 子供へのイメージと
違った話をしてきても 聞き流さないこと。
子供の目線になって 楽しんで聞いてあげる事。
子供の遊びを 一緒にして触れ合うこと。
失敗を させてあげること。
その時 やさしく 励ましてあげること。
これらをして
健全なアイデンティティー(自己の存在証明)
をもった子供を 育てていくことが
いじめの少ない 社会をつくっていくのに
最も効果があり 近道だと 僕は感じています。
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