7月12日のブログ 「 いじめの芽をつんで いじめをなくそう 」で
いじめの芽は家庭にあると 書きました。
僕が こう確信したのは 大人になってからでは ありませんでした。
いじめにあっている最中のことでした。
その本質に気づいた時
「 えっ まさか これが いじめの 根っこなのか 」
驚きと 人の心の弱さを感じました。
当時の僕は 「 おまえは ミミズの仲間なんだから 普通にしていては
いけない 」
という いじめの理由が どうしても理解できず 「 どうして? 」と
悩み続けていました。
あまりに 理不尽というか バカげた理由なので もっと きちんとした
理由がないと 自分で 納得ができなかったのです。
しかし 『 自分のことさえ分からないのだから 他人の考えが分からなくて
当たり前 』という 気づきで この悩みから 解放されることになりました。
彼らの心のはんちゅうであるのに それをどうにか 知ろうとしている自分
あわよくば 彼ら心を変えようとしている自分が ムダなことをしていると
理解できたのです。
「 まあいい とにかく 気に入らないから いじめていることは
確かなんだ。それだけ 分かっていればいい 」
こう考えられるようになって 少ししてからのことでした。
あることから 一人のいじめっ子の 家庭事情を知ることになり
いじめの本質が 見えてきたのです。
詳しいことは 下巻①をお読み下さい。( まだ 手直し中ですので
出版したら お知らせ致します )
彼の両親は 夫婦仲が悪く それぞれの親が 彼に 辛く当たっていることを
知ったのです。
それが原因で 彼の心が とても荒廃していることを 理解しました。
「 かわいそうだな? まさか そのうっぷんを 僕で晴らしている?
誰でもいいから うっぷんを晴らしたかったってこと。僕は たまたま
そのうっぷん晴らしに 選ばれたってこと? それとも 僕に特別な
理由がある? 」
そこで 彼が 次にいじめを行ってきた時に 僕は 彼に
聞いてみたのです。
-続く-
コメントをお書きください