加害者の顔をさらせばいいのか?

いじめで 自殺者が出た場合 以前書いたように 加害者

 

いじめを 見て見ぬりをし 先生に報告しなかった仲間 

 

担任や先生など 被害者を取り巻く周り皆が 死に追い

 

やったのです。

 

しかし 誰よりも 責任を 負わなくては いけないのは

 

いじめた 加害者達です。今回は 担任も 同罪だと感じます。

 

では 加害者を 明らかにし 退学させ  担任も退職させれば 

 

責任を とったことになるのか?

 

そうしたことで 加害者が 本当に反省するか?

 

経験上 はなはだ 疑問です。

 

いじめをすることじたい 心のバランスを 失っています。

 

このような心は まともな 反省など できないのです。

 

信じられないことですが いじめた側は いじめを やめたら

 

やめたで 平然としているのです。

 

「 いつでも また 始められるぜ 」という上から目線で 

 

何食わぬ顔して 生活できるのです。 

 

僕は いじめを受けていた2年間の後半 こういう彼らの態度に

 

ものすごい怒りと憎しみを 覚えました。

 

本にも書きましたが いじめが発覚した場合 加害者達の言い訳は

 

だいたい 決まっています。

 

「 まさか 死ぬとは 思わなかった。ちょっと 

 

むしゃくしゃしていたので 遊び半分にやってしまいました。

 

何をしたかは よく覚えていませんが 反省しています。

 

でも もし死ぬと分かっていれば やってません 本当です 」 

 

だいたいが このような感じのことを 言うのです。

 

ある意味 本当でしょう。 ある意味とは 相手の命を

 

考えていないという点です。

 

そのくせ 問題が起これば

 

「 私は命の重さを知っています。だから 命を絶つと

 

分かっていたならやりません 」

 

と 都合良くすりかえて 言い訳するのです。

 

同じような 言い訳として 殺意の否定があります。

 

相手を刺し殺した犯人は よく こう言います。 

 

「 刺したことは認めます。しかし 殺意はなかった 」

 

僕はウソだと思います。

 

ナイフを手にした時点で 殺意はあるのです。

 

自分の欲望が 満たされれば 相手の命なんか どうなっても

 

構わないのです。そんな自分を ごまかすために 相手の命については

 

考えなくなるのです。

 

それを 殺しておいてから 相手の命がどうなるかについては

 

考えて刺していなかった自分を 主張して 身を守ろうと

 

しているのです。 

 

その下には わざと 相手の命を 考えようとしなかった

 

身勝手な自分がいるのです。

 

そして 今度は 刑を軽くするためには それを利用して

 

いるわけです。あまりに 詭弁です。命を 何だと 思っているのか !

 

自分達が 被害者の場合 こんな言い訳が 通用すると

 

思っているのでしょうか? 

 

「 甘ったれるな !  死ぬと分かっていたなら 誰だって

 

やらない。そんなこと 当たり前だろうが。だったら

 

死ななければ 何をやっても 構わないというのか?

 

死を選んだ 被害者が悪いというのか?

 

そのおかげで 遊びのつもりだった 自分達が 被害を

 

こうむっているとでも 言いたいのか?

 

あれが遊びか? れっきとした犯罪だ !  」

 

被害者側は こう叫ぶに 違いありません。

 

しかし 加害者の心は どこまでも 身勝手なのです。

 

被害者側の こういう声に対しては

 

「うざい~。心の弱い おまえが悪いんだよ。 だから

 

死んだんだよ 」

 

と 耳を貸しません。

 

中には こっちの人生が狂わされたと 逆切れする場合すらあります。

 

そのくせ 自分達が 同じような目にあうと

 

「ものには 限度というものがあるんだ。おまえ 頭おかしいだろう」

 

と 訴えるのです。

 

下巻①で登場する 僕に土を食わせ さらに 生きたミミズを

 

食わせようとした奴らは これでした。

 

では 今回 どうすれば お父さんの気持ちが 晴れるのでしょうか?

 

加害者達と担任を 世間に公表し

 

「 この生徒達と担任が 私の子供を 死に追いやりました。

 

こいつらは 殺人者です。世間の皆さん こいつらに 責任を

 

負わせて下さい。一生 つまはじき者にして下さい。一生 

 

この殺人者め と さげすんで下さい 」

 

と 訴えることでしょうか?

 

こういう気持ちは 親であれば 必ず起ると思います。

 

僕の中にも これに近い気持ちが ないといえば ウソになります。

 

僕は デスノート(7月14日のブログ)の中で 相手を殺す時 

 

ただでは 殺しませんでした。

 

簡単に殺すなんて したくなかったのです。

 

苦しませなくては 気がすまなかったのです。

 

顔が醜いと僕を 罵倒し 数人がかりで 押さえつけた

 

僕の顔を 踏んだり ツバをはきかけたりした奴らの顔には

 

僕に浴びせた罵声を 焼印してやりました。

 

おまえも こういう風に 弱って死んでいけと 目の前で

 

バッタの足を もいだ奴は 足をちょん切りました。

 

ノートにひどい言葉を 落書きした奴らは 二度とできないように

 

両手の指を切断してやりました。ウンコを顔に塗った奴らは

 

深い便所に落として 人々の糞にまみれさせて 殺しました。

 

画鋲を飲ませたり 仕込んだりした奴は 画鋲を敷き詰めた穴に

 

落としました。 こうしない限り こいつらは 

 

自分でやったことが 分からないと 感じていたからです。

 

そして 実際に そうだったと思います。

 

今回 中2の生徒を いじめた生徒も 自分達のやっていることで

 

相手が どういう気持ちになるかを 分かっていません。

 

正直 たいしたことではないと 思っているのだと思います。

 

このような 生徒は いくら 口で注意しても 反省はしないし

 

できないのです。

 

結局 父親が受けた報告では 加害者を 社会的に罰することは

 

できません。 せいぜい学校側が 加害者を 退学にするくらい

 

のものです。

 

いじめは まちがいなく 犯罪です。 僕はいじめを受けている時

 

犯罪という言葉は 思い浮かびませんでしたが 人間のすること

 

ではないと感じていました。被害者の父親が 加害者達を 

 

刑事告訴したのは 当然だと思います。

 

だから 毎日 ニュースで 加害者の素顔を放映し

 

「 この生徒達は こんなことをして 一人の人間を

 

死に追いやった 殺人者です。 それなのに 平然としています。

 

社会的制裁を お願いします 」

 

このような 呼びかけが 現実になされれば 加害者も 

 

罪の重さが 分かってくると思います。

 

しつこいいじめを行える人間の心は これくらいのことをしないと

 

分からないくらい 相手の痛みに対して 愚鈍になっているという

 

ことです。

 

ひどい少年犯罪が起こるたび 僕は こう思ってしまいます。

 

「 何歳なんか関係ない 悪いことをしたら こうなるんだと

 

きちんと 分からせないといけない。 悲しいことだが 

 

それくらいしないと 少年法で 守られていることを利用する奴

 

らすら 出てくる世の中になってしまった。でもな・・・・」

 

そう でもな・・・なのです。

 

こうなると 彼らに対する バッシングは とどまることが

 

なくなります。

 

「 こんな奴らは 殺していい 」

 

という 行き過ぎた感情が 拡大します。

 

世間の そういった気持ちが 彼らに伝わることも

 

 ある意味 必要だと感じます。

 

しかし ここで 止まらないのが 現代の情報社会です。

 

火のない所にも 煙を立てることが横行し それが あたかも

 

真実のように 信じられてしまう危うさを 持っています。

 

事実とは 異なる報道も 十分に予想されます。そうなると

 

さらなる批判の増大は 目に見えています。

 

そうなった場合 批判に 耐え切れず 加害者が 自殺してしまう

 

ことも 起こりえます。

 

今度は 誰が 責任を 取ればよいのでしょうか? 

 

「 責任から逃げるために 自殺なんかしやがって どこまでも

 

 卑怯な奴! 」

 

とも 思えます。僕も 思うと 思います。

 

確かに 彼らみたいな身勝手人間は 厳しい 社会的制裁がなくては

 

反省しないと思います。でも 彼らが 自殺してしまった場合

 

たとえ 責任逃れで自殺したとしても 殺したのは

 

彼らを必要以上に バッシングした我々です。

 

そして 我々の誰にも 彼らを殺していい権限などないのです。

 

「 いや 殺す気などなかった 」

 

と言えば 彼らと 同じ 詭弁をついていることになります。

 

デスノートという題名のブログを 覚えて おいてでしょうか? 

 

僕は 五冊目のデスノートで 手が止まってしまったと

 

書きました。

 

僕の手を 止めさせた理由の一つは これでした。

 

最初は 怒りにまかせて 書き殴っていましたが

 

怒りを包み隠さず 叩きつけているうちに 奴らと同じことを

 

していると感じ 僕が本当にやりたいことは

 

これではないと 思えたのです。

 

ですから 息子の自殺に対する責任を取らせようと

 

担任や加害者の顔や情報が 毎日 流されたとしても 

 

被害者の父親は いずれ 流すことを やめて欲しいと

 

思うようになると思います。

 

加害者が バッシングに耐え切れずに 自殺すれば 

 

「 息子の仇をとった 」という思いや 加害者の親に対しては

 

「 あなたたちも 私の苦しみを 思い知るがいい 」という思いが 

 

浮かぶかもしれません。

 

しかし その後 息子の命を 守りきれなかった無念さ 

 

加害者の命を奪った 罪深さに いっそう 苦しむこととなります。

 

このように 現実問題 ちょうど良い社会的制裁など 不可能なのです。

 

だからこそ いっそう 残された家族は 苦しむことになっていきます。

 

この猛暑の中 お父さんが 悲しみ 憎しみ 怒りで

 

体を壊さないことを 祈っています。

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コメント: 1
  • #1

    K (火曜日, 01 9月 2015)

    関係ないコメントで申し訳ありません…

    健ちゃん先生 ご無沙汰しております。 20年前、お世話になりました生徒です。 健ちゃんの授業、大好きでした(^o^)
    医療検索で、健ちゃんの昔のお話を思い出し、もしかしたら弟さん?と開いてみたら当たりでビックリ!見つけました! さらに嬉しい事に健ちゃんの事が!時間を忘れて読みふけってしまいました。いてもたってもいられず、書き込ませていただきました!
    健ちゃんには、周りには言えなかった話しを聞いてもらい、心配をかけてしまいました。
    あれから20年近く経ちますが、おかげさまで 今も相変わらずです。度々、健ちゃんどうしてるんだろう… 会いたいね。と話しています。

    お変わりありませんか。健ちゃんに会いたいです!!

    突然で、また長文 失礼致しました…