僕には チョウチョ取りで 一つ 忘れられない 思い出があります。
小学生の頃 友達Aとチョウチョを捕まえて 遊んでいました。
友達Aは 捕まえて 虫かごに入れる時 チョウチョの羽を そうっと持って
いました。
そして 僕が捕まえても
「 ケン そうっと そうっと 持てよ 」
と 注意するのです。
しばらく チョウチョ取りを楽しんで 虫かごから 放して あげる時
Aは その理由を 話してくれました。
「 俺さ 昔 チョウチョの羽 むしっちゃったことあるんだ。そしたら
すごく 母ちゃんに 叱られたんだ。 チョウチョに謝りなさいって 」
「 そうなんだ 」
元気に飛んでいく チョウチョを見ながら Aは 話を続けたのです。
「 母ちゃん こう言ったんだ。 おまえ このチョウチョにも
帰る家があるんだよ。このチョウチョ もう 家に帰れないんだよ。
飛べないから カマキリ達に捕まって 食べられちゃうんだよ。
おまえ 今日 山に遊びに行って 足もがれたら 帰ってこられないだろう。
それでいいか? 悲しくないか? おまえは 今 そういうことをしたんだ。
そう思って チョウチョを 見なさいって 」
彼は 思い出したように うなずきながら 僕の顔を見てきました。
僕は 自分の母も 僕が同じことをしたら きっと そう言っただろうなと
思いながら Aに聞いてみました。
「 そのチョウチョ どうしたの? 」
「 もう飛べなかった。放しても すぐ落ちてきちゃうんだ。だから 俺が
死ぬまで 虫かごの中で 飼うって言った。母ちゃんも そうしなさいって。
でも すぐ死んじゃったんだ。 俺 その時 初めて どんだけ 悪いこと
したか分かったんだ。 涙 出できた。 何度も チョウチョに謝った 」
僕は Aのやさしさに 感動しました。
「 そうだね。お母さんの言う通りだね。それで あんなに やさしく
羽を持っていたんだね。 俺も 今度から もっともっとやさしく
つかむようにするよ 」
僕は 理由が 分かって 飛んでいく チョウチョを 感慨深く
見ていました。
「 どこに 帰るんだろうね。 今日 捕まったけど 逃げてきたって
家族に 冒険話するんだろうね 」
僕が Aに言うと
「 うん (人間も虫も) 皆 同じなんだもんな 」
Aは 嬉しそうに 答えました。
僕たち二人は 空の虫カゴを ぶら下げながら 満足して 家路に
ついたのでした。
のちに NHK みんなの歌で 「 手のひらを太陽に 」
を 聞いた時 この時の光景を まざまざと思い出しました。
「 手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる 僕の血潮
ミミズだって オケラ(モグラみたいで かわいかったなぁ~)だって
アメンボ(水の上をスイスイ、不思議だなぁ~と眺めていた)だって
みんな みんな 生きているんだ 友達なんだ 」
Aは 飛んでいくチョウチョを 見ながら きっと 羽をむしってしまった
チョウチョを 思い出し 謝っていたのだと思います。
僕には Aの気持ちが 少し分かる気がしました。中巻② 白いヘビの項で
書いたように ヘビの命を奪ってしまい 反省したことがあったからです。
僕らは それぞれ 自分の責任で死んでしまった 小さな命を思い出し
生きて飛んでいく チョウチョの姿を見て 生きている意味を感じていま
した。
人間は 大小 こういう経験を通して 命の重さを 感じ取っていくもの
ではないかと思います。
命の大切さは 自然と接し いろいろな生命と触れることが 一番です。
命の尊さを 勉強しようとか そんな気持ちなど ありません。
自然の中で遊び さまざまな生き物の 生きる姿、死ぬ姿を 目にすることで
心が感じ取っていくものです。
こういった学びは 学校や室内にこもった環境では なかなか得られない
ものです。
そして こういった学びこそ 世の中を 正しく 生きていくために
必要であり 役立ってくれるものでした。
下巻①:人間が一番バカだの項に登場するおじいさんと 話していて 人間は
すぐに この気持ち(生きているものは 互いに 生きていることを
尊重しあうことが 大切 )を 忘れてしまうのだなと 思いました。
おじさんは 僕に 次のことを 教えてくれました。
『 他の生き物だって 人間と同じ。 幸せになりたいと思っている。
それを人間は 人間だけの基準で いいもの 悪者を決めている。 』
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