僕は大声で泣きました。何度も助けようと ジタバタしましたが
体が動いてくれませんでした。
「 こいつ 本当におもしれぇ 何しても泣かなかったくせに
こんなことで 泣きやがんの。今度から 毎回やってやる。
E おまえ いいこと教えてくれた 」
Eはニタリと会釈し これまでにない満足げな顔を
僕に向けてきたのでした。
その後 彼らに小突き回されたり 投げられたりして
僕が動けなくなると 彼らは行ってしまいました。
僕は バッタの死がいの前に座り 何度も何度も謝りました。
涙がなかなか止まりませんでした。
バッタのお墓を作ると 僕のEに対する憎しみは
ますます 大きくなりました。
「 今度会ったら 殺してやる 」
いじめっ子の狂気は 僕自身の心も狂わせていました。
いじめる心に巣くう狂気は、子供だからと言って
生半可なものではありません。
自分がされて辛かった事を 我が身かわいらしさに
他人に行えば 必ず心が痛むのです。
良心が「やめろ やってはいけない。自分がやられた時の辛さを
思い出せ。相手の気持ちを考えろ」と 叫ぶからです。
だから Eは 初めのうち 積極的には いじめに参加して
いなかったのです。
しかしEは この声に耳を塞ぎ 痛みを我慢することを
繰り返しました。
痛みを我慢するたび 思いやりは捨てられ 彼は鬼畜へと
変わっていったのです。
彼はいじめられる辛さを知っているだけに 行うことが陰湿でした。
だから いじめられた側から いじめる側に回った人のいじめは
たちが悪くなるのだと思います。
心の痛みを我慢していれば いつまでも続きます。
原因を明らかにし 取り除けるものであれば 取り除き
そうでないものなら しっかり受け止め 痛みの原因となった行動を反省し
二度とやらないで 生きていくしかないのです。
Eは 痛みに鈍感になることで 痛みと正面向かって
向き合おうとしませんでした。
だから 人間として どんどん堕ちていきました。
でも おそらく ひどいいじめをした人達の多くは Eも含めて
ケロッっとした顔で 現在を生きているのだろうと思います。
心の中では いろいろな言い訳が作られて
見事に普段の生活の中では 忘れ去られているのだと思います。
僕は もう恨んではいませんが どんなに鈍感になっていても
Eの心の痛みは 残っているのだと思います。
ですから Eも含めて ひどいいじめを行った人達は
長い間 心に突き刺さったままのトゲを 抜いてあげて欲しいと
思っています。
死ぬ前に 人間として やり残すことがないように
いじめた相手に 一言「悪かった」と 心の中で謝るだけでいいのです。
自尊心を 自分で傷つけたままに しないことです。
それが 本当の意味で 自分を護ることだと思います。
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