当時は 必死で いじめのレベルを考えたことなど なかったのですが 僕に起
こったいじめは 今考えると かなりのいじめだったと思います。
無視しても やめろと強く意思表示しても 切れて暴れてみても やめない相手
だったのですから。
ですが 僕は 親や先生に相談せず 一日も休まず いじめの2年間 通い続けま
した。僕には どうしても守りたいものがあったからです。
これだけだと 一人で乗り越えたように聞こえますが 決してそうではありません
でした。いじめの話を聞いてくれるお兄ちゃん達がいたし 何よりも 双子の弟が
いました。
僕は一日も休まず 我慢して行きましたが 本にも書いたように その中で 何度
も衝動的に 死を望みました。偶然 声をかけられたり 家族の声が聞こえたりし
て 中断できたことは 運が良かっただけなのです。
なぜこのような環境で 親や担任に相談もせずに 乗り越えていくことができたの
か? それは 著書「楽になりたいなら生きていけ」中巻①に記した 祈りという
行為が 僕を支えてくれたからでした。
いじめをなくすことはできませんが 祈りは いじめで傷ついた心を 落ち着かせ
希望を見出すことができる 素晴らしい手段だと思います。
Kさんが 以前のコメントに 僕をお日様みたいだったと 書いてくれましたが
僕をそのようにしてくれた原動力こそ この行為でした。
ただ Kさんがイメージしている キリスト教やイスラム教の祈りとは だいぶ
違っているものです。
いじめだけでなく すべての悩みに対して力を与えてくれるものです。だから今も
毎日続けています。こう書いても ピンとこないと思うので どのようなものか
興味があれば 中巻①を読んでみて下さい。心が疲れた時 元気を失ってきた時
自分に力を蘇らせてくれます。
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