人は命令でなければ 自分がそれをやりたいから その行動を行うのです。
やりたくないことでも それが自分に必要だと理解するから行っています。
また 人は行動の結果を それが実現した方向に考えます。
それを実現したいのですから 当然なことです。
ただ 同時に 自分の欲望を満たすことで 他人を傷つけたり 責任の取れない
事態を引き起こす危険性が高まったりすると 何か心にひっかかりを感じます。
例えば タクシー乗り場が混雑している所に 最後尾から割り込もうと考えれば
「 自分さえ良ければいいのかい? 皆早く帰りたいのは同じなんだよ 」と
良心が問いかけてきます。
また むしゃくしゃするからと ゴミ捨て場に放火しようとすれば
「 燃え広がれば 大変なことになるよ。自分勝手過ぎはしないかい。他人の迷惑を
考えなよ 」と心が騒ぐはずです。
誰の心にも 良心があります。これらを無視するから 事故が起きるのです。
割り込みを注意されたからとケンカになり 傷害事件が起きたり 放火によって
家や人命が失われたりしているのは 邪心に心を奪われ周りを考えず
やりたいことを やった結果なわけです。それなのに これらの人達が捕まると
同じような言い訳をします。
「 早く帰りたかっただけです。こんなことになるとは思わなかった。
人を傷つけようなんて思っていませんでした 」
( ウソです。まるで やりたくなかったのに 偶発的に相手を傷つける結果に
なったような言い訳ですが 相手を黙らせて 早くタクシーに乗りたいから
暴力を振るったのです。暴力は相手を傷つけてよいと思っているからこそ
振るえるのです )
「 イライラを解消したかっただけです。ちょっとしたボヤ(小火)で済むと思った
のです。人命を奪うつもりなどありませんでした 」
( これもウソです。火が大きく燃え上がり 誰かが困るのを見て うっぷんを
はらしたいから火をつけています。燃え広がれば 住む家がなくなる人
焼け死ぬ人が出ることを知っていながらやっているのです )
引き起こした犯罪は違うものの 結局 身勝手な人間の言い訳は同じです。
「 ~したかっただけなのです。でも 結果は予想外のことです。こんな結果に
なると分かっていたならば やっていません 」なのです。
反省していれば 口にすることなどできない言葉です。
被害者に対する謝罪の気持ち
などありません。あるのは自分だけです。
-続く-
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