同じ言い訳3

人は命令でなければ 自分がそれをやりたいから その行動を行うのです。

 

やりたくないことでも それが自分に必要だと理解するから行っています。

 

また 人は行動の結果を それが実現した方向に考えます。

 

それを実現したいのですから 当然なことです。

 

ただ 同時に 自分の欲望を満たすことで 他人を傷つけたり 責任の取れない

 

事態を引き起こす危険性が高まったりすると 何か心にひっかかりを感じます。

 

例えば タクシー乗り場が混雑している所に 最後尾から割り込もうと考えれば 

 

「 自分さえ良ければいいのかい? 皆早く帰りたいのは同じなんだよ 」と

 

良心が問いかけてきます。

 

また むしゃくしゃするからと ゴミ捨て場に放火しようとすれば

 

「 燃え広がれば 大変なことになるよ。自分勝手過ぎはしないかい。他人の迷惑を

 

考えなよ 」と心が騒ぐはずです。

 

誰の心にも 良心があります。これらを無視するから 事故が起きるのです。

 

割り込みを注意されたからとケンカになり 傷害事件が起きたり 放火によって

 

家や人命が失われたりしているのは 邪心に心を奪われ周りを考えず

 

やりたいことを やった結果なわけです。それなのに これらの人達が捕まると

 

同じような言い訳をします。

 

「 早く帰りたかっただけです。こんなことになるとは思わなかった。

 

人を傷つけようなんて思っていませんでした 」

 

( ウソです。まるで やりたくなかったのに 偶発的に相手を傷つける結果に

 

なったような言い訳ですが 相手を黙らせて 早くタクシーに乗りたいから

 

暴力を振るったのです。暴力は相手を傷つけてよいと思っているからこそ

 

振るえるのです )

 

「 イライラを解消したかっただけです。ちょっとしたボヤ(小火)で済むと思った

 

のです。人命を奪うつもりなどありませんでした 」

 

( これもウソです。火が大きく燃え上がり 誰かが困るのを見て うっぷんを

 

はらしたいから火をつけています。燃え広がれば 住む家がなくなる人

 

焼け死ぬ人が出ることを知っていながやっているのです ) 

 

引き起こした犯罪は違うものの 結局 身勝手な人間の言い訳は同じです。

 

「 ~したかっただけなのです。でも 結果は予想外のことです。こんな結果に

 

なると分かっていたならば やっていません 」なのです。

 

反省していれば 口にすることなどできない言葉です。

 

被害者に対する謝罪の気持ち

 

などありません。あるのは自分だけです。

 

-続く-