しかし中には 利益を優先する人がいます。
会社の経営者が このような選択をした場合
「 そんなきれいごとで 会社を守れるか。 会社がつぶれたら 従業員は路頭に
迷うんだ。私には 従業員を守る責任がある。この競争社会で生き残っていく
ためには 重大な危険性があるとしても 起こり得る可能性が低ければ 敢えて
進む選択が必要なのだ 」と言い訳をします。
この言い訳もEと同じです。自分の心の弱さを 都合のいい経営論理で弁解して
いるだけです。自分の会社さえよければ 他の人間はどうなってもよいということ
なのです。
この人が 社会的に高い地位にいるとしたならば この人は このような考え方で
その地位を得たということです。
誰もが高い地位につけるわけではありません。しかし 権力を持つ人間は 正しい
方法で その地位に登り 正しい権力の使い方をしなければなりません。
当然のことなのですが 悲しいことに こうなっていないのが
今の日本の姿です。
僕が 大人の背中の大切さを感じたのは 生徒たちから 次のような言葉を
何度も 聞いたからでした。
「 先生 そんなこと言ったって 大人達 皆やってるじゃないですか 」
「 先生 この競争社会 結局 要領良くやった方が勝ちなんですって 」
「 おやじボヤいてましたよ。今の社会って てっぺんが楽をして 下が
苦労するって。権力持った奴が 自分は何もしないで部下にやらせるって。
でも おやじ見ていると やっぱり 偉くならなきゃウソだって思いますよ。
楽できるんですから 」
僕は何だかんだ言っても 彼らは 今の世の中がどういうものか 大人の
生き様を見ているんだな~と思ったのです。
彼らが親や大人を通して見ているのは 競争社会の勝ち負けと それに伴う生活の
格差です。
努力が必ずしも報われないのが 勝負の厳しさです。だから 競争社会では
「結果がすべて」になりがちです。
確かに 勝負には これだけ練習しましたなんて 意味がないのです。
先の世界陸上であれば どれだけ有名であっても 練習をしてきていても 負けて
しまう選手がたくさんいました。
ゴールに 先にたどり着いたかどうか
バーを飛び越すことができるか できないか
相手より 遠くへ飛べたか(飛ばしたか)どうか
二つに一つしかないのです。
-続く-
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