変わっていない沖縄6

 Oさんと出会わなくなって20年後 

 

忘れていたOさんの記憶を 蘇らせる人物が現れました。

 

その人は Oさんが このくらいのことをしないと

 

沖縄は1つにならないと言ったことを 口に出したのです。

 

2009年その人は この言葉で沖縄民の心を掴みました。

 

「 普天間基地は 最低でも県外。トラストミ- 

 

鳩山由紀夫 その人です。

 

沖縄県民ならずとも

 

「 そんなことできるの?この人大丈夫か? 」と驚きました。

 

しかし このミラクル発言で 移転賛成派反対派は 県外移転で団結したのです。

 

僕は「 ここまで言い切るのですから 沖縄民もアメリカも納得できる

 

代案を持っているのだろうな 」と思いました。普通 そう思います。

 

そして アメリカに対し初めて

 

「 守ってくれるのは 嬉しいが それは是非 県外でやって下さい。

 

これ以上沖縄県民に 辛い思いをかけさせる訳にはいかないのです。

 

日本としては 沖縄ではなく 県外のここに移転することを提案します 

 

こう言ったのだろうと想像すると 小気味良さすら感じていました。

 

 

しかし 結果は知っての通り。

 

オバマ大統領も「 トラストミー 」の軽さに驚いたと思います。

 

「 ハトヤーマ コイツダケハ ゼッタイゼッタイ シンヨウデキナ~イ 。

 

ハトヤマイズ ノット トゥビー トラステッド 」

 

と見切りをつけたはずです。

 

「 できれば国外 」とまで言っておきながら

 

「 日本は 県外のここに移転することを提案します 」

 

という 確たる代案など 持っていませんでした。

 

沖縄返還後 日本側の「 基地を県外に移設できないか 」の要望から 

 

次のような話し合いが なされてきたのだと思います。

 

(アメリカ側)

それは困る。だいたいが 日本にはそのような場所があるのか?

 

(日本側) 

う~ん なかなか見つかりません。しかし普天間は 危険過ぎます。

 

県民の不満も高まっています。どうか 考えて下さい。

 

(アメリカ側)

分かった。考えてみよう。しかし 簡単にはいかないぞ。

 

(日本側) 

分かっています。それでも お互い少しずつ歩み寄っていきましょう。

 

これがくり返され 橋本政権で やっと日米合意( 辺野古移転 ただし海の上 )

 

たどり着いたのです。

 

この長年かけた小さな前進をひっくり返したのです。

 

その後 鳩山政権は 今から考えるのかよという感じで

 

苦し紛れに代案を乱発します。

 

思いつきのようにあげられる移転候補地からは 

 

当然 拒否されて どこにも決まりませんでした。

 

Oさんは 一番困るのが 中途半端と言っていました。

 

まさにそれを絵に描いたような政策でした。

 

国民は「 いい加減にしろ 」と怒り 鳩山政権は失墜。

 

とうとう 言い出しっぺは そのままリタイア。

 

どれだけ この無責任な発言に迷惑をしたか

 

本人は辞めても その発言を受けて 行動を開始してしまった人達は

 

後始末が大変です。

 

続く菅直人首相も ひどかったですが いい加減さにおいては上だと思います。

 

深刻な顔をして 弁明していましたが 沖縄の人には

 

こう聞こえていたと思います。

 

「 できれば国外 最低でも県外。そう言ったよね。だけどね

 

いろいろ考えてみたら とても無理みたい。ごめんね。

 

だってだって できると思ったんだも~ん。 ウソじゃない。トラストミー 」

 

これくらい 軽いものに 聞こえていたと思います。

 

開いた口が塞がらない無責任さ。

 

「 こんな総理を選んだ私達が愚かでした 」という反省が 国民に残りました。

 

結局 沖縄県民だけでなく 我々国民全体が いかに甘い言葉に

 

騙されやすいかということを 勉強した政権交代でした。

 

総理ともあろう人が 代案もないのに 国民をものの見事に 口八丁で扇動し 

 

今まで長い年月をかけ アメリカと歩み寄りを重ねてきた結果を

 

台無しにしてしまいました。

 

鳩山元首相自身は きっと 世間ずれの激しいお坊ちゃまで 

 

友愛を唱える人ですから 悪気のある人ではなく

 

会えば面白い人なのではないかと思います。

 

しかし 総理の器ではなかった。

 

選んだ我々にも 責任があるということだと思います。

 

-続く-