バッタとふきのとう1

人生 試練の時が誰にもあります。

 

なぜか何をやっても 上手く行かない時期があります。

 

そんな時 人の励ましの言葉は 時として苦痛です。

 

いや 苦痛の時の方が多いかな?

 

中巻①か②に書きましたが 悩んでいる時 

 

「 頑張ってね。君ならできる 」と言われても 

 

本人は すでに 頑張っているのです。

 

励ましているつもりでも 言われた当人にとっては

 

「 もっと頑張れってこと 」と感じてしまい 逆効果になっているのです。

 

大切な人であるからこそ 頑張って欲しいと思い 言ってしまう言葉です。

 

気をつけていても ついつい 口にして 相手を傷つけてしまうこの言葉。

 

これを言わないで 相手を励ますなんて

 

なかなかできるものではありません。

 

そして これまた書きましたが

 

いじめで傷ついている僕に 頑張れとは一言も言わず 

 

最高の励ましをしてくれる人がいたのです。

 

だからこそ 僕は頑張れたのだと思います。

 

同じ年 同じ日に同じ母親から5分違いで

 

生まれてきたからこそ できることなのか?

 

いや もし逆の立場であったならば

 

僕には とてもできそうにない励ましです。

 

僕は今まで 何度も 次のように感じた事があります。

 

「 ちゃんとその人が 困難を乗り越える準備を用意して

 

神様は 試練を与えているのだな 」

 

僕に起こったいじめは ひどいものでしたが 僕の周りには

 

それを乗り越えるために たくさん用意してくれてありました。

 

暖かい家庭 特に愛情深い母 誰よりも自分を分かってくれる双子の弟 

 

ケンカを教えてくれたお兄ちゃん達

 

叱ってくれた見知らぬおばあちゃん。

 

人間の身勝手さを教えてくれたおじいちゃん。

 

自殺を止めてくれた友達のお父さんなど いろいろでした。

 

でも 今日はそれ以外でも

 

僕を支えてくれた 自然の話を 少ししようと思います。

 

-続く-