バッタとふきのとう2

まだ自然が豊かだった 昭和30年代後半~40年代 

 

自然の中で遊んでいた僕は

 

自然から さまざまな事を学びました。

 

今回は 耐える事の意味と 必ず春は訪れるということを

 

学んだ話です。

 

僕はいじめの中で 何度も 次のように つぶやいていました。

 

「 大丈夫。僕は強い。いじめなんか怖くない。乗り切れる。

 

来るなら来い。絶対に負けない 」

 

ところが 執拗ないじめに すぐに弱音をはき 諦めそうになりました。

 

「 もう限界だ。いつまで続くんだ。どうして 毎日こんな事

 

我慢しなきゃいけないんだ 」

 

いくらポジティブに考えようとしても できない自分が

 

嫌でたまりませんでした。

 

「 僕は強い。絶対に負けない、泣かない。負けてたまるか 」

 

冗談抜きに 一日何百回 呪文のように唱えたか分かりません。

 

唱えても 唱えても つぶれそうな気持ちに襲われる自分を 

 

なんて情けないんだと 反対にさげすむようにすらなっていました。

 

そんな時 僕が好きだった 一人遊びがありました。

 

それは バッタ( 殿様バッタ ショウリョウバッタなど ) 

 

キリギリス コバネイナゴ を観察する事でした。

 

葉の上でじっとしていて バッと飛び立つ昆虫を

 

ずっと追いかける事でした。

 

じっと動かないバッタを 見つめながら

 

「 一人かい? 僕も一人だよ 」

 

と話しかけていました。

 

すると バッタは すぐ飛び立ってしまいました。

 

それでも 僕は追いかけて バッタを見つけていました。

 

始め頃は 寂しさと孤独感を紛らわすため やっていました。

 

寂しさと孤独感を かみしめながら やっていましたが

 

次第に 楽しくなってきて よくやるようになったのです。

 

やり終わると 心が癒された感がありました。

 

飛んだバッタを見失ってしまうと すぐ辺りを見渡し

 

一生懸命捜しました。

 

-続く-