違ったバッタかもしれないのに
「 いたいた。見つけたよ。バッタちゃん見~っけ! 」
と 大喜びしていました。
「 何考えてるの? どこ行きたいの? 」
バッタは何も答えません。
それでも しばらく見ていると ババッと 突然飛び立ちます。
僕は 飛び立つバッタを 必死になって追いかけました。
そして再び 草の上や地面で じっとしている姿を見つけると
飽きもせず見ていました。
「 今度は こっちに飛んで行きなよ 」
バッタに また話しかけ 根気よく 飛び立つのを待ちました。
すると なぜか バッタのじっとしている時間は長くなり
落ち着いてきているのが 分かりました。
バッタを愛おしく感じ しばらく待っていると また飛びました。
「 よし 今度はこっちか さっきより飛んだね 」
僕は はしゃぎながら 追っかけました。
何度もやっていると 言葉では語りませんが
バッタは 僕を ちゃんと意識しているように 感じてきました。
「 聞こえてるよね。僕が見ているって分ってるよね。
僕分かるよ。僕を感じているって 」
すると バッタは こっちをちょこっと見て(そんな気がしていました)
しばらくまた休むのです。
「 いいよ ゆっくり休みな 僕を気にしないで 脚と羽を休めな 」
バッタと自分が 一つになっている気がしました。
前のブログに書きましたが こういった自然との一体感は
とても僕を癒してくれました。
今思えば バッタにかける言葉は
自分の心にも 話しかけていたのだと思います。
この一人遊びをしていたある日
「 今 前に進まないって 嘆く事ないんだ。
耐えているって 飛ぶための バネを蓄えているって事なんだ。
じっと耐えていることって 大切なことなんだ 」
と感じました。
「 焦んなくていいよ。ケンちゃんも 蓄えて飛びなよ! 」
バッタに そう言われた 気がしました。
「 前向きに動けないって 情けなかったけど これでいいんだ。
こうして じっとできていることが 飛び立つ力を蓄えている事なんだ。
力が蓄えられたら 自然に飛びたくなるんだ。
これでいい。自分を信じて耐えていれば 自然が力をくれる 」
僕は バッタ達に 感謝していました。
だから 心無い落書きノートに つぶされたバッタが挟み込まれたり
目の前で 殺されていくのを見せられたりした時 とても悲しかったのです。
いつも僕を励ましてくれているバッタが
僕が原因で 足をもぎ取られていく姿に 心を引き裂かれました。
「 どうして どうして こんな事を。 ごめんね ごめんね
皆に迷惑かけている。こんな事なら 僕死んだ方がいいね。
本当にごめんね。 どうすれば 許してくれますか 」
これしか 言葉が出てきませんでした。
お墓を作りながら 何度も謝りました。
-続く-
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