いじられキャラ8

「 ほう・・・やけに素直だな 」

 

「 そりゃ 今はやっていませんから 

 

今やっていて 先生に聞かれたら 絶対 気がついていませんって 

 

言い張りますよ 」

 

「 なるほど。とにかくいじめは やってる奴が悪いよ 」

 

僕は 彼が 2度といじめをしないことを 信じるだけでした。

 

さて いじられキャラは 自分を どう考えているのでしょうか?

 

自分がいじられることで 人が笑ってくれる。

 

恥をかかされることで 他人を笑わせることが

 

自分の魅力であり強み。それが個性だ。

 

そう考えられる人も 確かにいるでしょう。

 

だが その人に そう思わせた いじりとは何か?

 

そこから 引き出されたものは本当に 

 

その人の 尊厳を守った個性なのだろうか?

 

執拗な いじりがなかったら 

 

それとは違った 別の個性を 感じていたのではないか?

 

こう思わずには いられません。

 

数年前 お笑い番組を見て 

 

自分は もしかしていじめの後遺症が 

 

残っているのかと 疑ってしまったことがありました。

 

笑えるものも 多かった中で

 

しつこいほど 全員で 繰り返す暴力的な お笑いがありました。

 

僕は テレビの中から 聞こえてくる笑いに対して

 

「 これのどこが面白いのだろう? 」と感じたのです。

 

いじっている方は いじられている方に

 

「 おいしいとこ もってって いいね~ 」みたいな事を 言ってます。

 

これを 面白いと楽しめる感覚が 普通なのであれば

 

楽しめない僕は 明らかに 違った感覚をもっている事になる。

 

この感覚は 後遺症からくるものなのか?

 

少し心配になった僕は 知人に 僕の感じていることを 聞いてみました。

 

すると 「 大丈夫 ちっとも変ではない。

 

そう感じている人は 沢山いるよ。

 

ああいう笑いは やっぱりお笑いの 王道じゃないよな 」

 

この一言で 一安心しました。

 

「 世の中 ああいうことをやると 受けがいいし

 

皆を 楽しませることにもなるんだ 」

 

子供たちが あの笑いを見て

 

そう思っているのだとすると いじめなんて 当たり前のこと。

 

悪いことではない。

 

一人を皆でいじって 楽しむことに 何の罪悪感も持たない事になる。

 

僕にとっては 何とも嫌な笑いですが 正当なものになってしまいます。

 

いじめを減らすどころか

 

「 多人数が楽しむためには 生贄が必要なのだ。

 

そして生贄も それを喜んでいるんだから それでいいのだ 」

 

という考えが 正しいと 錯覚してしまう危険性が あるのではないでしょうか。

 

 

「 おまえは いじめられるために 生まれてきたんだよ。

 

いじめてもいいという 印をつけて出てきたんだ。

 

それが そのヤケド。

 

俺たちは おまえを役立てて やっているんだ 」

 

50年前 僕を悩ませた このわけのわからない言葉が

 

正当化されていくような気がして 嫌な感じでした。

 

一人の人間を 勝手に いじられキャラに仕立て

 

自分達の 好き勝手に扱う考え方が

 

はびこる会社って どんな会社なんだろう?

 

寂しいなと感じました。

 

-終わり-