虹虫1

小学2年生の7月中旬の晴れた日でした。

もうすぐ待ちに待った夏休みが始まるというのに、

ケンは死を選ぼうとしていました。

その日のいじめで、死にたいという気持ちが、

抑えきれなくなってしまったのです。

父が務める病院の裏山にある高木に登りました。

飛び降りて死のうと、必死に上りました。

この高木を天辺まで登るという行動は、

集中して登らないと、できないものでした。

ですから、登っている最中は、辛かったことを忘れていました。

 

ケンが登る木は何本か決まっていました。

山の中を進んで行くと、誰が切ったのか分かりませんが、

何本も切り倒されている場所がありました。

木を切り倒したお陰で、

そこは日当たりのよい場所になっていました。

ケンは登る前に必ずこの倒れている木に腰かけて、

気持ちを固めていました。

白いうじ虫のような幼虫が、木の所々にいましたが、

たいして気になりませんでした。

「この白い虫は、木の死体にわくうじ虫なんだろうな。

僕もここで死んだら、人間の死体にわくうじ虫が

集まるんだろうな。なるべく早く跡形もなくしてくれないかな」

こんな身勝手なことを考えていました。

ケンはそこにある比較的登りやすい木を

飛び降りる木に選んでいたのです。

 

この日もその中の一本に飛びつくと、

両手両足で挟み込みながら、慎重に上へと昇っていきました。

10メートル位は登って、天辺近くにたどり着いた時でした。

「?!」

ケンは、はっとしました。

目の前を何かキラキラ光るものが飛んで来たのです。

緑色、赤色、水色が黄金の輝きを見せながら浮いているのです。

「何だろう? とてもきれいだ。虹の国からやってきた虫みたいだ」

すると、きらきら光る虫は、ケンに気がついたのか、

突然向きを変えて、

下に猛スピードで降りて行ってしまいました。

「一体、どんな虫なんだろう。見てみたい」

ケンは死にたいと思っていたことなど、

すっかり忘れてしまい、急いで高木を降りました。

地面に降り立ったケンは、辺りを急いで捜してみました。

しかし、それらしき虫は発見できませでした。

ケンは、この初めて見た虫を「虹虫」と勝手に名付けました。

そして自分の隠れ家に、神秘的な虫がいることで、

心にワクワクする気持ちを感じていました。

「また来てみよう。あの虫の正体が分かるまでは

生きていよう」

ケンは高木を見上げながらこう思いました。

ケンは、あの虫が急に降りて行ったのは

「そんなことしちゃいけないよ。下に降りて」と

伝えたかったからではないか、そう感じたのです。

「もし、また自殺したくなって、この木に登った時、

あの虫が現れ、同じことをしたならば、きっと、

そういうことに違いない。それは僕に生きていきなさい、

生きている価値があるよって言う意味なんじゃないだろうか?」

 

次の日、ケンはあの虫に会いたくて、同じ場所に足を運びました。

曇っていて、林の中は昨日より、かなり暗く感じられました。 

ケンが高木を見上げると、何も飛んでいませんでした。

「登って行けば、現れるかもしれない」

ケンは木を登り始めました。自殺するつもりでなく、

この木を登ったのは初めてでした。

 

しかし、登って間もなく、ピタリとケンは動きを止めました。

なんとなく、あの虫は現れない気がしたからです。

上を見上げてみましたが、

やはり、それらしき虫が飛んでいる様子はありません。

「あの時みたいに、死ぬ気がないなら、

現れてくれないのでは?」

 

ケンは、この黄金に輝く虫は特別な虫ではないかと思いました。

自殺しようとする人に対して、生きるべきか、死ぬべきかを

判断する虫だと思ったのです。

自殺して良い人などいないのですが、

この時は自殺じたいを、悪いことだと考える

余裕はありませんでした。

この世とあの世を結ぶ、道先案内をする虫だと、感じたのです。

ケンは登るのをやめて、静かに木を降りました。

「虹虫さん、もし死にたくなってこの木を登ったら、

また現れて下さい。そして僕に生きていていいのか、

その答えを下さい」

ケンは林の中を入口へと歩き始めました。

少しすると、いつもの特訓場にたどり着きました。

ケンにとって、ここが一つの境界線になっていました。

ここより奥に入るということは、死を意味していたのです。

ケンは少し体を動かし、家に帰りました。

-続く-