「どこから拾ってきたの?」
「えっ、お諏訪さん(近くの神社)」
ケンはウソをつきました。
病院の裏山は、たとえ家族であっても、秘密の場所でした。
「その虫を押し入れに入れておくと、着物が増えるんだよ」
「えっ、ほんと! 一着が二着になるの?」
「いやいや、着物が手に入るチャンスが増えるってことだよ。
勝手に増えるんじゃないよ」
「ふ~ん」
「縁起物なんだよ、いいもの拾って来たね。
家のタンスに入れといてくれれば、お母ちゃん着物が増えるかな。
そうだと、お母ちゃんうれしいな。ははは」
「だったら、あとでタンス入れとく」
「ありがと、ありがと」
母はニコニコして、やさしい笑顔を返してくれました。
「でもさ、縁起もんて何?」
「それを見たり、持っていると、いいことが起こるってものだよ」
「そうなのこれ」
ケンの胸が高鳴りました。
「もしかして、いじめがなくなるかも」
そう思ったのです。
ケンは、自分が拾ってきた虫を、母が気に入ってくれたことと、
思いがけず聞いた
良いことが起こる虫だと知って、
ますます虹虫(タマムシ)が好きになりました。
次の日、生きているタマムシを
コウちゃんにプレゼントしようと、またタマムシのいる場所に行きました。
昨日と同じように数匹のタマムシが、すぐ目に入りました。
「どのタマムシにしようかな。
そうだ、昨日の日向ぼっこしていたやつがいいかも」
ケンは、倒れた樹木の上に目をやりました。
だがタマムシはいませんでした。
「残念だな、どこいっちゃったのかな」
ケンは木の裏側に回って、探してみました。
「!、これは・・」
驚く光景が、ケンの目に飛び込んできたのです。
木の裏側にはいくつものくぼみがあり、
その中のいくつかに
白い袋の中からちょこんと顔を出した、
タマムシがいたのです。
つまり、さなぎからかえったばかりのタマムシです。
そして別のくぼみには、顔を出していない、
さなぎや幼虫のままのものが埋まっていました。
「・・・てことは、あの白いうじ虫が、タマムシ!」
信じがたい光景だったので、
ケンは何度もまばたきを繰り返し、見直しました。
「間違いない。この木はタマムシの家だったんだ。
死んだ樹木にわくうじ虫だと思っていたのが、
こんなきれいなタマムシに。
まるで昆虫界の醜いアヒルの子みたいだ。
こんなにきれいな虫になるんだから、
途中で死んでしまったらもったいないな。
この間拾ったやつは、タマムシになってから死んでまだ良かったな。
白いうじのまま死んでしまったら、残念だろうな~」
こう思った瞬間でした。
ケンの心が叫んだのです。
「人間だって同じだ。子供が大人にならないで死ぬなんて、
すごくもったいないことだ。
僕ってどんな大人になるんだろう。
見てみたい。死んだら見ることはできないんだ」
しかし、次の瞬間、ケンは思考を止めてしまいました。
「・・・・・・」
数秒、静寂の中で息も止めていました。
次に出たのは、ため息でした。
「はぁ~」
そして再び沈黙。
「・・・・・・」
「はぁ~」
「・・・・・・」
「はぁ~」
「・・・・・・」
ケンは再び、あの木の天辺を見上げました。
しばらく見ていると、タマムシの影が見えました。
飛んでいるタマムシが
何を語りかけてきているか
理解できていました。
「分かってるよ。・・・でも辛いんだ」
ケンは物言わぬ上空のタマムシに答えました。
「・・・・・・」
そして再び、数秒の沈黙をおいて、
やるせない気持ちで、息を吐いたのでした。
ケンは沈黙の後、
「よし、とにかく、大人になるまで生きていこう」
こう決意しようと、何度も試みていたのです。
しかし、何度試みても、この時のケンにはできませんでした。
こう決意しよう、決意しなくてはいけないと分かっているのに、
今までのことを考えると、
次のように考えてしまうのでした。
「決意したところで何が変わるんだ? いじめがなくなるわけじゃない。
それって、ただずっと我慢しようってことじゃないか。
辛すぎる。頑張るだけ頑張って、
がっかりするような大人だったらどうすんだ」
幸せになる決断を、ぐずぐずと後回しにしていました。
この時のことは、大人になっても
時々夢の中に出てきました。
決まって、心に悩み事を抱えている時でした。
話を戻します。ケンにこの決意ができたのは、
数か月後の、ある事件(中巻②みぞれ事件)でした。
ただ、もう一歩進んだ本当の覚悟が決まったのは、
さらにその半年後くらいでした。
ケンは結局、この時決意できませんでした。
しかし、自分に秘められた可能性を
何となく感じずにはいられませんでした。
「あんな高い所を虫が飛んでいるなんて、普通思わないよな」
地面に横たわる木で生まれた虫なのに、
人間が気がつかないほど高い上空を飛んでいる事実が
それを感じさせたのでした。
そして空高くを舞っているタマムシに、
何とも言えないやさしさを感じたのです。
「弱虫でごめんね。でも、応援してくれてありがとう。
僕、また登るかもしれないよ。そしたら、また現れてくれるかな?
そんなに都合良くいかないか?
だけど、君が現れなくても、君を思い出す気がしてきたよ。
そしたら、大人にならないで死んだらもったいないって
きっと思い出せるよね」
虹虫は人間に見えない虹の国から現れた虫ではありませんでした。
母も知っている有名な虫でした。
自殺しようとしたあの時、
タマムシは、たまたま目の前を
飛んで来ただけだったのかもしれません。
でも、ケンは感謝していました。
「もしそうだったとしても、僕は今生きている。
それは違いなくタマムシのお陰」
再び、くぼみの中にいるタマムシに目をやると、
タマムシは、とても居心地良さそうにしていました。
「コウちゃんにプレゼントしようと思ったけど、やめにしよう。
顔を出しているやつ、兄弟かもしれないしな。
離れ離れにしたらかわいそうだ」
ケンはこの日、虹虫が天空のどこかにある虹の国からではなく、
切り倒された木のくぼみからやってきたことを知りました。
「ここがタマムシの育つ虹の国だったんだ。
こんなに近くにあったなんて驚いたな。
こんな場所でも、タマムシには天国なんだろうな。
こんなに安心した顔して、幸せそうに見える」
このような思いは、ケン自身が、自分の家に対して、
同じ思いを持っていたから生じたものでした。
ケンは、タマムシをとらず
自分の虹の国へ帰ることにしました。
ケンはこの後も、また衝動的に、何度か高木を登ってしまいます。
だが、タマムシは二度と現れませんでした。
しかし、毎回、高木の天辺でタマムシを思い出し、
家族の呼び声を聞くことができました。
お陰で、高木を無事降りることができていたのです。
そして、数か月後、自殺をしないと決意してからは、
だんだんと、ここに来なくなりました。
この時の経験は、三年生になってから、
自殺とはどういうことかを考えた時、
自殺をしてはいけないという判断の
拠り所になりました。
そして三年生になってからは、
一度も木に登ることはありませんでした。
しかし、三年生から卒業するまでの夏休みには、
必ず一回はここに来て、タマムシにお礼を言っていました。
「僕決意できたよ。そして元気にやっているよ。ありがとね」
虹虫は、毎年相変わらず、空高くから、僕を応援してくれていました。
☆ケンの気づき
『どんなに美しい花も輝く虫も、
種や卵が生育しなければ、
大人になった自分の姿を知ることができない。
途中で死んでしまったならば、残念で仕方がないだろう。
本当にもったいない。
人間も同じだ。
大人になれないで死んでしまうことは、とても不幸なことだ』
光陰矢の如し。もうあれから半世紀。
50年後のこの夏休み、母と一緒にテレビを見ていた時のことです。
テレビには、昆虫取りをしている子供らの姿が
映し出されていました。
「俺、昆虫の中でタマムシが一番好きなんだ。
あの虫見ると、幸せな気持ちになる。
タンスの中入れとくと、着物増えるんだよね」
僕のこの言葉に、意外な言葉が返ってきました。
「おまえ、そんなことよく知ってたね。そうなんだよ」
僕は笑いながら
「何言ってんだい。ちっちゃい時、お母ちゃんが教えてくれたんじゃん」
「そうだったかい。お母ちゃん、お前達が小さい頃のこと、
み~んな忘れちゃったよ。とにかく必死だったし、そして楽しかった。
今も幸せだけど、子育ての幸せは別物だな。ほんとお前達を生んで良かったよ」
「そっかい、ありがと。でも俺たちは、結構いろんなこと、覚えてるよ。
確かに楽しかったよね」
「ああ、そうだね」
僕の隣で、我が家のタマムシは、
50年経っても、相変わらず幸福な輝きを放っていました。
この話でお分かり頂けると思いますが、
僕にとって、タマムシは命の恩人であり、特別な虫なのです。
だから、時々、ニュースで「タマムシ色の答弁に終わりました」
という言葉を聞くと、少しさみしい気持ちになります。
タマムシが放つ七色の輝きを、
見方によってはどうにでも解釈できるという、
グレーな意味で使っていることが、
自分の思い出と重なり合わないからです。
僕にとってタマムシの輝きは、はっきりした意味を持っていました。
「生きていきなよ、途中で死んじゃうなんてもったいないよ。
命を大切にね」
命の重さを教えてくれた輝きなのです。
(終わり)
このブログを更新している最中、
バス事故で多くの若者が亡くなった悲しいニュースを、毎朝のように見ました。
まさしく、子供が大人になり、
世の中で光輝く前に命を終えてしまった不幸な事故だと思います。
事故がなければ、どれだけこの先、人生を楽しみ、
多くの人に幸せを与えられただろうかと、残念でなりません。
Mさん、コメントありがとうございました。
今日もMさんからのコメントに元気づけられて
虹虫3を更新できました。
実はこの虹虫の話、以前出版した中巻②に載せる予定だったものです。
前回書籍を出版した時、やむなく省かねばならない話が、
各巻いくつも出てきました。
電子書籍作成ソフトのシステム上、これ以上話を増やせない状態になり、
やむなく省いたのです。その中の一つでした。
お蔵入りになった話でしたが、Mさんのお陰で
中巻②の原稿をチェックしていたら、出てきたのです。
タマムシも光を放てる場所が出来て、喜んでいると思います。
コウちゃんはお医者さんですが
僕にとって、タマムシのような弟です。
今日は時間がないので、その理由は、次回書くことにします。
そしてSさん、メールありがとう。
Mさんのコメントを読んで元気づけられた所に
メールが来ました。
メールの「虹虫3まだかな~」を見て、
何とか今日中に更新しようと、開始しました。
何とか更新できそうです。
ありがとう。
そうだ、Sさんからのメール情報ご紹介させて頂きます。
皆さん、タマムシの七色の輝きは、天敵を寄せ付けないためのものらしいです。
貴重な情報ありがとうございました。
でも、すごいですね。
どうして、天敵が嫌いな色分かっちゃうんだろう。
不思議だな~。
それとも、神々しい色って、人間も含めて畏敬の念が働くのかな~。
どちらにしても、僕にとっては、タマムシの輝きは
素晴らしい輝きです。
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