ベッキーは「これすごいなぁ。世の中の女性の
何パーセントくらいの人ができるんだろう。私は無理です」
としみじみとコメント。
続けて「でも20代の時はこういう生き方をして、
自分の基盤を作ったのかなと思うけど、
年齢を重ねると人に頼りたくなっちゃう。
でも、人に頼ってばかりの人も、最終的には
自分で自分の傷を治している」
と語った。
このように書いてありました。
「う~ん。これを見て言っていたのか~。そんなんじゃないのにな~。
こうなると何を言っても、悪い方にとられちゃうんだな~」
一度世間に流布してしまったイメージを変えることが、
いかに難しいことなのかを、考えさせられました。
ますます、これ以上過剰な批判をして、真実ではないイメージを
定着させてして欲しくないと思いました。
ただ、僕はこれを読みながら、ベッキーが、「私には無理です」
と言いながら
「20代の時こういう生き方をして、
自分の基盤をつくったのかなと思うけど、
年齢を重ねると人に頼りたくなっちゃう」
という部分に、疑問を感じました。
僕がいじめの中で悟ったこういう生き方であれば、
「自分の心の傷を治すことができるのは、自分だけしかいない」
これは、揺らぎないもので、年齢を重ねても、
他人に頼りたくなるものではないのです。
頼りたくなっちゃうということは、
こういう生き方をしてきたというけれども、
僕はしてきていないのだと思います。
「自分の傷は自分で治す」
この言葉に対する彼女のとらえ方は
芸能界は、勝ち負けの世界。
私のポジションを狙っている人達は沢山いる。
だから、生き残るために、なるべく、先輩達や仲間には
良い印象を与えなくてはならない。
でも、本当の意味で信じ、頼っていい人なんかいない。
頼ってはダメ。どこで何に利用されるか分からない。
この世界、周りを頼っていては、生き残れない。
だから勝ち残るため、生き残るために負った心の傷は
一人で泣いて、自分で治すしかない。
このようなネガティブなものだったのかもしれません。
タマムシ3の時代から少し経った頃の僕の思いは、
これに近いものでした。
彼女と同じように、自分で毎日、傷ついた心を自分なりに治しては、
毎日を戦っていると思っていました。
心がとても疲れていました。
心の片隅では、そんな人はいないと分かっていましたが、
母に知られず、いじめをなくすことができる人がいれば
頼りたいと思っていました。
もし自分の願いをかなえてくれる頼れる人がいれば、
頼っていたということなのです。
だから、彼女が20代にしてきたこういう生き方とは、
頼る相手がいないから、自分で治すしかないという、
しかたがない覚悟だったのだと思います。
本当に覚悟を決めているのではありません。
彼女の自分で治すとしてきた生き方は、
当時の僕と同じで、治しているのではありません。
現状に我慢して、不満をため込んでいるだけのことなのです。
だから、本当は不満を聞いてもらえる相手を待っているのです。
我慢する年月が長いほど、誰にも言えない不満は積り、
年齢を重ね、それをしてくれそうな相手が見つかれば、
頼りたくなっちゃうになるのだと思います。
そういった意味で、この子は、レッツ・ポジティブと
いいながら、自分の住んでいる芸能界を、ネガティブに
とらえ過ぎていたんだろうな~と感じました。
イメージとは真逆の闇を、心に抱えていたのだな~、
イメージを売る商売の人は、皆、こういう葛藤があるのだろうな。
ストレスのたまる仕事だな。いかに視聴者は一部分しか見ていないのか
ってことだなと、テレビの裏側に思いをはせました。
その後、僕は『結局、最後は自分でしか自分を救えない。
他人に頼っている限り、いじめはなくならない。
壊れた自分の心を治せるのは自分だけ』
と、本気で覚悟をしました。
本当にこの覚悟がなされれば、
その時々の問題に対処し、その結果がどうであれ、
不満をため込むことはなくなっていくのです。
病気を治すために薬や注射を打ちます。
場合によっては手術をします。
ですが結局そのあと、それらの助けを得ながら、
体を回復させていくのは自分です。
自分でしか自分は治していけないのです。
彼女も、このことを言っているのだと思います。
しかし、これだけでは、心の傷は治せないのです。
では、自分で治すためには何が必要なのか?
これから書く内容は、中巻②の中にある一つの話
(父に代わって伝えたい)を簡略にしたものです。
レッツ・ポジティブ2 終わり
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