レッツ・ポジティブ2①

人をポジティブにしてくれるものには、いろいろなものがあります。

文字、言葉、絵画、音楽、スポーツ選手のパフォーマンスなどです。

これらは人の心を感動させることができます。

だから、これらは人に対して、すごい力を持っています。

しかし、これらだけを見聞きして、

相手を盲信することは、あまり良いことではないのです。

これだけで、人を過大評価していると

生身の本人を知った時、がっかりすることが多くなります。

たとえば、政治家には言葉巧みな人が多いです。

しかし、言葉と行動が一致していないため、

責任を追及される人が後を絶ちません。

すごいパフォーマンスを見せてくれていた人間が、

犯罪を起こすことも、よくあることです。

これらのことが起った場合、これらから元気をもらっていた人達は

裏切られたとがっかりし、怒りさえ感じます。

 

だから、外に向かって何かを発信する人間は

その行動に、責任を持って生きていく必要があります。

もし、僕がいじめをなくしたいと言いながら、

いじめをしていたとします。

僕の本を読んで感動してくれた人は、

僕の本性を知った時、どれほど、がっかりすることでしょう。

その人が、いじめで心底悩んでいたならば、

僕を憎むのではないでしょうか。

そうなれば、僕がどれほど

いじめをなくそうと訴えたところで

その言葉は薄っぺらなものになります。

同様に、いくら感動する言葉、絵、パフォーマンス、

心地よい音楽であっても、それは人と人をつなげる

媒体であって、媒体=発信者の本性ではないのです。

このように言葉や文字や音楽やパフォーマンスだけで

人を盲信することは、見かけで人間を判断するのと同じであり、

何よりも人間を見ることが重要なのだと思います。

 

僕は、ゲスさんの音楽を聞いたことがないし、今度のことで

聞きたいとも思いません。

しかし、彼の音楽が好きで、人間性と切り離して考えることが

できるのであれば、それでいいと思います。

つまり、発信者の本性が言葉、絵、パフォーマンス、音楽と

正反対のものであっても、

それが発覚しない時、高い評価を得ていたとすれば、

それはそれとして、評価してよいものなのだと思います。

生身の人間が未熟だと、良い作品が作られないということは

ないのですから。

まだまだ未完成な小さな子供でも、素晴らしい絵を書いたり、

音楽を奏でることができることからでも明らかです。

しかし、作者の本性と媒体の性質が、異なっていると明らかになれば、

作品に作者の人間性を反映させていた人達からの評価は

急落しても仕方がありません。

だから、その判断は人それぞれであり、どっちの判断が正しいと

議論しても、水掛け論になるだけです。

これを理解していれば、今度の騒動で、ベッキーやゲスさんに

対して引き起こされる怒りも、少し小さくなるのではないでしょうか。

ゲスさんの音楽を、二度と聞きたくなくなったという人もいれば、

いい曲はいい曲なのだと、割り切る人もいるでしょう。

これらの人が、それぞれを批判しあうことは、エネルギーの無駄です。

この怒りは必要のない不健全なものです。

ここで発生するのはポジティブエネルギーではなく、

ネガティブエネルギーなのです。

怒りの中で生きることを選んでいるのですから、幸せにはなれません。

ポジティブ思考は、このように自分に否定的な考え方があったら

自分に都合よい理論で批判したり、無視したりするのではなく、

互いを認め合う考え方です。

「そういうとらえ方もあるよね。私とは違うけれども、

レッツ・ポジティブ、まっいいか」

と考える思考です。

この方が、間違いなく、健全に、明るく生活でき、幸せを感じることが

多くなります。

-続く-