レッツ・ポジティブ9

★ お知らせ

過去のブログは古いものから100回分しか載せられないので

100回目以降の過去のブログは

サイトマップ ken22とパソコン、タブレット、スマホ

の検索窓に打ち込んで下さい。

過去のブログ一覧が出てきますので、お読みになりたいものを

捜しやすいと思います。

前回のブログでは、覚悟を決めるために必要なことと、

覚悟が効果をなすために必要なことについて述べました。

本当の覚悟、そして覚悟を継続するために必要なことは

自分は絶対にそれを達成することができると

信じることでした。

この信じる度合いが、覚悟の深さと継続の長さを

左右するのです。

ただ、この覚悟、すべてのことに対して

本気で決めることは大変なことです。

僕も、いじめで追いつめられなければ

できなかったことだし、

何しろ一年半も時間がかかったのです。

ベッキーが「でも、人に頼ってばかりの人も、

最終的には自分で自分の傷を治している」

と言っていますが、

僕のように覚悟を決めるのに時間がかかる人もいるが、

最後は覚悟を決めて、自分で治しているということだと思います。

ですから、

誤解がないように言っておきますが、

僕がレッツ・ポジティブ2で

ベッキーがそういう生き方(倍賞さんの覚悟のような生き方)

をしてきていなかったのでは?

と書いたのは、ベッキーに対して「覚悟ができていない」という

批判の意味ではありません。

あくまでも、覚悟の決め方は、その人の立場において、

それぞれで、深くもあり浅くもあるのだと思います。

あまり深くなくても、事足りることもあるし、

どんなに深い覚悟を決めても

ダメなこともある、これが人生なのだと思うのです。

しかし、乗り越えることができないと感じている障害も

覚悟をきめれば、そのほとんどは

乗り越えることができること。

障害が大きいほど、

強い覚悟が必要なことは間違いないのです。

だから、がんを克服する時の倍賞さんのように

命にかかわる覚悟は、とても深く、肝の据わった覚悟だと思います。

このような覚悟は、なかなかできるものではないし、

純粋なものあり、自分勝手なものではないのです。

僕がいじめに対して行った覚悟と、

ベッキーが仕事に対して行った覚悟

そして、倍賞さんが病気に対して行った覚悟は

当然違うものです。

ただ、これだけは言えると思うのです。

本気の覚悟で行うことに対しては、

自分で責任と誇りを持てるし、

人には頼りたいとは思わない ということです。

もし頼ることがあったとしても、

全力を尽くす自分の一環として

自分ではできない一部の手助けをしてもらうだけで、

頼ってしまうとか、頼りたくなるということではありません。

だから、あることに本気で覚悟を決めたならば

そのことに対しては

「20代の時はこういう生き方をして、

自分の基盤を作ったのかなと思うけど、

年齢を重ねると人に頼りたくなっちゃう」

とはならない気が、僕はするのです。

僕は、いじめられている時、いじめは間違っている、

いじめを経験した人間として

絶対にいじめをしないと覚悟を決めて生きてきました。

その覚悟は年齢を重ねても、変わるものではありません。

ますます強くなるだけです。貫いてきたことには

自信と誇りを持っています。

だから本気で覚悟を決めて行い、貫いてきたものは

昔はそうだったけど、やっぱりいじめたくなってしまうと

いうものにはならないということです。

つまり「20代の時はこういう生き方をして、

自分の基盤を作ったのかなと思うけど」という覚悟を、

倍賞さんの覚悟と同じだと考えているのであれば

ベッキーの認識間違いなのではと感じたのです。

倍賞さんの決意はものすごく本気の覚悟だと思います。

命のかかった覚悟なのですから。

深く、強く、他人にやさしいものです。

つまり美しい心の覚悟です。

年齢を重ねると人に頼りたくなっちゃう。

というものではないのです。

倍賞さんの覚悟の言葉

「泣きたいときはひとりで泣いて、

ひとりで決断して、自分の傷は自分でなめて治す」とは、

自分の身に起こったすべてのことは、

自分で受け入れて、自分の人生として消化していく。

この姿勢は今後、どんなに年数が経とうと変わらない

というものだと思います。

そして僕と、覚悟の内容は異なりますが、本気の覚悟です。

それも、命にかかわる病気を克服しようとなされたもので、

僕より深く強い覚悟だと思います。

本気中の本気覚悟です。

本気の覚悟は深まるだけで、揺らぐものではないのです。

なぜなら、その覚悟で生きてきた毎日の積み重ねが、

その人の人生であり、誇りであるからです。

だから、ベッキーが言った「私もそう思って生きてきた」

という覚悟の結果が、今度の身勝手な行動を起こしたのだとしたら、

それは違うと違和感を持っただけなのです。

昔はしていたが、今は無理というような言葉にできる

軽いものではないと思います。

「泣きたいときはひとりで泣いて、ひとりで決断して、

自分の傷は自分でなめて治す」

ベッキーが仕事に対して、

本当にこういう覚悟で生きてきたとしたならば、

自分の生き方に誇りを持ち、

続けていきたいと感じているはずだと、僕は思うのです。

そこから逃げて、誰かに頼りたくなることなどないはず。

なぜなら、自分に誇れる生き方から逃げたいとは思わないと

僕は感じているからです。

だから、ベッキーが、二十代はそうして生きてきたけれども、

三十代になった私にはできないなというのは、

僕は矛盾している気がしてならなかったのです。

 

ベッキー騒動の後、立て続けに何股や不倫報道がなされ、

ベッキーについて、一時のように取り上げられることは、なくなりました。

「こんなどうでもよいことで騒いでいるのだから、

日本は平和な国なんだな~」

という思いだけで、正直、それぞれの騒動に、

まったく興味がありません。

人の噂も七十五日、このようにベッキー騒動も

時間が経てば、どんどん薄らいでいくと思います。

芸能界に帰ってきても、ベッキーの居場所はないだろうという

記事も見たことがあります。

テレビを見ない僕にも、それがタレントにとって

大変なことであることは分かります。

そういう報道を見聞きすれば、本人はとても

正気でいられないと思います。

彼女がどうしても、

テレビの世界で生きていきたいのであれば、なおさらでしょう。

でも、芸能界だけが彼女が生きられる世界ではないし、

今は、謝るべき人達に、きちんと謝って、反省も含めて、

自分を見つめることを、きちんとする時間にすればよいと思います

とにかく、これからしばらくは何をやっても

うまくいかない時期でしょう。

でも、それを作り出したのは、他でもない自分なのですから、

しっかり受け止めて、また機運が回復する時期まで、

冬は冬だからこそできる、時間の過ごし方をして欲しいと思います。

月並みですが、暗い夜の次は、明るい朝がやってきます。

どんなに暗い夜も、明けない夜はありません。

それこそ、「レッツ・ポジティブ」を、心の中で唱え

明るい時期がやってきた時に、しっかり活動できるように、

暗い今のうちに、できることを準備しておいて、

また頑張って仕事をして欲しいと思います。