★お知らせ1
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捜しやすいと思います。
お知らせ2
すでに 過去のレッツ・ポジティブ3を
お読み下さった皆さんへ。
ちょっと長かったので、
レッツ・ポジティブ3~8の6つ
に分けることにしました。
新しい内容は、レッツ・ポジティブ9からになります。
いじめに対して悩んでいる時、僕の心の中で時々顔を出す
誰かに頼りたいって気持ち、こいつは、卑怯者だ。
いじめの解決を、その人に任せて 自分は休みたいんだ。
辛いからって放り出したいんだ。楽したいんだ。
これって病気の治療をお医者さんに任せて、
自分は何もしないでいたいってことだ。
楽して良い結果だけを得ようとしているのと同じだ。
そのくせ、なかなか治らない時は、その責任を
お医者さんや薬のせいにしている。
お医者さんからしたら、とんでもない患者さんだ。
でも、同じだ。僕の心にこいつが顔を出した時
その時は、もう誰かに任せちゃいたいって感じている。
でも、だめだこんなの、ひどい患者さんと同じだ。
上手く行かない時、 僕の為に頑張ってくれた、
その誰かのせいにしてもいいってことなんだ。
最低だ。ただそんな自分がいるってことも確かなんだ。
こいつに負けるってことは、いじめに負けるってことだ。
負けてたまるか。
僕は、覚悟を決めるということは、今まで頼ろうとしていたものを
捨てることだ と知ったのです。
これはいじめを解決するためには
他人を頼ってはいけないといっているのではありません。
川崎の上村亮太君の事件のように、
もはや凶悪犯罪と言えるほどになっている場合、
命の危険を回避するためにも、
大人や警察に頼ることは 絶対に必要です。
しかし、その後、
傷ついた心を治していくことに対して
必要以上に他人を頼ってはいけないし、
それでは、治せないということです。
しっかり覚悟が決まり、いじめに対処していくようになってから
しばらくした頃でした。
今まで、絶対に親には相談しようと思わなかった僕の心に
不思議なことが起きました。
「どうしても、自分だけではダメだと思ったら、
お父ちゃん、お母ちゃんに言おう。うん、そうしよう」
こんな思いが、ふと浮かんだのです。
覚悟できていなかった時は
心の片隅で「人に助けてもらいたい」 と思いながら、
でもそれは絶対にしてはならないことだ」
と思っていた僕でした。
ここでストップをかけていたのは、
「母を悲しませたくない」 という思いだけではありませんでした。
人に知られることなく、 なんとか上手く終わらせたいという自分でした。
それができないと自分は、ダメ人間だと 思われるという怖れでした。
それが覚悟したとたん、僕の心は相談することを認めたのです。
これは、楽をしたいからではなく、
自分で全力を尽くした結果、必要であれば 頼ることも大切なこと。
僕がつぶれてしまわないことが、
一番大切で、母ちゃんを悲しませないこと。
その代わり、そこから先も 自分の努力は忘れない。
自分が表に立って、対処いくことは変わらない。
それは、僕自身が納得できる生き方だ。
自分を信じられるようになってきたら、
このように思えたのです。
このように、覚悟が決まると 本当の意味で、
他人に頼ることができるのだと思います。
僕がそれをしなかったのは、
このいじめは、 自分で克服できるという自信が
自分の中に生まれてきたからです。
頼れるものがあったら頼りたいと顔をのぞかせていた弱気が、
吹き飛んで行ってしまったのです。
もし、それに頼っても一時的なものでしかない。
根本的な解決にはならない。
ひどいいじめだけど、このいじめで、僕は死ぬわけではない。
まだ、僕はまだ全力を出し切っていないと感じたのです。
それまでは、もう耐えられない、もう限界。
死ぬしかないとしか考えられなかったのに 不思議な心の変化でした。
-レッツ・ポジティブ7に続く-
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