一般社会の競争も同じです。期日までに 何日も徹夜し 努力しても 結果が
出なければ 勝敗的には意味がありません。
上司に「 この数か月間 ほとんど 徹夜で頑張りました 」と言い訳しても
「 何だ そんなもの おまえの能力がないって 証明したようなものだろ 」と
一喝されてしまうでしょう。
ただ やはり努力は大切なもので 僕は認めてあげるものだと 考えています。
これについては またいつか書きたいと 考えています。
僕は競争自体を悪いとは 思っていません。
互いを高めるために 必要なことですから。
手段が正しくても 競争に勝てないことは よくあります。例えば 相手が
正しい手段で もっと効率の良いものを開発している場合です。
ですが この経験は 決して無駄にはならず 次の段階に行く 大きな材料に
なります。しかし 競争に勝っても 不正な方法ならば 必ずどこからか
ヒビが入ってきます。
正しい手段で 成功にたどり着いたのであれば いろいろ失敗もあり
苦労はしたが 何とか成功した。
失敗もすべて このためにあったのだと その道のりすべてを
よしとできます。
しかし 不正な手段で結果を出した場合 こう言ってはいけないのです。
競争はルールを守って行わなければ 汚い社会になってしまいます。正しい努力が
報われない卑怯で汚い社会です。
このような世の中になってしまえば 不正がはびこり その国は衰退していきます。
独裁的なものになり 貧富の差が激しく 弱いものが虐げられる国になります。
自分達の子供 孫 ひ孫に そのようなものを 残していっては ならないと
思います。
この競争社会だからこそ 大人は子供達に
「正しい手段でやりたいことをする」
ことを伝えていくことが重要だと思います。
日本は 海外から 観光客を招き入れるために おもてなしとか 美しい国
日本 などのキャッチフレーズを並べています。
でも 日本が美しい国になるためには 商業レベルで 町中をきれいにするのでは
不十分です。
いくら町中を整備して 丁寧な案内をしても 目的が お金だけならば きれい
止まりです。 観光を目玉にした きれいな国に過ぎません。
中巻①に書いた父の言葉を使うなら 美しさとは強さを兼ね備えているものです。
美しい心を持った国民 言い換えるならば
良心を貫き通す国民でなくてはならないと感じます。
百年後も 問題なく 利益をもたらすかどうかを考えて
長い目で 物事を決定して いかなてはいけない時代なのだと思います。
そうでないと 今は大きな利益を得られても 数十年後必ず行き詰まります。
そうならないためにも 未来の日本人に対する責任を忘れない心の強さが
今の日本に求められている気がします。
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