短い応答でしたが、
この人は、正直なのだろうけど、
思いやりにかけた人だなという感じがぬぐえませんでした。
実は以前、同じようなことを言った人がいたのです。
僕より10歳ほど上の方でした。同じように並んで歩いている時でした。
「いや、この何て言うんだ、目が悪い人用のこれ?」
「ああ、点字ブロック あるいは視力障害者誘導用ブロック
って言います」
「 あっそう、恥ずかしいな、この歳で何というか知らないなんて。
君、良く知っているね」
「 いや、たまたま知っていただけです 」
「 それで、この点字ブロックが何か? 」
歩きながら、顔を向けて聞くと、こう答えたのです。
「 うん、いやね。狭い道にこれがあると、ちょっと歩きにくいんだよね 」
「 そうですか、確かにそうかもしれませんね。
これからは老人社会ですからね。足腰の弱っている人には、危ないですね」
「 君もそう思うか? 」
「 はい、だからそういうことを考えて、敷いて行かなくてはいけない時代に
なったのだと思います」
「 あっ、・・・・そうだな。ほんと、恥ずかしい 」
「 えっ? 」
「 いや、ついつい自分中心に物事を言ってしまった。
狭くても、その先に危ない場所があれば、絶対に必要だよな。
これからの老人社会、必要なものは、それこそ、この思いやりだな 」
僕は、「ふっ」と温かいものを感じ、微笑みながら、その人を見ました。
「 僕もそう思います。でも、言われた通りだと思います。
きっと、そういうクレームも届いているでしょうから、
今後はそういったことを考えて、点字ブロックを敷いていくんではないんですかね 」
「 そうあって欲しいね 」
この人は、僕が言おうとする前に、自分の言葉を改め、
自分が忘れていた思いやりを、取り戻しました。
そして、点字ブロックに対する思いやりは、障害者だけでなく、
これからの日本にとって、とても大切だということを言われたのです。
だから、この人に対しては、思いやりのない人だとは感じませんでした。
むしろ、心のあたたかかい人だなと感じたのです。
しかし、僕から言葉を奪った人は、
僕の「でも、これがないと目の不自由な人は困りますよ」
という言葉を聞いたにも関わらず、
平然と「それは分かっているけど、ジャマでしょうがない」と答えました。
頭で理解しているだけで、心の理解がなされていないのです。
分かっているというが、自分の意見が絶対に正しいと思っているため、
相手の立場に立つという作業が心でなされないのです。
この点が恥ずかしいと言葉を改めた人とは、大きく違っています。
30年ほど前に出会ったヤンキー風の学生は、
歳も二十歳そこそこという感じでした。
まだ世の中のことをよく知らず、
自分で気づいていなかったことを注意されたため、
怒ってしまった所もあったのだのだと思います。
つまり、息巻いた彼も本気で、点字ブロックを、
ジャマだとは思っていなかったのです。
自分たちの自転車が、勝手に動かされたことに腹を立てて、
ひどいことを言ってしまったのだと思います。
ただ、腹を立てているとしても、彼が視力障害者に対して、
思わず口にした言葉は、ひどいものでした。
友達の兄が視力障害者だと知らなかったとはいえ、
友達を激怒させる思いやりのなさと、
障害者への差別を感じさせるものでした。
そして、点字ブロックに対して
何気なく不満を口にした、この二人の人物は、
どちらも分別のある歳でした。
どちらも、正直なのだと思います。
しかし、その後、一方は視覚障害者の立場に自分を置き換え、
考えを改め、他方はそれでもジャマだと、平然と言ってのけました。
少し、脱線するようですが、この相手の立場になって考えることが
できないことこそ、いじめをしてしまう原因です。
僕はこのブログで障害者という漢字を使ってきましたが、
1つのことを感じて欲しいからです。
これから障害者(障がい者)と表記してみますから、
障害者と障がい者で、受ける感じが明らかに違うことを
知って欲しいのです。
点字ブロックに対する二人目の人物は、道端の障害物の害という
ニュアンスで点字ブロックをとらえています。
そこには障害者(障がい者)に対しての思いやりはなく、
自分にとって都合の悪いものは、
すべて害という自己中心的なもののとらえ方を感じます。
だからいじめの多い社会というものは、
心が貧しく、障害者(障がい者)に
やさしくない社会だとも言えると思います。
心の余裕というものは、同じ環境にいても、
心の持ち方で、まったく違ったものになります。
そして心の持ち方は、身近な人間に感染していきます。
攻撃の波動は、その波動を周りまで攻撃的にしてしまいます。
いっそう、心に余裕の生まれない状態をつくってしまうという
悪循環になってしまいます。
どの世代にいじめが多いか調査をしてみたら、
一番多いののは学校ではなく
働き盛りの30代~40代だったといいます。
忙しく働くストレスで、心に余裕がなくなり、
このような現象が起きているのだとしたならば、
いじめが悪いことだと教える子育て世代の親が
最もいじめをしていることになります。
大丈夫は思いやりの原点に書いたように
思いやりの言葉をかけあって
いじめの根を、各家庭で 消していって欲しいと願っています。
-続く-
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