障害者差別解消法3

短い応答でしたが、

この人は、正直なのだろうけど、

思いやりにかけた人だなという感じがぬぐえませんでした。

実は以前、同じようなことを言った人がいたのです。

僕より10歳ほど上の方でした。同じように並んで歩いている時でした。

「いや、この何て言うんだ、目が悪い人用のこれ?」

「ああ、点字ブロック あるいは視力障害者誘導用ブロック

って言います」

「 あっそう、恥ずかしいな、この歳で何というか知らないなんて。

君、良く知っているね」

「 いや、たまたま知っていただけです 」

「 それで、この点字ブロックが何か? 」

歩きながら、顔を向けて聞くと、こう答えたのです。

「 うん、いやね。狭い道にこれがあると、ちょっと歩きにくいんだよね 」

「 そうですか、確かにそうかもしれませんね。

これからは老人社会ですからね。足腰の弱っている人には、危ないですね」

「 君もそう思うか? 」

「 はい、だからそういうことを考えて、敷いて行かなくてはいけない時代に

なったのだと思います」

「 あっ、・・・・そうだな。ほんと、恥ずかしい 」

「 えっ? 」

「 いや、ついつい自分中心に物事を言ってしまった。

狭くても、その先に危ない場所があれば、絶対に必要だよな。

これからの老人社会、必要なものは、それこそ、この思いやりだな 」

僕は、「ふっ」と温かいものを感じ、微笑みながら、その人を見ました。

「 僕もそう思います。でも、言われた通りだと思います。

きっと、そういうクレームも届いているでしょうから、

今後はそういったことを考えて、点字ブロックを敷いていくんではないんですかね 」

「 そうあって欲しいね 」

この人は、僕が言おうとする前に、自分の言葉を改め、

自分が忘れていた思いやりを、取り戻しました。

そして、点字ブロックに対する思いやりは、障害者だけでなく、

これからの日本にとって、とても大切だということを言われたのです。

だから、この人に対しては、思いやりのない人だとは感じませんでした。

むしろ、心のあたたかかい人だなと感じたのです。

 

しかし、僕から言葉を奪った人は、

僕の「でも、これがないと目の不自由な人は困りますよ」

という言葉を聞いたにも関わらず、

平然と「それは分かっているけど、ジャマでしょうがない」と答えました。

頭で理解しているだけで、心の理解がなされていないのです。

分かっているというが、自分の意見が絶対に正しいと思っているため、

相手の立場に立つという作業が心でなされないのです。

この点が恥ずかしいと言葉を改めた人とは、大きく違っています。

 

30年ほど前に出会ったヤンキー風の学生は、

歳も二十歳そこそこという感じでした。

まだ世の中のことをよく知らず、

自分で気づいていなかったことを注意されたため、

怒ってしまった所もあったのだのだと思います。

つまり、息巻いた彼も本気で、点字ブロックを、

ジャマだとは思っていなかったのです。

自分たちの自転車が、勝手に動かされたことに腹を立てて、

ひどいことを言ってしまったのだと思います。

ただ、腹を立てているとしても、彼が視力障害者に対して、

思わず口にした言葉は、ひどいものでした。

友達の兄が視力障害者だと知らなかったとはいえ、

友達を激怒させる思いやりのなさと、

障害者への差別を感じさせるものでした。

そして、点字ブロックに対して

何気なく不満を口にした、この二人の人物は、

どちらも分別のある歳でした。

どちらも、正直なのだと思います。

しかし、その後、一方は視覚障害者の立場に自分を置き換え、

考えを改め、他方はそれでもジャマだと、平然と言ってのけました。

少し、脱線するようですが、この相手の立場になって考えることが

できないことこそ、いじめをしてしまう原因です。

僕はこのブログで障害者という漢字を使ってきましたが、

1つのことを感じて欲しいからです。

これから障害者(障がい者)と表記してみますから、

障害者と障がい者で、受ける感じが明らかに違うことを

知って欲しいのです。

点字ブロックに対する二人目の人物は、道端の障害物の害という

ニュアンスで点字ブロックをとらえています。

そこには障害者(障がい者)に対しての思いやりはなく、

自分にとって都合の悪いものは、

すべて害という自己中心的なもののとらえ方を感じます。

だからいじめの多い社会というものは、

心が貧しく、障害者(障がい者)に

やさしくない社会だとも言えると思います。

 

心の余裕というものは、同じ環境にいても、

心の持ち方で、まったく違ったものになります。

そして心の持ち方は、身近な人間に感染していきます。

攻撃の波動は、その波動を周りまで攻撃的にしてしまいます。

いっそう、心に余裕の生まれない状態をつくってしまうという

悪循環になってしまいます。

どの世代にいじめが多いか調査をしてみたら、

一番多いののは学校ではなく

働き盛りの30代~40代だったといいます。

忙しく働くストレスで、心に余裕がなくなり、

このような現象が起きているのだとしたならば、

いじめが悪いことだと教える子育て世代の親が

最もいじめをしていることになります。

大丈夫は思いやりの原点に書いたように

思いやりの言葉をかけあって

いじめの根を、各家庭で 消していって欲しいと願っています。

-続く-