障害者差別解消法5

確かに、思いやりがなくても、人間は生きていけます。

しかし、その人が生きていく世界は非常に

とげとげしく、いつも周りを批判し、

不平不満を感じて、生きていくことになります。

こういう世界は、その不満を解消しようと、いじめや差別を生んでいきます。

中巻①に書きましたが、いじめの期間、僕はいじめがなぜ起こるかを何度も

考えました。そして、僕の最低限の権利(皆、同じ人間、平等に扱われるべき)

を認めないからだと思いました。

最低限の権利を尊重してあげないことこそ、

思いやりのなさの正体であり、争いの原因だと思ったのです。

つまり、思いやりとは、他人を尊重すること、

平等であることを認めることです。

人が他人や動植物と共生する上で、最も大切なことだと思います。

仕事の雇用関係、役職の序列、年齢の上下などで、

なかなか下の人間は、上の人間に強く出られません。

その力関係を利用して、部下を理不尽に扱う上司も多いようです。

しかし、上に立つ人間は、下の人間が逆らわなかったとしても

部下を尊重できない人(部下を思いやらない上司)は、

部下から尊重してもらえない (慕われない、思いやられない) ことを

覚悟しておいた方がいいと思います。

定年を迎えた後、孤独な人生を、歩むことになると思います。

結局、思いやりとは、すぐには、自分に巡ってこないかもしれませんが、

後々、自分に大きな幸せを運んで来てくれるものだと考えています。

こう考えているもとになった気づきは、上巻に載せたものでした。

冤罪の項 『自分の思いが自分に返ってくる。良い思いは、

自分を守り、悪い思いは自分を傷つける』

大きな木の穴の項 『善意を喜ばない人もいる。良い思いがすぐに、

良い結果を生むわけではない。でも善意へのお返しは必ずある』です

 

僕は、中巻①にこうも書きました。

いじめの原因は、いじめて来る相手が、僕の最低限の権利

(皆、同じ人間で平等に扱われるべき)を認めないからだと分かりました。

しかし、それはいじめている相手の心が決定することであり、

僕がどうあがこうが、コントロールできないものである。

ならば、こういった人たちは、どうすれば、

それを認めるようになっていくのでしょうか?

現実的に、こういう人が改心することは、あまり期待できません。

ですが、認めないまでも、こういう人達の身勝手が、

許されない世界を作っていくことはできると思うのです。

それには、思いやりのある人達が、思っているだけでなく、行動を示すこと

が大切だと思います。

悲しいことに、いじめでは、それがとても難しいのが現状です。

次のターゲットになる危険性が高いからです。

ですが、障害者 (障がい者) に対しての思いやりは、

それをしたからといって、自分に被害が及ぶことはありません。

「よくも、障害者 (障がい者) に手を貸したな、いじめてやるぜ」

なんてことはないのです。

だから、ちょっとだけ勇気を出して、各個人が行動すればよいのです。

つまり、仲間を募って、特別に何かやれということではないのです。

視覚障害者(障がい者)が道に迷っているようだったら、ちょっとだけ勇気を出して

「こんにちは、どこに行かれたいのですか?」

ホームの端を杖で確認しながら歩いていれば

「こんにちは、ここ右側は線路ですから、危険です。

私の右腕につかまって下さい。安全な所にお連れします」

と、声をかけるだけでいいのです。

混雑している車内で、電車遅延の緊急放送が流れ、車内に電子表示されない

場合、近くに聴覚障害(障がい)の人がいたら、携帯にその情報を打ったり、

ノートに書いたりして、教えてあげたりするだけでいいのです。

これが波となり、浸透すれば、次の波が生まれてくるからです。

これだけの情報社会です。

どうせ、広まるのなら、良い情報、皆が元気になり、

私もやってみようと、勇気の湧いてくるものがいいのです。

この障害者(障がい者)差別解消法は、心の豊かな美しい国をつくることにおいて

重要な法律だと、僕は考えています。

この障害者(障がい者)差別解消法が、見事に体現された社会は、

偽りのない思いやりに溢れた、やさしい社会です。

障害者(障がい者)と共生できる社会こそ、老人にも子供にも、

誰にもやさしい社会です。

今後、日本において、いや世界に求められる社会形態だと思います。

それこそ、日本は世界に認められる国、手本になる国になると思います。

なぜなら、世界中で続いているさまざまな戦争、紛争、テロ、

すべて突き詰めていけば、人間同士の思いやりの欠如から

発生しているものなのですから。

そして世界中の誰もが、本心では戦争は嫌だし、

平和な生活を望んでいるのですから。

2020年、東京オリンピックの年、さまざまな国から、

多くの人々が、日本に長期滞在することになります。

マニュアルにある、すばらしいおもてなしができても、

長期滞在してみたら、日本には思いやりがなかった、

あったのは営業用の思いやりだったと、言われないようにしたいものです。

 

どうでしたか? 障害者と障がい者では

読んだ感じが、だいぶ違ったのではないでしょうか? 

だから、どうして 障害者差別解消法なのかな? 

と僕は感じています。今回はこういう法律が施行されたという意味で、

知ってもらいためそのまま書きましたが、

やさしく美しい国を目指すなら、

しょうがい者差別解消法にして欲しいなと思います。

よい言葉がないのかもしれませんが、

害という文字に良いイメージを持つ人はいないと思います。

せめて合理的配慮を求める内容の法律であるのなら、

名前を障がいにする必要があるのでは?と感じています。

特別支援という言葉も同様に感じます。-終わり-