根生さん、お久しぶりです。なんていっても、根生さんが言う通り、覚えていません。ごめんね。
でも、僕のことを覚えていてくれて本当にありがとう。感謝です。
Kさんといい、もう二度と会うことがないだろうと
考えていた教え子に、こうしてつながることができるなんて、
それだけでも、このブログを作った甲斐があったと感じています。
忙しくなって、なかなか更新できなくなっているのだけれども、
続けていくから、暇な時覗いて、更新していたならば、
読んでみて下さい。
根生さんも元気にしているのですね。
僕はまだスマホ持っていないんだ。
ガラ系で頑張っています。
85歳の母すらスマホなんだけどね。
調べ物はPCやiPadでやっています。
スマホに比べて、いつもは携帯していないけど、
画面が大きいんでね。小さい画面だと、僕には読みにくい。
ただ年取って、目が弱くなったということだけど(笑)
そういえば、Kさんも元気しているかな。
こうしてみると、出会った人とは、その後一生会わないとしても、
やはりどこかでつながっているのですね。
つながりといえば、僕は本やブログで
時々自然とのつながりを感じたと書いてきました。
僕は出版している中巻①で書いたように、
小学校の時、神様に対して大きな不信感を持ちました。
今はそんなばちあたりなこと考えていませんが(感謝あるのみです)
でも、この時の経験から、
本当の意味でつながるために必要な条件、
これに気がついたのです。
それが中巻①神様への反乱の項での気づき
『僕の神様は支配しない神様』です。
いじめの中で、仲間を疑い、いじめて来る人間を憎み、
神様を呪っていた僕は、
毎日病院の裏山に逃げ込んでいました。
ここで散々神様や友達、いじめっ子に悪態をつき、
一人暴れまわり、その後一人で考え込んでいました。
ある日、いつの間にか寝てしまい、
気づくと、とても静かでした。
ところが、しばらくすると、数秒間でしたが、
物凄い音量で、いろいろな音が聞こえてきたのです。
ざわざわとしているのですが、まとまっていました。
生きていることを喜んで大合唱しているように感じたのです。
抽象的な表現をすれば、自然の調和を感じたのです。
「何だったのだろう?」と不思議に思いました。
僕は音の出所を探そうと、山の中を歩き回りました。
すると、今まで感じることがなかった、
周りの樹木や見えない虫達の息づかいを感じたのです。
そして自分の吐き出す息の音を聞いた時でした。
「はっ、一緒だ。この山と僕は同じだ。
僕たちはつながっている」
何とも言えない感動と喜び、
大きな何かに包み込まれている安心感を得ました。
「生まれてきたことが間違い、世の中のために早くしね」
と言われ、傷ついていた僕の心は震えていました。
目の前にあるすべての生き物から魂を感じ、
その魂が木や花、コケ,シダ、虫、鳥といった肉体を持って、
この山に存在していることが分かったのです。
そして、僕も人間という肉体を借りてここに存在している。
姿かたちは違うけれども、皆同じでつながっていることを
感じたのです。
自分の存在が、生きて存在していることへの喜びを
大合唱している大きな意識の中の一つに感じられ、
「うん、うん」という感じでした。
「僕はこの世の中に必要」
神秘的な体験でした。
この感覚はこの後も何度も体験しました。
そのたび、僕の心は勇気づけられました。
山に存在しているものは、言葉を発していませんが、
支えあい認め合っていることが分かり、
神様について悩んでいた僕の心は
「僕が小さい頃から祈っていた神様はここにいる」
と感じたのです。
ここで感じた神様には、図書館で調べた世界の神々から感じ、
反感を持った支配しようとする意識はありませんでした。
この感覚は僕の心を癒やし、周りにこの接し方をすれば、
相手との見えないつながりが見えてくるし、
相手が自由に生き生きと生きていくことの
手助けになるんだという気づきにつながっていきました。
だから、僕は支配しようとする心には、
人一倍敏感かもしれません。
会社であれば、自分の都合で、部下にいろいろ命令したり、
仕事を教えたりする。
学校であれば、クラスをコントロールするために、
言うことを聞かない生徒を邪魔者扱いする。
家庭であれば、親が子供の生き方を、
自分の思い通りにしようと、あれこれと干渉していく。
恋人どうしであれば、自分の願いをより聞いてくれるようにと、
相手に多くの要求をしていく。
上司、先生、親の心には、
支配してコントロールしようという心が芽生えがちです。
しかし、これらの接し方は、相手と自分の見えない絆を
細くしていきます。そして相手から自由を奪っていきます。
相手の気持ちを考えるやさしさが失われていき、
相手が目的をもって生きていくジャマをすることになります。
配偶者、恋人、友達、子供、ペット、草花など、
生きているものすべてに通じることです。
コントロールしようという意識を捨てて相手とつながり、
簡単なこと、できる範囲でいいから、相手の手助けをする。
そうすることで、相手もやる気を出し、内なる力を強化し、
生きる力が大きくなっていくのだと思います。
そしてその力がいつか巡って自分を支えてくれる。
調和のとれたつながりとはそういうことなのだと考えています。
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S (日曜日, 24 4月 2016 15:38)
支配してコントロール。。
私は、知らず知らずに相手をコントロールしようとしていたのかな。と、ブログを読んで思いました。ブログを読まなかったら、そんな自分に気付けなかったかもです。配偶者、恋人、友人、子供、ペット、草花に対して、相手のためと思い込んで、むしろ自分は被害者だと思い込んで、コントロールしていることに気付けない人は、たくさんいると思います。そんな人にこのブログが届きますように。
また人に対する接し方のヒントをもらえました。いつも、ありがとうございます☆
根生 (水曜日, 27 4月 2016 21:15)
まぁ四半世紀位前のことですから覚えて無いですよね(*^^*)
当時はかなりアホでしたが健ちゃんのプリントで生物の成績は良かったですよ。
自分のことはさて置き、できる限り拡散したいと思ってますので、これからも身体に気を付けて頑張って下さい。