回れ風車

 

皆さんは 祭りに出る露店の風景の中で

 

何が一番好きですか?

 

僕は店先で回っている

 

風車(かざぐるま)の風景が好きです。

 

僕の故郷では6月20日頃

 

お引き上げという祭りが

 

大々的に催されていました。

 

親鸞聖人の遺徳を偲んで開かれる

 

伝統的なお祭りです。

 

百店以上の露店が立ち並び

 

けっこうな人手で賑わっていました。

 

夜になると

 

子供たちは 少々のお金を親からもらい

 

夜の祭りを楽しんでいました。

 

一年で一度、親公認で

 

夜遊びできる機会で、

 

とても楽しかった思い出があります。

 

子供だった僕は

 

立ち並ぶ夜店の光がかもしだす光景と

 

夏の訪れを告げる風鈴の音色に

 

幻想的な雰囲気を感じていました。

 

まるで別世界に来ているようでした。

 

水の入ったヨーヨー風船を買ったり

 

かたぬきをしたり

 

綿あめを買ったり

 

飴人形作りを見たり

 

どのおもちゃを買おうかと

 

コウちゃんと 目を輝かせて

 

露店を歩き回っていました。

 

その中で 僕が最も気に入っていた

 

風景が いろいろな露店の店先で

 

クルクル回る風車(かざぐるま)でした。

 

昼も夜も

 

風が吹くと

 

気持ちよさそうに回る

 

赤色、黄色、緑色

 

色とりどりの風車たちは

 

お祭りの楽しさを

 

盛り立てていました。

 

きれいでかわいらしく

 

なぜか懐かしく、

 

見ているだけで

 

心が軽くなるのです。

 

風が吹き

 

カラカラカラと回る音は

 

やさしい言葉に聞こえてきました。

 

「辛いんだね。悔しいよね。

 

よく 頑張ってるね。

 

私たちは皆 そのこと知ってるよ。

 

だから、ケンちゃんのために クルクル回るよ。

 

さぁ、吹いてごらん。楽しいよ。

 

ケンちゃんの風で楽しく回るよ。

 

さあ、さぁ、吹いて」

 

しばらく 風車を見ていました。

 

風車は 僕の心を受け入れて

 

やさしく 回ってくれている気がしました。

 

「ありがとう。きれいだね。すごくきれいだ」

 

僕は 風車達に感謝しました。

 

一陣の風が吹き、 風車が勢いよく回り始めました。

 

「回れ、僕の風車」

 

そんな思いが 心に浮かび

 

祭りのいたるところで回る風車が

 

すべて 僕のために 回っているように

 

感じました。

 

人それぞれでしょうが

 

僕にとっての 風車のイメージとは

 

こういうものです。

 

僕は風車を一つ買いました。

 

風車の回る音が

 

「楽しいね」「楽しいね」

 

と、心地よく響いてきました。

 

露店の所々で回転する風車達は

 

笑顔で話しかけて来る

 

昔からの知り合いのようでした。

 

数十年後 松山千春の歌「かざぐるま」を

 

初めて聞いた時

 

「ああ~、こういう風車もあるんだな」

 

と、感慨深かったのを覚えています。

 

この曲の風車は 何とも切ない風車ですが

 

僕の風車は 楽しく やさしい風車だったからです。

 

なぜ 風車(かざくるま)の思い出話を

 

書いたかというと

 

頑張ることに関するイメージの2つ目が、

 

風車だからです。

 

いじめで 苦しんでいた当時の僕の心は

 

多くの露店の店先で楽しそうに回る

 

風車達に 癒されていました。

 

頑張れるための一つの条件とは、

 

いつでも、そこに行けて

 

こまめに心を安らがせることのできる

 

小さな楽しみを持つことです。

 

僕はお引き上げが

 

終って、寝床についてからも

 

布団の中で

 

風車の風景を思い浮かべていました。

 

額の奥で、今日見てきた風車を思い浮かべ

 

「綺麗だったな~。いい音だったな~」

 

と、その時の感覚を再現していました。

 

そのうちたくさんの風車の再現が額では

 

難しいので、胸にたくさんの風車を

 

イメージしていきました。

 

一段目は赤色、二段目は黄色というように。

 

そして自分が風になって

 

風車を回しました。

 

僕の胸とお腹には

 

たくさんの風車が並び

 

気持ちよさそうに 回っていました。

 

僕はその風景を見て

 

一人で 微笑みました。

 

「気持ちいい。とても呼吸が楽だ」

 

その年の夏休みのことでした。

 

クーラーなどない時代ですから

 

外から帰って来ると

 

扇風機を最強にして

 

胸に向けていました。

 

目をつむって

 

「あ~、涼しい」

 

と、思った瞬間でした。

 

「あっ!」

 

胸にたくさんの風車が浮かび

 

勢いよく、音を立てて回り出したのです。

 

僕は 心に浮かんだ風景を楽しみながら

 

思わず 笑顔になりました。

 

「ふふふ、扇風機でも回るんだ。面白いな」

 

僕は、微風、中、強それぞれに風量を変えて

 

その時 胸の中で回る風車の様子を

 

目をつむって 感じることを繰り返しました。

 

「あ~いい気持ち 生きていて良かったって感じ」

 

それからというものの、

 

今でもですが、

 

外で気持ち良い風を感じた時には

 

目をつむって

 

心に風車を思い浮かべます。

 

そして クルクル楽しそうに回る風景を

 

楽しむクセがついています。

 

どんなに精神力、体力が強い人間であっても

 

休みなく頑張り続けることは出来ません。

 

張りつめた心を 適度に緩め

 

必要な時 しっかり張り出せるように

 

してあげることが必要です。

 

当時の僕は

 

自分に対して、「頑張れ!」と

 

常に 言っていました。

 

いじめに上手く対処できない自分に

 

愚痴をいい、

 

自分を情けなく思っていました。

 

そして そんな自分に対して

 

「くよくよするな。やればできる、頑張れ!」

 

と、叱咤激励する。毎日、この繰り返しでした。

 

でも、いつも上手くいかず、

 

自信を失っていくばかりでした。

 

そんな僕に対して風車達は

 

頑張れとは言わず、やさしく回りながら

 

ただ、話を聞いてくれたのです。

 

悲しい時は 悲しい自分

 

情けない時は 情けなく思っている自分

 

自信がない時は おびえている自分

 

これらの自分を 素直に受け入れることで

 

不思議と 心は落ち着いてくるものです。

 

ふさぎこむ自分に対して

 

「これじゃいけないんだ

 

これだからダメなんだ」

 

と、自分を責めてしまいがちですが

 

これだと、いつまでたっても

 

この繰り返しなのです。

 

これは 自信を失って 悩んでいる子供

 

に対しても 言えることだと思います。

 

「メソメソしない。泣くのは、やめなさい!

 

くよくよするな、一度や二度の失敗でなんだ。

 

男らしくない。そんなことだからまた失敗するんだ。

 

やればできる。おまえならできるはず。きっとできる」

 

確かに、こう言いたくなります。

 

でも、これらの言葉は、

 

本当に自信を失い、

 

悩んでいる子供に

 

ダメな自分を

 

さらに感じさせることになります。

 

他人からのダメ出しによって

 

ますます 心はしぼんでいくのです。

 

まずは 共感して 

 

失敗を認めたくない自分と

 

失敗してしまった自分との葛藤に

 

決着をつけさせてあげることです。

 

「自分では 頑張ったつもりなのに

 

また ダメだった。がっかりだ。

 

どうして僕はこんなにダメなんだ」

 

最初、こう思っても、その気持ちの中には

 

まだ、信じられない、人のせいにしたい

 

自分が残っているのです。

 

「仕方がない、終わったこと。

 

やることはやったんだ」

 

こう思うことができてやっと

 

「頑張ったし、まったくダメだったんじゃない。

 

結果は出なかったけれども、途中までは、

 

前よりよく出来るようになっている」

 

と、肯定的な部分を見つけて、

 

自分の頑張りを

 

認めてあげることができるからです。

 

その時、「できなくて悔しかったんだね。でも、

 

前よりあすこは上手くできていたじゃないか。

 

良かったと思ったなぁ~。何より最後まで

 

頑張ってくれて、お父さんの自慢だよ。

 

これからどうしたい? 手伝えることが

 

あったら言ってね」

 

と言ってあげればいいのだと思います。

 

それを教えてくれたのが

 

お引き上げの風車なのです。

 

僕にとって 心の中にある風車は

 

頑張ったのに 上手くいかなかったんだね。

 

がっかりして 自信が失っちゃったんだね。

 

辛いね。そばで回って お話し聞くよ。

 

と、失敗を受け止めてくれる存在であり、

 

懐かしく楽しい風景で

 

幸福感を与えてくれる存在なのです。

 

お陰で、僕は腐ることなく、頑張ることができました。

 

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コメント: 1
  • #1

    えむ (日曜日, 14 8月 2016 23:40)

    コウ先生に10年以上お世話になっている者です。先生のHPよりこちらのリンクを知り読ませていただきました。別の人の記憶の情景がこんなにも自分自身に響くものだとは思ってもみませんでした。と同時に他の人から透過した自分を見つめて、私は自分自身を見つめてると思い込んでいました。つまり、子供にとっての自分、上司にとっての自分と言うように、自分の存在価値のようなものを他の人を通して見ていた自分がいた事に驚きました。なぜ自分がこう思うのか?と言うことさえも、自分自身の主張の前に人から見た自分だったのです。ブログを読んで、素直に自分を地軸として判断する大切さとそのための努力の必要性を感じました。自分自身のバイタリティも自分でしか培えないんですね。うまく伝えられませんが、ずーっとモヤモヤしていたものが、今日、なんだったのか分かった気がしました。