結局は自分

 

えむさん

コメントありがとうございました。

 

久しぶりにブログを開いて、

えむさんからのコメントを発見しました。

とてもうれしかったです。

そして、えむさんのお役に少しでも

立てたことを、幸せに感じています。

 

そうなんですね。結局は自分なんだと、

僕は思っています。

 

そしてこの自覚こそ、頑張ることに対する、

僕の3つ目のイメージなんです。

 

最初に発行した5冊には

載せることができないで

 

コウちゃんだけには 読んでもらった原稿に

 

季節はずれの花火と太陽の話があります。

 

頑張ることに対する3つ目のイメージ、

 

結局は自分、

元気を出すか出さないかは自分しだい。

そのためには、本当はどうなりたいかを理解し、

それに向かって、太陽のごとく自分を燃やせ。

 

これに気づくことになった話です。

 

続編 ブログ 『子供に気づき』に

連載しようと思っていましたが、

 

えむさんのコメントで、

この原稿を捜しました。

見つかりましたので、読んでみて下さい。

 

季節はずれの花火と太陽の話

 

小学三年生の一月も終る頃でした。

ケンは海の近くにある友達の家へ

遊びに行っていました。

部屋で友達数人と遊んでいると、

一人が後ろにあるジュースのビンを倒して

気が付かないでいたのです。

しばらくしてから気が付いた僕らが、

慌てて片付けていると、

夏休みに買って使いかけだという

花火セットが出てきたのです。

袋はジュースで濡れていましたが、

雑巾で拭いてみると、使えそうでした。

 

「海に持って行ってやってみようぜ」

ということになり、

マッチを持って出かけたのです。

 

浜辺には雪が積もり、

かなり強い風が吹いていました。

 

三、四人いたと思いますが、

背中で風を防ぎ、

マッチで花火に火をつけました。

 

ところが、何度やっても

花火が燃え出しません。

 

「何だよこいつ、湿気っちゃって、

全然火がつかないじゃん」

 

どうやら、袋の中にジュースが残っていて、

海まで歩いてくる間に、

すっかり花火が湿気ってしまったようなのです。

 

「ちぇっ、つまんないの。」

 

「いい加減につけよ、

マッチほとんど使っちゃったよ。

このボケ花火、元気だせ。

あ~、また駄目だ。」

 

言いながら、友達は再びマッチを擦りました。

しかし、花火はやっぱり火を噴きません。

 

「こいつ根性ないな~。

ここまで来た俺たちのこと考えて、

燃えてくれっての」

 

 火付け役の友達は、

怒ったように言いながら、

今度はマッチを三本ほど一緒に擦って、

火をつけました。

大きな火が花火の先に襲い掛かりましたが、

それでも花火は願いをかなえてくれませんでした。

 

「残念だったね、帰ろう。

持って帰って乾燥させれば、

また使えるんじゃないの。」

 

寒さの中で、誰からともなく言い出しました。

 

「うん、その方がいい。もったいないよ」

 

僕らはちょっと肩を落としながら、

友達の家に戻ったのです。

 

途中、ケンは久しぶりに、

あの痩せこけた犬のことを思い出していました。

人間不信の白い犬は、

食べて元気を出してもらおうと、

いくらこっちがパンを投げても、

結局一つも食べてくれませんでした。

 

「あの犬は、人間のひどい仕打ちで、

心が湿気ってしまったんだな。

かわいそうに」

と思ったのです。

 

 

それから間もない頃でした。

 

授業で男の先生が一時間、

担任の代行で来てくれたのです。

 

その先生は宇宙に関する図鑑を持ってきて、

太陽系の話をしてくれました。

 

この時に初めて、

太陽の中心は千五百万度、

表面は六千度であることを知りました。

びっくりしてこの時、

この数字を覚えてしまいました。

どうやってあんなに遠い所の温度を、

それもそんな高温を測れたのだろうと

不思議に思い、

数値をしっかり覚えてしまったのです。

それにしても、

太陽はどうして

そんな高い熱を出すことができるんだろうと、

これまた不思議に思いました。

この先生の話の中で、

ケンの気持ちを惹きつけたのは、

その次の言葉でした。

その言葉は ケンの身体を引き起こし、

背筋を正させたのです。

「太陽が輝いているのは、

自らが燃えているからです。

地球、月、火星、水星といった星たちは、

それらの輝きによって照らされているんだよ」

 

初めて知った事実だし、

そういうことを

意識したことがありませんでした。

 

「ほんとだな。お天道様というけど 

太陽がなかったら 真暗だろうし、

寒さで生き物は生きていけないんだな。

神様みたいな星だな」

 

ケンが感心していると、

さらにケンの心を揺さぶる言葉が続きました。

 

『太陽は 自分を燃やして

これだけの熱を出しているんだね。

自分を燃やして輝いているわけだよ。

それに太陽が燃えて

元気を出してくれていないと、

照らされている星たちは

困ってしまうんだよ。

太陽が元気を失ったら、

地球は凍ってしまうね。大変な事だろう。

先生は皆に

太陽のような人間になって欲しいと思っています。

照らされるより、

照らす人間になって欲しいんです。

太陽は地球達に対して、

自分だけがエネルギーを使って、

そのおかげでまわりが得をしているから、

自分は損をしているなんて思ってないんだね。

そうなっていることがうれしいんだね。

出し惜しみなんかしていないんだね。

皆のために輝いていることが楽しいんだ。

それが太陽のしたい生き方なんだね

だからあれだけ喜んで燃えている。

そして、そういった太陽だからこそ

皆に好かれ、お天道様として

ありがたがられているんだよ」

 

ケンはこの先生の話にえらく感動して、

授業中なのに、目がうるうるしてしまいました。

求めていた答えを得た思いがしました。

ケンはこの時

「そうか、(花火に)元気だせよって、

本当だったんだ。僕はあの時の花火と同じだ」

と気がついたのです。

 

太陽は元気ですごいなって

思っていたけれども、

元気のもとは

太陽自身がつくりだしていたんだ。

太陽という花火は湿気ていない。

それどころか、火をつけなくても、

自分で燃えて輝いているんだ。

それが僕との違い。

今の僕は湿気た花火だ。

愚痴ばっかり言って、流す涙で湿っている。

いくらまわりから火をつけようと、

何回マッチの火を近づけても、

花火自体が湿気っているから駄目なんだ。

「元気が出ない」とか言うけれど、

元気は人からもらうものじゃないんだ。

元気が出るようにまわりが、

励ましてくれたり、

やさしくしてくれたり、

楽しいことをしてくれたりしても、

自分が湿っていたら、くさっていたら、

絶対に元気は出ないんだ。

元気は自分で出すもんなんだ。

人から出してもらおうと甘えている限り、

元気は出てこないんだ。

ただ、花火と違って、

日光浴びているだけでは、

心の湿気は飛ばない。

自分で湿気を飛ばさなくちゃ、火は点かない。

そして、太陽のように

なりたい自分に向かって自分を燃やし、

自分を輝かせるんだ。

これに気が付いたケンは、自分の中から勇気が湧きあがって来るのを感じました。

 

   ケンの気づき

 

『元気は自分で出すもの。

湿気た心では、

どんな勇気づけも、

無意味だ。

結局は自分と覚悟すれば、

湿気は飛んでいく。

そうすれば、

勇気づけの言葉も

意味をなす。

結局、自分を燃やさなければ

元気は出てこない』

 

ケンは、後に元気を出す方法を

一つ発見しました。

 

これは、とても辛い目にあってきたはずなのに、

いつも元気な母の言葉の中から

発見したものでした。

それは次のことでした。

 

   ケンの気づき

 

『感謝できるということは

心に元気が出ている証拠。

だから感謝すれば心は

元気を出す』

 

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    またり (土曜日, 23 9月 2017 16:25)

    はじめまして。
    私は今の区に、引っ越してきた当時、ズタボロで子猫二匹を育てている痩せ細った母猫の様でした。
    コウ先生の暖かい治療で少しずつ良くなってきました。大勢の患者さんの、兄であり、父であり、母でもあるような、指導で、本当に心が暖まります。
    娘が学校でいじめにあった時も、静かに見守って下さって、乗り越える事ができました。
    その頃、双子のお兄さんのkenさんの、『楽になりたいなら、生きていけ』がKindleで始まり、クリニックのホームページから、ブログにたどり着きました。順番がとびとびになりながらも、読ませて頂いています。
    みんな色々な過去があり、どうやって気付きながら生きているのか、いっぱい参考になるところがあって元気を出したくて、今日、又、読みに来ました。

    Kenさんは、大変ないじめを、お母さんお父さん、弟のコウ先生、家族の暖かい愛情や見守りで、色んな事に気付き、そして気づいたら実行して、乗り越えてきているんですね。
    気づいても中々気持ちを切り替えるのは難しいのに。
    私は切り替えられたかな、と思っても、すぐに、悪い癖のように引き戻ってしまう事が多々あります。
    私もkenさんとコウ先生のお母さんみたいな人が、お母さんだったら、良かったと、思ってしまいます。

    私の母は、子供の頃、家を出ていってしまいました。
    大人になり、その経緯も理解出来るようになったのに、まだ母は私を利用しかしないです。母から去年末、相談事を受け、都合をつけ、電話をしたら、元旦もそうそうに、気持ちを踏みにじるような事を言い、私は我慢も限界ではっきり、今までの母への気持ちを全部伝えてしまいました。全部 吐き出したのは、やっぱり失敗でした。

    私もkenさんのように、20年前位前に参ってしまった時、吐き出す所が欲しくて、ノートに書きなぐりました、あっと言う間に何冊にもなりました。
    その時はそれでなんとか、繋いできたのに、本人に言うべきではなかったのかな。

    引っ越す前に母に連絡をしたいような、もう関わりたくないような、どちらも苦しくなります。
    父は、他の兄弟の心配はするけど、私は問題児でしたし、姿が母似なので、私にはそっけなく、寂しいです。
    最近は食べ物が食道につかえて、時々 痙攣します、考え事ばかりしているせいでしょうか。
    ブログにあるように、私自身がまだ 湿気ていてダメなんだと思います。
    長年の湿気でカビとなってしまった心を なんとかしなければ・・・
    強力なドライヤーだった息子も今、離れた所で頑張っています。
    少しずつでも、元気になってきた毎日なのに、感謝の気持ちを忘れていたのかもしれないです。

    「暗くて寂しい気持ち」というのは、湿気とよく似ていますね。