もともとなかったんだ! 1/2

 

今回は下巻②で、カットされた原稿です。

 

いつになるか分かりませんが下巻②を再編して、

 

出版する時は載せるかもしれませんが、

 

ある理由から、ここに載せます。

 

落ち込んでいる人は読んでみて下さい。

 

もともとはなかったんだ!

 

いじめにあっている7歳、8歳のケンは

 

現在とは別人のように、

 

心に不安を持った人間でした。

 

それでも、夏休みや冬休みは

 

家族と一緒にいることが多いので

 

とても楽しい毎日を送っていました。

 

しかし、休みが終わりに近づくと

 

大きな不安に襲われていました。

 

上巻、魂は不滅、ふざけるな!

 

の項目で書いたように、

 

小学校2年生のケンは、

 

自分が一人になってしまった場合

 

とても 生きていけない。

 

このまま生きていくのが辛い

 

と強く感じていました。

 

そして、ひどいじめを受けた時は

 

衝動的にもう生きていたくないと思い、

 

何度も高木に登っていました。

 

小学校2年生の冬、ある事件で

 

ケンは自殺を絶対しないと誓ったものの

 

3年生の春休み明け、夏休み明けの心は

 

不安で打ち震えていました。

 

宿題が終わっていないことよりも

 

いじめの再開が気になって

 

しかたがなかったのです。

 

休み中の幸せが終わる。

 

また地獄の毎日が始まる。

 

僕は戦って行けるだろうか?

 

休み前のように、毎日、自分を励まし、

 

頑張っていけるだろうか?

 

そう思うと、とても不安になるのです。

 

そうするしかないと分かっていても

 

またできるか自信がなく、

 

そんな毎日が嫌なので、

 

学校には行きたくないのです。

 

そうなった時のケンの癖は、自然に話しかけることでした。

 

不安な時、ケンは空や植物や昆虫によく

 

悩みを相談してしました。

 

と言っても

 

一方的に、愚痴を聞いてもらったり、

 

話しかけたりしていただけなのですが・・・

 

そうすることで、心の不安を軽くしていたのです。

 

そんなケンも、下巻①に書いたように、

 

3年生の2学期、

 

ついに、いじめに対して、

 

本気で覚悟を決めることができました。

 

そして、自分を安定させる方法として

 

元気が出る悩み方を考え、まとめ始めていました。

 

これは何度も書きますが、悩み始めて

 

1年半、一人隠れ家で悩む自分自身に

 

変化を感じていたからでした。

 

とにかく感情的になり、わめき散らしていた

 

1年半前に比べて、なんだかんだ言いながらも

 

一人考えることで、心を落ち着かせるように

 

なってきている自分がいたからでした。

 

情けなさの中に、成長している自分を

 

時々見ていたのです。

 

ケンは悩んだのに元気が出た日があったことを

 

不思議に思い、僕はあの時何を考えたのだろうと

 

興味を持ち分析していたのです。

 

そんなある日でした。いつものように

 

隠れ家の地面を動き回る虫を見て話しかけていました。

 

「一緒に考えてくれよ。あの時僕は何を考えていた? 

 

答えを教えてくれよ。いつも近くで動き回っていたから

 

分かるだろう」

 

問いかけても、虫は我関せずと、あちこち歩き回っています。

 

「相変わらず返事なしか。君は忙しそうだね、今日も。

 

でもいいよな~。こうやって悩むことなく、

 

動き回っていれば、幸せなんだから。

 

虫になるのは嫌だけど、そうなりたいよ。

 

まあ、言っても分からないか。人間は辛いんだよ」

 

と、これまたいつも通り思っていました。

 

だが、この日、その後こう感じたのです。

 

「はっ、もしかして 僕はその時、

 

()のようになればいいと

 

考えていたってこと? それが返事! ずっと

 

返事をしていてくれた?

 

ケンは、餌のこと以外、

 

何も考えず動き回っている虫と、

 

夏休みで得た気づきから

 

不安に対する効果的な対処方法を

 

思いついたのです。

 

下巻①に書いたように、3年生の夏休み後半、

 

ケンは、列車の旅を行いました。

 

窓から外を眺めながら

 

人生と過去現在未来の関係について

 

考える経験をしていました。

 

瞬間的に移り行く風景と自分の心を

 

照らし合わせることをしていたのです。

 

それらが、列車での旅、海での気づき、

 

3秒間の安らぎの話です。

 

そして、新学期が始まってからも

 

海で自然に口をついた

 

あるフレーズの意味を考え続け

 

この日を迎えたのです。

 

虫の答えを悟った、ケンはこう思いました。

 

「なかったんだ! 僕を苦しませているこの不安、

 

怖れ、憎しみは、僕自身がヤケドを知らない時はなかった。

 

そして、ずっと知らないままでいたら、

 

今も未来も存在していないんだ! 」

 

つまり、もともとこれらは存在していなかったことに、

 

やっと気がついたのです。

 

人間の心というものは

 

つくづく不思議なものです。

 

自分で答えを口走りながら、気がつかないのですから。

 

いや、気がついているのに、認めたくないというのが

 

本音なのかもしれません。

 

当時の僕は、毎日、次のように思い、

 

隠れ家で、その思いに苦しんでいたのです。

 

こんな気持ち(怖れと憎しみ)、もともとなかったんだ。

 

だけど あんなことされたんだ。

 

憎んで当然だろう。

 

もっと憎め! 憎み殺してやれば気が晴れる。

 

・・・・・・嫌だ、そんなの嫌だ。

 

いくらなんでも、そんなことしたら、

 

元の僕には二度と戻れない。

 

どうして こんなこと考えるんだ。

 

あいつらが憎いからだ。

 

でも、苦しい。憎むと苦しい。

 

憎しみなんかいらない。

 

僕の心から消えてなくなれ!

 

おまえがいるから 苦しくてしかたがないんだ」

 

こう思っても、苦しくなるばかりでした。

 

怖れが成長して、憎しみを生み出し、

 

どんどん大きくなっていくことを止められませんでした。

 

心の中に生まれる憎しみは化け物になり

 

「もっと寄こせ、憎しみを食わせろ」と

 

暴れ回っているのです。

 

そして その原因は いじめてくる奴らにある。

 

あいつらがいなくならない限り、

 

あいつらを打倒しない限り

 

心に平安は訪れないと 考えていました。

 

不安、怖れ、憎しみは生まれて当然です。

 

ただ、それらを生み出す原因があったとしても

 

それらを考え続けなければ、消えていくのです。

 

そうすれば、憎しみは化け物のように

 

膨らんでは行かないのです。

 

ひどいことをされれば憎いと思う気持ちは、

 

必ず生まれると思います。

 

でも、その後、それを消していくか、

 

生かしていくかは、ケンしだいだったのです。

 

そして始末の悪いことに、太線と下線で示したように

 

本当は、もともとはないものであること、

 

さらに自分で作り出していることも知っていたのです。

 

心の中で化け物を作り出してしまったのは

 

ケンが考えるということを繰り返してきたからなのです。

 

ケンはこれに気がついた時、海で自然に歌い出した

 

あの歌のフレーズが、また口をついて出てきたのです。

 

「い~まもいいけど、い~まもいい~」

 

童謡「汽車」の出だしのメロディーにのって

 

海から家までずっと口ずさんだ歌が、どうして

 

ケンにとって心地良かったのか、

 

理解できた気がしました。

 

不安になることが嫌だったら、

 

悪いことを考え続けなければいい。

 

いまも、その次も、さらにその後も、

 

ずっとそれを考えなければいいんだ。

 

そうすれば、不安や怖れは出てこない。

 

いじめ以外にも、不安、怖れはありました。

 

でも、考え続けていないから、

 

自然と消えて行ってしまっているのです。

 

ケンは、これに気がついたのでした。

 

心配しないで生きることなど、誰にもできません。

 

そして心配は悪いことではありません。

 

初めての仕事、旅行など、準備すべきことを

 

まったく心配しないというのも、困りものです。

 

そんな人がいたら、同行する人は迷惑です。

 

心配は失敗を防ぐための、防衛シグナルなのですから

 

大切にすべきことでもあるのです。

 

実は心配をもとにきちんと準備して、

 

満足することは

 

元気が出る方法なのです。

 

心配し過ぎてしまうことが、いけないのです。

 

そんなものあるはずがないのに、

 

この準備だけでは足りないのではと、

 

起こり得るすべてに対処できるまで

 

用意しようとします。

 

だから心配ばかりしている人に限って、

 

心配するばかりで、

 

実際の準備が遅れがちになります。

 

さて、どうせ考えるなら、元気が出ること、

 

元気が出る方法 という気づきは、

 

その後、この下巻②に書いた

 

様々な項目に対する心の指針を立てていきます。

 

毎日が楽しくない時、

 

相手が怖くて仕方がない時、

 

嫌なことばかりで死にたい時、

 

解決策が浮かばない時

 

などの項目に記したこれらの指針は、

 

そのまま活かされて現在に至っています。

 

いじめが終わった後も、僕は成長していく過程で

 

時々、理由もなく、不安な気持ちになることがありました。

 

例えば 一人暮らしをしている学生時代、

 

今まで病気をしてもすぐ治ってしまうのに

 

高熱が続き、寝込んで動けなくなってしまった時、

 

不良たちとケンカをして、数週間

 

血尿が止まらなくなった時など

 

まさか、このまま死んでしまうのか・・・・、

 

どこかおかくなっていて、

 

後遺症が出たらどうしよう・・・・

 

などと弱気になることがありました。

 

こんな時、考えれば考えるほど

 

怖くなり、眠れなくなりました。

 

もともと寝つきが良い僕は、

 

こうなると、ますます不安になりました。

 

すると、どうしたことか、

 

「い~まもいいけど、い~まもいい~」

 

と、聞こえてくるのです。

 

「そうだ、考えないこと。

 

考えるから、不安になるんだと意識すること。

 

元気になるためには

 

今、心はくつろがせて、

 

体に余計な負担をかけてないことが大切だ」

 

この真理に気づくことで、心に余裕が生まれました。

 

この後、僕が思うことはいつも同じです。

 

「体は弱っていても、心は持ち方次第で元気を出せる。

 

そして心が元気になるから、

 

体を治す力も強くなる。

 

体と心が一緒になってこそ、僕全体。

 

今は、半分で頑張っている。

 

心が体に協力してあげなくちゃ、

 

治る力は全力を出せない。

 

気がつくの遅れてごめんね、僕の体。

 

一人で頑張ってくれていたんだね。

 

ありがとう。

 

大丈夫だよ。絶対に治るから。

 

僕達が一緒になれば無敵だよ。

 

全身の細胞に、元気の意識を送るよ。

 

元気の素を受け取ってね」

 

そう思い、吸い込む息に、

 

健康なエネルギーが

 

光っていると意識しました。

 

こうしてゆっくり呼吸していると

 

いつの間にか眠ってしまいます。

 

病気の時、弱った体は回復に

 

それなりの時間が必要かもしれません。

 

この間、悪いことばかり考えると、

 

身体に治そうという

 

強い意識が起きません。

 

治りたい、でも治らなかったらどうしようと

 

マイナス思考にとどまってしまいます。

 

治したい、でも治るだろうかとよし治そうでは

 

体の反応は大きく違うのです。

 

気持ちまで、弱ってしまうと、

 

健康体を取り戻せない錯覚に陥ります。

 

ですが、気持ちは、持ち方次第で

 

一瞬に変えることができるのです。

 

50代半ばになった今も、病気に限らず、

 

なぜか不安に襲われることがあります。

 

そんな時、今もこの歌は、僕の心に蘇ってきます。

 

心が不安状態になると、

 

心の中のデュークボックスに

 

スイッチが入って

 

この歌がかかってくれるようで、

 

とても助かっています。

 

心に元気を取り戻すきっかけを与えてくれる

 

ありがたい歌です。

 

-続く-