久しぶりにブログを更新します。
あっという間に11月、
1年ごと早く感じる時の流れに、
驚くばかりです。
80歳になった頃には、
「昨日正月が終わったと思ったら、
今日はクリスマス?」なんて、
感じているかもなと思っています。
認知症じゃないですよ。
脳って不思議です。
同じ1年なのに、時間の感じ方が違う。
そういえば、今日は
還暦を迎える同窓会があります。
小学校1年の頃は、
6歳だから自分の人生の1/6です。
だから、1年もそれなりに長かった。
でも60歳だと1/60ですから・・・・
あれ、こう書くと、
1年が短く感じるのも
無理がない気もしてきました。
小学校2年の10/10
東京オリンピックがあったのに、
4年後再び、東京オリンピック。
前の東京オリンピックから52年。
同窓会を前に、52年をちょっと
振り返ってみたいと思います。
環境は大きく変わりました。
科学は目覚ましく発展し、
いろいろ便利になりました。
一方で、環境破壊が進み、
取り返しのつかない
原子力事故も起きました。
そして、日本は戦争していませんが、
必ず世界のどこかで戦争は続いていたし、
いじめも世界中で続いています。
「誰もが悪いことと分かっていても、
やっぱり、これらはなくならないんだな~」
と、人間の心の弱さを思い知らされます。
やっぱりと書いたのは、
「いじめはよくないからやめましょう」
「戦争はよくないからやめましょう」
と、言われても、耳を貸さないのが
それを行っている人間の特性だからです。
楽になりたいなら生きていけに書き、
詳しいことは省きますが、僕は
「いじめを少なくすることはできるだろう。
でも、いじめがなくなることはけっしてない」
と考えています。
そして愛についても、
「巷に溢れている愛という感情では、
いじめはなくならないばかりか、
いじめが起こる根源でもある。
いじめる心の根っこは、
他の犯罪と共通したものである」
と考えています。
たとえば、僕らの頃にも、
あったのでしょうが、
今日ほど問題にならなかった、
ストーカーによる殺人事件。
人を好きになる気持ちは、
どんな人間にも生じる感情で、
相手への気持ちが強くなれば、
独り占めしたくなるのも、
止めることが難しい感情の流れです。
恋愛をすれば、誰もが、
小さなストーカーに変身しているはずです。
人間の世界から、
他人を好きになるという現象は
なくならないだろうし、
まったくなくなってしまえば、
これまた、争いが起こりやすくなります。
それに人が人を好きにならなければ、
種族は絶えてしまうでしょう。
ある意味、仲良くやっていくために、
種族を維持していくために
組み込まれた本能とも言えます。
人類が人間関係を円滑にし、
種族を維持するために、
なくてはならない好きという感情、
しかし、何にでもいい塩梅というものがあり、
それが多くなり過ぎると、
理性は感情の渦に巻き込まれて、
働きを失ってしまうのでしょう。
う~ん、だから難しい。
だから、このような精神状態に
なっている人に
「近寄るな」といったところで、
あまり効果がありません。
彼らは心の奥底で、
自分がしていることが、
悪いこととは知っていますが、
欲望を満たすために、
気がつかないふりをしているし、
それに慣れてしまい、
本当に分からなくなってしまっている
場合すらあるでしょう。
でも相手の気持ちを無視して、
必要以上に支配しようとするじたい、
いじめと同じ発想なのです。
そしてそれが楽しいのです。
こういう人が、正気を取り戻すためには、
とても難しい心の処理が必要になります。
この人達が相手を傷つけず、
問題行動をやめるとしたら、
今つきまとっている相手以上に、
気になる相手が現れた時なのだと思います。
新しい相手のことを考えると、
ぞっとするものを感じます。
僕はいじめられていた2年間、
神様、自分、相手を憎んでいる自分に、
とても悩みました。
そして幸いなことに、
なんとかこの世界から
抜け出すことができました。
しかし、毎日のように、
ニュースで流れるいじめや戦争を
見聞きするにつけ、
「これが自分や家族に起きたとしたならば、
僕はどうしているだろう」
とよく思うのです。
正直、憎しみの世界に
戻らないでいられる自信がないのです。
ニュースで、いじめや無慈悲な事件を
見聞きするにつけ、
「こいつら、ぶっ叩きまくってやりたい」
と怒りを覚えます。
でも、小さい頃、心に生じた、
「殺したい」という気持ちにはなりません。
もちろん、あの苦しみには、
2度と戻りたくないという気持ちが、
無意識に働いているのだとも思います。
でも、ここまでですんでいるのは、
冷たいようですが、
「被害者が他人だからなんだ」
とも感じ、不安を覚えています。
もし家族や大切な人を傷つけられれば、
再び、「本当にぶっ殺してやる」
になる気がするのです。
その人を心底憎むと思います。
そしてきっと、また悩むでしょう。
僕は、憎しみが、
自分をどんどん苦しくすることを、
経験上、普通の人より、
少しは分かっているつもりです。
それでも自信がないのです。
頭でいくら分かっていても、
これがなかなか止められません。
好きも憎しみも、
コントロールすることが難しいものです。
そんな時は、おそらく僕は、
あの時のように一人になって、
自分と向かい合うことになると思います。
今日は同窓会。
中学からの絆を育むことができる
楽しい時間です。
大切にしたいつながりの時間です。
ただ、どちらかというと、
1人が好きな僕は、
ハロウィンで集まる若者を見ると、
世の中でいう
孤独やつながりって
何なのだろう思います。
ちょっと僕の感じているものと
違うのかもと・・・・
とにかくハロウィンを盛り上げたい。
参加することに意義がある、
はめをはずしたくて、
目立ちたくて、
なんとなく面白そうだから、
仲間と参加することで絆を深めたい、
新しい出会いを求めて・・・・など、
いろいろあると思います。
でも僕は誘われても
行かないと思います。
僕は集まることと、一人でいること、
どちらが好きかと言えば、
1人なのです。
暗いと言われても、
付き合いが悪いと言われても
まったく平気です。
それに決して僕は暗くないですから。
孤独・・・
孤独な奴、孤独死、、、
なんか、一般的には良いイメージがない
言葉ですね。
でも、僕を救ってくれたのは、孤独でした。
そして、本当に大切なつながりは何かを
教えてくれたのも、孤独でした。
孤独は人生の先生であり友達であり、
自分とは何かを
思い出させてくれる世界です。
きっと、孤独が好きな人の中には、
僕と同じように感じている人が
いるのではないかなと思います。
今、こうして一見、暗いことを
書いている僕は、
「孤独って大切なんだよ」って、
伝えたいのかもしれません。
今、そう感じました。
54年前、本当に心が真暗だった時、
一緒にいてくれた僕の親友たち。
それは孤独の世界を
包んでくれていた自然です。
今も静かにたたずんでいるもの、
中にはなくなってしまったものもあります。
絶叫し、何度も涙を流し、
暴れまくった病院の裏山は、
跡形もなくなっています。
さみしく感じます。裏山には感謝のみです。
辛い時、孤独は、
いろいろなことを僕に感じさせてくれました。
その教えは心に染み込んできました。
そして、僕の心は確実に癒されていきました。
ひどく疎外感を感じていた時には、
「一緒だよ。一人じゃないよ。君は僕らと一緒、地球の生き物だよ。つながっている」
と、声と気配を大きくしてくれました。
さらに、荘厳なまでの静寂の中、
一人で動き回っている昆虫は、
「結局は1人なんだよ。お父ちゃん、
お母ちゃん、コウちゃんすら、
最後は別れるんだ。それが自然。
頼り過ぎちゃだめ」
って教えてくれました。
森林の中や浜辺で目をつむった僕は、
すべてを捨て去ることで、
孤独が自然であり、
辛いことではないことを知りました。
今、心を悩ませていることは、
「心の不安が映し出しているまやかし」、
実は現実だと思っている世界こそ、
夢の世界なのかもしれないと感じました。
本物の世界が、こっちにあるのなら、
こっちを幸せにすればいい。
夢(現実だと思っている世界)が
楽しくても悲しくても、夢は夢。
「僕の幸せは、外ではなく、
内側にある。僕が欲しいものは心の安らぎ」
欲しいものがはっきりし、
どうすればいいのかを、
自分で前向きに考えることが、
できるようになっていきました。
当時の僕は、
いつも心の中で独り言をいい、
苦しんでいる自分を逃がす場所として、
空想の世界を作り出していると、
自覚していました。
外の世界が現実の世界で、
内側で思っている世界はまやかしで、
実際にはない世界だと思っていました。
何の役にも立たない、
負け犬が逃げ込む世界、
でも逃げ込まずにいられないと、
感じていたのです。
ところが、孤独は、
現実と同時進行で
一緒に存在している内なる世界は、
本当にあることを教えてくれたのです。
そして、内なる世界は、
誰にも邪魔することのできない世界であり、
決定権は自分にあること。
そうできないと思っているのは、
そう思い込んでいるだけ。
この世界を他人に渡すことは、
本当の意味で、死ぬことを意味すると、
感じました。
いつも気にしている外の世界と、
別世界があることを強く感じ、
その世界を満足させることこそ、
外の世界に惑わされず、
安らぎと一緒に生きていける方法だと
思ったのです。
世の中を見ていると、
外の世界に対してばかり過敏な気がします。
「どうでもいいこと」に対して、
すぐ批判的反応をし、
同調するリアクションを拡散させたり、
期待通りの反応がないと、
その相手に怒りを伝えて、
見苦しい言い合いをネット上で
繰り返したりしています。
孤独は良き友達です。仲良くしましょう。
孤独を怖れ、つながりを求めることで、
必要のないつながりを、
不用意に作ってしまうことは
危険だと思います。
悪いつながりを呼び込み、
それを断ち切るために、
心を痛めることになったり、
実際に事件の被害者に
なってしまったりしているように感じます。
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K (木曜日, 10 11月 2016 22:19)
お久しぶりです!!
ケンちゃんが還暦を迎えるのですか?!
ビックリです!!
女子高生だった私も 同じく20歳ほど歳をとりましたが(^.^)
思い返せばあの時の高校時代から今までだって、たくさんの出会いがありました。
仲間と群れて集まって…。
楽しい時間でもありますが、集団でいると 自分の感じ方がわからなくなる時がある気がします。
”私”の意見を持てる人間でありたいです。
ケンちゃんのお話を拝読して、
そんな自分を育てるのは 一人でいる時間、「孤独」でいる時なのかな…と思いました。
同窓会 いいですね〜(^o^)
私が最近、 昔の友達に会えたのは10年程前の友人です。10年ぶりに会えたのに 何も変わらず話ができ 嬉しくて そしてなんだか不思議な感覚でした。
私もケンちゃんに会いたいな〜!