タマムシ後日談

 

Kさんご心配かけてごめんなさい。僕は元気にやっています。

 

実はこのホームページのログイン方法が変わり その手続きをやっていたら、失敗してしまいました。

 

その後何回も試したのですがやるたび失敗。

 

ミスターアナログの僕は訳が分からなくなり、 

ログインできなくなっていたのです。

 

でもKさんのコメントは僕のiPadに届き、 

「これはいかん。Kさんが待っている。

頑張ってログインを成功させよう」

と、奮い立たせてくれました。

 

試行錯誤の結果、またログインできるようになりました。

 

ありがとうございます。

 

僕の近況ですが、夏休み帰郷し、

母の手料理攻めにあって5.5キロ増量し、

今はダイエット中ということにしています。

・・・が、なかなかね。

大好きなビールとラーメンはやめられず、

運動量を増やしているところです。

お元気ですか? 

僕の超レアなマイナーブログ

読んでくれている人がいるということを

思い出させてくれてありがとう。

 

頑張って更新するね。

 

と言ったものの、自宅ではコンピューターには

 

気がついた時にしか触れないからな~・・・・

 

でも、今日みたいに触れた時は

 

思いついたまま、打ちまくっていきますよ。

 

夏休み、ちょっと驚いたことがありました。

 

帰省中、母がきれいな虫の話をし出したのです。

 

「あれ何て名前の虫だったかな~。

いろんな色が混ざってきれいな虫」

 

僕はピンときました。

 

「もしかして、それタマムシのことじゃない」

 

「そう、それだ、タマムシだ。

あれはきれいな虫だよな」

「うん、俺は一番きれいだと思う。

どうして突然そんなこと言ったんだい?」

 

不思議に思って聞いたのです。

 

「ああ、何年前だったかな~。

おまえ達が小学校の時からある

タンスに入っていてな。

何で入っているんだろう、

縁起物の虫だから

誰が入れたんだなって思ってな

 

「えっ、それどうしたの? 捨てちゃったの? 」

 

「いやまさか。いい虫だから

まだどこかに入っているよ。

もったいないから新しいタンスか、

どっかに移したんだったけな~。

とにかくどうしてタマムシが

入っているんだろうって

不思議でたまらなかった。

お母ちゃん自分で入れた記憶ないし、

もしそうだとしても忘れちゃっているし、

誰にもらったんだろうって、

いくら考えても思い浮かばないんだ」

 

「それ、俺が入れたやつだよ。

俺が拾ってきて入れたんだ。

お母ちゃんが入れておくと

着物増えるっていうから、

着物増やしてあげたくて入れたんだ」

 

僕はやや興奮気味に答えました。

 

そうでなんです。

 

以前のブログ「タマムシ」の中で拾ってきて、

 

僕がタンスに入れたタマムシです。

 

「そうか、ケンちゃんが入れたんだ。

そうかそうか。そこらへんにいる虫じゃないから

どうしたんだろうって不思議だったんだ。

それで納得がいった。

お母ちゃん昔のことはみ~んな忘れちゃってな。

でもよく覚えていたね。

おまえはほんと昔の事よく覚えているよ」

 

次の日、さっそく三階に上がり

タンスを探索し始めました。

しかし、クーラーの入らないロフトで、

あの暑さですから、

すさまじい汗が吹き出し、

あまりの暑さにすぐ退散しました。

でも「あのタマムシが

まだこの家のどこかにあるんだ」

と思うと何ともいえない気持ちになりました。

 

「生きていてよかった。

今こうして生きているから

お母ちゃんに親孝行できている」

 

見つからないタマムシに

ありがとうを言いました。

 

自分に自信がなく心に大きな闇を抱えて

生きていたあの少年時代。

 

一時ですべてを決めるなということを、

 

言葉でなく感じさせてくれたタマムシ。

 

当時の僕は 植物や虫達に声を出して

 

話しかけていました。

 

自分の本当の気持ちを 思うだけでなく

 

声に出していたのです。

 

僕には どうしても 

 

そういう場所が必要だったのです。

 

声を出して言うと 思うだけの時と違って

 

なぜか 動植物の返事が

聞こえてくる気がしたのです。

 

いや気がしたのではなく、聞こえていたのです。

 

毎回ではないのですが 確かに声として

 

聞こえてきたのです。

 

花や虫が人間の言葉、

 

それも日本語を話すなんてことは

 

あるはずのないことですが、

 

その声を受け取った僕は不思議に

 

思いませんでした。

 

それがうれしくて 夢中になって

 

話しかけていたのです。

 

当然ですが 隠れてやっていました。

 

一番近い場所は 学校の花壇でした。

 

しかしその姿を目撃されてしまうこともあり

 

いじめの口実を与えることにもなっていました。

 

話を戻します。僕はタマムシを手にのせて

 

眺めることが好きでした。

 

見る方向によって

 

色々な輝きを放つタマムシを見て

 

話しかけていました。

 

「君はいろいろな色を持っていていいな~。

 

僕、虫の中で君が一番きれいだと思うよ。

 

君を見ていると、

 

海や山、野原や川、

 

明るくてあたたかい場所や

 

静かな所でそよ風に吹かれて寝そべったこと。

 

きれいな夜空をコウちゃんと眺めて

 

神秘的な気持ちになったことを思い出すよ。

 

いろいろなことができて楽しいよ」

 

「いいな~。それってケンちゃんが

経験したことだろう」

 

「うん」

 

「僕を見て楽しい。安心だと感じるのは、

 

その思いがケンちゃんの中に

もともとあったから、

 

思い出したんだよ。

いいことたくさんあったんだね。

 

僕を見て次はどこへ行きたい?」

 

僕はタマムシの返事を聞いて

はっとしたのです。

 

ひどいいじめにあった日 隠れ家で

 

次のように思うことはよくあったのです。

というより毎日ですから。

合計すれば何万何千回言っていたはずです。

 

「前は楽しいこともあったんだ。

それなのに もう無理だ。

あいつらはいつも僕のジャマをする。

 

僕の未来に もう楽しいことは

二度と来ない。

 

楽しいことがあっても

あいつらがいる限り

 

そこには いじめという悲しみが

隠れている。

 

昔のように すべてを忘れて

 

楽しむことはできないんだ」

 

ところが 僕はこの時タマムシの返事から

 

これまでとは違った思いを持ったのです。

 

「僕の人生は さっきまで思っていたほど

 

悪くはないのかも。

だってタマムシを見ながら

思い出した楽しい気持ち

 

穏やかな気持ちの時は

確かにあったし 

これからもないとはいえない」

 

これまでのように

自分の人生を完全否定していなかったのです。

 

今までこういう気持ちに

 

どうしてなれなかったのだろうと 思いました。

 

この思いは その後 電車の旅の項で書いた

 

「今もいいから今もいい」という替え歌事件に

 

つながっていったのだと思います。

 

大人になると 子供の頃と悩みの種類は

 

異なってきます。

 

()に対して どうしてもっと

 

優しくしてくれないのだろう。

 

どうして もっと協力してくれないのだろう。

 

もっと 私に優しい人 

私を分かってくれる人がいるはず。

 

こんな夫()と早く別れてしまいたい。

 

反抗期に入った我が子に対して

 

どうして言うことを聞いてくれないんだろう。

 

誰が今まで面倒見てきてあげたと

思っているのだろう。

 

親の気持ちなどまったく分かってない。

 

どうしてこんなワガママな子になったのか。

 

子育て方法を間違えたのか?

 

こんなことなら 子供など いらなかった。

 

仕事場において 

何て自分勝手なことを言う上司なのだろう。

 

何て無責任な従業員なのだろう。

 

こんなに我慢するのならこの仕事をやめたい。

 

でもやめたら生活できない。

 

我慢するしかない。あ~、何て不幸なのだろう。

 

あ~ 子供の頃は こんな悩みがなくて良かった。

 

子どもの頃に戻りたい。

 

なんて具合に・・・・・

 

確かに子供の頃は 

こんなことは考えなかったでしょう。

 

ただ 子供の時代悩んだことと

今悩んでいる事の  

根本は同じことなのです。

 

そして 悩みでイライラした時に 

有効な対処の方法も同じなのです。

 

人間は 大人になっても 

 

さまざまな 不安 怒り 不満を

 

心に抱いて 生きています。

 

不安になっている自分

 

怒っている自分 

不満を持ってイライラ 

している自分をどうにかしたくて 

何かをします。

それでもなかなか気分転換できないことも

多いと思います。

 

また そう思うことで、それができない現状に

 

いっそうイライラがつのることすらあります。

 

たとえば旅行やコンサートに行って

 

気分転換したくても、時間やお金がなくて

 

行けない場合、それすらできないことに

 

不満が増すわけです。

 

そんな時 僕はタマムシから学んだことを

 

思い出しています。

 

人間はある意味 気分に流されて

 

毎日を送っていると

 

言っても過言ではないと思います。

 

本に書きましたが いじめにあっていた当時の僕は

 

自分の気分がコロコロ変わってしまうことに

 

打ちのめされていました。

 

朝元気に出ても、すぐに気分は落ち込み

 

息がつまり胸に痛みを感じる毎日。

 

どうして 気分が落ち込むのか?

 

今 嫌な事があったからだということは 

 

まちがいないのですが

 

今感じた「くそっ」「なにぃ~」「はぁ~」

 

などの嫌な気持ちを

 

繰り返したくないと思うからです。

 

嫌な思いを将来に向けることで生まれます。

 

人間 心に怒りが生じても

 

その怒りは 脳内で生じた化学変化ですから

 

時間とともに鎮静化されていきます。

 

しかし、怒りを呼び起こした出来事を

 

再び意識することで、

 

新たな怒りを生じさせてしまいます。

 

ですから 怒りを引き起こすマイナス思考を

 

再び意識しないように

 

上手くスルーさせていくことが

 

ポイントになります。

 

ところが 当時の僕の心の中では 

 

毎回ケンカが起こっていました。

 

「怒りを心の中から出してしまおうよ。

 

いつまでも怒っていては体によくないよ」

 

「うるさい、黙れ。そんなこと分かっている。

 

それができないから こっちは苦労してるんだ!」

 

落ち着こうとする自分に対して、

 

憎しみにとらわれたもう一人の僕は

 

怒りをぶつけていました。 

 

そんな僕が タマムシの返事で

 

何に気が付いたのかというと

 

「今が大事 今どうしたいかにしたがえ」

 

でした。

 

タマムシが「次はどこに行きたい?」

 

と問いかけてきた時、

 

どこへでも行ける自分が

ここにいるということに 

気がついたのです。

 

無意識に 将来辛い所にしか行けないと

 

決めつけていたけれども

 

そうでもなさそうだと思ったのです。

 

僕が動植物に話しかけていたのは

 

心に穴があいてしまったような感覚を

 

どうにかしたいからでした。

 

心が空っぽで とてつもなく

さみしさを感じるのです。

 

そう思うと 勝手に涙があふれ出し 

 

胸が締め付けられるように痛むのです。

 

未来に対しては 闇しか感じていませんでした。

 

でも この時 光もあると

 

希望を感じることができたのです。

 

「一寸先は闇なのか光なのか 

 

それは確かにまったく分からない。

 

でもどちらなのか 

決定するのは僕しだい。

 

闇と思えば闇、光と思えば光となる」

 

こう思えてからは 

 

マイナス思考にとらわれそうになった時

 

次のように 自分に 問いかけ、

 

言い聞かせるように なってきました。

 

「マイナスを考えてもいい。

 

考えるなということが無理。

 

でもマイナスにいても 

ちっともいいことはないんだ。

 

ここ(マイナス)に本当にいたいのか。

どうなんだ?

 

決定できるのは 

僕だけなんだ。

他人にはできない。 

他人のせいにするな」

 

このように 自分に問いかけることは

 

無駄ではなく 僕には効果的でした。

 

この問いかけに 素直に答えること。

 

これが 僕の対処方法になっています。

僕の素直な気持ちは

「ここにいたくない」だからです。

 

 

僕は その後 3年生になると

 

「幸せになりたいなら 今しかない」

 

ということを自分に言うようになりました。

 

これが電車の旅の項で書いた

 

「今もいいから今もいい」

という替え歌事件でした。

 

 いじめで死を望んだ経験がある人は

分かるでしょうが

 

「明日僕はここにいるのだろうか? 

 

ここにいたい・・・でも・・・」

 

自殺を取りやめて帰った僕は

 

いつもこう思っていました。

 

そんな中、僕は中巻①で書いたように、

 

机の上のカナブンの死がいから

 

自殺をしなかったとしても、

 

別の理由で死んでいるかもしれない

 

自分の命のはかなさを知ったのです。

 

それからの心の葛藤は 本に譲るとして

 

当時の僕は 過去と未来ばかり考えて

 

心を乱していました。

 

そんなある日、僕は電車の窓から

 

移り行く景色を見て

 

「生きているって一瞬の連続」

 

であることを感じ、

 

思わず「今もいいから今もいい」という

 

童謡「汽車」の替え歌を口ずさんでいたのでした。

 

過去にとらわれながら今この瞬間を

 

生きれば、過去に生きることになり

 

未来にとらわれながら生きれば、

 

未来に生きることになります。

 

人生というと過去・現在・未来という

 

3つの言葉が浮かびますが、

 

実際に生きていられるのは今だけなのです。

 

今という瞬間しか生きられないのが人生です。

 

この瞬間どんな意識を持っているかかが

 

何に生きているかを決定しているわけです。

 

僕らが実際に生きているのは今だけなのです。

 

「今しか生きられないんだ。

 

だったら今こそすべてなんだ。

 

幸せになりたかったら今が大切なんだ。

 

今思い通りにならなくても

 

今を力いっぱい生きれば、その今は

 

次の今がどうであろうと、

 

それを支える強い過去になるし、

 

次に来る今(未来)に対して 自信を持ってのぞめる

 

この意識が今まで僕を縛り付けていた

 

過去や未来の呪縛を断ち切っていきました。

 

それまでの僕は

 

自分の否定的な考えにとらわれ、

 

相手がどれほど悪いのか、その行動に理由をつけ、

 

自分の憎しみ、怒りに正当性を与えていました。

 

その理由づけのために

 

過去へ遡ったり、将来を思い浮かべていました。

 

過去の理不尽な対応を責めたり

 

明るい未来を壊されたと 文句を言っていたのです。

 

今どうありたいかより、過去と未来にとらわれ

 

こういう理不尽な扱いをされ

これからもされていく。

 

だから僕は不幸なんだと、 

不幸の中から抜け出られない自分を 

自ら強化していたのです。

 

心に浮かんでいる 

怒り・不満を捨て去ることが、

 

何か正義を曲げること、

負けを認めることのよう感じて 

できませんでした。

 

僕の心にはいじめて来る相手に対する

おごりがありました。

 

「こっちが正しいのだ。

おまえ達こそ 人間のクズだ。

 

そんなクズ野郎に俺はけっして負けないぞ。

負けてたまるか」

 

この思いが今を生きることを

ジャマしていたのです。

 

これが本に書いた

 

「おごりを捨てれば怒りは小さくなっていく」

 

という気づきでした。

 

本当に心の傷を治したいのなら

 

心を傷付けることを許してしまった自分を

 

受け入れ許してあげることです。

 

それができると、心に余裕が生まれます。

 

つまらないことは受け流すことが

 

できるようになってきます。

 

さて タマムシの返事は

 

「すでにケンちゃんが欲しいものは

 

心の中に持っているんだよ。良かったね」

 

に聞こえてきたのです。

 

何よりも心の平安が欲しいと願っていた僕。

 

ヤケドの顔が醜くい上、

バカだからいじめられるのだ。

 

もっと皆を引き付ける特別な能力が

手にさえすれば 

僕からいじめはなくなると 思っていた僕。

 

でもそんな能力はなく、もがけばもがくほど、

 

皆より劣っていると感じてしまっていた僕。

 

ところが 欲しいものをすでに持っていると

 

タマムシは言ってくれ、僕もそれを感じたのです。

 

それから 僕は自分が十分に持っていることに

 

どんどん気づいていきます。

 

気づくたびに 自信を手にしていきました。

 

欲しいものに とらわれていると

 

手に入らないことに イライラがましていきます。

 

しかし自分が持っているものに

 

意識を向けて それを十分に利用すると

 

今までできないと思っていたことが

 

たくさんできるのだということに気がついてきます。

 

足りないのではなく 持っているものを

 

十分に活用していなかっただけだったことに

 

気がつくと、不思議な事が起きてきます。

 

欲しくてたまらなかったものが 欲しくなくなり、

 

場合によっては 欲ししいものが 

 

向こうから近づいてきてくれるのです。

 

これは ウソではありません。 

 

これに気がついてから

 

僕の心も体も劇的な変化を見せたのです。

 

この経験がその後の僕に 困った時など

 

「僕は十分に持っている。僕の人生は素晴らしい」

 

って 口に出すことを させています。

 

口に出した時 困った状態であっても

 

何回も口にしてみること。これ大切な事です。

 

僕は いじめの期間 何万何千回と

 

僕の人生に未来はないと嘆き

 

「ちくしょうちくしょう」

 

と 口にしていたのです。

 

そしたら 本当に 心は闇にとらわれていました。

 

「マイナスを口にするからマイナスになる」

 

ならば反対に 

 

「プラスを口にすればプラスになる」

 

ということです。

 

一番のいじめっ子は自分自身なのです。

 

いじめが終わる頃 やっと気がついたことでした。

 

「生きている価値はない」「早く死ね」

 

などとは言われても、

 

何もそれを応援する必要などなかったのです。

 

「未来はない」と誰よりも決めつけ、

 

顔が醜いだけでなく、能力もないからだと

 

自分を責めていたのは 僕自身だったのです。

 

いじめに限らず、何かをやろうとした時

 

「無理無理、できっこない。

失敗したら笑われるよ」

 

などと反対する自分こそ、一番の敵なのです。

 

マイナス思考を感じたら 

意識を変換するクセをつけるといいのです。

 

「もし・・・・だったら幸せのはず 」

 

という否定的結論を

 

「もしもっとひどい条件だとしても・・幸せです」

 

という肯定的結論に変えるといいのです。

 

否定的な考えの時は 

なんとか上手くやろうとして 

自分に縛りを与えます。

 

自分を無理にコントロールしようとするので 

 

かえって息苦しさを感じます。

 

でも、肯定的結論に意識変換すると、

 

なすがままに ケセラセラで 過ごしていけます。

 

不思議と上手く行く毎日を

感じるようになってきます。

 

そして以前なら ムカッと来たり、

 

「あ~あ、ついてない」と

嘆いたことに対しても 

 

「まっいっか」と流して 

先に進んで行けるようになっていきます。

 

僕の幸せ指数は、

この意識変換を癖にしていくことで、 

別次元に行きました。

 

この変換が上手く行くようになってくれば、

 

家では夫()、子供の良い所を意識し、

 

思いやりのある言葉をかけ、

 

家族がいるから幸せであることを

 

感じていくことでしょう。

 

仕事も愚痴が減ってきて仕事があって良かった。

 

自分は一生懸命できる仕事があるだけ幸せと

 

考えていけるようになっていくと思います。

 

幸せは外側ではなく、内側にあるのですから。

 

本日 終了です。Kさん、読んでくれたかな() 

 

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コメント: 2
  • #1

    教え子のK (月曜日, 25 9月 2017 19:36)

    今が大事、今どうしたいかに従え。自分を受け入れ許す。とても今の自分になかった事で、大変な毎日ですが、少しなんだかほっとした気持ちになれました�

  • #2

    転校生の真理子 (金曜日, 29 9月 2017 15:34)

    同郷で、一学年下だった
    転校生のおてんば娘
    (今は、元気者のおばちゃん)

    実家は、もう、あの町には有りません。
    住吉町の小松医院の向かいに、三年生の時に引越しました。

    小学校の少しの間しか、同じ学校には通っていなかったので、貴方は、覚えていないでしょう。

    この50年、健ちゃん康ちゃんを何故か思い出す事の多い者です。
    健ちゃんの、お顔の傷は、お猿さんに攻撃されたのだと、50年も思い込んでいました。
    何処からの情報だったのかしら?
    お猿さんには、気をつけなきゃ!って、お猿さんを見るたびに思ってもいました。

    あの町では、私も、人知れず
    イジメに有っていました。
    人前では、元気そうにしてたので、親友ですら、私が教師にまで、意地悪をされていた事を昨日まで知らずにいたようです。

    ふと…健康ちゃん達をおもいだし、検索し此方を知りましたが
    大好きだった、健ちゃんのイジメをしていた側の人間で無い事を心底祈りました。

    子供は、イジメをしている感覚が無いのかも?だとも思っているので…

    学年も違うし、転校生だから、私の存在すら、覚えてはいらっしゃらないと思いますが…
    健ちゃんの存在を尊敬していた人間がいたことを、お知らせしたくてコンタクトさせて頂きました。

    いい年になってしまったのですが…日々、次はどんな楽しみ事を見つけようかと考えながら過ごしています。

    遊ぶ事が大好きだったのが、私の生きる力となっていたと思います。

    先週、関西空港の周辺を漁船に乗って、飛行機撮影をしてきました。
    お船が、ユッサ、ユッサと揺れるのが、童心に帰ったようで楽しかったです

    お元気でいらして下さいね!
    宜しければ、ご連絡下さい。

    小さかった頃、健ちゃんは、すごい!
    素敵な人!
    尊敬してる!って、伝えてれば良かったと、心より思います。