ふと感じた物理の法則

 

久々の更新。

先週末、田舎に帰りました。今回はその途中で思ったことを書きます。

 

 

 

長岡駅に着くと 「うおお~やっぱり こっちは寒いな。顔に当たる風が痛い」実は僕、結構寒さに強いのです。

 

東京では 他人が冷たいと言う風に当たると小学校時代を思い出し「この気の引き締まる冷たさはいいな~」と感じてしまうほどです。

 

その僕が痛いと感じたのですから やっぱり 新潟は寒さの厳しい地方なんだと再認識しました。

 

長岡駅のホームで特急を待つ間「地球温暖化の影響はあるけれども 大雑把に考えて 地球が持つ熱エネルギーがほぼ一定ならば ここが寒いということは その分どこか あったかいんだよな~。あっこれ エネルギー保存の法則だったよな~」

 

理科の先生だったから(とはいっても 生物専門だったから詳しい物理はちんぷんかんぷん) こんな法則思い出すのかな~。坊さんだったら ああ~不増不減なりと感じるのかな~」と ふと思いました。

 

急行列車しらゆきに乗り込み 小学校時代からの同じ時期を次々に思い出していました。

 

小学校時代の冬、中学校時代の冬 それぞれ寒かったのですが それぞれを思い出すと こみあげる感情は違っていました。

 

そして 高校時代 15歳で康ちゃんと 東京に出てきた時 「東京の風は 思ったより冷たいな」と感じながら 二人で近くの銭湯に 凍えながら行ったことを 思い出していました。

 

20代、30代、40代、50代そして60代と 思いをめぐらしていると それぞれの時代に 特別な思い入れがあり良い経験となっていることに 気がつきました。

 

各時代に その時代を象徴する初心のような気持ちが存在していることに面白さを感じました。

 

それぞれの時代の今頃の様子は 地球の温暖化とともに違っています。たとえば 20代前半 12月頃は 寒さに強い僕もダウンコートを着ないと 寒くて仕方がなかったのに だんだんそうでなくなりました。現在の僕は 通勤時 背広のままです。

 

地球全体の熱エネルギーは ほぼ一定に保存されていますが エネルギー自体は 一定の場所にとどまっていないのですから その場所である時丁度良いと思っていた生活の仕方が 10年後 適さなくなっていても不思議はないのですね。 

 

今 これを打ちながら 各時代を振り返ると気候に限らず 世の中の価値観 情報通信手段  流通方法など 何事もとどまることなく 変化していることに 今 さらながら驚きます。

 

「各時代、丁度いいバランスを保つには その時代に合わせて 本人たちが 努力しないと いけないんだな~」と これまた今さらながら 努力不足だった自分を反省しています。

 

人間関係も 同じですね。たとえば夫婦関係。

 

最初は この人の為に何かしてあげられることが 何よりの喜びであり 愛情というエネルギーのすべてを 相手に注いでいるのだと思います。

 

でも 子供が生まれれば 当然ながら その思いは 夫()から子供へと分配されます。

 

そうすれば 夫と妻との間に昔あった エネルギーは必然と減ってしまいます。そこが減れば減るほど その他にそのエネルギーが流れ込み 夫婦間は冷たくなります。子供もしくは 他の人間に気持ちが向くことになるわけです。

 

でも 互いを大切に思う炎は まったく消えているわけではありません。だから 長続きする人達は 互いに その炎に 薪を適量投げ込む努力をしているってことなのですね。

 

互いに投げ入れるってところが 続くか続かないかの決め手なのかな~。片方だけでは 疲れてしまいますからね。

 

適量というのもミソなのでしょう。投げ込み過ぎれば 子供へのエネルギーが不足しかねませんから。

 

なるほど テレビで有名だった大家族の夫婦が 離婚してしまった原因はここにあったのかなんて。

 

うん? この時 物理音痴の僕の頭の中に もう一つ 聞きかじったことのある物理の法則が蘇りました。それはエントロピー増大の法則です。

 

一言で言えば 全ての物は 放っておくとバラバラになり 色々なものが混ざり合った姿に向かうというやつです。秩序あるものは 混沌とした世界へ変わっていくという法則だったと思います。

 

子供がたくさんいるということは 言い方は何ですが 家庭内に そのような物体が多いということです。

 

家族内でそれぞれは 好き勝手に活動し しっちゃかめっちゃかになるのが 必然なのです。うむむむむ、こうなると それを引き寄せる エントロピーの法則に逆らうエネルギーが必要となります。

 

あららら 家族愛を深めながら生きるということは 

ちょっとばっかり 物理の法則に逆らうことになるなと思いました。家族愛というエネルギーがそれぞれをつなぎとめているわけです。

しかし 夫婦間で適度の愛情を保ち 子供たちの成長に合わせて エネルギーを分配することはそうたやすいことではないでしょう。なるほど 世の中のお父さん お母さんは大変なわけですね。

 

子供がいようといまいと 夫婦が互いに偏ることなく 夫婦間の暖炉に 薪をくべる努力をしないと ぎくしゃくしてくるのだと思います。おそらく 離婚したいと思ったことのない夫婦はほとんどいないと思います。互いに 薪をくべることができれば 回避できるし できなければ エントロピーの法則に従うことになってしまいます。

 

親子関係も そうなのだと思います。昨今 親子・肉親どうしが どうしてこんなことにという事件も少なくありません。

 

さきほどの 家族の絆をつなぐエネルギーがないと 

エントロピーの法則に従い バラバラになり 親子関係が希薄になってしまいます。

 

子供が生まれた時 きっと 親子暖炉なるものが親子の間に現れるのでしょう。親は暖炉の火を絶やさないために 薪を投げ込み 燃やし続ける努力をします。

 

そのうち そのぬくもりに感謝した子供も 暖炉に薪を意識的にくべるようになってきます。子供は 赤ちゃんだった頃は 笑顔という薪をくべていましたが 買い物などの手伝いをすることで 別の薪をくべることを 始めるのです。 

 

そこで褒められると薪をくべることに喜びを感じ互いの絆が深まっていきます。親から助けを求められ 出来た時 親から感謝される喜びは何とも言えません。自分の存在感を肯定し自分の存在に自信を持てるのです。つまり 子供も くべる手 与える手がもたらす幸せを知り幸せを発見しやすい心が育っていきます。

 

また できなかった時 励まし待ってくれるありがたさは ありがとうと言える心を 育ててくれます。僕は兄弟の中で 母から最もこの愛情を受けたと感じています。姉や弟が 当たり前に出来ることができませんでしたから。

だったからでしょうか 僕は 現代この信じて待つということを忘れてしまった親や教育者が多いように感じます。これを行うには 心に余裕が必要です。 自分の生を振り返ると家の母親は 子育てにおいて このエントロピーの法則に逆らうことがとても上手かったように感じます。感謝あるのみです。

 

親なのだからと 何でもかんでも子供に干渉しすぎると 良くありません。転ばぬ先の杖のように 何事も心配し用意し失敗すると「用意してあるのに どうして失敗するの? お母さん、お父さん言ったよね」と 頭ごなしにきつく叱る。

 

これでは 失敗から這い上がっていく力は育ちません。諦め癖がついてしまいます。「自分は精一杯やった。失敗したのは 周りが用意してくれてなかったからだ。失敗しないように配慮をするのは 親の義務だ」という 言い訳すらするようになります。

 

事実 悲しいかな こういった生徒を 僕はいくつも見てきました。おそらく この生徒達は 社会に出た時 失敗したら その原因を 会社の配慮のなさにすり替えたりするのだろうなと心配していました。それも だんだん 増えてきていることに これからの社会に不安を感じていました。学校が常に正しいとは言えませんが 明らかなモンスターペアレンツはこういう考え方の延長線上にあるのかもしれません。

 

だから 親のことを愛情こめて「もう~、家の親ってどうしょうもないのよ~」ではなく 軽蔑見下したように冷たく批判する人を見ると 僕はとても悲しくなります。もちろん 小さい頃に 親の責任を放棄して子供を捨て去るような場合は別です。

 

周りと比べて 自分が恵まれていないと感じると それを親のせいにするのです。それぞれの家庭には それぞれの事情があります。その中で十分してくれている親なのに「家の親は何もしてくれない。信頼できない親」だと批判までし始めます。もう会わなくてもいいと言ったりします。

 

なぜこんなことを平気で言えるのか? きっと 親からエントロピー増大の法則に 逆らうエネルギーを 十分受け取ってこなかったからではないかと思います。

 

だから 最初から心が 怒りに満ちていたわけではなく 満たされなかった心が 他人と自分を比べて

自分を卑下していくのだと思います。

 

こういう人の心は 自分で作り出したコンプレックスに負けてしまっているのです。励まして自分で立ち上がるのを待ってあげたいものです。

 

ただし 本人がコンプレックスを受け入れ立ち上がろうとする勇気にふたをしてしまっては どんな応援も役に立ちません。こればかりは 本人が選ぶしかないのです。

 

極真空手の創始者 大山倍達総裁が良く口にした言葉に次のような言葉がありました。「牛を水飲み場まで連れて行くのは 牛飼いの役目。しかし 水を飲むか飲まないかは 牛自身が決めることだよ」というものです。

 

つまりどんな良い方法を教えても それを受け入れる素直さがなければ無に等しい。空手で言えば 強くなるための技術を教えても それを身につけるための練習を自ら意識して行わなければ 絶対に強くなれないということです。

 

『素直さ』 これはとても大切なものです。自分の弱さを認めることは なかなか辛いことです。しかし それがあるから強くなれるのです。素直さがなくなると 誠実さもなくなり計算深くなり 笑顔が減ってきます。全てに対して 不平不満を言うようになります。自分が変われば 世界も変わるのに 変わらない周りが悪いのだと 延々と文句を言い続けます。

 

親に限らず 自分にいろいろしてくれるのは当たり前という甘えにあぐらをかいていると 求めるだけの人間になっていきます。ただこういう人の多くは 自分がそういう人間になっていることに気がついていませんから 始末が悪いのです。どちらかというと 被害者意識が強くなり どうして皆 これで平気でいられるのと 周りを批判します。

 

社会人になっても 職場の人間 友達 恋人の家族

夫(妻)やその家族に対して 口から出るのは すべて悪口になってしまいます。どんどん自分の居場所は狭くなっていくわけです。

 

それを繰り返すほど自分で不幸を引き寄せていることに気がつかないでいます。それを指摘されれば 逆切れして「私の何が分かる? 昔はこうじゃなかった。私がこうなっているのは〇〇のせい」と 怒るのです。ずっと前からそういう人間であったのに 自分が見えていないのです。

 

夫婦 親子 友達 共に歩んできた関係において 

今まであった 「~してあげたい」という気持ちがなくなってきます。自分の為にならないとしても そうすることで喜びを感じた心が しぼんでいきます。そして 今までの関係を捨て去り 「自分らしく生きたい。本当の自分の幸せをつかみたい」ともっともらしい主張をし始めます。互いに助け合い 互いの為にという気持ちはなくなり 自分のためという気持ちへと変換が起きます。

 

僕は「自分らしく」が悪いとは思いません。しかし その「自分らしく」が素直さから生まれたものでなければ 逃げと言い訳の人生を繰り返します。我慢と与えることで得られる多くの幸せを見失います。

 

だから素直さを忘れてしまっている人は 早くそれに気がついて 多くの幸せを見つけて欲しいと願っています。というわけで 世にも適当な物理の法則に関するお話を終わります。

 

ところで 確かに寒くなりましたね。インフルエンザも流行ってきています。皆さん インフルエンザに気をつけて。

 

寝る前は タオルを濡らして グレープフルーツのスプレーやハッカ油を振りかけましょう。濡れマスクに 振りかけると 結構いいです。乾燥した部屋の中で 口を開けて寝てしまうと朝喉痛いですよね。そんな日は是非 これやって寝て下さい。ハッカ油は 蚊よけにも めちゃいいんで 僕は夏も愛用しています。では皆さま良いお年をお迎えください。

 

追伸 ちなみに真理子さんのお家は 栄え食堂の駐車場になっていました。小松医院の所が 食堂になっていました。